私の普段の生活は、トライシクルに
揺られながら朝9時ごろ大学へ行き、
そしてスタッフとお喋りしたり、
システム開発のための資料を作成し
たり、授業のための教材を準備した
り、メールを確認したりして5時
まで働きます。そしてアフターファ
イブは友達とおしゃべりをしながら
友人宅まで行き、夕飯をご馳走になっ
たり、一緒にテレビを見たり、マー
ケットに寄って、夕飯の買い物をし
たり、時には友達と一緒にカフェで
ハロハロ食べたりしてすごします。
週末は、テニスをしたり、フィエスタ、
誕生日会、バプティズム、ディスコに
行ったりして過ごしています。
私の回りには大学の関係者が多いことから、比較的裕福な人が多く、一緒にいても自分が支給されているJICAからの生活費で暮らしていける
生活水準とたいして変わりはないような気がします。そんなノホホンとした生活を続けていたある日、スクールデンティストをしている友達
(エシール)から、山の中にある小学校に歯の検診に行くから一緒に来ないかという誘いを受け、喜んでオーケーの返事をしました。
そしてその山の中の小学校を訪れた事がきっかけで、内気な私が自ら体験した感動と興奮を皆さんに語ろうと心に決めたのでした。
(前置きが長かった)
それは1月7日の夜のこと、エシールからテキストが入り、明日山の中の小学校に行くから一緒にくる?とのメッセージが入りました。
以前からその小学校のことを聞かされていて、一度行ってみたいと思っていた私は、喜んで「YES」の返事をしました。そしてフィリピン
人としては珍しく時間に正確なエシールは次の日の朝7時5分前に私をバイクで迎えにきてくれました。エシールのバイクの後ろに乗り、
約30分くらいのところにPENA I (ピンニャ ウノ)という名の村があります。PENA Iから山に入り、17KMという距離の山道を
登っていきます。山道と言っても、岩が転がっていたり、泥沼があったり、普通には歩けないところばかりでした。20本近くの川を渡り、
泥沼に足をとられ、岩肌で足を滑らせ、ヒーヒー言いながら、半分弱音を吐きながら、登り続けること約3時間、突然山の頂上からくぼん
だ所に村その名もPENA II (ピンニャ ドス) が現れました。まるで夢でも見ているかのようでした。村からは煙が上がり、人のすん
でいる気配を感じることができました。後は、山を少し下り、その村を目指して進むだけ。足はガクガクして棒のようになっているものの、
早くこの目でその村に住んでいる人たちに会いたく、心は躍っていました。 その村に着いたのは午後1時。人々の顔を見たときは、心の
底からホッとした気分になりました。村はとても整備されていて、たくさん花がさいていました。特にアジサイがきれいに咲いていました。
私達が今晩お世話になる小学校の先生をしているローズの家に着き、泥だらけの靴と靴下を脱ぎ、洋服を着替え、早速ローズに案内され
小学校を訪れました。もうすぐこの村のフィエスタ(セイントをお祝いするお祭りで、各家庭でご馳走を用意し客人をもてなす)という
ことで、その日の午後は生徒達で小学校の回りをきれいにする野外活動が行われました。私達が小学校に着いたときは、草刈ナイフを片手
に子供達が集まっていました。ローズの合図で、みんな一斉に草を刈り始めました。一人もズルして手を抜いたりしている子供がいないこ
とに私はひそかに驚いていました。そしてアッという間に草がボーボーだったグランドがきれいになってしまいました。本当に働き者の
子供達です。
生徒の数が話で聞いていた120人という数よりかなり少ないことに気づき、先生に尋ねたところ、「フィエスタのためにお金が必要
になるから、子供達もコプラを運んだりして親の手伝いをしているのよ」と聞かされました。たしかに、山を登っているときにも何人か
の子供達が頭に自分より重いだろうコプラが入っている袋を頭の上に乗せ、山を下っている姿を目にし、驚いたことを思い出しました。
そして先生から「フィエスタの時だけじゃなく、例えばコピーをとるから明日お金を持ってきてくださいと言うと、次の日生徒が私の
ところに来て、先生お金もう少し待っていてください。今からコプラ運んで明日お金を持ってきますという生徒さえいるのよ」と聞か
されました。そしてほっそりした生徒を指さして、「彼は20KGのコプラを運んで親の手伝いをしているのよ。彼だけじゃないは、
ほらあそこに立っている子供も、緑の洋服を着ている子供も、みんな自分と同じくらいの重さのコプラを頭に乗せてお金を稼いでいるの
よ。」 私 「・・・・・・」 声も出ませんでした。信じられない、本当に信じられない。ついさっき山を登ってこの村に到着した私
は、あの過酷な山道のことを思い出して、唖然としてしまいました。その日は、ローズからPENA IIの暮らしのことについていろいろな
話をきかしてもらいました。この村の創立者がまだ生きていた頃は、P ENA IIはもっときれいだったんだそうです。花がたくさん咲き、
下界とは接点がなく、人々は平和そのものだったそうです。創立者が他界し、約17年、村を引っ張る偉大な主導者がいなくなり、
多くの人が山を下りてしまったそうです。 ローズの旦那さんはこの村で農作物の作り方を村人に教えています。今では、キャベツ、ナス、
にんじん、カモーテ、キャサバなどが収穫できるようになったそうです。
この村の人々は自給自足にほぼ近い生活をしています。娯楽は、誰かの家に集まり、みんなでおしゃべりしたり、歌を歌ったりすることです。
大人がダンスを楽しむことは、うるさいという理由で、禁じられているそうです。子供のダンスはOKです。
その日は、村人が大勢ローズの家に遊びに来てくれました。そしてみんなで、バナナで作ったお菓子を食べ、お喋りをしました。夕飯の近く
になると一人の女性が、大事に育ててきたニワトリを1匹提供してくれました。「今晩はこのニワトリでお客様にチキンスープをご馳走する
わ。」という言葉に、嬉しくてたまりませんでした。
夕食を準備してれている間、空が暗くなったので、外にエシールを誘って外に出てみることにしました。「・・・・」またまた唖然でした。
こぼれんばかりの星の下に、蛍が無数に飛んでいました。感動したのは言うまでもありません。サマール島に赴任した当初は星の数に驚かさ
れた私でしたが、その星の数とは比べ物にならないほどの、星星星。そして星と一緒に蛍までもが、、、、。 自然の素晴らしさを実感した
瞬間でした。 興奮した私の目からは涙がこぼれました。そして、夕飯の準備が出来たよと子供達が知らせに来てくれるまでは、口をあけた
まま空を眺めて身動きする出来ないほどでした。私とエシール、そしてローズとローズの旦那のバディーが食卓に座り、用意してくれた
チキンスープをご馳走になりました。食事を終え、遊びに来ていた村人が次に椅子に座り食事をはじめました。フィリピンでは当然の事
なのですが、こうしてみんなでご馳走を分け合うのです。こうした光景を目にするたびに、私は感動して、涙がこぼれそうになります
(涙もろい)。
その日の夜は、9時くらいまで村人の人たちがローズの家で歌ったりお喋りをしていました。そしてみんなが帰った後、寝室に入り、
毛布一枚で床に寝ました。寒さもあり、あまり良く眠れませんでしたが、次の日は7時に起き上がり、外を散歩しました。空気がきれいで、
ひんやりとしていて、気持ちが良かった。その日は、朝9時半に村を出発しました。今度はローズとバディーと小学校の若い先生と村の
女性2名と男性1名と子供2人と一緒です。なんとローズは妊娠5ヶ月目です。それなのに私より身軽そうに山を下っていました。途中
何度が休憩し、ブコジュースを飲んだりしながら、下山しました。
帰るときに村の人たちにお礼を言い、「また必ず遊びにきます。そのときはみんなで撮った写真を持ってきます」と言うと、みんな笑顔で
「また来てくれるの?約束よ」と半信半疑のようでしたが、とても嬉しそうでした。
村の人たちの優しさに触れ、そして子供達のたくましい姿を見て、考えさせられることが多かった今回の旅ですが、本当に村の人たちに
会えて良かった。みんなの優しさと勇気と根性をもらって帰ったような気がします。そしてこれからもその村に足を運んで、上辺だけで
はなく、彼らの真の姿を見つめていきたいと思います。
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