カーヴァンクルの紹介


 トップ活動報告オフライン報告

2006年7月21日(金) 言葉 〜書と話〜
 私たち人間は日常的に言葉を使う。それは別段珍しいことではない。そしてまた,私たちは言語を使っているということを意識することもほとんどないだろう。それほど,言葉とは私たちの生活において極めて自然に使用される道具である。

 さて,言葉についての知識を少しだけ自慢げに披露したい。
 一般に生後4ヶ月頃から発せられる「バーバーバー」や「ムームー」などの音韻が繰り返される発声を『喃語』と言う。喃語は意味のある言葉というよりは,言葉を使うための筋肉を鍛えるために行われる。
 1歳前後になると,いわゆる「ママ」や「ワンワン」などの意味ある言葉を発声する。こうした単語だけで語られるものを『一語文』といい,成長に従って「ママ イタイ」など助詞を省略してはいるものの2つの文節を用いた『二語分』を使うようになる。
 さらに,3歳頃から「〜だと思う」や「〜だと分かった」などの自分の思考に関わる言葉を使うようになる。これらは心的動詞といって,より複雑な構文を必要とし,また『心の理論』という発達段階(※ここでは扱わないため説明は省略)も深く関係する。


 ところで,私が今ここに書き込んでいる言葉は,日本語である。言葉遣いは文語調であり常体である。これは書き言葉であって,日常場面の会話でこのような言葉を使う人はほとんどいないだろう。そうした会話で用いられる言葉使いは口語調という。これらは恐らく中学校教育で学ぶところであると思われる。
 
 口語はおそらく先述したような喃語以降において頻繁かつほぼ常時使われることになり,私たち大人が不思議とも思うことなく,子どもは学習し身に着けていくことだろう。
 しかし文語はそうはいかない。最も基本的な文語を学ぶ機会は小学校入学以降であろう。もちろん最近は塾の発展によって,5歳以前から国語を学んでいる子どももいるかもしれないが,国語をわざわざ塾で学ぶことはあまりないだろうし,多くは塾に行かないだろうと思われる。

 絵本は子どもの言語発達には有効であると思われる。これは文語の学習というわけではないが,言葉への興味と共に語彙数の増加,表現の豊かさなどを身につけることが期待される。小学校以降の子どもの多くが関心を持つであろう漫画は,絵本の延長にあると思われる。おそらく漫画自体の内容や作成意図や対象年齢にも関係するであろうが,その多くは口語で語られ,絵と同時提示することで物語の把握を補完している。それゆえ,私たちは読みやすさをより一層感じられる。アニメに関して言えば,より状況把握が簡易であるため,言葉はキャラクターの発する口語だけに絞られる。

 小学校で読書される国語の教科書の内容は覚えていない。しかし,学年ごとに違いはあれど,その種類は説明文,小説,随筆,詩といったところだろう。詩は別物としても,それらは文語で語られるものである。しかし,それらはそれぞれ違った構成,違った語りを使用する。当然のことであるが,説明文はある一つの現象・主張を論理的に説明するものであり,要点をまとめて文章を簡潔に把握する能力が必要とされる。小説は,登場人物の心理描写や物語展開や背景となっている設定などを洞察する能力や想像力が要求される。随筆は,特別何かの能力を必要とするようなものではないが,そこから得られる文章の書き方は必要である。


 近年,若い世代で日本語の崩壊などと言われる現象が見られている。これに対しては,言語は流動的かつ変容的であるとする革新派と,言語は固定的かつ普遍的であるとする保守派とがある。これらの主張は,それぞれ正しく,また理性的であるのだが,ここで多くは語らない。
 そうして,こうした現象は口語の使い方の問題である。しかし文語の使い方にも影響を与えてはいないだろうか。正式な発表や論文ではないが,興味深い話を聞いたことがある。
 私の知人の教授が,ある電車内で男子高校生が会話しているのを耳にした。冷静に考えると気持ち悪い話ではあるが,その教授は彼らの会話を注意して聞いていた。彼らの会話を30分ほど聞いていたところ,その中で語られた単語数はおよそ200個程であったそうだ。話題が一定で単調であれば,それも理解できる。だが,彼らの会話は脈絡もなく,また惰性的で,およそ他人が容易に理解できるものではなかったそうである。
 そうした背景には,一つの単語が実に多義的に用いられているということである。これは俗語というものであるが,文語における問題はそれを標準的に利用する若者が多いということである。
 また,文語にも関わらず,口語同様の主語の省略や不適切な接続語の使用が目立つ。いわゆる文法の問題である。これには誤字や句読点の問題も含まれる。
 さらには,全体の文章構成ができていない。起承転結という熟語が存在することを知らないのかもしれない。口語では,私たちは思ったことを言葉としてすぐ伝達する。それは話し手と聞き手の情報の相互交換が可能であるから成り立つものである。文語においてこのような利用をすれば,書き手と読み手は相互的ではなく一方的な関係であるので,理解に苦しむ文章となる。

 逐語的に単語を選択し,文法を考慮して文章を構築し,工夫した論文を書くということは練習が必要である。なぜなら,口語とは違い,私たちが日常的に用いるものではないからである。また,書くということ以上に読むこともまた必要である。私たちの学習の基礎は模倣であるといっても良い。ゆえに,読むことなしに書くことをするのは,ひどく効率が悪い。

 大学1年生の論文をいくつか読んでいて,過去に回帰すると共に,改めて自分の文章もまた改良が必要であるとふと感じ,以上のような文章を書き記したいと思った。