2002年12月25〜28日 別府地獄巡り、高崎山
年末年始を控え、九州は別府へ。たぶん三度目だが、地獄巡りの一部しか見てないので、隣の湯布院に比べ流行らないリゾートと思いつつ、別府に三泊。なにしろ世間は相変わらずの拉致キャンペーンとイラク攻撃キャンペーンのオンパレード、世間を離れるのも大事なこと。
2002年12月03日 三宅島定期航路再開!
東京〜八丈島定期航路フェリーが三宅島への寄港を再開することになりました。これで、島民の方は自由に島へ帰れるようになりました?→三宅島のページへ
2002年11月04日 衆参補選、議員暗殺、護憲大会
注目の衆参補欠選挙は、与党側の圧勝。連日の北朝鮮「拉致」キャンペーンや、野党ネガティブキャンペーンの影響もあるだろうが、それにしても、与党勝利=内閣支持、現在のリストラ閉塞社会を消極的にせよ賛成だってこと?株価暴落、高失業、無金利、医療費や介護保険など個人負担ばかり増加する政策を、多くの有権者が容認しているって?それでは、このどんづまり状況は自律的には打開できない。「もう何もしたくない、誰かどうにかしてくれ…」ってことじゃないの?カリスマ待望、=ファシズム志向か?
補選の直前に野党議員が殺されたのだ、当然大騒ぎになるかと思えば、なんだか「個人的なもめ事」の扱い。そういえば、米合衆国の議員の急死も、単なる飛行機事故ってことになるらしい。朝鮮戦争の前に、こんな状況があったんだっけ。日頃から因縁をつけていた(らしい)右翼が、対立する(だろう)野党の議員を殺したのだ、背景の有無を取材するのが当然だろうに、警察発表通り?を鵜呑みの報道は、思考停止?大政翼賛会??
こんな状況下で、全国護憲大会が新潟で開催、しかし社会民主党の零落のためか、妨害も何もなく、平穏無事な開会。既に巡洋艦も戦艦も保有、1935年当時くらいの(あるいはそれ以上の)軍事大国となり、次は非国民の摘発か?
2002年10月20日 「拉致」事件、バリ島爆発事件、選挙
ローカルピースMLに、亜空間通信http://www.asyura.com/2002/war17/msg/362.htmlとやらの情報、先日のバリ島ディスコ爆発事件で、核爆弾が使われたと。本当なら、湾岸戦争当時の劣化ウラン弾を除けば、殺傷目的での核兵器の使用は、広島長崎以来の暴挙だ。しかし、国内一般情報には、そんな話は聞いた覚えがない。
かのタイムズhttp://www.timesonline.co.uk/article/0,,4005-446515,00.htmlでも、核爆発とは断定しないが、それらしい目撃証言があるという。本当なら、放射能の測定で分かるだろうし、そもそも爆発地点は被曝の危険がある。取材はどうなってるんだ?
ここ新潟県長岡市では、田中真紀子元議員の辞職による衆議院議員補欠選挙が行われている。与党と野党連合と共産党の三つ巴がっぷりだが、本命不在の喪失感と、政策論争はあるはずなのに、不況対策も「拉致」事件対応も、なんだか現実味がない。とはいえ、私も1陣営の関係者のはずだが。「それどころではない」って意識がある。本当は「それ」が大事なはずなのに。
2002年9月27日 日朝雑感
電撃的な首相の訪朝、拉致謝罪と動静回答は望外の一大成果だろう、しかし八名の方が既に亡くなったとの説明に、国内報道は非難囂々。政府も同様だが、独自調査も情報収集もせず、20年以上も放置した責任は報道機関も同様、よくも政府を非難できるものだ。森首相までの政権が20年以上も蔑ろにしていた懸案を、解決とは言えないにせよ一定のケリをつけたことは、評価すべきだろう。
それにしても、高句麗以来の敵対関係、先の大戦時には数万人以上の半島住民が大日本帝国に拉致されたという、その歴史にケリがついていない以上、一方的な北朝鮮非難はどうだろう。この件に関しては、まるでタリバン&イラク非難一色のブッシュ政権のようだ。無関係とも言える在日朝鮮人学校の子どもたちへの恐喝行為が起きている八つ当たり状況も同様だ。
2002年9月10日 片貝祭・花火大会
一昨日から小千谷市片貝地区で恒例の片貝祭、昨夜の花火は忘れていて見逃し、子どもが怒って大変だったので、今夜こそはと花火見物へ行きました。
越路町の高速道近くの水田から見物、晴れ渡る夜空に見事な花火の連続で、日本一の四尺玉も大成功。ところが、狭い農道を通過したためか、翌日愛車のタイヤがパンク、釘が刺さっていました。スプレーの補修剤が効かず、スペアタイヤに交換、そのためか三連休は腰を痛めて苦しみました。9月20日現在、まだ腰痛治らず。
2002年9月7日 柏崎市議会「プルサーマル反対」決議
「信頼関係は失われた」と、推進派が過半数を占める議会で、いわば原子力体制に対する不信任決議。当然のことながら、同日に内閣支持率が過半数を回復の記事。原発管理は私企業の問題ではなく国家の課題、相次ぐ食品不正も恐慌寸前の株価暴落も、最高責任者が追求されないのはなぜだろう?
2002年8月31日 刈羽村原発反対市民運動
東京電力による、信じがたい「敵失」判明の翌日、事件の経過説明と柏崎原発の即時運転停止を求めるビラ配りに参加しました。
県知事も柏崎一号機の運転停止・点検実施を求める意思を表明しましたが、今日も柏崎原発はヒビが入ったまま運転を続けています。「地震があっても大丈夫」は、ウソをついていた連中の言葉、誰が信じられましょう?たった今、直下型地震が発生してシュラウドが壊滅、炉心爆発のような重大事故が発生しても不思議じゃない。でも、地元は何事もないかの如く平穏でした。
2002年8月30日 原発点検記録改竄
刈羽村住民投票結果などを無視して九月からのプルサーマル導入を目論んでいた東京電力が、先日の福島&柏崎のシュラウドひび割れどころか、過去に無数の故障やひび割れの事実を公表せず、記録を改竄していたことが判明した。当然、東電社長はプルサーマル導入の延期を表明。
脱ダムは長野に限らず全国的にも大きな声になっているようだが、脱原発が広がらないのは、なぜだろう?田中康夫ちゃんや石原知事のような人が、声高に脱原発を争点にでもしないと、無理かしら?それとも土木業者に限られるダム産業界より、“原発業界”の方が遙かに広範囲で、それだけつおいのかな?
現時点で、例えば原発全面停止なんてのはあまりに非現実。当面は「必要悪」と存続させるしかないが、「事故や故障はないことになっている」と今回のような事故故障隠しに走るのではなく、万一の際の危険もきちんと公表し、例えば周辺住民へのヨウ素剤配布など、安全対策を徹底して貰いたい。プルサーマルは「延期」ではなく「中止」に。だって、もうなに言っても信用できないもの。
ところで、例えば100万円の光発電装置を全国1,000万戸に設置したら10兆円は、原発に関わる総費用に比べて高いのか安いのか。
雪印、不正香料、日ハム不正に無認可農薬使用作物。そして今度は、原発。もう誰も信用できないのか?
2002年8月29日 NHK総合クローズアップ現代
「戻れない日々 三宅島揺れる住民」 →三宅島のページへ
ところで、またもや台風接近、しかし今度は六月の台風同様に九州島の西から朝鮮半島に向かう予想。本当?もっと曲がるんじゃないの? →IMOC Weather Page
2002年8月22〜24日 山陰へ行きました。
未踏の地:山陰へ行きました。出雲、宍道湖、中海、大根島火山&大山火山。
2002年8月16日 台風13号
昨日はそのまま北西進するだろうと書きましたが、曲がって東にそれる予測ですね。ちゃんと高層天気図を見なかった失敗、いやまだ早いか?>>見事に曲がりましたね。
2002年8月15日 敗戦記念日
1945年8月15日の敗戦から、サンフランシスコ講和条約が発効するまで、この地は連合国(米軍)の占領地でした。現日本国の独立記念日はいつでしょう?
ってことを誤魔化すためには、敗戦の事実をぼかすために“終戦”記念日と言い続けるのだろうな。そして五人の大臣が、戦没者の追悼ではなく、“英霊”の追悼のために靖国神社に参拝したらしい。追悼の対象は、東京大空襲の被害者でも、広島長崎の原爆被災者でもなく、大陸や南洋で犠牲になった現地人や敵軍人でもなく。
五人の大臣、あるいは他の議員達の参拝が、肩書きを書く公式参拝だろうが、それとも私的参拝だろうが、それは本質じゃない。靖国神道が<国教>でない限り、公務員が公職の立場で宗教団体行事に参加できるはずはなく、それは宗教の自由に基づく私的参拝に決まっている。私的行為なのに肩書きを書く倒錯をこそ追求すべきなのに、そうしないのは報道陣が馬鹿なのか、それとも「わざと」そらしているのか。そして、今日が「戦争に敗れた」恥ずべき日であることに触れず、正午の黙祷と政治家の靖国参拝を強調する報道に、どんな意義があるのか。
ところで、台風13号が発達しながら接近中、このままでは18日にも直撃を受けます。先月の台風と異なり、そのまま北西へ直進するだろうから、関西は大きな被害が出るかも知れません。備えあれば憂いなし、十分な警戒を。
2002年8月14日 ホームページ改造
夏休みを利用して、ホームページ全体の見直しを進めています。
2002年8月3日 長岡祭花火大会
| 子どもを連れて、会場まで花火見物に行きました。信濃川右岸の観覧席は、ぎっしり混雑、通路まで占拠するひとが多数で、座れる場所を探すのが大変でした。20:30三尺玉が打ち上げ失敗、長生橋のナイアガラのすぐ上で、ほとんど地上で開いてしまいました。それでも、救急車の音は聞かなかったので、負傷者はないのかな?21:15の三尺玉は打ち上げは成功でしたが、ぱっとしない花火でした。 昨日2日は自宅窓から遠望、あいにくの雨でしたが、三尺玉は2発とも成功しました。 |
2002年8月1日 訃報
7月20日、じねんじょ会中村一男さんが亡くなりました。まだまだ若いのに、あまりの急逝で、まだ信じられません。優しい「先輩」でした。
そして7月29日、じねんじょ会の親分、池上義信先生が亡くなりました。享年93歳は大往生でしょうが、つい数年前まで元気に山歩きをされていました。どこへ行っても「いや〜参考になった、勉強になった」と植物採集をする大先生でした。
8月4日〜の恒例強化合宿は、お二人の追悼合宿になるでしょう。多忙で参加を躊躇っていましたが、出なくては。本業で行ったばかりの志賀高原です。
2002年7月20日 海の日
今日はウルトラマンコスモス復活の日。しかし放映スケジュールが動かせないので、収録済み作品の全部を放映できるわけではないらしい。再放送待ち?
11日朝は台風六号の影響でJRがストップ、公欠生徒が多数。16日は台風七号が六号よりも(新潟県に)接近する可能性があったため、生徒にも「備えるように」言いましたが、たいしたことはなかった。佐渡島は大変だったようですが。
さて、海の日の今日は朝からどんより、梅雨明けはまだのようです。
2002年7月10日 台風六号
朝鮮半島をおそった五号に続き、六号が北上中、間もなく南関東に上陸しそうです(22:35現在)。南海上には七号八号もあり、今夏は台風の当たり年?二年「地学」は地震を教えていましたが、急遽、台風について概説、ニュースを見るように指示しました。
それにしても、日韓共催のW杯が通例並みの日程なら、大変な混乱を招いたことでしょう。2つの台風を予測していた?
2002年6月29日 ムサシ冤罪?
今日はウルトラマンコスモスの最終回。突然の主役逮捕に、我が家の息子は「なんでコスモスないの〜??」とほとんどパニックでした。作品は作品、有罪が確定するまではそのまま放映でもと思っていましたが、案の定?、被害者の偽証による誤認逮捕、って話が。警察の問題は相変わらずとして、いったいTBSは、松本サリン事件に何も学んでいないのでしょうか?手際良く放映中止の判断に、てっきり被疑者に確認した上での対応かと思っていたのですが。
2002年6月29日 中津川事件フィールドワーク
十日町市役所集合、川西町千手発電所、浅河原貯水池、そして中津川発電所。今でも高野山周辺を掘ると人骨がザクザク出るそうです。今回のワールドカップから、日本と半島の歴史的和解につながりますように。どうせ現日本人の大半は半島から来たのだから。
2002年6月28日 もう一つのワールドカップ
十日町で戦前の朝鮮人強制連行に関する集会があり、参加してきました。17:30まで会議、すぐ出かけて、18:30〜クロス10で集会。新潟県人権センターの佐藤泰治さんをお迎えして、「富国強兵・大東亜共栄圏」の美名の下で隣国の民衆に加えた残虐の歴史を学びました。新潟県では、信濃川の発電所建設や、青海電化、あるいは倒産した新潟鉄工所などで、数千人の朝鮮人労働者が働いていたそうです。劣悪な条件と虐待により、多くの命が失われたとも。明日は十日町市役所九時集合で、フィールドワークです。
それにしても、24日の分会オルグから五日連続の組合活動に、些か疲れました(弱音)。
2002年6月18−19日 情報研修
この忙しいのに、二日連続の情報研修へ。ひたすら、ホームページ作成の練習。って、もうホームページは*一応*作っているのに。フロッピーのデータしか使えないし、Win95で古いフロントページエクスプレス、難儀しました。終わってから学校へ戻り、保護者面談。
2002年6月15日 中越地区教育基本法フォーラム/K氏確認会
昨夜は青年部幹事会結団式、そのまま新潟に泊まり、早朝に帰宅、10:00〜フォーラム。会場はいっぱい。こんなに大事な教育基本法がすっかり店晒し状態なのは、改憲勢力の攻勢よりも、むしろ日本人の新しもの好きの結果か。宗教も文化も、伝統継承と言いながら、伝統を守る集団がほとんど無い。どこの仏教宗派が肉喰妻帯を今も禁じているか?圧倒的人気を誇った小泉内閣もすっかり古くなり、国民は単純に「次」を求めている?「再放送はイヤだよ」って。
午後、同時開催のK氏差別事件確認会を覗く。緊張のやりとり、一つ一つの言葉を大事にする応酬。それにしても、「同和」教育の進まない現状、今の職場は今年初めて職場研修会、生徒研修会はまだ。地域に「同和」地区を抱えているのに。毎年の実践は大変だが、それこそ「いじめ構造社会」の改革のためにも、重要な教育課題だと思う。教員の差別意識の改善が先か。
2002年6月9日 SJグールド死去
「スティーブン・ジェイ・グールドさん60歳(米生物学者、ハーバード大教授)AP通信によると、20日、がんのためニューヨーク市内の自宅で死去。日本でも「パンダの親指―進化論再考」「ニワトリの歯―進化論の新地平」(いずれもハヤカワ・ノンフィクション文庫)などが邦訳され、幅広く親しまれている。(共同)」
・・・久しぶりの休日、実家で週刊誌の山を漁っていて、ようやく見つけた訃報。いくら忙しいっても、この20年間で最も重要な人物の一人が、急逝していたことを知らなかったなんて。まだまだ、何冊も面白い本を書いてくれると思っていました。
2002年6月8日 <AM>青年の集い<PM>有事法制反対集会
10:00〜新潟で反戦青年の集い、いろいろな組合の青年層が集まりました。私も青年部じゃないけど、担当ってことで手伝いに。手伝い、どころじゃなかったなあ。「新潟が軍港になれば強制的に戦争に参加させられる」って全港湾の主張。なるほど、各職種ごとに、有事体制の課題は異なるわけだ。およそ160名の参加、うち高教組は40名ほど。12:30片づけ終了、そのまま県民会館に移動して有事法制反対集会へ。12:45スタッフ打合せ、しかし実際の役割まで暇があり、館内食堂で何とか昼飯。私は集会後のデモ行進の連絡係。集会は3,000人余りの大盛況、うち過半数がJR。土曜日っても休業じゃなかろうに、どうやって大量参加?最後尾のデモ出発は20分も待たされ、古町まで盛大なデモ行進。
教員よりも、民間職場の方が、問題意識が高いのかな?と思いました。各集会の参加は少ないし。公務員制度改革の運動も盛り上がらないのは、あるいは民営化を望んでいる?まさか!空回りでも「一生懸命」が評価され、淡々と勤めてもここぞの金言はたぶん余り評価されない。わーかほりっくのマッチョが出世して、能力があっても女性は中途退職を強いられる、とか。そんな学校が生徒のためになるの?
非核三原則見直しにまで言及して世論を伺いながら、戦争体制への「改革」路線を追求する小泉政権。有事体制=戒厳令が実現したら、学校はどうなってしまうのだろうと考えていたら、三宅島からの避難の様子、特に秋川「疎開」学校が有事体制の実験ではないかと考え始めました。(→三宅島のページへ)
2002年6月1−2日柏崎で「プルサーマル中止を求める全国集会」がありました。
1日…14:00〜開会集会<基調報告、記念講演、特別決議>
16:10〜デモ行進
2日: 9:15〜分科会
@住民投票 AMOX・プルサーマル B原発震災
C原発の老朽化 Dエネルギー政策 E原発入門
朝刊に、政府首脳(官房長官?ひょっとして、首相?)が「非核三原則見直し」に言及したとの記事。「持ち込ませず」諦めかと思えば、なんと核武装化を容認。インドとパキスタンが核戦争含む一触即発、国内では有事「戦時」法制を抱え、しかもめでたい?サッカーワールドカップ開幕のこの時期に、いったい誰を挑発しようとしているのか?国内勢力?それとも、隣国?−−−まさか、聞かれたからつい本音が出ただけで、何も考えていない????
初日は所用につき、二日目の分科会のみ参加。E原発入門分科会場の市民会館の受付(高教組のみ)を命じられたため、そのままE分科会に参加。主催者の予想を超える参加者を迎え、なかなかの盛況でした。
→原子力情報資料室のページへ
2002年5月19日 運動会
今日は子どもの小学校の運動会とじねんじょ会新発田調査会のダブルブッキング。「どうせ雨、運動会も延期だろう」とたかをくくっていたら、曇天に薄日で、運動会決行。早朝から弁当を拵え(私が)、応援に。終わった途端の雨。明日は子どもが代休なので、有休を取らないと。普通に学校で勤務するのが、一番疲れないな。平日は組合で疲れるし、休日も疲れるし。
2002年5月5日 連休後半
4月27日山岳部、29日本部執行委員会。後半も妻が今日からクラブ大会の準備、明日は私も本部執行委員会、子育ては誰が?明後日も本部執行委員会、妻も大会、どちらかが早退して保育園へ迎えに行かないと。・・・
2002年5月1日 メーデー
各地区メーデーに参加ということで、私は小千谷地区に。一限を終え、10時〜12時メーデー、午後は五限から七限まで授業、放課後に会議。明日は遠足だ・・・
2002年3月23日 火災
先日、親の家の近所で火災があり、私も知る人が亡くなりました。右の写真は、その焼け跡です。あっと言う間に燃え広がり、しかし隣家への延焼はほとんど無かったそうです。
30数年前、隣の小路で大火事があり、夜空を焦がして火の粉が飛ぶ中を、雪の墓場へ避難した記憶が蘇ります。新潟市の下町は、車も入れない小路に古い家並みがまだまだたくさんだから、火事が怖い。今回、親はなかなか気づかなかったそうで、強風なら急激に燃え広がって、親も死んでいたかもしれない。
2002年3月12日 高校再編計画
遂に新潟県の高校再編中期計画が公表され、山古志分校が今春限りで募集停止に。最終決定は秋以降だが、覆すのは困難。つい先日の卒業生の姿が浮かぶ。近年は地元出身者が激減、山古志村の高校としての意義は薄れた。しかし、大規模校に馴染めないこどもたちの拠り所、としての意義は浅くない。問題は、難しい生徒の集まる普通高校として、職員の負担が過大であることか。
2002年3月7日 山古志分校卒業式
招かれて山古志分校の卒業式へ行きました。「下界」も雪がチラチラ、しかし山古志村種苧原は真冬の景色。
24名が入学し、本日卒業は12名。大変な三年間だった、ようです。
2002年2月6日・・・
先日、近所の猫を車で轢き殺してしまいました。
我家の庭をテリトリーにしていて、しばしば餌を与えたり、子ども達と一緒に遊んだりしていたのに、車庫入れのときに、死角からタイヤの下に飛び出して。
それ以来、四六時中、ふっとその猫のことが頭に浮かびます。子猫の頃は、いつ死んでもおかしくないくらい虚弱だったのが、いつの間にか母猫よりも大きく育っていたのに・・・
2002年1月31日 雪嵐
実験用アカムシを仕入れるために新潟へ。高速道路北上中、先刻まで晴天が前方に怪しい雲。
数分後に突入すると、そこは径5mm〜10mmの霰(雹?)が猛烈に降っていた。暖冬のまま二月を迎えると思ったのは、甘かった?
2002年1月17日 阪神大震災から7年。
災害対策専門の高校を造るらしいが、災害対策のスペシャリスト養成なら、高校では不十分だろう。教養としては、万人に必要だろう。災害対策専門の高校を卒業して、どんな分野に進むのか?自衛隊?
2002年1月9日 気分一新、トップページのイメージを変えました。
2001年11月07日 訳あって、トップページをずいぶん変えました。
2001年9月12日
昨晩からの報道の衝撃、まだ信じられない。唯一の超大国として繁栄と独善を謳歌する米合衆国の中枢を、ああも易々と深刻な攻撃に成功?するなんて。実況中の二度目の攻撃、世界注視下のビル崩壊。そして、ペンタゴンの対空能力があれほど脆弱だとは。あれが核兵器なり生物兵器なりを積載していたら、どうなったのか。
マッチョな大統領が招いたテロ、そのマッチョが大人しくしているはずもなし、報復合戦の泥沼か。首相は共に泥沼にはまる決意を表明したらしい。・・・
2001年8月23日 台風一過
のろのろ台風11号も、ようやく北海道へ。我が新潟県では、100mmも降らないのに湯沢町土樽で橋桁流失。河川工事中で川幅30m減だったって、おいおい。いつから工事してたか知らないが、梅雨〜台風〜秋雨の「雨季」に川幅を狭める工事って、何考えてんの?
追加。この時、大雨で橋が大変な中、すぐ近くで一時不停止の取締りがあったらしい(新潟日報「窓」欄投書より)。警察って、災害時は安全確保の見回りをするんじゃないの?確か大雨洪水警報が発令されてたし。台風通過中の一時不停止取締りって、ギャグ?(8月26日)
ところで、七名も亡くなったのに、保養中の箱根から出なかった首相は御咎めなし?→続きはこちら
2001年8月15日 西頸城郡青海町青海神社付近にクマ出没。
里帰りしていたら、8月13日夕刻、町の広報スピーカーの大音響、「青海神社付近にクマが現れたのでご注意ください」と。JR北陸線青海駅のすぐ裏手、名引山公園。15日に行ってみたけど、クマには会えず。
2001年7月28日−8月2日 家族で北海道へ行きました。→北海道旅行のページ