2008年のひとりごと
12月11日 年末イルミネーション
毎年恒例となりつつある年末のイルミネーションが各所で始まっています。
中でも、長岡市南部工業団地(南陽)の「トクサイ」「味のれん」そして「ユニオンツール」は、ここ毎年競うように飾っています。
トクサイ
味のれんの中庭
ユニオンツール
ところで、この電飾は発光ダイオード?無粋だけど、一晩で電気代はいくらかかるのでしょう?個人宅は「不況だから止めた」って声も聞きます。元祖(?)神戸ルミナリオや、仙台光のページェントも有名ですが、さて節約優先なのか、それとも消費拡大が望ましいのか。とにかく綺麗なんですけどね。
10月23日 中越地震4周年
あれから4年が過ぎました。
「もう終わり」と思いたいけれど、先日のTV番組に出た東北大地震研の先生の示すデータでは、地下の「マグマ」たぶん低速度領域の分布が、北アルプス北部で顕著に現れていた。地下の脆弱性が直上の地殻破壊=直下型地震、の原因だそうな。それなら、いよいよ北部フォッサマグナM8地震が近い、と考えねばならない。距離は離れてるが、M8ならば中越もただでは済まない。M7高田地震くらいなら影響は小さいが。いやいずれにせよ大変だけど。
どこで地震発生でも大変だけど、何処にも地震が発生しない地学的「死の星」になれば、生物学的にも「死の星」になりそうだし。生命誕生の場は深海底熱水噴出口、そして(地上生物のバックアップとしての?)地底微生物の世界。いずれも地下の高熱が欠かせない。まるで「河豚は当たるから美味しい」いや違うか。
10月7日 ノーベル物理学賞に日本人3人受賞!はもちろんめでたいけれど。。。
南部陽一郎氏は今迄受賞してないのがおかしい、だが今更受賞するのも「?」だ。他2名と同時受賞、てタイミングを謀っていたのかしら?生きてるうちに間に合ってめでたい、当然の受賞。
ところで、これを契機に理系が注目されたり、我が国の科学界が盛上がったりすることは本当に望ましいが、期待できない。昨今の子どもの「理科離れ」と言うが、(たぶん)幼児は相変らず理科好き、ところが「お受験」で訓練されたり、肝腎の小学教師が理科嫌いだったりで、伸びない。それでも理科好きな物好きは「オタク」と敬遠されがち。そして高校〜大学受験は知識競争なので、一心不乱の物好きは其程評価されない。さらに、懲りずに大学大学院で専門を極めても、就職口がない。
国立大も独立行政法人化で独立採算を強いるから、金儲けに走り、基礎研究は蔑ろにされてないか?
理系研究者として生き残るためには、理科が好きは何よりだが、それ以上に富豪の師弟か、化物のような体力を持つか、運良くパトロンに恵まれることが必要ではないか?ホームレス博士が冗談じゃない現状を何とかしないと、第二のオウム事件のような悲劇の原因となりかねない。
9月13−15日 会津の旅
8月17−20日 北陸の旅
8月7-8日 じねんじょ会強化合宿 妙高笹ヶ峰
7月30−31日 尾瀬へ行った。
7月24日00:26岩手県北部沿岸M6.8!
7月19−20日 鳴子温泉行
連休を利用し、風評被害支援?のため鳴子温泉へ。解約殺到、は本当かも知れない。
新幹線が福島駅を出た直後に福島県沖M6.6(M7.0USGS)に遭遇して停電停車、は驚いたけどね。
7月05日 キッチン地震学?
本物の実験は難しいので、お菓子を材料に「地層の変形と断層破壊実験」を。バウムクーヘン(堆積層、地殻下部)に硬いパンを挟み、力を加えて変形させる実験です。費用は一人分40円ほど。
破壊前。 |
破壊後。上部の軟弱地盤も割れてしまった。 |
材料のバウムクーヘンとフランスパン工房(商品名)
6月29日 火山災害:桜島、「大噴火」を警戒/沈黙破り、2月以降に爆発35回 - 毎日jp(毎日新聞)
>桜島に観測所を置く京都大防災研究所や気象庁などは今年5月、11年ぶりに桜島の観測報告書をまとめた。報告書は、今後のシナリオとして(1)昭和噴火の再来(2)72年〜92年の山頂火口の噴火に似た活動の再開(3)マグマがさらにたまって、20〜30年後にさらに大規模な噴火を起こす−−の3ケースを想定している。
>同研究所の井口正人准教授(50)は「(1)となる可能性が最も高い」と言う。火砕流と爆発的噴火が繰り返し起きた昭和噴火の時と前兆現象が似ていることや、93年以降にたまった1億立方メートル超のマグマ量が昭和噴火時の量に近づいていることなどが根拠だ。
1946年昭和噴火の再来かあ。きちんと避難情報が出されれば人的被害は出ないでしょうが、経済的損失は少なくないでしょうね。大正噴火までの山腹噴火・対称位置での溶岩流出ではなく、山頂昭和火口からの溶岩流出でしょうか。噴火に慣れっこで避難の遅れることが心配かな、先日の火砕流でも山腹に「調査に」行って灰を浴びた人がいたようだし。
ところで、地震の原因は活断層、だろうか?確かに既存の活断層の再活動が確認された例もあるが、確認されない(地表断層がない)ことも珍しくないし、岩手宮城内陸地震のように「死」断層が再活動した?と考えられることもある。鶏が先か卵が先か、地震が起こった=その原因の活断層が「必ず」ある、って考え方もあるかも知れないが、それでは活断層調査の意義はどうなるんだ?「此処にも活断層が隠れている筈だ」と?
本来は断層のない基盤に地震を起こし、場合によっては断層を生ずる原動力は基盤の歪み、そのまた原動力はプレート運動あるいはプレートもプリュームも含むテクトニクス。火山性を含む中小地震は必ずしも断層の動きを伴わないように思うし、活断層じゃない新しい断層が生まれることは今後もあるだろう。
柏崎原発をめぐる議論にも、直下あるいは周辺に「大きな」活断層があるかどうか(実際に去年活動したわけだが)、その最大地震規模をどの程度と評価するかがあるわけだが、プレート境界型巨大地震が常に同一規模ではなく、500年あるいは1000年に一度程度の超巨大地震(M9規模)が起こるあるいは起こったことが判明しつつある今、ある地域での最大地震規模予測なんて「日本は安全な国」ってお題目じゃないのか?いずれにせよ、某国の弾道弾が飛んでこなくても、ある程度の隕石が直撃する危険はあり得るわけだし。杞憂と言うなら杞憂だろうけど、さてどの程度のリスクあるいはハザードが杞憂なんだ?
4月29日 今年の春の花のページを作ってみました。
じねんじょ会国上山調査会に参加しました(4月30日作成)5月2日修正。
2月16日 学習指導要領が変更される。
社説:学習指導要領 手間をかけてこそ改革だ - 毎日jp(毎日新聞)
学力低下ではない。道徳云々でもない。今起こっているのは(子どもに限らないことだが)、もっと根本的な、社会そのものの崩壊だ。
毒入り餃子事件は、いずれ犯人逮捕で終結するだろう、しかし事前に何度も事件を未然に防ぎうる問題が起きていたのに、被害者は食べた。流通業者はおかしいと思いながら根本的な対策を放棄した。被害者自身もおかしいと思いながら食べた。
赤福など食品偽装事件は「ゆとり教育の成果」ではない。昔の教育を受けた立派な大人の犯罪だ。
オレオレ詐欺、違法請求詐欺、宗教詐欺、・・・いずれも犯人は大人だ。
受験戦争があった(今もある)、校内暴力が吹き荒れた時期もあった、管理教育と詰込み教育が批判され、そして「ゆとり教育」が始まった。ところが、「学力低下キャンペーン」が始まり、それが功を奏して何でもかんでも「ゆとりが悪い」「学力低下だ」と煽られた。総合学習は「ゆとり」として活用されるよりも、むしろ「新しい教科」として教師の多忙化を招き、忙殺された教師は基本的な「ゆとり教育」の充実に力を注げなかった。そもそも教師自身が受験競争の(まずまずの)勝者、「ゆとり教育」の意義や目的がどれほど理解されたか。それはフィンランドの学校のように「敗者切り捨て」を失くす教育を目指したはずで、それ即ち「受験勝者」をも失くすということなのだから、少なくとも何割かは教育への情熱よりも受験に成功した上での安定した職業として教員を選んだ人には自己否定になりかねない。
失われた十年、あるいは十五年、生活苦で給食費も払えない(あるいは払わない)家庭が増えたらしい、「お受験」低年齢化の一方で、育児放棄は増えていると思う、しかし親の責任という以上に、育てられないワーキングプアー親が増えているようにも思う。大家族や地域社会の崩壊も拍車をかけているだろう。児童生徒の置かれている生活環境は確実に悪化している。一方では企業がすっかり子どもをターゲットに絞り、消費を煽り、子どもの欲望は助長され、大人は踊らされている。
文科省の政策対象は学校だから(社会教育もあるじゃないか)、社会の諸問題に教育で対処せざるを得ないだろう、しかし昨今の教育問題は、本当に学校あるいは教育体制の問題か?指導要領の変更が毎年3万人以上の自殺者を食い止める方策となり得るだろうか?子どもが疲れていると言われて久しい、それなのに授業時数も授業内容も増やして、かえって「子どもの過労死」を招くのではないか?今必要なのは、子どもには勿論だが、「親のゆとり」だろう。
1月22日 脳死について今思うこと
生死について授業するために、脳死について改めて考えることにして、「脳死 ドナーカードを書く前に読む本」水谷弘(草思社)を読んでみた。著者は1997年脳死移植法成立に際し、脳死臓器移植法試案を纏めた生命倫理研究会のメンバーである。なるほど、読んで初めて認識したのは、法律が「移植ドナーに限って」脳死を認めたこと。移植するなら脳死判定、しないなら心臓死。死体フェチの日本人には脳死受容が進み難いと思う。しかし生命倫理の専門家でありながら、肝心な日本人の生死観についての考察が乏しい。1995年読売新聞調査「何も宗教を信じていない人が79%、信じている人が20%」を挙げ、日本人は無宗教と断定している。しかし対比しているのは欧米キリスト教国だけであり、宗教とはキリスト教に限ると言いたいようにすら見える、少なくとも教義が明文化されてなければ宗教ではないと。まあ「逆説の日本史」でもお読みになるがよかろう、まるで維新前の習俗は迷信と侮辱しながら決別できず継承している明治の近代人のようだ。無宗教ならば教義に縛られず主体的に判断し、脳死臓器移植の受容がもっと進むとは思わないのだろうか?キリスト教の教義と脳死臓器移植は対立しない、ということだろう。
日本人は無宗教?無宗教の人々が仏壇を持ち神棚を祭り墓参を欠かさず初詣もする、筈がない。星座占いやら血液型占いやらが流行るわけもない。「幽霊が見える」などと言う怪人たちがテレビの黄金時間に度々登場する筈もない。死者の「霊」を認め、仏を含む八百万の「神」を認め、誕生日や血液型などによる「運」を認める。現在の地位職業より近代以前から引きずる「家系」あるいは「家柄」に拘り、「初詣」にはあらゆるイベントやデモ行進を遙かに凌駕する大群衆がメッカ巡礼のごとく押し寄せる。七五三を祝い、雛人形や鯉幟を飾り、成人式(だけ)には和服を着用し、葬式(だけ)には「お経」を唱え、また「初七日」「49日」「一周忌」「三回忌」などに拘る。伝統的で、周知された明文教義を持たず、多神教で、また階級差別を含む点で、ヒンズー教の系列に属する。物心ついて以来、余りに日常的なので、それが宗教であること自体が自覚できないだけだ。「信仰ではない、みんながやるからやるだけだ」と言うだろうか?では世界中の何処でも、それぞれの地域で「みんなが同じことをしている」だろうか?根本において、同一性志向が非常に強いのが日本人の宗教の特質であり、「和を以て尊しと為す」だ。それが一方では、小集団において苛烈な“イジメ”を生み、あるいは不条理な“差別”の原因となる。
なるほど、日本人がこの差別的情緒的伝統的無意識宗教から脱却するか、あるいは自覚して「宗教改革」しない限り、遺体や遺骨に拘る伝統はなかなか解消せず、従って脳死臓器移植は拡大しないだろう。
但し、私はそんなことよりも、水俣病や原爆症の認定問題にみられる医療者の患者軽視、あるいは薬害エイズなどにみられる医療行政の国民軽視あるいは蔑視状況が改まらない限り、自分や近親の脳死ドナーの賛成できない。命はあまりに軽く、科学的確率以上にドナーカードを持っていると殺される危険があると思う。日本人の死体フェチにも辟易するが、しかし著者のような移植医療側の肉体軽視にも同意できない。