my boom
抜粋 書名
02/05/30
       声 曲(もののね)

われはきく、よもすがら、わが胸の上に、君眠る時、
吾は聴く、夜の静寂
(しずけき)に、滴(したたり)の落つるを将(はた)
落つるを。
常にかつ近み、かつ遠み、絶間なく落つるをきく、
夜もすがら、君眠る時、君眠る時、われひとりして。




         春の朝

時は春、
日は朝
(あした)
(あした)は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀
(あげひばり)なのりいで、
蝸牛
(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

海潮音
上田 敏 訳
ガブリエレ・ダンヌンチオ










ロバアト・ブラウニング
02/05/13

洞庭西望楚江分
水尽南天不見雲

日落長沙秋色遠
不知何処弔湘君

洞庭西に望めば楚江分かる
水尽きて南の空に雲を見ず
日落ちて長沙秋色遠く
知らず何れの処にか湘君を弔わん

たぶん「洞庭湖」
という題だったと・・

その昔、教科書で習った好きな詩
02/04/07

場所を変えるのはたいして有益なことではない。私はインドにいるとき、洞穴に入ったらもっとはっきり真理が見えるだろうと思った。しかしそうでないことを知った。・・・しかしどこに行っても同じ困難がついてまわった。そのはずで、われわれは常に自分の世界をつくっているのである。もし私が邪悪なら、全世界は私に対してよこしまである。・・・そして、同じことがすべての世界に通用する。もし私が死んで天国に行っても、私は同じものを見出すであろう。
私が純粋になるまでは、洞穴に行っても、森に行っても、・・・或いは天国に行ってもききめはないのである。そしてもし私が自分の鏡を磨けば、自分がどこに住もうともそれは問題ではない。私はそこで在るがままの実在を獲得する。 p86〜87

そして、分離は消滅し、われらすべてがめざしつつある、あの一体性が明らかになる日が来るであろうことを私は確信する。・・・人類全体がジヴァンムクタ、生きながら解脱した人、になるであろう。われわれの嫉妬と憎悪を通じ、われわれの愛と協力を通じて、われわれはすべてこのひとつの目的に向かって苦闘しつつあるのだ。一つの巨大な流れが、われらすべてを運びつつ、大海に向かって流れている。そしてわれわれは、時には藁くずか紙切れのようにあてどなくただようかもしれないが、長い間には必ず、あの生命と至福の大海に加わることは確実なのである。   p93

アートマン
ヴィヴェーカーナンダ講演集
02/01/23

私は、自分がしていることをすべて、その都度その都度捨てています。私には瞬間しかありません。私がやった結果は、何かを期待してやっているのではありません。
私は、私が今、心地よいと思っていることをしているにすぎません。・・・私は、優しさを求められたから優しくすることはありません。私は、自分が優しい気持ちになる出来事に遭ったとき、そうしているにすぎません。    
そして、相手にも期待をしてはいません。・・・期待することもないので、落ち込むこともありません。  p-138〜139    

私たちはただ調和のとれた世の中にいたいだけなのです。  p-147

ただ美しく、在るだけの法則、それが宇宙の法則なのでしょう。
                                      p-150

月のつぶやき
大和出版
日木流奈 著
01/07/24

わたしの心臓(ハート)とあなたたちの心臓(ハート)とは一つになって鼓動しなければならない。このことを軽く聞き流してはならない。その意味を胸内(ハート)深く感じなければならない。       p-290
心身の神癒
−主は再び語り給う−
霞ケ関書房
01/07/01

    わすれなぐさ

ながれのきしのひともとは、

みそらのいろのみづあさぎ、

なみ、ことごとく、くちづけし

はた、ことごとく、わすれゆく。
海潮音
上田 敏 訳
ウィルヘルム・アレント
01/06/09

聖ヨハネから授けられた、ダスカロスの<7つの約束>

『私は自分自身に約束します。
1.いつどこにいても、私もその一部である「絶対なる存在」に心を込めて奉仕します。

2.いつどこにいても、私には「聖なる計画」に奉仕する準備ができています。

3.いつどこにいても、またどのような状況にあっても、私は「聖なる贈り物」である想念と言葉を正しく使います。

4.最も賢明なる「聖なる法則」が与えてくれる、あらゆる苦痛と試練に対して、私は不平不満をいうことなく、辛抱強く耐えしのびます。

5.私に対する人々の行動がどのようなものであっても、私は心と魂の奥底から、誠意をもって、兄弟姉妹である隣人を愛し、彼らに奉仕します。

6.私のあらゆる想念・願望・言葉・言動が、「聖なる意志」と完全に一致することを目的として、毎日「絶対なる存在」について黙想し、熟考します。

7.私のあらゆる想念・願望・言葉・言動が、「聖なる法則」と完全に調和したものであるかどうか、毎晩確かめます。』
キプロスの聖者と称された、ダスカロス(1995年没)の特集記事より

雑誌「ムー」3月号
01/05/12

「博雅よ、あることが起こったのか、起こらなかったのか、それを決めるのは、おれがどういう説明をしようと、それはおまえの心なのだよ」  p-32

「よいか、博雅、神とは何だ」「神?」「神とはな、煎じつめれば、結局、力なのだ」「力?」「その力に○○神とか○○神という名を、つまり呪をかけたものが神なのだよ」・・・・・・・・・・・・
「その水は善か、悪か」・・・「田に雨をもたらす時、水は善だ」・・・「しかし、その雨が降り続いて水害となれば、水は悪だろう」・・・「しかし、本来、水はただ水であるばかりであり、それを善であるとか、悪であるとか言うのは、人の側に、その善も悪もあるからなのだよ」         p-86           

「人はついつい、自分の心の中で呪をかけてものを見ることがあるからな」                                 p-104

「あるものがそこに在るということは、そのものと、それを眺める人の心があって初めて生ずることなのだよ」             p-149

「・・・呪は、己れ自身の心なのだと・・・」「・・・」「それは、この世の何ものよりも、ある意味では強いかもしれぬぞ。おれよりも、おまえよりも・・・泰山府君さえも動かす力を、呪は持っているのだからな」 p-180
                        
陰陽師 付喪神の巻
夢枕 獏 著
01/04/27

人があなたに反抗的な態度をとる時は、あなたを恨んだり嫌っているからではなく、彼の苦痛の表現なのです。どれくらい自分が傷ついているか、どれくらいあなたのやさしさが必要か、あなたに彼は訴えているのです。

なまけ者のさとり方
p-90
01/04/18

人類は余りに多くの偶像を持ち過ぎました。本当に必要なのは偶像ではなく理念だったのです。

ヒマラヤ聖者の
生活探求T-P160
01/04/15

わが内には完全なる姿、神の姿がある。われは今、わが欲するすべてとなっている。われは毎日わが美しき実相を霊視し、それを実現するのである。われは神の子である。わが欲するものは今、且つ永遠に与えられつつあるのである。

ヒマラヤ聖者の
生活探求T-P54