曼珠沙華
「そういえば一樹、知ってるか?」
「?」
学校の帰り道。
友人の裕也の言葉に、僕は首を傾げる。
すると、裕也は若干声を潜めて言った。
「ほら、通り魔事件だよ。あの・・・・・・」
「ああ」
通り魔という単語に、僕は納得して頷く。
裕也が言っているのは、最近の事件に限定するのであれば、この町で起きた通り魔事件のことだろう。
被害者は二十代の男性で、重傷を負って現在入院中らしい。
「確か、この辺だったよな。俺ら、大丈夫かな?」
全然心配そうじゃない表情で、裕也が言う。
近所で起きた事件とは言っても、所詮は対岸の火。
僕ら学生の、話題の一つにしかならないということだろう。
「大丈夫だろ。僕たちは男だし、二人なんだから。むしろ今心配するべきなのは、明日のテストのことじゃないか?」
僕がからかうように言うと、裕也は心底嫌そうな表情を浮かべる。
裕也は、最近成績が悪いのだ。
「そうなんだよなー。俺、ちょっとやばいかも・・・・・・」
裕也はそう言って、頭を抱える。
その情けない姿に、僕は肩を竦めながら言った。
「普段勉強をしていないからだな」
「お前だってしてないだろ?」
「僕は、ここの出来が違うからいいんだよ」
裕也の言葉に、僕は自分の頭を指差して言う。
自分で言うのも何だが、僕は人より勉強が出来た。
・・・・・・もっとも、それを生かすということはしていないのだが。
ふと、僕たちはT字路に差し掛かって立ち止まる。
僕は右、裕也は左だった。
「ま、一夜漬けでもいいから勉強をすることだな。多分、やらないよりはマシだと思うぞ」
「うるせー」
僕の言葉に、裕也はそう言って悪態をつく。
その様子が妙に子供じみていて、僕は思わず苦笑を洩らした。
◇
虫の羽音のような音を立てて、モニタに画面が写る。
マウスを操作してフォルダを開くと、たくさんのファイルが表示された。
(今日は大漁だな)
僕はそう思いながら、起動していた自動巡回ツールを終了させる。
自動巡回ツールというのは、キーワードを指定しておけば、ネット上から勝手にそのキーワードに関連するファイルを収集してくれるというものだ。
僕は、先ほど開いたフォルダの中から適当に一つの画像ファイルを開く。
すると、頭蓋骨にドリルで穴を開けている場面の写真が画面いっぱいに表示された。
僕はそれを見て、自動巡回ツールが僕の思惑通りにファイルを集めてくれたことを知る。
僕が指定したキーワードは『anatomy』――――解剖学、という意味だ。
画像ビューアを起動して、フォルダの中の画像ファイルに次々と目を通す。
蛙の解剖とか、マウスの解剖とか、目的に外れたものもあったが、実に七割ほどは人間の解剖写真だった。
僕はココアを飲みながら、そのグロテスクな画像を楽しむ。
僕は、人には言えない特殊な嗜好があった。
それに気付いたのは二年ほど前、パソコンを始めた時で、ネットサーフィン中に偶然見てしまった轢死死体の画像がきっかけだった。
最初は驚いたが、不思議と嫌悪感は感じなかった。
それどころか、僕は明らかにその死体に惹かれていたのだ。
僕は、その時初めて、人とは違う残酷な嗜好を持っていることに気が付いた。
以来、僕は毎日のようにこうして残酷なものを追い求めている。
両親や妹は、当然このことは知らない・・・・・・いや、知られてはならない。
僕の趣味は、一般には受け入れられないものだ。
知られたらきっと、僕は異常だと思われ、まるで犯罪者を見るような目つきで見られることになるだろう。
それは、避けるべき事態だった。
「―――― 一樹?」
ふと、ドアをノックする音と、母さんの声が聞こえる。
鍵は閉めてあるので、僕が鍵を開けないと母さんは中に入れない。
僕はパソコンのモニタの電源を切ると、鍵を開けた。
「どうしたの、母さん?」
ドアを開けながら、僕は母さんに尋ねる。
すると、母さんは困ったような表情をして言った。
「悪いんだけど、塾まで沙耶を迎えに行ってほしいの。ほら、最近物騒だから・・・・・・」
なるほど、通り魔のことか。
僕は納得して、母さんに頷いてみせる。
「いいよ。確か、駅の近くだったよね?」
「ええ、ありがとう一樹」
母さんはそう言うと、僕の部屋の前から離れて一階に降りて行く。
エプロンをしていたから、夕食を作っている途中なのだろう。
僕は部屋の中に戻ると、パソコンを終了させた。
母さんが無断で僕の部屋に入るとは思えないが、念のためである。
部屋を出ようとして、ふと僕は机の方に戻った。
財布の小銭入れから小さな鍵を取り出して、鍵のついている引出しを開ける。
その中から、僕はナイフを取り出した。
「ま、大丈夫だとは思うけど・・・・・・」
僕はそう呟きながら、ナイフをポケットに忍ばせる。
その冷たい感触に満足して、僕は今度こそ部屋を出た。
◇
外は、すっかり暗くなっていた。
駅は、家から二十分ほど歩いたところにある。
通り魔の出た場所とは別の方向だが、人気のない道もあるため、母さんが心配するのも無理のない話だった。
僕のほかに、道を歩いている人はいない。
僕はふと、沙耶の顔を思い出した。
沙耶は、僕の本性を知らないためか、僕によく懐いている。
小さい時など、『私は兄さんと結婚する』なんて言ってたくらいだから重症だ。
今でも彼氏を作らず僕にべったりなので、兄としては少し複雑な心境である。
早く兄離れしてほしいものだが・・・・・・。
「――――ギャァァァァァァァァァッ!!!」
妹の将来を憂いていると、突然耳を劈くような悲鳴が聞こえてきた。
(まさか?!)
僕は嫌な予感に駆られて、咄嗟に「沙耶っ!」と叫びながら悲鳴の聞こえた方に走る。
ポケットからナイフを取り出し、鞘を抜いた。
ふと、暗い闇の中から、二人の人影が浮かび上がる。
一人は地面に倒れていて、もう一人に見下ろされる形になっていた。
「沙耶?!」
「・・・・・・」
立っている方が、僕に気付いてゆっくりと振り返る。
僕は、警戒してナイフを構え――――その顔を見て驚いた。
「沙耶・・・・・・?」
立っているのは、沙耶だった。
しかし、どこか様子がおかしい。
虚ろな、焦点の定まらない目。
よく見ると、沙耶の頬に赤いものがべっとりと付いていた。
「クスッ・・・・・・」
ふと、沙耶は小さく笑う。
その視線は、僕の手元のナイフに向いていた。
「兄さんも、やる?」
何を、と聞き返そうとして、僕は沙耶の手元にあるものに気付く。
血塗れのナイフ――――それが意味することは、すぐに気付いた。
「お前が・・・・・・通り魔だったのか?」
「この人が悪いのよ。私に言い寄ってくるんだもの・・・・・・私は、兄さんのものなのに」
僕は、沙耶の言葉に言葉を失う。
まさか、そこまでとは・・・・・・僕は何も言えず、沙耶から倒れている人間へと視線を逸らす。
その顔を覗き込んで、僕は驚いた。
「裕也・・・・・・?!」
倒れているのは、裕也だった。
僕の声に、裕也の目蓋がぴくりと動く。
どうやら、まだ息があるらしい――――僕は迷った。
「ううっ・・・・・・一樹・・・・・・?」
ふと、裕也が絞り出すような声で僕の名前を呼ぶ。
――――瞬間、僕の中で何かが切れる音がした。
「カハッ・・・・・・?!」
裕也の口から、大量の血が溢れ出る。
背後で、沙耶が息を呑むのがわかった。
僕のナイフは、裕也の咽喉に深々と刺さっている――――裕也が、信じられないというような表情で僕の顔を見た。
きっと、僕は今、爬虫類のように冷たい目をしているだろう。
裕也は何かを言おうとして口をぱくつかせたが、声にならず、やがて力尽きて事切れた。
「兄さん・・・・・・どうして?」
沙耶が、恐る恐るといった調子で問い掛ける。
僕は、返り血で服が汚れないよう、注意深くナイフを抜きながら言った。
「やるなら、最後までやらないと。顔を覚えられていたら捕まっちゃうからな」
「あっ・・・・・・」
頬の血を拭ってやると、沙耶は艶かしい声を上げる。
僕は苦笑して、沙耶に向かって言った。
「帰るぞ、沙耶」
「・・・・・・はいっ!」
沙耶はそう言って明るい笑顔を浮かべると、僕の横に並んだ。