CELIN年譜 その1


(その2)

1978年

大学の非演奏系ロックサークルのメンバーを中心にして、なんとなくコピーバンドが結成される。そのなかに並木(G)、谷口(D)、矢口(Vo)がいた。これがCELINの始まりとなる。
バンド名は、「短くて意味がなくて語尾が“lin”」という感じで並木が思いついたのだが、「セリーヌ」に似ていることは最近になって気がついたらしい。CELINは「セリン」と読む。結成後まもなくして松井(Key)が加わるが、もしかしたら最初からいたかもしれないという説もある。

大学の非演奏系サークルなどではちゃんとドラムのたたける人間がほとんどおらず、話は前後するが、ある日並木がサークルの友人と出かけた新宿の輸入レコード屋のバーゲン会場で、初めて谷口と会うことになる。谷口は、学校は違うがその友人とは同郷の幼なじみであった。

「谷口、ドラムできるよ」

ということでバンドが始まったわけである。

1979年

結成当時コピーした曲は、バズコックス、リッチ・キッズ、ビー・バップ・デラックス、ジギー・スターダスト&ザ・スパイダーズ・フロム・マース、パブリック・イメージ・リミテッドなど。

 バンドが始まってしばらくして、実は松井はバイオリンが弾けることが発覚し、しかも正規のレッスンを受けていたほどのものだったので、レパートリーに生かすべく、とりあえずロキシー・ミュージックの「アウト・オブ・ザ・ブルー」ライブバージョン(エディ・ジョブソンの流麗なバイオリン・ソロで名高い)のコピーで味をしめ、さらにウルトラヴォックスの曲などを始めるようになる。練習スタジオでの録音テープが残っている。

 まだコピーバンドではあったが、聖心女子大学と上智大学の学園祭ライブハウス(教室)に出演。この頃のライブでは、バンドメンバーはみんなメイクをしていた。

1980年

オリジナル曲をつくり始めるのを機にベースが交代。やはり同じ大学のサークルにいた広田が加わる。
下北沢あたりの練習スタジオで曲づくりに取りかかり、何曲かできたところでレコーディングを行う。サークルの人脈コネクションで某他大学の音楽サークルの部室スタジオを借用したり、当時画期的に新発売されたばかりのカセットテープ式MTR(4ch)を練習スタジオに持ち込んだりして、ファーストアルバム『牛乳で育つレディ・フリジディティへ』を完成させ、発表する。
パーソネルは谷口(D)、広田(B)、並木(G, Key)、矢口(Vo)、松井(Vln, Key)。ネット配信はおろかCD-RやMDすらもないカセットテープ全盛のアナログ時代であった。

この年は上智大学学園祭の野外ライブステージに出演。余談だが、CELINはマネージメント性のほとんどないバンドだったので、ライブパフォーマンスの数は少なかった。誰かのコネクションによる学園祭ライブかメンバーが所属している大学サークルの定例のライブぐらいしか出ていない。非演奏系ロックサークルなのにどうして定例のライブがあったのか、という疑問はあるだろうが、とにかくこの頃は年に2回ぐらい原宿クロコダイルを借切ってライブが行われていた。まあ、ロックなので何でもアリなのだろう。

ライブでは、CELINのギター担当者はストローク・アクションにこだわり、勢いあまって指から出血などしていたこともあった(ピックを持つ右手の指)。

1981年

 下北沢あたりの練習スタジオで曲づくり。

 例によって、誰かのコネクションで新宿ACBに出演。ACBはその昔GSバンドなどがよく出ていた小ホールで、往年の日活アクション映画に出てきそうなレトロなつくり。ここでオープニングに演ったマーチ風のインスト曲が今ではどうしても思い出せないらしい。

1982年

セカンドアルバムは機材のそろったスタジオで…ということになり、主にアマチュアバンドの自主制作向けに個人営業しているレコーディング・スタジオを松井の紹介により知る。松井はカトラトゥラーナの広池に聞いたらしい。そこは一戸建住宅の一部を改築した自宅スタジオで、持ち主がエンジニアもやっていた。アルバム『狸の日々』を3日ぐらいで完成させ、発表。谷口(D)、広田(B)、並木(G, Vo, Key)、矢口(Vo)、松井(Vln)。 

余談だが、広池も同じ大学で、同じサークルに少しいたことがある。松井のバイオリンはカトラでさらに生かされるのでは…と思っていた並木が、学校で広池と雑談まじりに、

「松井さんのバイオリン、(カトラで)どお?」

なんて会話をしているうちに、セカンドアルバム完成後しばらくすると、松井はカトラトゥラーナに参加することになる。これは余談じゃなかった。

1983年

 とある事情により、結果的にみてCELINはここで一度偽装解散する。偽装なので曲づくりや練習などはひき続いて行い、夏と年末に秀玲というバンド名で定例ライブに出る。この時の編成は、谷口(D)、広田(B)、並木(G、Vo)、守口(Key)。守口も同じ大学のサークルのメンバーだった。
 「秀玲」は『狸の日々』のラスト曲「秀玲のテーマ」からの命名だが、もともとは女の子の名前で見つけたもの。これが西欧娘だったらジュディとかマリーとかになるのと似たようなものだろう。

1984年

セカンドアルバムの時と同じスタジオでレコーディングを行い、『北の海岸で会いましょう』を3日ぐらいで完成させて発表。秀玲のファーストアルバムだが、今となってはCELINのサードアルバムに他ならない。

完成後ほどなくして、ベースの広田が、とある事情により演奏ができなくなってしまい、ここで残念ながらバンド活動は自然休止となる。一度だけゲストのベースでライブを行うが、それが今のところCELIN最後のライブとなっている。自然休止なのでとくに解散した記憶はないらしい。

(つづく)

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