沿革
光が丘カルチャースクールの沿革
光が丘カルチャースクールは、1981年、川崎生活コミュニティを母体として、地域に根ざした生涯教育活動の拠点として出発しました。3教室のみでスタートしましたが、1988年には緑川に移転し、7教室に規模を拡大、1991年に相模台教室もオープンしました。
教室の分野も、英語、文章、歴史などの教養講座から、料理、生け花などの生活講座、陶芸、演劇などの創作講座まで、幅広い範囲をカバーするようになりました。
セルフヘルプ支援センターの理念
必要な人に必要な情報を
アルコール依存症のセルフヘルプ・グループが日本に最初に出来てから、30年以上が経過しました。セルフヘルプ=「当事者による経験と希望と力のわかちあい」がもたらす「知恵」に、問題を抱える当事者だけでなく、家族や関係者という立場を変えた当事者も助けられてきました。
一番恩恵を受けたのは、援助する立場にあった援助職かもしれません。
アルコールだけでなく、薬物、ギャンブル、虐待、性暴力、摂食障害などのさまざまな当事者活動が展開される中で、グループに参加する当事者にも、社会資源として紹介する援助者にも、誤解や混乱ががあるのも事実です。
沖縄県は、行政機関の成り立ちが他地域とは異なる歴史を持っています。また、狭い地域であるために、個人の匿名性が守られにくいという事情もあります。他地域に比べて、セルフヘルプや当事者活動への取り組みが遅れ、ニーズはありながらもグループの誕生までたどり着けないという現状もあります。
このような地域の特殊性を考慮すると、プライバシーが守られることが保障され、安全に情報が入手できること形で、県内だけでなく広域の情報を入手できることが絶対条件であると考えました。
そこで、問題を抱える本人や家族などの当事者と、セルフヘルプ・グループ、さらには援助機関や相談機関などの既存の社会資源をつなぐ「架け橋」の役割を果たす機関として、2003年に「セルフヘルプ支援センター」を設立いたしました。2006年春には、より多くの方に利用していただけるよう事務所を移転いたしました。
私たちに出来ることは、ほんの少しです。しかし、既存の相談機関や個人では漏れてしまうニーズを丁寧に上げ、必要な人が必要なグループに参加できるよう、必要な人に必要な情報が届くよう、細々とではありますが、きめ細かいサービスを目指します。
2001年 当事者活動の支援を目的に、沖縄県にオフィスサーブ誕生。
2003年 オフィスサーブの事業を相談部門(相談室サーブ)とセルフヘルプ支援部門の二本柱とする。
危険な紹介が増え、オフィスの場所を非公開に。セルフヘルプ支援部門は、クローズで実施。
2006年 セルフヘルプ支援部門をオフィスサーブから独立させ、どなたにもご利用いただける場所に移
転(管理運営は、オフィスサーブ)。助成により、印刷機整備。
聴覚や身体的ハンディキャップを持っている方々にもご利用いただけるよう、出来る限り工夫します。どんな工夫をすれば利用可能になるか、一緒に考えましょう。
・聞こえや言葉の問題がある方…FAXで対応します。日常会話程度でしたら、手話が使える
スタッフがいます。
・車椅子や装具・杖歩行の方……エレベーターを使えばもう一つの入り口が使えます。 |
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