
パラグアイ国日本人移住70周年記念祭典-02
「慰霊祭」「式典」(2006年 9月 8日)
パラグアイ国日本人移住70周年記念祭典・プログラム
07:00 受付開始
08:30 慰霊祭
10:30 式典
13:00 祝賀会・アトラクション
16:30 終了
プログラムを見ますと一日を掛けて「慰霊祭」「式典」「祝賀会」の3つが開催される事が分かります。一番のポイントは式典ですが、アトラクションもなかなかのものでした。
07・慰霊祭
8:30から慰霊祭が行なわれました。慰霊祭の会場はセントロ日系の本館、収容人数は250名程で多くの方は外で立って参列の形となりました。当地に来られて亡くなられた方の霊に対して哀悼の意を表します。開拓の時代には志半ばでお亡くなりなった方も多くいらっしゃったと思います。
入口の文字はどこも立派な字体で書かれていますが、これは今回の祭典委員会事務局長の堀川満さんが書道の先生で、ご自身で用意された事によります。

(写真:慰霊祭会場入口)

(写真:入口付近:外務大臣政務官山中Y子衆議院議員をお待ちする)

(写真:慰霊祭-01)
日本国政府代表として、外務大臣政務官山中Y子衆議院議員が献花、追悼の辞を述べられました。

(写真:慰霊祭-02:外務大臣政務官山中Y子衆議院議員)

(写真:慰霊祭-03)
産後は参列者一人一人が心を込めて献花して行きました。

(写真:慰霊祭-04)
08・記念式典
今日のメインは何と言いましても記念式典です。日本から外務大臣政務官そしてパラグアイ側はニカノル・ドゥアルテ大統領が出席するとあって始まる前から緊張感がありました。大統領が来場される事もあり、楽団が来て演奏の準備をしていました。

(写真:記念式典開始前-01)
会場の入口には和服姿のお嬢さん達がにこやかに来場者を迎えていました。皆さんそれぞれ個性があり、また和服の色調もかなり異なり、良いですね。気持ちが和らぎますね。

(写真:和服姿のお嬢さん達)
式典直前となり、担当者の皆さんは会場の最終チェックを行なっていました。祭典委員会事務局長の堀川満さんの姿が見えます。

(写真:式典開始前の様子)
前の方は椅子席となっており、表彰を受ける方と80歳以上の高齢の方が着席していました。ご苦労を重ねて来られた先輩達に一番前に座っていただこうという主旨です。

(写真:最前列は80歳以上の高齢者の皆さん)
大統領が入場される際に楽団が演奏を開始します。

(写真:演奏)
ニカノル・ドゥアルテ大統領が入場されました。

(写真:ニカノル・ドゥアルテ大統領-01)

(写真:ニカノル・ドゥアルテ大統領-02)
山中Y子外務大臣政務官・ニカノル・ドゥアルテ大統領が着席されますと参加者から大きな拍手が湧き起こりました。

(写真:山中Y子外務大臣政務官・ニカノル・ドゥアルテ大統領-01)

(写真:山中Y子外務大臣政務官・ニカノル・ドゥアルテ大統領-02)

(写真:式典の様子-01)

(写真:式典の様子-02)
最初に全員起立して両国国歌の斉唱を行ないました。

(写真:両国国歌斉唱-01)

(写真:両国国歌斉唱-02)
日本語、スペイン語の両方で挨拶をされる小田連合会長

(写真:小田連合会長)

(写真:山中Y子外務大臣政務官)

(写真:ニカノル・ドゥアルテ大統領)
記念品としてお渡ししたのも「書」です。今回厳しい予算の中で堀川満事務局長はご自身が書道家ですので、これを全部用意されたのだと思います。一枚一枚気持ちを込めて書かれているのでこれだけでも大変なエネルギーを注がれたものと思います。この他にも表彰状、看板、幕など文字を書く必要が多いのですがこれも全部一人で書かれたのでしょう。どこを見ても字体がプロによる字であるので、祭典全体が引き締まって見えたと感じます。堀川さんの支えがあっての成功と改めて感じます。

(写真:ニカノル・ドゥアルテ大統領に記念品贈呈-01)

(写真:ニカノル・ドゥアルテ大統領に記念品贈呈-02)
祝辞が終わり記念品が贈呈され、大統領は退席されました。

(写真:退席されるニカノル・ドゥアルテ大統領)
各種表彰が行なわれました。外務大臣表彰ではパラグアイ国金沢ケイ総司令官が最初に表彰を受けました。

(写真:山中Y子外務大臣政務官から表彰を受ける金沢総司令官)
そしてセントロ日系も団体として外務大臣表彰を受けました。小嶋紀博セントロ日系会長が山中Y子外務大臣政務官から表彰を受けました。セントロ日系で70周年記念祭典の晴れがましい舞台の上で山中Y子外務大臣政務官からから直接表彰をいただき、本当に良かったと思います。なお、推薦者は在パラグアイ日本商工会議所です。

(写真:山中Y子外務大臣政務官から表彰を受ける小嶋紀博セントロ日系会長-01)

(写真:山中Y子外務大臣政務官から表彰を受ける小嶋紀博セントロ日系会長-02)
日本から政府の代表として参加していただきました外務大臣政務官山中Y子衆議院議員、セントロ日系からお帰りになる際には自動車から身を乗り出し、にこやかに笑顔で会場の出席者に向けて手を振り続けていらっしゃいました。

(写真:山中Y子外務大臣政務官-01)

(写真:山中Y子外務大臣政務官-02)

(写真:山中Y子外務大臣政務官-03)
不撓不屈で刻んだ70年=パラグアイ日本人移住70周年=内外から1200人参集=慰霊祭で先人偲ぶ=ニカノル大統領も出席(ニッケイ新聞・ブラジル)
忍耐、勤勉、結束で乗り越えた七十年――。パラグアイ日本人移住七十周年記念祭典が八日、首都アスンシオン南約三十キロにあるイタグア市の「セントロ日系」で開かれ、内外から集まった約千二百人が先人の苦労を偲び、日系社会の明るい将来を確かめ合った。パラグアイ日本人移住七十周年記念祭典委員会(委員長・小田俊春パラグアイ日本人会連合会長)主催。日本政府を代表して山中Y子(あきこ)外務大臣政務官、パラグアイ政府からはニカノル・ドゥアルテ大統領が出席、両国の友好関係が誓い合われた。記念切手も発行されるなど、地元日系社会はもとより、パラグアイ国内で日系七十年の歴史に光が当てられたようだ。ニカノル・ドゥアルテ・パラグアイ共和国大統領の到着を待って午前十時半から開催された記念式典の会場には、移住地からの出席者を中心に、国外からはウルグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ボリヴィア、日本など、約一千二百人が集まった。
大きな拍手で迎えられたニカノル大統領と山中政務官を壇上に迎え、国歌斉唱に続き、来賓の紹介が行われた。
小田祭典委員長は日西両語であいさつ。「パ国官民、日本からの支援もあったが、移住者たちの血と涙と汗をもって日系社会の礎は作られた。『日本人が来てよかった』と思われるよう努力し、二つの母国の繁栄を祈念したい」との堂々とした式辞に会場からは大きな拍手が送られた。山中政務官は、今回の式典に秋篠宮殿下の来パが検討されていたが、紀子妃殿下の出産の関係で見送った経緯を説明、十月末の訪問が決定したことを報告した。
続いて、「鬱蒼たる原始林を大和魂、開拓精神で克服し、現在を築いたことに敬意を表したい」と話し、パ国官民の支援に対し、謝意を表わした。ニカノル大統領は、「多くの犠牲を払った移住の歴史のなかで、農業だけでなく文化面でもパラグアイに溶け込み活躍している」と評価、日本政府からの経済的支援などにも触れ、「パラグアイも日本を目指したい」と希望を話した。松本有幸JICA理事は「生活環境整備、教育文化、医療衛生、営農改善などに対し、経済技術協力を通じ、日パ両国の友好親善の促進に務めたい」とこれからの具体的な支援策を述べた。続いて表彰に移り、外務大臣、在外公館など各表彰が行われ、初年度移住者、高齢者、戦前移住者、スポーツ・文化・教育関係者らに対し、功労賞が贈られた。同国では日本人移住節目の年にあわせ、蝶々がデザインされた記念切手を発行。式典会場で発行式が行われた。中央郵便局のアティリオ・ビエラ局長は、「この切手によって世界中にこの歴史が知られれば」とあいさつした。祝賀会では、田岡功・駐日パラグアイ全権大使、筒井敏行(香川)、土森正典(高知)両県議会議長、武田政義(兵庫)出納長らが祝辞を述べた。ピラポ音頭、鬼剣舞、日舞など各移住地の代表者が日頃の成果を披露、会場からは温かい拍手が送られていた。一九三六年のラ・コルメナ初入植者で、現在も同地に在住、パ国日系社会と共に人生を歩んできた関実五郎(79)、淳子(71)夫妻も会場に姿を見せた。「開拓精神が強かった父、奈良米蔵が切り開いた土地を守っている」と淳子さん。「ジャングル開拓から始まったけど、いつの間にか七十年」と実五郎さんは、笑顔でその歳月をかみ締めていた。
資金はコロニアの浄財で
パラグアイ七十周年記念事業は、式典と記念誌の編纂の二つに絞られた。式典には五万ドル、来年五月の刊行が予定されている記念誌には、十万ドルの予算が組まれた。これらの費用は連合会の千二百会員が四年間で積み立てたものに加え、五十周年祭の剰余金、パラグアイ国内の個人、企業からの寄付、JICAからの助成金、日本からの寄付各一万ドルで賄われた。日パ政府からの援助はなく、日系社会の浄財によるものが大きい。
決して大きな事業ではないが、パラグアイ日系社会の結束力を見せた結果といえるだろう。小田祭典委員長は式典終了後に取材記者に話した。 「自分たちのキャパシティーをつかんで、地味でもいいから地に足をつけてやれば、周りがチャンスを与えてくれるんですよ」