フェルナンド・ヒメネスは一人でアルギネギンに残っていたが、バレンシアで暮らすために荷物をまとめる決心をした。
全てを置いてきた。職もないのに旅立った。唯一の保証は、パテルナに来た時15歳だった息子の将来性だけだった。
「ダビドはバレンシアに強く賭けていたんだよ。フットボールをするためにはたくさんの誘いがあった、テネリフェやラス・パルマスにだって行くことはできたのにあの子は人生を変える事を選んだんだ。」
実際に、シルバは人生を変えたし、これは望んでいなかったことだが彼の家族の人生まで変えた。
ダビド・シルバの最初の何ヶ月かはとても厳しいものだった。酷いホームシックにかかったのだ。急に彼の町も、家族も、友達も数百メートル離れてしまったのだ。今まで家を出たことのなかった少年は距離に苦しんだ。自分の夢と両立させることができなかった。辛くて頻繁に泣いていた。彼の母親と妹は引越しを決め、バレンシアにやってくると3人で暮らせるように家を借りた。
一方、父親のフェルナンドは彼の地元で市議会議員として働き続けていた。政治に関わる為休職を依頼せねばならず、地元警察の仕事を辞めた。スポーツ機関で働きフットボールの新しい競技場の建設を推し進めたり、地元の誇りとされる室内プールの建設を進めた。アルギネギンでは有名で、尊敬される人物だった。そこでは居心地は良かったが家族の傍にいなければいけなかった。家族の外にいるも同然だった。バレンシアで仕事を探し、当時のスポーツディレクター、スソ・ガルシア・ピタルチ(現アトレティコマドリー、シルバを高く評価した。)のおかげでパテルナでトップチームの安全を管理する、またミニ・エスタディで開催される下部組織の試合の責任者としての職を得た。
フェルナンド・ヒメネスは物静かで、そのカナリア訛りと親しみやすさ、ユーモアの良さ、フットボールのセンスの良さなどでパテルナでは異質な存在だ。なぜなら彼はシューズを履いて、芝を踏みしめる事を知っているからだ。彼は3部のアルギネギンで選手として活躍していた。
「あの頃は私達は土のピッチで試合をしててね、でもほとんどいつも客席は埋まっていた。いいチームだったんだよ。」
フェルナンドは右利きだったが左でも上手くコントロールできたので左サイドの選手だった。キャプテンとしてチームに指示していた。ある日は、監督にまでフベニールでやりつくしたある若い選手をトップチームに上げるよう執拗に頼んだ。
小心者だったがポテンシャルのある偉大な選手を監督は「その価値がない」としてセグンダ・レヒオナルへ行かせた。
その選手はいまやスペイン代表となったフアン・カルロス・バレロンである。フェルナンドの執拗な要求は価値があった。
「バレロンはあのシーズンにはすでにどこまで行く選手なのか分かるプレイをしていた。あのレベルの選手を失ったなんて悲しいことだよ。実際はまた偉大な選手だったお兄さんのミゲル・アンヘルの影に隠れていたんだ、彼は重傷を負って活躍できなかったんだけど。」
シルバは違いを見せていた。すばしっこく、知的に見えた。競り、ボールを操るのが上手く面白い特徴があり、プレイすることを楽しんでいた。しかしアルギネギンにはベンハミン・カテゴリーに参加できるチームはなく、家から10キロ離れたマスパロマスまで通うことになった。そこではサン・フェルナンドというチームに入った。その後アレビン・カテゴリーのフットボール・スクールに入った。このように偉大な選手の仲間入りを約束されたように見える、ある選手の選手生活は始まったのだった。
「私達のおかげではない。私達の手の中にあったものだけを全てやって、それは間違っていなかったようだ。息子の監督達は栄光を勝ち得るための全てをあの子が持っていると言っていたし、このまま続いていけば。」シルバは感謝している。彼の家族の努力を「みんなの」成功の為だと捉えている。彼は何度も父親に仕事を辞めるよう頼んだ。パテルナを去ることを。もう彼の為に、今を楽しむために、充分尽くしてきた。ダビドはお返しをしたがっている。
ダビド・シルバ 「バレンシアBで降格を経験しているから辛い時を迎える準備はできている」
20歳の若いカンテラ出身のダビド・シルバにとってはこの最近のシーズンは完璧なものになった。エイバルとセルタにレンタルされどちらでも活躍した後彼は監督にとってのレギュラーに定着し、スタジアムの新しいヒーローとなった。フットボールは彼に微笑んだが、このスポーツではいい時間と悪い時間があることを指摘した。
こんなに素晴らしい形でバレンシアに帰ってこれると期待していましたか?
いいや。僕はただチームにいて一員として参加することだけを想像していた。少しずつチームに慣れて、というだけだった。今はとてもいい状態だし、これが続くかより良くなることを願うよ。
レンタル先から帰ってきて背伸びしていたわけですがこの1ヶ月であなたは監督のレギュラーの一人になったようですね。
努力し続けなければいけない。チームには高い競争性があるからそれは集中を保つのにいいこと。チームとして高いレベルがあることがまず第一だ。
アイマールと比べられていることは知っていると思いますが、どう思いますか?
かなり重い比較だね、でもプレッシャーは感じないよ。光栄だけど僕らは異なっている、違うスタイルだと思っている。僕らが似ているか似ていないかを決めるのは観客で、僕はピッチで楽しむことだけに制限されるけどね。
この3シーズンは全て上手くいっていますが全てが変わってしまう時に対して準備はできていますか?
うん。でも僕はすでに悪い時期を経験してきたんだよ。ここでバレンシアBにいた時降格したんだ。フットボールにはいい時期と悪い時期がくるということを知っている。それを予想しておかないとね。
自制できない怒りに影響されないようにするにはどうしているんですか?
そういう面では何の問題もないんだ。僕は落ち着いたタイプでいい時も悪い時も平静さを保てるんだ。感情的になることも混乱することもない。冷静に物事を捉えるのが好きなんだ。
あなたの両親がコントロールしているようですね、分別を失わないようにと言われるんですか?
いいや。僕の父さんは放任主義でそんなことを教え込んだりしないんだ。家族の中ではいつも自由にされていると感じている。悪い時になったらそうするだろうけど、今までは上手くやってきたからね。
無名選手から誰もがシルバという選手を知っているという状況の変化は大きいですか?
バレンシアにいるということはたくさんの人が自分を知っていることを意味する。でもピッチの中じゃ何も意味しない。
バレンシアのシャツを着ているというプレッシャーはありますか?
もう去年セルタみたいな大きなクラブにいた。UEFAの出場権を得たし、バレンシアともそんなにポイントは違わなかった。同じように緊張があり、上位を狙わなくてはいけないクラブにいたんだ。ここほどのプレッシャーはなかったことは事実だけどね。
メスタージャではサルツバーグ、ベティスとビッグマッチに出ました。デビュー戦をどう感じましたか。
たくさんの助けを感じた。おおきなスタジアムでピッチの中でも心強かった。もし難しい状況にいても支えてくれるんだ、ファンが後ろにいることを分かっていればお返ししなければいけないと思う。
今観客はあなたの最高の状態を知っています、求められるのは継続性ですね。
できるとおもうよ、僕はいつも最高のプレイをするように心がけているから。こういうリズムをシーズンずっと続けるのは難しいだろうけど、続くようにするよ。
ピッチの中では右サイド、左サイド、トップ下と試していますが一番やりやすいのは何処?
どこでも前線ならいいけど。うまく適応している。常にトップ下が適していると思っているけどキャリアを考えると若いから色んなところでプレイするべき。最近の試合では右サイドをやってて左ききだからつい中によってしまうんだけど、とてもいい面もあるんだ。つかみどころがないし、サイドバックが上がってこれるし。
キケは試合中何と指示しますか?
一番重要なこと。「攻撃するべき時は自分を出して、守るためには控えめにすること。」前線の選手はそれぞれ自分がしなくてはいけないことを理解しているよ。