せせらぎ日記



せせらぎ日記




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23年6月19日

選挙の意味



管総理の不信任決議が否認され、あの騒動は一体何だったのだと、不可解な思いをしたのは私だけではないだろう。

今総理大臣を代えるという動きが、企業に、国民に、被災地にどのくらい負担を強いるのか。

また、依然として復旧途上にある現状を、どのくらい停滞させる結果になるのか。

管総理はそれをおそらく踏まえたうえで、「可決されたら総選挙」などと発言した。

心ある政治家であれば、そのうえで「賛成」に投じることはできなかったはずだ。一種の脅しである。





これだから私は選挙に行きたくないと思ってしまうのだ。政治に期待ができないとでも言ってしまおうか。

そんな人間がいる一方で、自分の選挙権について不満を持つ人々もいる。

たまに新聞の広告欄などでも見かける「一票の格差」問題のことだ。

ざっくりと言ってしまうと、その地方の人口や議席の割合などから、有権者一人の票の価値が異なってしまう問題のことだ。

それが「法の下の平等」に反するということで、あまりに差の大きい場合が違憲とされることもあるようだ。





平等でないのは「地方」であって、個人ではないと思うのだが、ひいてはその地方にとって不利益をもたらす原因にもなり得る。

それなりに是正を行っているようだが、それでも解決していないのだから恒久的に続くのかもしれない。

とは言え、あまりに格差が開いてしまうのは気分もよろしくないし、穿った見方をすれば、それによる不正も出てくるかもしれない。

ある程度は仕方がないとしても、平等というものは厳密にはあり得ないとしても、その格差を少なくする努力は必要なのだろう。

もしくは、その一票の格差を感じさせないシステムを作るしかない。





国民の権利である選挙権だが、「平等」をうたっている憲法である以上、不平等と感じられたらやはり不都合なのだろう。

「一人一票」だから「平等」というわけではない。ではどうなれば「平等」なのか。

おそらくそこに答えはない。誰かが一人が不平等と感じただけで、厳密には「平等」ではないのだから。

だから私は、格差を感じさせないシステム、という言い回しを使った。

要は、不満を感じさせなければいい。もしくは、そういうものだと固めてしまえばいいのだ。





正確には、そうすれば「よかった」のだ。

この問題が、一人の政治家の命運を分けることにもなりかねないのだから。

ストレートに言うと、落ちた候補者がこれを理由に何とかしようとすることは容易に想像できる。

そしておそらく、それで利益を得ている議員はいて、おそらく完璧に解決することはないと思う。

だからそれに誰かが気づく前に、システムを確立してしまうべきだったのだ。





そういう問題がある、と叫ぶのは大事なことだ。

だがおそらく、現実として解決しない問題は山ほどある。

誰が何のために叫んでいるのか。それを見極めることがポイントだと思う。

誰かの利権のためにエネルギーを費やすなんて、もったいなくて仕方がないと思う。





某アイドルグループの総選挙の投票権が、CDを買った人にのみ与えられたようだ。

5,000枚CDを買った人がいたらしい。自ら得意げにネットに公開していたのだろう。

世界中に自分はアホだと公開しているようなものだ。

選挙権を金で買い、それをTVで報道している。ニュースで大々的に取り上げられている。

資本主義の、非常に原始的な形がそこにあるような気がする。

いっそのこと、税金を多く納めた人がより多い投票権を持つとかしてしまえばいい。清々しくさえある。

















とりあえず、私はそのグループの方々を2人くらいしか知りません。





興味ゼロです。消耗品もいいとこだよね。




23年5月5日

3.11



3月11日金曜日。

私はその時、勤務する会社のビルの8階にいた。

3月の人事異動により、新しく配属となった部署にいたわけだ。

その週初から始まった、新しい職場での新しい仕事、そして人間関係。

その前日にあった歓迎会でさんざん飲まされたこともあり、正直疲労が溜まっていた。

「明日は休みだから、今日は力を振り絞ろう」

毎週恒例となるであろうフレーズを言い聞かせながら、パソコンとにらめっこしていた。





午後2時46分―。

「地震だ」から「すごい揺れだ」に変わるまで、おそらく1〜2秒ほどだったと思う。少なくとも、そんな印象が残っている。

南北に大きく揺れていたように記憶している。8階にいたことを差し引いても、私の半生で経験したことのない揺れだった。

机上の書類は床に散乱し、ざわつきや悲鳴があちこちから聞こえた。

長い揺れだった。蛍光灯が消えて小さな予備照明に切り替わった頃、ようやく私は「ただごとじゃない」と感じ始めた。

数回に分けて強い揺れは続き、嫌な汗を背中に感じ始めたころ、ようやく揺れは収まった。

そこから急いで処理中のデータを保存し、パソコンをシャットダウンしたのは、冷静だったからではなく、冷静であろうと言い聞かせるためだったと思う。





落ち着いてから、職員が集団でビルの外に避難した。いわゆる本震から10分ほど経っていたと思う。

エレベーターはもちろん使用できず、階段で1階まで下りる。建物のところどころにヒビが入っている。

周りの建物にも大きな損傷はなさそうだ。電気が止まっているせいで、信号が機能していないくらいだ。

外に出て待機していると、不安から解放されたような錯覚があった。家にいた母からメールがあり、無事であることが確認できていたことも大きい。

「大きい地震があった」程度にしか、このときはまだ認識していなかったのだ。





しばらく外で待機した後、また階段で8階に戻った。終業前であったが、職員には帰宅が指示されていた。

私も当然帰宅してよかったわけだが、降り始めた大雪を見て、もうしばらく屋内で待機していようと思った。

東北地方とは言え、仙台に大雪が降るなんて珍しいことである。ましてもう3月だ。

何もこんなときに降らなくたっていいのに。素直にそう思った。



ほどなくして蛍光灯がついた。電気が復旧したのではなく、自家発電によるものだった。

必要な機器以外は電源を切り、テレビやラジオからの情報に耳を傾けた。

そこから流れてきたニュースは、あまりに現実感がなさすぎて、驚愕することすらできなかった。

仙台空港に大津波が来て水没したとか、仙台市の沿岸地区で200〜300人の死体が流れ着いたとか。

宮城県をはじめ東北地方の太平洋沿岸部に、大津波が来たという事実はとりあえず受け止めた。





そこで、また不安が首をもたげてきた。私の家は、川沿いにあるのだ。

正確には「広瀬川」という川の堤防のすぐ近くにあり、もし川が氾濫したらひとたまりもない。

あわてて自宅に電話した。母が応答し、簡単に家の様子を聞いた後、自宅から避難するよう言い聞かせた。

結果を言うと、川は氾濫せず、自宅も無事だった。しかし何かの拍子で被害を受け、家も家族も失っていまったかもしれない。

そう感じたのは、数日後のことだったが。





雪が弱くなり、私は帰宅することにした。

電車も地下鉄も止まっており、道路は渋滞していたのでバスも機能していない。

家までの道のりを、歩いて帰るほかなかった。それでも私は1時間半ほどで帰ることができる。

同じ事情で歩いて帰る人は多く、いつもより大通りがにぎやかに感じる。

自宅に向かい仙台市中心部を離れるにしたがって、どんどん灯りは少なくなっていった。



途中にあるコンビニはどこも行列ができており、保存食やろうそく、乾電池などを買い求める人が並んでいる。

人通りはいつもよりはるかに多く、しかし灯りのない町並みは心細さを増長させる。

これからどうなるのだろう。正直想像はできなかった。





自宅の近くにあるコンビニでカップラーメンとお菓子を買い、母と弟が避難している近くの小学校に行った。

体育館の中には避難してきた人が大勢おり、収容できなくなるのではと思うほどだった。

受付で住所と名前を書き、クラッカーと水をもらう。毛布ももらえるはずだったが、枚数が足りなそうだったので遠慮した。

母と弟が、近所にいる親戚のおばちゃんと一緒にいた。しばらくして父も合流し、その日はそこで寝た。



明け方ようやく家に戻り、買ってきたカップラーメンを食べる。プロパンガスだったので、お湯を沸かすことには問題なかった。

電気は止まっていたが、水道は大丈夫だった。家の固定電話も通じており、ライフラインとしてはまったく恵まれていたと思う。

それから、CDや本が散乱した自室にて少し休んで、最寄りの支店に出勤した。





電気が通じたのはそれから3日後だっただろうか。

しばらく物資の確保が難しい状況が続いたが、4月に入ってからはガソリンも普通に入れられるようになった。

沿岸部は壊滅的な被害を受けてしまったが、市街地区はだいぶ落ち着いてきたと言えるだろう。

スーパーや飲食店も、損壊した店舗以外は通常通りになっており、今では震災前と変わらない生活をしている。

家族や親戚、親しい人はみな無事だったし、せいぜい家電が少し壊れたくらい。

私は、そういう意味で被災者ではない。



それでも、仕事を通じて被災者の方々と話し、被災地を見に行ったことは、おそらく一生忘れないだろう。

震災から2カ月が経とうとしているが、元通りになるということは、まずあり得ないだろう。それくらいの被害を受けている。

「復興」という言葉が独り歩きしているが、被災地ではまだ「復旧」の途中だ。

被災者の方々が、震災前のように安らかな生活を送ることのできる。そんな環境が一日でも早く来ることを、切に祈る。






23年1月23日

ザッツ監視社会



宮城県知事である村井氏が、性犯罪者に対してGPSの常時携帯などを義務付けるという条例を検討する表明をした。

性犯罪者の再犯率の高さや被害者への影響の強さ。それらを前面に出して、安全な社会作りをアピールしている。

プライヴァシーの問題や、基本的人権という憲法にかかる部分にも触れそうだ。慎重な意見も多いだろう。

しかし小さい娘を持つ家庭や、実際の被害者などからは、安全性の高まりを歓迎する声もあるようだ。





性犯罪者だけではなく、DVの加害者なども対象にする案であるらしく、「女性に優しい」社会の実現に向けてと言えよう。

現実的な思惑を探ると、安全な社会の実現により人口流出に歯止めをかける、または人口流入を促進する。

全国でも初めてのことのようで、村井知事が目立ったことをやりたいだけという気がしないでもないが、県のアピールとして効果的なのだろうか。



窮屈な社会を印象付けるような気もするし、犯罪の抑止につながるようにも思う。

導入にはどのくらいのコストがかかり、費用対効果としてはどうなのか。

既に導入されているというアメリカや韓国ではその効果が表れているのか。

犯罪者の社会復帰を妨げるには十分なシステムであることも見逃せない。再犯率が高まる要因になることだって考えられる。

やってみよう、というほど簡単なものではないはずだ。実現するとしても、何年か先のことになるのではないだろうか。





この記事を見て、伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」を連想したのは私だけではないはずだ。

その小説では、“セキュリティポッド”なるシステムがあり、犯罪者などと対象を絞るのではなく、町全体を常に監視できるようになっている。

携帯電話での盗聴およびGPS等による位置確認も行われており、「ザッツ監視社会」状態なのだ。

しかもそれは、全国に先駆けて宮城県の県庁所在地である仙台市でのみ行われている設定である。

なんだこれは。なんだこの、鳥肌が立つほどの一致は。





フィクションであるから受け入れられた現実が、我々の視界に入ってきたのだ。

科学技術の進歩に敬意を表したい一方で、それを使う方向性を疑ってしまうような。

正直、宮城県民としては気分がいいものではない。私の率直な気持ちは、感覚として正常なのではないか?

冷静に考えれば、該当者にGPSを携帯させるだけなので、該当者以外には影響がないのだろう。別に悪いことはないように思える。

しかし、これが監視社会への第一歩に思えてならない。徐々にレベルを上げたシステムが現れるような気がするのだ。





先にも言ったが、おそらくこの条例の施行には時間がかかる。導入さえされない可能性もある。というか、簡単には通らないだろう。

しかし「ゴールデンスランバー」では、凶悪な連続殺人事件を理由に、“セキュリティポッド”が導入されてしまっている。

現実社会でも、同じことが起こるかもしれないではないか。

誰もが嫌悪感を抱くような性犯罪が、性犯罪者の再犯によって行われたりなんかしたら。

世論を一気に味方につけて、条例が可決されてしまうことだって十分にあり得るのだ。





「ゴールデンスランバー」が発表されてから、3年が過ぎたあたりだ。

ひょっとしたら作者は、この条例が検討されていることを、その時既に知っていたのかもしれない。知っていて、書いたのかもしれない。

その世界では、人々は特に違和感を抱かず、生活しているように見える。

それが私は怖い。そんな社会であろうと、我々は慣れてしまうだろう。実生活に影響がないと分かると、受け入れてしまうだろう。

政治が都合のいいように国民をコントロールする社会が見えてしまうのは、私に妄想癖があるからだろうか。





元はと言えば犯罪者が悪いのだが、それを取り締まる立場は板挟みの苦労があるのだろう。

しかし、派手な政策で世間にアピール、という姿勢を否定する気はないが、流石に今回の表明は先走りかと思う。

村井知事はトヨタ自動車関連工場の誘致など、その政策は評価されていると思うのだが、マイナス効果になり得る一件ではなかろうか。

彼はこれまでも、児童ポルノ規制や性風俗業者の規制を行っている。それがどのような成果をもたらしているかは分からないが。













そして、彼が知事になってからだと思うんですが、













宮城県の地方紙にはほぼ毎日、18歳未満の女性と猥らな行為をした成人男性の記事が載っています。









出会い系かなんかから引っ張ってるものと思います。恋愛については自由だと思うんですけどね。




23年1月16日

最近見た映画を振り返って



昨年の9月から、私の中でにわかに映画ブームが到来している。

学生時代以来のペースで映画を見ているわけだが、久しぶりの文化的な生活が楽しくて、今まで継続している。

既に30本ほど見ている。半分以上は邦画だなぁと、振り返って思う。

今回の日記では、その中からよかったと思うものを紹介したいと思う。





「ゴールデンスランバー」



“首相殺しの犯人に仕立てあげられた男の逃走劇”

一言でそう表現されているように思うが、この映画を見た人間にとって、そんな要約はナンセンスなはずだ。

サスペンスでも、ミステリーでもない。勧善懲悪でもなければ、救いようのない悪夢でもない。

今までの映画とは、全く違うフォーカスのあて方で、エンターテインメントとして成功させている。

魅力溢れる端役、すれ違う思惑、タイミングの妙。最初から最後まで丸ごと楽しめる映画だ。

個人的には、つっかえ棒が取れないまま終幕となったが、私が仙台在住ということを差し引いても、本当に楽しい映画だった。



(以下ネタバレ。Ctrl+Aで反転してください)



個人的に、青柳と樋口のすれ違いが印象的だった。

すれ違いというか、逃走中に、決して2人が顔を合わせることなく、電話で会話することもないのだ。

これは彼を助ける様々な人物のうち、彼女だけがそうなのだ。

唯一交わしたコンタクトは、「俺は犯人じゃない」「だと思った」。

そしてこのタイミングの妙が、冒頭とラストのシーンを際立たせているのだと思う。



そしてこの映画では、知りたくなってしまう「真犯人」や「陰謀の首謀者」は一切明らかにならない。

私が「つっかえ棒が取れない」と思ったのはそれが理由だ。

おおまかな想像はつくし、それを明らかにすることがこの作品のハイライトではないことは理解できる。

むしろそこを敢えて明かさないからこそ、この映画は惹きこまれるのかもしれない。



今私は原作を読んでいる途中だ。それもかなり序盤である。

おそらく、原作でもこれら2つのポイントは同じなのだと思う。原作者と制作側のこだわりを感じてしまう。





「嫌われ松子の一生」



“かわいそう”という言葉が浮かんで、自分の語彙力のなさを恥じた。そんな失礼な感想は書けない。

ただひたすら愛されたくて、必要とされたくて、そのために懸命に生きた、一人の女性。

その思いは時に歪んでいて、時に短絡的で、時に独りよがりで、でも純粋さに満ち満ちていて。

その不器用さと真剣さ、そして残酷なまでに連なる悲運に、胸を貫かれたような思いになった。



映画としては、様々な音楽が飛び交い、CGが節操無く使用され、ミュージカル的な部分もある。

それで冷めてしまうような気もするが、コメディ要素を満載にすることで「微笑」することができた。

普通のタッチで作れば、底なしに暗い映画になってしまったかもしれない。演出の勝利と言えよう。



また、ほとんどが第3者の目線で全て語られている点も、この物語を味わう上で重要だったのではないか。

傍からは奇怪に、冷淡に見える松子は、様々な人の視点から語られることで修正されながら、一人の愛すべき女性となって我々の胸に焼きつく。

彼女が何を求めていたのか、何がしたかったのか、何を思っていたのか。

これらが明らかに語られることは少ないが、数々のエピソードから浮かび上がってくるのだ。



この映画に出会えてよかったと思った。大袈裟な言い方だが、この映画は生きる価値観を変えるほどの力がある。

久しぶりに、心の中をかき乱された映画だった。



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最も印象的だったのが、ラストシーンだ。

ラストシーンで、松子の妹である久美が、階段を上ってくる松子に向かって言う、「おかえり」。

全身に鳥肌が立つようだった。

涙が出るんじゃないかと思ったくらい、胸が締め付けられた。



最後の最後でいいから、幸せになってほしかった。

彼女が最後にどうなったのか、既に冒頭で明らかになっているにもかかわらず、である。

感情移入するまでもなく、傍から見ていてそう思わされた。

これはそういう映画だ。





「EUREKA」



青山真治監督の、「北九州サーガ」3部作の第2作目であり、217分という大作だ。

3部作の第3作目「サッド ヴァケイション」を先に見てしまった私としては、見なければならないという気分で慌てて見た映画である。

もちろん第1作も見た。3作ともとても好きになった映画である。是非お勧めしたい。



どこか殺伐とした雰囲気の中で綴られる、自分を取り戻すための日々。

映画に出てくる人物の主観が入ってくることはなく、断片的な謎とともに、物語は淡々と進んでいく。

ハラハラした展開もなく、恋愛の要素も派手なアクションもない。

それなのに217分という長時間、私を退屈させなかった。映画は雰囲気が大事なんだと認識させられた。



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色の使い方がすばらしかった。

全体的に、鮮やかさのない、くすんだシーンが続く。

それは物語のトーンという意味ではなく、視覚的な意味で、色彩がぼやかされているのだ。

それが、最後のシーンで色鮮やかなトーンに切り替わる。

宮崎あおい演じる梢の感情の動きを実に効果的に表している。

それは同時にある種の絶望をも映し出してしまうわけだが、私は「間に合った」という安堵感を覚えた。

最後の最後で紡ぎだされた希望は、この絶望に彩られた物語がたどり着きうる、唯一のハッピーエンドに思えた。





「アヒルと鴨のコインロッカー」



最近見た映画の中では、ダントツに好きになった映画だ。

登場人物の魅力、張り巡らされた数々の伏線・トラップ、そしてすべてが明らかになった時のやりきれなさ。

最強だった。最強の、悲しさだった。



時間軸の構成が絶妙だった。監督の綿密な計算とセンスであろう。

ストーリーがごちゃごちゃになることもなく、しかし頻繁に、効果的にさしこまれる回想シーン。

そこから紡ぎだされる登場人物の魅力と謎めいた背景に、すっかり夢中になってしまった。

見終わった後、こんなに悲しい物語であるにもかかわらず、テンションが上がっていた。

本当に、本当に最後まで夢中になった映画だった。



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ブータン人=瑛太という、この映画の最大の謎は、映画の中盤あたりで見当がついた。

しかしながら、そのあと全ての謎が明らかになり、背景がさらされるシーンでは、否応なしに心を揺さぶられた。

終わりが来ると分かっていながら、ドルジ、琴美、河崎の友情は温かく、心地よく。

そしてその終焉はあまりに理不尽で、一匹の猫を救うために死にゆく琴美の表情があまりに優しくて、悲しくて。

唐突に訪れる河崎との別れは、痛々しくて、本当にいたたまれなくなって。



「神様」ってなんなんだろう。そう思った。

結局見て見ぬふりはしてもらえなかったのか、それともあのラストが慈悲なのか。

物語に「意味」を求めようとは思っていないし、神がいるなどと思ってもいない。

それでもそう思わずにはいられなかった。それだけの切なさに囚われてしまった。





「アヒルと鴨のコインロッカー」は、今まで私が見たの中で最も好きな邦画となった。

洋画をすべて含めても、3番目に好きな映画だ。

すばらしい映画と出会えたことを幸運に思いつつ、さらなる出会いを求めて映画を堪能したいと思います。






23年1月1日

2010年のよかった曲



毎年恒例の日記だが、新年にずれ込んでしまった形になった。

言い訳のしようもないくらい久しぶりの日記になるわけだが、さりとて意にも介せず書いてしまおう。

ということで、ストレス解消と言わんばかりに衝動買いの多かった2010年に買ったCDを振り返る作業から始めよう。





【2010年に買ったCD】



the pillows

Rodeo star mate

Movement



POLYSICS

BESTOISU!

eee-P!!!



the Hiatus

ANOMALY



weezer

Hurley

Death To False Metal

Pinkerton(deluxe Edition)



ELLEGARDEN

ELLEGARDEN BEST



LOCAL SOUND STYLE

DOING IT FOR THE KIDS

Symphony



凛として時雨

just A moment

still a Sigure virgin?



FACT

In the blink of an eye



THE COLLECTORS

BEAT SYMPHONIC



Nothing's Carved In Stone

Sands of Time



eastern youth

1996-2001



PIXIES

Death to the Pixies



oasis

MORNING GLORY



BON JOVI

CROSS ROAD



world's end girlfriend

SEVEN IDIOTS



THIRD EYE BLIND

URSA MAJOR



Sandy Beach Surf Coaster

PRIVATE BEACH



THE PREDETORS

THE WORLD



GRAPEVINE

Here

Circulator



astronauts

HAKU





新旧織り交ぜたラインナップであるわけだが、3割ほど衝動買いであるような気がする。

タワーレコードでの試聴や旅行先での暇つぶしや動画サイト検索などから、いわゆる「いつもの」以外のCDを買っている。

そんな中から生まれる出会いは非常に楽しく、気分が高揚する。2010年はその比率が高かったように思う。

それでは2010年に出会った曲で、特によかった曲、印象に残った曲を挙げていこう。





「ペデルギウスの灯」the Hiatus

映画のような情景の浮かぶ歌詞と、ポップだが物憂げなメロディライン。

単純なようで底なし沼のような解釈もできるような、そんな混沌とした世界観が印象的だ。

細美氏のソングライティングのセンスが光る一方で、感受性をくすぐるサウンド構成が秀逸な傑作。





「Les Enfants du Paradis」world's end girlfriend

今年発掘した変態バンド。タイトルが何語かすら分からない(フランスか?)、インストゥルメンタルのみの曲だ。

タワレコで視聴し、気になって仕方がないので買ったわけだが、この曲は文句なしにかっこいい。

次々と様相を変えながら押し寄せてくるバンドサウンドと、耳に残るシンセサイザーのメロディが心地よい。

7分を超える長い曲なのだが、それを感じさせない流れるような曲の展開がすばらしい。





「JPOP Xfile」凛として時雨

忘れもしない、昨年の正月にニコニコ動画で出会った曲だ。音源がほしくて、すぐにCDを買いに行った。

暴れるように鳴らされる轟音の中、裏声と地声の入り混じった混沌とした歌声は、不思議な色彩を放っている。

混沌としているくせに、妙にポップな響きを感じるからよくわからない。

閉塞感のある雰囲気から、サビで一気に解放されるような、でもやはり閉じられているような、やはり混沌としている。

この魅力はいったいどこからくるのだろうか。





「I was music」凛として時雨

しかしこれだけ裏声の比率が高いバンドも珍しかろう。なんだかんだで新作も買ってしまった。

その中から1曲目が特に好きになった。突き抜けるようでやはり行き詰っているようなサビが印象的だ。

轟音と甲高い歌声、うねりのあるベースに変態ギター。妙なバランスが取れてしまっている。

天才かと思うくらいの面白さ、新鮮さがある。好き嫌いははっきり別れそうにも思うが。





「Rodeo star mate」the pillows

どポップ。この一言に尽きる。とても昨年結成20周年を迎えたバンドとは思えない。

そんな枕言葉を除いても、爽快感あふれるポップなサウンドは、否応なしに体をゆすらせる。

センスと遊び心がいっぱい詰まった、ニヤニヤしてしまうほど爽やかな曲だ。

彼らのこれから可能性を期待させる、まだこんな曲が出てくるとは思わなかった。





「Memories」weezer

爽快感に満ち満ちたメロディが、彼らの代名詞とも言える「パワーポップ」とこれ以上ないくらいにマッチングしている。

テンションの高いボーカル、厚みのあるサウンドと、分かりやすいノリがこれでもかと押し寄せてくる。

何も考えずに大音量で聞くと最高に気持ちいい。思わず手を振り上げてしまうほどだ。





「Represent」weezer

これまたポップなメロディに、ロックンロールと呼ぶに相応しいサウンドが大変気持ちいい。

パワーポップのお手本と言わんばかりの曲だが、全体的に切なさがにじみ出ているのは彼らならではであろうか。

アルバムのボーナストラックに収められるには、あまりにもったいない。

CMソングになって大ヒットを記録してもおかしくない、そのくらいかっこよくて、ポップな名曲だ。





2010年はweezerのアルバムが私好みに仕上がっていて、彼らへの熱が再燃した年だった。

ライブで気になったバンドや、試聴などで気に入ったバンドにも触手を伸ばし、消化し切れなかったくらいだ。

そんな中であえて今年の一曲を選ぶならば、weezerの「Represent」であろうか。彼らが「帰ってきた」気がして嬉しかったこともある。

ライブでも、怒髪天がおもしろかったり、ミイラズやNCISがかっこよかったり、楽しさを再認識した年だった。

the pillows、POLYSICSにニューアルバムを楽しみにしつつ、今年も音楽を精一杯堪能することを誓います。




戻ることができる。