3.今井兼庭
今井兼庭(1718〜80)は現在の埼玉県児玉郡上里町金久保に生まれ、通称を勘蔵(官蔵)といい、赤城または兼庭と号し、算学を究めて江戸駿河台に住しました。門人には経世論者である本多利明(後述)がいます。「増修日本数学史」に、『幸田親盈の高弟にして、建部派中に在りて、錚々たる者とす。数学上の発明術二三に止まらず。・・・(略)・・・兼庭、傍ら暦学に通ぜり。門弟を育うこと多し。傑才少しとせず。本多利明の如きその人なり。兼庭著書多し』とありますように算学・暦学に秀でていたようです。特に算学については、「算法雑解」「演段維乗率」「円理弧背術」「授時暦講義」など六十一書を挙げ『凡そ七十余部、数百冊とす。盛んなりと謂うべし』としています。
兼庭と歳胤は、幸田親盈を師として同門でした。このことは歳胤の「天文大成真遍三條図解」の自序中に『コヽニ予カ同門今井官子トイヘル者アリ。ヨク算術ニ達ス。故ニ先生(親盈を指す)カレニ命シテ弧矢一術ノ半ナレルヲアタフ。官子コレヲウケテ心神ヲナヤマスコト三年。ツイニ其術意ヲ得タリ。眞ニ弧矢妙術ナリ』とあることや、「皇倭通暦蝕考」の序文中、および「蝕算活法率」の序文中に『今井兼庭者予同門也、無双算士也』とあることによって明白です。また兼庭の「明玄算法」の自問十九の中には歳胤と門人の問題が掲載されています。 |

兼庭は、任意の三角形内に互い
に外接する三円を内接した場合に
三辺の長さを知って三円の直径を
求めるという「三斜容三円術」の問
題を「雑術」といわれる書物の中で
解いたといわれます。
(埼玉県教育史第2巻)
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