江戸中期の天文暦学者 千葉歳胤 本文へジャンプ
歳胤の墓所


 歳胤の墓は、虎秀の浅見家の墓地にあります。一列に並ぶ墓地のほぼ中央に歳胤の墓があります。
 歳胤の墓は高さ五十cm、幅二十三cmほどで前面に

         「  寛政元酉年 
          乾道陽生信士
            三月甫六日    」
 とあり、右側面には

         「天文大先生
          俗名 千葉陽生平歳胤
             施主 淺見幸助   」
 とあります。左側面には、

         「昔来し道をしほりに  行空の
             何迷べき  雲のうへとて  」
 とあります。

  歳胤墓(右側面の天文大先生)

       歳胤墓(正面)


    歳胤墓(左側面の和歌)



 歳胤の墓の近くには天文岩と天文霊神の祠があります。天文岩の高さは十m位はあろうか、下には岩窟もありここで歳胤が若い頃勉学したともいわれています。また、天文霊神の祠には寛政二庚戌年(1790)に祀ったものであることが納められている板札の所載でわかるといいます。寛政2年といえば歳胤が亡くなった翌年であり、早くから祀られていたことになります。