チリ その14   次ページ  前ページ  トップ    


第56回(11.4配信)464

午後6時過ぎ。坂の中腹にあるサンフランシスコ教会に行くとすでに及川とヒロが来ていた。ヒロと会うのは、久しぶりである。
 教会のまわりには、人が集まってきていた。赤ん坊を抱えた母親、大きな目を動かしている子供、中年の男たちの姿も見え隠れする。少し離れた木の下では、スカーフを被った老婆の一団がヒソヒソ話しをしている。
「結婚式かえ」
「食べれない男が、女をつかまえたのかい。女性ならいろいろ仕事があるから」
「いやね。チリの女が、日本人と結婚するのさ」
「へえ、羨ましいことだ」
 ヒロにいわせれば、このようなことを話しているらしい。
 貸し衣装のモーニング姿、胸に白いバラをつけた谷が教会の入り口を行ったり来たりしている。花嫁の到着予定は、6時30分、もう5分も過ぎているのに、花嫁の車が現れない。
 結婚式の前に花嫁の顔を見ては、不吉ということで、谷は昨日の晩からクリスティーナには、会っていない。ラブラブの彼にとっては、落ち着いていられないのだろう。
 なんといっても谷は幸福ものだ。偶然とはいえ、日本の裏側で結婚式をあげられる。加えて及川や尾崎、田中、ヒロ、福岡さんたちに祝福されるのだから。
 さらに待つこと5、6分、坂道を車のヘッドライトが登ってくる。拍手がわきあがった。丸山が派手にギターをかき鳴らす。
 教会の正面に、クリスティーナの白いウエデング姿が、ポーと浮かび上がった。
「ブラボー、素敵ね」
「お人形さん、見たい」
 歓喜と拍手の中、クリスティーナは、長いドレスの裾をもった二人の少女を従え、父親に手を取られて、教会の赤いジュータンの上を進む。長いキャンドルの炎に飾られた祭壇へ、谷も福岡さん(日本人の代表)と共に向かう。
 祭壇の正面には、司教が白い式服に身を包み、分厚いバイブルを開いている。カメラのファインダー越しに、後ろに飾ってあるキリストの像が映る。司教は、ひざまづいている二人になにやら話し始めた。
 ふたりの真剣な表情、周りの人々を写していると、日本の生活について、質問を受けたことが浮かんできた。
 
第57回(11.8配信)467

 何日前だったか忘れたが、クリスティーナの突然の訪問をうけた。母親も一緒である。近くに来たので寄ったらしいが・・・。慌てて起きて、ヘラスコの脇のカフェテリア(食堂?)へ入った。
 母親は、さかんに娘が遠いい日本に行くのが、心配でならない。仕事は日本に行けばあるのか? どんな生活になるのか? 友達もいず、言葉も不自由。どうも谷のスペイン語力では、そのへんを聞いても、わからない。少しはましなスペイン語を話すぼくに探りをいれに来たのだ。インクウェダド(心配)やらトラバッホ(仕事)などの言葉が何度も繰り返される。
 クリスティーナは、さかんに、心配しないで。ここにいたら、ずーと今のような生活しかできない。毎日、毎日、パン、パンと叫ぶ生活は、もう嫌。バルコ(船員)が話していたは、日本は食べ物が豊富だって。私、日本でお金を稼いでお母さんを呼んであげる。そうしたら寂しくないでしょ。こんなことを話ながら、さかんに母親を説得している。ぼくは、ブエノ、ブエノ(いいね、いいね)と相槌をうった(まさか、それが実現するとは、そのときは夢にも思わなかった)。
「ねえ、日本で私、働ける?」
 どう答えていいのだろうか、一瞬、返事に困った。
「あるよ。日本語が少しできれば・・・」
「私、勉強をする。コレヒョ(新聞売り)ならできるでしょ」
 クリスティーナの姉は、ストマョウ広場で新聞を売っている。そのせいか、彼女は仕事といえば、姉の新聞売りが浮かぶらしい。
 クリスティーナは、谷から聞いたのであろう、日本には動く階段があること、地下を走る電車、雲に届きそうな高い建物、飛行機も自動車もたくさんあることを目を輝かせて母親に説明している。母親にとって、想像もつかない日本のことより、会いたいときに、会えない、話しをしたいときに、簡単にはできなくなる現実に直面して、頭の中が不安で一杯のようだ。
 レハーノ(遠い)、トリステ(悲しい)を何度もいう。
「飛行機を使えば、1日で日本ですよ」
 聞きとりは、かなりできるようになったが、会話はまだ未熟。辞書と身振り、感を働かせて、どうにか応対。飛行機だとたった1日で日本に着くとの情報を与え、なんとか、母親を安心させたっけ。
 
第58回(11.11配信)464

 2本目のフィルムにはいったころ、式は、誓いの言葉、指輪交換、誓いのキスの順で終わった。
 教会の出口では、「ブラボー」の声と笛、太鼓、などの音。二人の頭上は紙吹雪の渦。みんな渡された色とりどりの紙を、ばさばさっと彼らに浴びせていた。後ろでヒロと福岡さんが話しをしている。
「不思議なもんだよ。密出国して港町に戻って来た日にバッタリなんて。俺が新聞を買おうとしなかったら、このカップルはなかった」
「人の出会いなんかそんなものさ。彼ら、うまくいけばいいけど。クリスティーナは、まだ十八そこそこだろ。谷も相当てこずるぞ」
「だから俺が言っているのさ。日本なんか帰らずにニューヨークで生活しろって。あそこならチリは近いし安いチャーター機もある。クリスティーナもたまには里帰りができる」
 ぼくもそう思う。だが、この国でヤミドル生活をした後では、ニューヨークで過酷な皿洗いなどとても無理だろう。それにクリスティーナは、『洋服買って、靴も帽子も欲しい』とねだるのが大好き。谷は彼女のいいなりに金を使っていた。そんな彼女がニューヨークの安アパートでの貧乏生活に耐えられるだろうか?
 タクシーがやってきた。さあ、これから披露宴パーテーの会場に直行。夜明けまで飲み、踊り明かすという。

第59回(11.15配信)465

 タクシーの中は、運転手を除いて、日本人の世界になった。付き合っている女の子のことや、うまいものを食わせる店などの話しがドンドンでると思いきやみんな静かだ。クーデターの恐れ、交換義務金の金額などが無言の圧力として、のしかかってきているのだろう。
 ビニア・デ・マルの入り口、丘の上にあるカジノの明かりが見えたころ、ポツポツと会話が始まった。
「丸山、やっぱり出国するのか」
「あさって出発する」
「そんなに急ぐなよ。カジノで稼いで、お前もチリ美人と結婚しろよ」
「ここにいるのが怖い。もう夢は終わった。ねえ、福岡さん。頼みますよ」
「あまり気がすすまないな」
「チェック・インさえしてくれれば、あとはうまくやりますから」
 丸山はサンチャゴからテラルデ・フェーゴのプンタアレナスまで飛行機を使い、そこから冬のツンドラ地帯を歩いてアルゼンチン側へ逃げる計画だ。ドイツ人旅行者が二日間歩き通して成功した情報を得ている。ただ、プンタアレナスまでの航空費が90ドルほど。これを労働許可証のある福岡さんに頼むとチリ人と同じエスクードが使える。福岡さんの場合はバンクレシートなど必要ないので、丸山が替えてきたヤミドルを使えばチケット代金は9ドル以下だ。国内線・ラゴウの航空カウンターでチェック・インを福岡さんにやってもらい、あとは丸山が代って乗り込む。アイデアはいいのだが、福岡さんと丸山の身長差は十センチ以上。みつからないかな。うまくいくかなと福岡さんは、さかんに不安がっている。
「お前は、どうする。いつまでいる?」
 ヒロがそっと聞いてきた。
「迷っている」
「あと3週間たてばアンデスの雪が解ける。みんなで逃げよう。交換義務金が上がったんだ。正規のルートは、もう金がかかりすぎる」
 恐れていたことが起こった。それも予想よりも早く、駆け足でやってきた。
 1日の交換義務金が学生(18歳以下)10ドル、学生(18歳以上)20ドル、一般で25ドルにすると新聞に出ていたらしい。それもいつ入国したかは問題ではない。滞在日数X今回値上がりした金額だという。入国1か月も経っていないうちに倍になってしまった。もし国際学生証(ニューヨークで購入)が効かなければ、それ以上。やばい、最大のピンチだ。

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