チリ その19   次ページ  前ページ  トップ    


第75回(1.10配信)466

 8月13日(月)・・入国32日目(交換義務金640ドル。所持金1380米ドル)・・今晩は、いつもより遅くプエルトに行った。船員たちや町の男、兵士などがポツリポツリと入って来ては、1杯飲むと別のホテルに行ってしまう。小説・からす天狗(マグロ漁船から借りたもの)を半分くらい読み、そろそろ帰ろうとしていたら、ドアが激しく開いた。セシリアがひょっこり現れた。茶色のバックスキン・シューズ、エンジに黒と緑のチェック模様のパンタロン、黒いフード付きのジャンパー姿。5日前に会ったのと同じような服装(?)。
 足もとをふらつかせながらカウンターにいるぼくに寄ってきた。
「オジェ、トマ(ねえ、飲ませて)」
 瞳は輝きを失い、顔は真っ赤。
「ポキート(すこしだけよ)」
 ママがグラスに半分くらい注いだチンザノを彼女はグイーと飲み干した。
「ママ、オトラ(もう1杯)」
 セシリアは、首を振るママから瓶を奪いとるとグラスになみなみと注いだ。イネスやグローリアの制止もきかず、グイグイいく。
 強い酒、多量、一気飲みが影響し、すぐに彼女は激しくむせ出した。
 冷たい水を飲み、カルメンが背中を摩っているとセシリアは、落ち着きを取り戻した。こんなにメロメロになるまで、どこで飲んでいたのだろうか?
 しばらくして、彼女は、小声でハミングをはじめた。どこかで聞いたような歌、記憶違いでなければ、ビクトル・ハラの人民の歌。

〜チリの若人たち
   きみたちの放つ光が
     街の細い通りを
       目覚めさせる〜

 たしかこんな歌詞だ。
「ねえ、コンプラ(買って)!」
 セシリアは、ポケットからメダルとバッチを5、6個だした。人民連合が資金集めに用いているグッズの一部らしい。バッチをつけることによって仲間意識を高め、売ることによって資金を集める。一石二鳥を狙ったものだ。
 ママや他の女の子たちのブーイングにあいながらも、セシリアのアジェンデ応援歌が静かに聞こえる。


第76回(1.13配信)463

8月14日(火)・・入国33日目(交換義務金660ドル。所持金1380 米ドル)・・ホテル・ヘラスコに帰ったのは、午前5時過ぎ。もう疲れてふらふらだ。セシリアと付き合った、この6時間は、いったいなんだったのか? 
 「行きたいところがあるの」セシリアの誘いに乗って、タクシーで向かったところは、ビニア・デ・マルの反対方向、いわばぼくの知らない地帯だった。
 海に突き出した素敵なディスコにはいった。ホールが穴倉のようになっていて、丸い段違いの床が数段ある。窓からは波の音、匂いが伝わり、船室にいるような気分。
 隅に座ってトロピカル・ドリンクに喉を潤わせ、静かなクラッシック音楽を聞き、魅力あるセシリアとゆったり過ごす。これこそ最高、こんなことを思っていたのは、最初だけ。
 ドヤドヤと十数人の男女が入ってきて、ピアノの奥の席を陣取ってからは、セシリアはそっちにいったきり。
 彼らはアジェンデ派の仲間! 多分そうであろう。どうしたらアジェンデ政権を守れるか、冷え切った経済を立て直せるか、仲間をどうやって増やすか、資金集めは・・・そんなことを話し合っているのでは。
 案のじょう、ときおり彼女は寄って来て、郊外で畑仕事をしようとか、奉仕活動をしようとか、ぼくを勧誘にくる。ドクターK(?名前は聞き取れなかった)と名のる顎髭の大男まで手を差し出し、日本の若者で、私たちの仲間になっているのもいるとか言い出した。
 やばいやばい、旅人の心を忘れて、誘いに乗ってしまいそうになる。 なぜだかこのときプエルトのママの首を振る顔と福岡さんが、言った『日本赤軍(海外でも有名なテロ組織)のコマンドがアジェンデ政権に協力しているとの噂が流れている。俺たちも間違えられなければいいが』の言葉を思い浮かべていた。


第77回(1.17配信)461

8月15日(火)・・入国34日目(交換義務金680ドル。所持金1380 米ドル)・・夕方、マグロ船に行った。カツオやイワシ、いかの刺身をわさびを溶いた醤油にしたして食べる。ネタが新鮮なうえ、醤油がきいて、すごくうまい。味噌ラーメンも故郷の味。
 日本酒を飲み、乗組員の方々の話しに耳を傾ける。
「船の生活はきついぞ。船底の冷凍室は、零下50度、防寒服を着ていても体中が針を刺されたごとく痛い。冷凍室にいて次々に送り込まれてくるマグロを4,5人で積み上げる。
 冷凍室の作業も苦痛だが、マグロを捕まえるのは、もっとたいへん。すごく体力がいる。ワイヤーロープは2キロ以上はある。それに50メートル間隔で生きたカツオを餌にして流す。ロープをいれるのに1日、引き上げるのに2日はかかる。その間は不眠不休の連続さ。ロープに巻き込まれ、ウィンチで片腕をもぎ取られた奴だっている。危険だ。
 シケの日も地獄さ。100メートルくらいの高さの大波が両側から迫ってくる。ローリング、ピッチングなんて生易しくはない。きりもみ状態さ。新入りだとすぐに船酔いしてしまう。酔ったら、バケツ一杯分もの水を飲ますんだ。水を飲んでは吐き出す。しばらくすると水も飲めなくなって、ゲイゲイいいながら『腸がねじれる』と黄色い胃液を絞り出す。最後には血が混じってくる。死の淵を覗いているみたいだ。
 大シケのときなんかいまだに船酔いすることがある。そのたびに、なんで船乗りになんかになったんだと嘆くぜ。やっぱり揺れない陸がいいよ。航海中に寄港する町はみんな天国さ。よく港の女と再会の約束をする。
 こんなことだってあった。
 ロープを流していると、マグロに混ざってノコギリザメが引っかかってくる。鮫の肉は捨ててしまって、ヒレやノコギリをスノコの下に隠す。それを帰港したときこっそり売って山分けする。ひと航海で一人頭50万円はくだらなかった。その余禄にちょっと金をたせば、恋する女のいる港町へ飛んでいける。日本から遠く離れたこのバルパライソにだってな。でもいまは駄目さ。入港時の検査が厳しい」
 彼らの話しはとめどもなく続く。
 酔いが回ってくるにつれ、ここが日本のような錯覚に陥ってしまう。

第78回(1.20配信)460

8月16日(火)・・入国35日目(交換義務金700ドル。所持金1380 米ドル)・・夜、どうしても花町に足が向いてしまう。バー・ブロンクスで、都会の女(高木淋光著・マグロ船から借りた小説)を読む。いま考えれば外国のバーで日本の小説を読むなど考えられないが、ぼくたちにとっては、日常化していた。
 常宿、ホテル・ヘラスコへ帰る前にプエルトへ立ち寄った。及川は、昨日からビニア・デ・マルに住む彼女(エレナ)の招きで、プエルトを引き払い、ビニアの高級住宅街(彼女の親戚が所有する一室。無料?)に引っ越してしまった。尾崎が、ひとりで、寂しがっているのではと、すぐ引き上げる予定で覗いたのだが・・・
「オジェ、どこで飲んでいたのよ」
 いきなりセシリアにつかまってしまった。尾崎に言わせれば、もう2時間も飲みつづけているらしい。灰皿は、煙草の吸殻であふれ、マリファナ(当然取り締まりの対象)の臭いさえする。
 セシリアは、今度の日曜日、釣りに行かないかと誘って来た。この前の浮かぶディスコでの一件もある。ひょっとして、アジェンデを応援する集会への参加とつながっているのでは・・・。
 セシリアが席をはずしたとき、ママが申し訳なさそうに、そっと耳打ちをした。セシリアの飲み代のたてかえだ。1500エスクード(ヤミ換算で250円)。この国に入国してからこんなことは、もう慣れっこだ。
 セシリアが足元をふらつかせながら一人の女の子を連れてきた。彼女より若く、プロポ−ションが素敵な色白の美人。これから3人でエッチをしようという。いま考えれば貴重な経験を逃した、欲しいことをしたと思うが、なぜか、ノー、カンサド(疲れているから)と断ってしまった。
 すると彼女らは、冗談だったのか、ゲラゲラ笑いながら、ぼくのシャツの袖をもって、両方でふざけて引っ張り合った。突然、お気に入りの紫色のシャツは、ビシーと音をたてた。ご免ねといってくれたもの、シャツはもう修理が不可能なほど袖がちぎれ、ズタズタだ。

 

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