チリ その20   次ページ  前ページ  トップ    


第79回(1.24配信)459
 8月17日(金)・・入国36日目(交換義務金720ドル。所持金1380米ドル)・・午後4時過ぎ、とも綱が解かれた。修理を終えたマグロ船『第4海洋丸』が出航していく。赤錆のでた基水線を波が洗う。板切れやオレンジの皮、落ち葉が揺れ、虹色のオイルが広がる。第4海洋丸は300トン。港に入っている近海漁船より心細くみえる。
「ポコね(小さいわね)」
 金網に顔をこするようにして女の子たちが口々にささやいている。彼女らは、こんなに小さく、すぐに転覆してしまいそうな船で太平洋を渡ってきた、荒波を乗り切ってきたのが信じられないのだろう(ぼくでさえ、そうだ)。
 監視員が金網のゲートを押さえている。この桟橋内には、通行許可書がないかぎり、いかなるチリ人もはいれない。それがわかっていながら、彼女らはどうしても鶏小屋に似た扉を押してしまう。
 船を止めていたロープが、解き放された。
「じゃあな、体に注意してな」
 鈴木さん、森山さん、他の船員たちが、だ円形のデッキに並んで女の子や僕たち(福岡さん、ヒロ、田中、谷)に、手を振ってくれた。
「アディヨース(さようなら)」
 女の子たちは、響き渡る声で何度もなんども叫んでいる。
「さようなら、楽しかったよ」
 遠ざかるマグロ船からも聞こえてくる。
 マグロ船の乗組員はいい。何ヶ月滞在しようと両替義務など無関係で出国できる。いざとなれば船長に頼みこんで船に乗せてもらい、働きながらペルーかエクアドルの港まで運んでもらう。密出国の危険をおかさず安全に逃げれるグッドアイデア、虫のよい計画を練っていた。
(もっとも船員手帳がないため、可能性は少ないが・・・それでも、船長に交渉してみよう・・・と話あっていた)
 しかし、いいだすチャンスをのがしてしまった。もう今となっては遅い。
マグロ船でこっそり逃げ出す案は、夢になってしまった。
「ついに日本のホテルがいっちまったな」
「これで、日本食とも、お別れだ」
 マグロ船はすぐに海の青に溶けこんでしまった。またエンジン・トラブルでひき返してこないかと2、30分ほど海の彼方を見つめていたが、そんな気配は感じられない。

第80回(1.27配信)458

 桟橋から街に戻ってくると通りがざわついていた。
 英雄の像「オイギスト」の鉄柵の前では、《ビバ、アジェンデ》の横断幕を持ち、赤や黒の旗を掲げた若者たちがいる。100人くらいか、いやもっといる。ドーム型の屋根をした市庁舎の階段付近にMIA(革命左派?)の党章をつけた一団が2,30人、MARU(人民運動?)の党旗も郵便局や波止場のまわりに見える。企業ごと、学校ごと、ボランティアごとに小グループにわかれているのだろう。
 歌声が沸き上がった。

 〜チリの若者たち
    君たちの自由の叫びで
      花は育つ
        勇気をもって進め〜 (福岡さんの訳)

「サンチャゴは血の雨が降っているかな?」
 ヒロは、鉄パイプを持った一群を不安げに見ている。
 アジェンデ政権は数日前から、日増しに強くなる軍部の圧力、クーデターの危機に対抗して、労働者の統一デモを呼びかけている。サンチャゴのメイーン通り、ブルネマやアラメダは、デモ隊とその人数の数10倍の野次馬や警官、兵士で埋め尽くされているのでは・・・。
「ルッチセンド(闘いとろう)」
「クレアンド(つくろう)」
「ビバ、チリ」
 おきまりのシュプレヒコールが始まった。旗がなびき、デモ隊が移動を始めた。
「どこまで行くんだろう」
「たぶん、プラザ・ビクトリア」
「人数、少ないな」
「なあに、街を練り歩くうちに膨れ上がるさ」
 本当にそうだろうか? デモ隊が迫ってくるにつれ、商店のシャッターが降ろされる。当然参加してもよさそうな沖仲士たちも埠頭で火を囲み、体を暖めている。150人ほどのデモ隊の中にセシリアがいるのでは、と捜したが、彼女らしい姿を見つけることは出来なかった。

第81回(1.31配信)456

8月18日(土)・・入国37日目(交換義務金740ドル。所持金1380米ドル)・・ おかしいと気づいたのは教会の前を過ぎてからだ。いつになく花町街は、人通りが絶えている。メルカードのテントの傍から、必ず声をかけてくる女の子の一群も、低いビルの谷間から客がつくのを待っている人影も見えない。町角の妖花がすっかり姿を消している。
 ホテル・プエルトも明かりをおとして、ひっそりと静まりかえっている。
 尾崎が、ママとカウンターを挟んでビールを飲んでいた。ふたりとも表情がさえない。
「ママ、ケ パサ(なにが起こったの)」
 ママは、首を振るだけだ。
「手入れさ」
 尾崎の言葉ですべてが理解できた。なぜ、花町から女の子たちが消えたのか。
 ここで働く女性たちは、それなりの許可書がいる。2週間に1度の定期検査が義務づけられている。セーラノ通りに面した診療所に出向き、尿や血液検査をする。薬物(覚せい剤は、船員が持ち込むくらいで、さほどでもないが、マリファナ、ハシシはそのへんにゴロゴロある)と性病(飲んで踊って、ときには歌うのが、大半だが、なかにはエッチをする女の子もいる)を調べる。1回ごとの料金は200エスクード、客のつかない女性にとっては、痛い金額。そのため、検査のわずらしさ金を払うことへの抵抗のもあって、大半がボイコットしている。
 それを取り締まるため、検査官が抜き打ち的にやってきて、証明書を調べる。ひっかると本人には、5000エスクード以上の罰金、店は3週間の営業停止をくらう。そこで、検査があるとの情報(どうやってキャッチするか知らないが、多分検査局内部から連絡)があると今晩みたいに雲隠れしてしまう。
 そんなこと百も承知で検査官たちは、やってきた。ママは検査官たちにワイロを渡していたと尾崎は言う。少なからぬ金額、ママの表情が曇るはずだ。
 女の子のいない館は、魂が抜けたのと同じ、いいようもないわびしさを感じる。帰ろうとするとママが、セシリアからの伝言を告げてくれた。  今晩遅くなるけど、待っててくれと。
 セシリアのことだ。いったい何時になることやら。
「いつまでいるの」
 カウンターに座ると、ぼくに気を使って、ママが話かけてきた。
「わからない」
「はやく離れた方がいいわよ」
 ママのいわんとする事が、クイダード(危険)という言葉からもはっきり読み取れる。この国は、ますます食料が乏しくなる。クーデターが起こったら治安が乱れて、外国人には特に危険。(このことは、サン・アントニヨの飲み屋・75のママにも釘をさされた)ましてや、アジェンデ擁護派のセシリアと親しくなりかけている状況が、危険に輪をかけているらしい。

第82回(2.3配信)456

8月19日(日)・・入国38日目(交換義務金760ドル。所持金1380米ドル)・・午後2時過ぎ、目がさめた。隣りにセシリアが眠っている。8時間前のことが思い出される。

 セシリアがプエルトに現れたのは、午前4時過ぎだった。中年の男性となんとシンジが一緒である。どこかで飲んでいたのであろう。もう満足に歩けないほど、メロメロだ。
「おじぇ」とシンジにマリファナをせがむ。中年男性の首に抱き付く。金目当てで寝る女ではないぞと大声を張り上げる。あげくのはて、シンジ、ぼく、中年の男性を加えた4人でエッチをしようと冗談を飛び越したことを言い出す。酒で頭がおかしくなったのでは・・・シンジがニヤついて立っているのも気がくわない。
 首をふると今度は、私に従えないのとばかり、空の瓶、グラス、皿が飛んできた。ママさんが錯乱状態の彼女を押さえるも、この馬鹿とわめき立てる。ぼくは、彼女のボルバ(帰れ)という言葉にムッとした。人をさんざん待たせておいて、帰れはないだろう。
 むかついたままプエルトを飛び出し、ヘラスコの自分の部屋に戻った。セシリアが押しかけてきたのは、ほんの4,5分後であった。声をかける間もなく、ベットに倒れ込むなり、すぐに寝息をたてた。
 ぼくも体がグッタリ疲れ、セシリアの長い黒髪を撫ぜているうちに、記憶がなくなった。
 
 いまセシリアのきれいな寝顔を見ていると改めて、彼女にひかれる男の気持ちがわかる。



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