チリ その21   次ページ  前ページ  トップ    


第83回(2.7配信)455

 8月20日(月)・・入国39日目(交換義務金780ドル。所持金1380米ドル)・・起きあがったセシリアは、青白い顔をしている。酔っていたときの勢いはなく、黙って下を向いている。
 通りを挟んだビルの1階の喫茶店でコーヒーをテイク・アウトして戻ってみると、もう彼女は身支度を整え、福岡さんが置いていったり、ぼくが購入した新聞(ラ・ナシオン、クライン)や雑誌(プント・フィナル)に目を通していた。
 彼女は「ゴンペ」をさかんに気にしている。
 ゴンペとはクーデターのことである。スペイン語が達者な福岡さんやヒロからの情報だと、右翼系の新聞(エル・メルクリオ)やキリスト教大学にある『13チャンネル』が公然と現職の大統領の追放を目指し、軍部のクーデターを促すキャンペーンを前より激しくはっているという。アジェンデは、報道規制をしたくとも、新聞社や放送局の大半は、資本家に経営を握られている。加えて報道の自由とかで手がだせない。 
 それでも食料が豊富で、国民が食べられれば、批判はかわせるのだが・・・
 アジェンデは政権をとると農地改革で、小作人に農地を与えた。農地を取られた地主たちは、面白くない。愚連隊を雇って嫌がらせをしたり、銃でもって農民を追い出しにかかる。農民が防衛のために発砲すると地主たちは、ここぞとばかり裁判所に訴える。裁判官は反アジェンデ派で占められているため、すぐに農民の逮捕を命じる。農民は長期間、刑務所に拘束され、農地は荒れ果て、農産物の生産高は低下していく。せっかく作った農産物とてトラック業者がストライキをしているため運搬できない。政府トラックを没収して、運搬車として使おうとするとトラック業者はタイヤやバッテリーをはずして抵抗をする。
 これらのことは、福岡さんから聞いたことで、どこまでが真実で、このようなことが、本当にチリ全土で起こっているのかどうかは、さだかではない。ただ、朝市の野菜も果物もすくなくなり、確実に暮らしは悪くなっているのはわかる。
「ノ、アジュダー、パラ、アジェンデ。エスチュデオ エン ユニバシュタッド(もうアジェンデは救えない。大学に戻って勉強しろよ)」
 セシリアは、なにか言った。ぼくがわからないとわかり、辞書を引き、紙にマンガ(これがコミュニケーションに最適)を書き、わかり易い単語をなんども発音してくれた。
 間違って解釈しているかも知れないが、
「凍りついた湖を裸足で歩いたことがある? 枯れ葉がブドウの房に見える幻覚を味わったことがある、飢えと寒さで生死の境をさ迷ったことがある? 幼いころ近所で小さな棺が、毎日のように運び出された」
 セシリアは、こんなことをぼくに語っている。
 アジェンデは、幼児に十分なミルクを、貧しい村に無料診療所を・・・スローガンに掲げている。彼女は幼いときの状況から、アジェンデを支持しているのだろう。
 アジェンデ政権の目標はスウェーデンのような社会主義国家{ゆりかごから墓場まで}の国家建設にある。セシリアや仲間の学生たちが、その理想に向けて情熱を注いでいるのは素晴らしい。しかし、その道は果てしなく遠く、たとえようのない空しさを感じる。

第84回(2.10配信)454

 8月21日(火)・・入国40日目(交換義務金800ドル。所持金1380米ドル)・・午前10時過ぎ、久しぶりに早く起きた。今日はどうしようか? プエルト? セシリアは、酒とマリファナの吸いすぎで胸が痛い、体調がよくなるまで、しばらく家(どこだか知らないが)に帰る。この街には来ないと言っていた。
 この頃、ご無沙汰しているスペイン語の単語を覚えていると福岡さんと田中がやって来た。初めて会う人も一緒だ。
 波照間(沖縄出身?)さん、チリに来てもう7年、サンチャゴの郊外で日本レストラン兼ホテルを経営している。
「ご商売の方は?」
 波照間さんは、フーと笑っただけだった。
 こんなことを聞くのが野暮だった。
 デモは激しい。交通機関は麻痺、バスは気まぐれのため、まともに動いている足といえば、汽車が残るのみ。
 そのため、闇タクシー(スト破り)や白タク(無許可)の天下。料金は通常の数倍。こんな、経済が乱れ、ざわついている国に旅行者などたくさん来るはずがない。
「そうそう、タクシーが武装を始めたのを知っているかい」
「武装?」
 どうも乗り込んだタクシーの運転手が、サイドボックスを開けて、波照間さんにピストルやスパナを見せてくれたらしい。
 闇タクシーや白タクシーをやるのも命がけ。スト破りのため、いつ仲間に襲われるか、いつ脅しをかけられるか。彼らは、すこしでも安全を確保しようしている。
 そればかりではない。サンチャゴを数10キロ出たところに検問ができ、銃をかまえた兵士たちが、タクシーを止めたり、外国人にはパスポートの提示を求め、自由往来を妨害しているらしい。
「バルパラを出るときは、注意しろよ。それと田中にもいったんだが、ローソクを買っておけ」
「ローソク! どうして?」
 福岡さんの説明でわかった。どうも右翼が電力会社を襲撃して、首都と周辺の都市を一斉に停電させる計画があったらしい。計画は未然に発覚し、ことなきをえたが、いつまた爆破計画が別グループで実行されるか。
 危険な噂が噂を呼び、サンチャゴでは、ローソクが売りきれ続出。波照間さんは、まだその騒動に陥っていないバルパライソにローソクを仕入れにきたのだった。
 国の心臓部である首都が暗黒に包まれる。それはとりもなおさず金融機関、商店、製造工場の襲撃、果ては政府首脳の暗殺という過激な暴動につながる。ひとたび各地に、この暴動が飛び火したら、生命の安全を保障されない無政府状態になってしまう。

第85回(2.14配信)453

「このままだと危なくて住めない」
「生活費も稼げないし」
 福岡さんの電機屋は、すでに休業。ラジオやテレビの修理が持ち込まれるが修理部品がなくて手のほどこしようがない。
 波照間さんのレストランとて同様。米も少なければ野菜も不足、たまに手にはいるトマトとて値段が高くて商売にならない。そのため、いままでは、コネを利用して、バルパライソに入港してくる日本船から小麦粉やジャガイモ、米などをわけてもらっていた。が、ここ数か月前からは日本船の入港が少なく、いきづまっている。
 彼らの話しから、ビニール・ハウス一杯にサルビア、パンジー、スィートピーを咲かせ、{サンチャゴの街を花であふれさせるんだ。政情が不安定で殺伐としているからこそ、美しい花、甘い香りが必要だ}と頑張っている日本人もいることを知った。福岡さんも波照間さんも、同じように夢をもってなんとかしようとしているのだが・・・。
 彼らは、この国を離れる相談を始めた。アルゼンチンに行くか、ブラジル、ペルー、アメリカ、いっそう日本へ・・・いままで積みあげたものを捨てるのは、大変なことだ。それに加え、彼らには問題が残っている。チリ政府に払う税金である。
 福岡さんの場合、ここ1年ほど仕事は赤字。生活を維持するのがやっとで、税金は滞納したまま。出国するとなると納税証明書が必要となる。彼の規模で最低の税金は2万エスクード、ヤミドルだと10米ドルほどだが、エスクードで生活している福岡さんにとってはかなりの大金である。だが、その金を惜しんで、このまま滞在していても事態は悪くなるばかりだろう。
 ぼくたちより情報がはいる彼らは、さかんにクーデターの心配を始めた。
 特くにヤミドルが昨日ついに1ドル2030エスクードまであがった。ヤミドルの価格は政変を予知するリトマス試験紙だ。2000の大台を越えると必ず政変が起こると言われている。
 もしクーデターが起きたら、サンチャゴ国際空港は閉鎖される。企業の駐在員だったら、危険が迫れば、それなりに救出されるだろうが、ぼくたち不法滞在者は自力での脱出を求められる。

第86回(2.17配信)456

8月22日(水)・・入国41日目(交換義務金820ドル。所持金1320米ドル)・・午後7時過ぎ、デスコ・ジャコにはいった。ちょうどサンチャゴから帰ってきた田中も一緒である。いつも行くデスコ・ホリブルは休み、このジャコもいつ休業になるやら。それでも店内には、かなりの人がいた。なんでもチリでは有名な歌手の出演が予定されているらしい。
 いつものとおり中ほどのテーブルに座った。田中からさきほど6万エスクード(30米ドル、サンチャゴでの両替を頼んだ分)を受け取ったから懐はかなり裕福になっている。
「いつ出る?」
「雪が解けしだい。多分、1週間後」
 いつもは、わからないという田中が具体的な日を行ってきた。彼は、福岡さんとサンチャゴに行った。そして福岡さんに、飛行機切符(サンチャゴ〜プエルト・モント:3800エスクード・・ヤミ換算で4500円)を代りに買ってもらった(丸山で成功済み)。福岡さんも飛行機切符(サンチャゴ〜ニューヨーク:130米ドル・・31000円)で購入したらしい。みんなすこしづつ動きはじめた。さて、ぼくはどうするか・・・?
 セルベッサ(ビール)とチーズのツマミがきたころ、案の上、少し離れた真中のテーブルにいる女の子の集団が、さかんに合図を始めた。あと少ししたら、話かけてくると思っていたとき、スーザンがふーと現れ、田中に軽く話しかけると、女の子の集団に何かを言った。それ以後、その魅力的な集団は、ぼくたちを見向きもしなくなった。田中は不思議がっている。
 いつだったか、みんなが行くな、危険だと避けているセーラノ通りに興味があって踏み込んだことがある。この通りには、十数軒ホテルが並んでいる。なかほどのバー・ゴアで会ったのが、スーザンであった。
 30分ほどいて、ビール2本で5000エスクード(このあたりの平均価格の10倍以上)の価格を請求された。船員だったらこの位(10000円)は、払うであろう。でもぼくは、このとき喧嘩して半分くらいに値切った。スーザンは、このとき以来、ぼくをケチな男と思っている。
 僅かな金で、彼女を敵にまわしてしまった。酒がはいっていたとはいえ、とんだミス。ヤミ換算で1000円ほど。たいした金額ではない。要求された飲み代を払えばよかった。以前に谷が言っていた。花街の女の子を敵に回したらたいへんだと。いままさにその仕打ちを受けている。
 帰りしな、今晩は誰も話しかけにこなかったなと不思議がる田中に悪いことをしたと思う。


(読者の諸君は、この日記を読んで、いつもぼくたちが女の子にモテルと錯覚をしないで欲しい。このようにちょっと扱いを間違うと心に木枯らしが吹きすさぶ、サブザブとした街になってしまう)


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