チリ その28   次ページ  前ページ  トップ    


第115回(5.30配信)443


9月12日(水)・・入国63日目(交換義務金1260ドル、所持金1260米ドル)・・ラジオから、行進曲も流れなくなった。サンチャゴは、いま激しい雨が降っているらしい。
日付が次の日にかわるころ、みんなアルコールを抱えて、部屋に引きこもった。
 部屋数が少ないので、カルメンがぼくたちと同じ部屋になった。
「あなたたち、私に遠慮しないでね」
 すなわちぼくとセシリアがHをしたかったらどうぞということだ。カルメンは、ビールを飲み干すと2つあるベットの一つを独占して、大きな背中をこちらに向けた。
 セシリアはチンザノの瓶とグラスを前にふさぎこんでいる。ぼくはぼくで、小便の色は、相変わらず真黄色、体に力は、はいらない。Hをするような状態ではない。
「ババーン」
 銃声が突然響いた。海辺の方からか?
「バッバーン」
「ダッダダー、ダッダ」
 銃声が近くなる。カルメンの背中が小刻みに震えている。どうしても建物の外に神経がいってしまう。
 パルチザンの旗のもとに左翼分子がゲリラ戦を挑んでいるのか?
兵士が恐怖心を取り除くために発砲したのか。銃声の後は、また深い静寂に包まれた。外から忍び寄ってくる重圧感、こんな体でなければ、大酒をあおって眠りこけてしまいたい。

第116回(6.2配信)442

「いま何時?」
 セシリアが突然、ぼくの腕時計を覗き込んできた。
「まだ、こんな時間なの」
 腕時計の針は、午前0時30分過ぎ。何時間もたっているように感じたのに、まだたったの30分しかたっていない。
「はやく夜が明けて欲しい。はやく家に帰りたい」
「ここにいた方が安全では・・」
「駄目なの」
 セシリアは、首を振って、手でピストルの形を作った。
「1丁だけ?」
 指で20の形。なんと20丁も隠し持っているのか。どうも人民連合の仲間から預かっているらしい。銃ばかりではない。仲間のリスト、レーニンやマルクスなどの大量の書物、どれかひとつ見つかっても、ただではすまない。とくに連絡先を記したリストは、大勢の仲間の生死にかかわる。早く処分しなければ・・セシリアの瞳は、もうチンザノで霞んではいなかった。
「一緒に行こうか」
「無理よ。たくさん歩くのよ」
 少なくとも山沿いを10キロも歩くと判って、返す言葉が見つからない。いまのこの体力では、1キロだって歩けるかどうか?
 静寂を破る銃声が、また響いた。前よりも激しい。機関銃、手榴弾のような音もする。車のバックファイアの音も混じっているのか? 山の手や林の中から暗闇に乗じて左翼が必死のゲリラ戦を挑んでいる???
 バルパライソでもこれだけの銃声が響きわたるのだから、首都サンチャゴは・・・雨の中、激しい市街戦で、大勢の人が尊い命を失っているのでは・・・。

 クーデター発生、24時間後


第117回(6.6配信)443


 目覚めると隣りにいるはずのセシリアの姿はもうない。あれほどホテルを出るときは、声をかけてくれといっておいたのに。セシリアがベットから起きあがったのを夢うつつに感じた。きっと、あのとき出ていったのであろう。時計は午前10時を回っている。もう家にたどり着いたころか。それとも警戒の目をくぐり、急勾配のヤブをかきわけているのか。
 セシリアは、深夜、スモールランプの明かりで、ぼくのノートに短い詩を残してくれた。全部で5本。ちいさな花のイラストが添えてある。

 〜 茶色は神様のマント
     茶色はピエフィエノ(夢を見る?)色
       茶色は、あなたの瞳の色
        マロン(茶)は、わたしの恋の色 〜

「ねえ、なんでHしなかったの」
 カルメンがノートの詩を読み返しているぼくに話かけてきた。彼女は当然、ぼくとセシリアがHをすると信じていたふしがある。

 〜 わたしは池の中の魚
     もし翼があったなら、自由に飛べたなら
      わたしは、平和で幸福な世界へ 
       羽ばたいていけるのに 〜

 カルメンの不思議がる様子は、残念がっているようにも聞こえる。
 どうもぼくたちがHを始めたら、一緒に加わる気があったのでは、そんな憶測を感じさせる。

第118回(6.9配信)441

 フロアに行くとみんなもう集まってお茶を飲んでいた。
「レシッタ(読む)!」
 グローリアが新聞を渡してくれた。『エル・メルクリオ』紙。号外を感じさせる新聞を、争って買ってきたらしい。ゴルペ(クーデター)のあらましが、写真入りで大きく掲載されていた。
 グローリアの説明によれば、顔写真は、今度のクーデターの首謀者たちだという。
 アウグスト・ピノチェット(彼の名前を知ったのは、このとき初めてであった。その後、4分の1世紀にわたってチリの支配者になるとは夢にも思っていなかった)、グスタボ・リー、ホセ・メリノ、セサル・メンドサ。陸、海、空の3軍と警察の頂点にたっている将軍たちだ。
 炎上するモネダ宮や破壊された大統領の私邸、黒煙の中を飛び交う戦闘機、大砲を向ける戦車群。
 モネダ宮の中庭のようなところに多くの武器が並べられている。これらはすべてモネダ宮の地下室から発見されたと記載されている。
 ぼくは銃には詳しくない。どれが自動小銃で、どれがウインチェスタ、どれがカービン銃なのかわからない。でも軽機関銃、ライフル、ロケット弾発射機、迫撃砲、ダイナマイト、防毒マスク、防弾チョッキくらいの区別はつく。
 武器ばかりではない。地下室からは山積みされた小麦、砂糖、塩、チーズなどの食料品、多額の米ドル紙幣やエスクード、有名な絵画も見つかった。これはまだほんの一部、まだまだ武器や食料が大量に隠されていると書かれている。
「これが、アジェンデが用意した武器か?」
 尾崎がよこから覗き込んできた。
「そう書いてあるけど、本当かな」
「でっちあげさ。アジェンデを悪人にするための」
 尾崎の言ったことは、的を得ている。
 だが、ママやグローリア、イネスなどは「こんなに食料を溜め込んで」「現金もたくさんあるわ」と、クーデター直後は、アジェンデに同情していた彼女らに、悪い感情が芽生えている。
 臨時軍事政府によって、計算されたマス・メディア操作が国民の意思を思うがままに動かし始めた。
「ねえ、教えて、なんて書いてあるの」
 カルメンがにじり寄ってきた。だれも新聞を読んでくれないらしい。
「シー(いいよ)。えーと」
 写真を中心に知っている単語と身振りで説明を始める。まったく奇妙な気持ちだ。スペイン語を母国語とするカルメンにまだ勉強をはじめて1年もたたないぼくが、スペイン語の新聞を読んで聞かせるなんて思いもしなかった。


第119回(6.13配信)445

 ラジオは、ひっきりなしにしゃべっている。昨日とは打って変わって雄弁だ。
 グローリアが、ソファに寝転んでいる尾崎を引き起こしている。すぐ警察へ行けの催促だ。ぼくにも早く行けという。
「もう少したったら行くからさ」
「危ないわよ」
 たしかにグローリアの心配はあたっている。ラジオでチリ全土に滞在する外国人は、至急近くの警察署へ出頭せよと繰り返し放送している。それはまさに昨日、ちょっと思った外国人への弾圧、それが現実味おびて感じられる。
 人民連合政府は、過激派の外国人に門を広く開放した。彼らは亡命者、難民、学生、技術者、観光客などの名目で、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、ソ連、東ドイツ、北朝鮮、キューバなどからぞくぞくと入国している。その数は、1万5千人以上(日本大使館で読んだ雑誌より)と予想される。
 アジェンデ政権は、なぜ外国人をうけいれたのだろうか? 軍部のクーデターにそなえ、いざとなればテロや破壊活動を支援するためともいわれているが、真意のほどはわからない。
 正午ちかくになると、女の子たちが、噂を伝えに次つぎにやってくる。情報源は、いまだ健在らしいアングラ放送か?
 ・・・コンセプションで革命軍が編成されたって・・・
 ・・・南部で、農民が武器を持ってたち上がった・・・
 ・・・アルゼンチンの学生が、アンデスを越えてくるって・・・
 ・・・ペルーでも労働者が、ゲリラ戦のため、密入国したって・・・
 アジェンデ救援の噂が噂を呼んでいる(これらは、カルメンが新聞に載っていた地図をもとに身振りで話してくれた。なかにはボリビアの国軍が攻め込んでくるというのもあるので、かなりのデマが混ざっているだろうが・・・)
 ことの真偽はともあれ、国境の警備が、ぼくの想像を越える厳しさになっているのでは・・・と思えることだ。


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