チリ その3       次ページ  前ページ  トップ  


雨のサンチャゴ、吐く息は真っ白


第14回(6.3配信)447

7月15日(日)・・入国2日目・・午後6時。とうとうバスがサンチャゴの市内にはいった。アリカから約1600キロ、広びろとした砂漠を35時間。疲れた、疲れた。あれほどボリビア青年や税関員が止めたサンチャゴに来てしまった。
 当初の予定は午後8時着。初めての街、しかも戒厳令かどうかわからない街。遅くついたら何が起こるやらと心配したが、はやく着いてよかった。
 バスを降りると雨がビルの合間から、容赦なく降り注ぐ。アンデス山脈のすそ野、標高520メートルの大平原に広がる美しい首都、サンチャゴ。アリカからの砂漠が暑かったせいか、とにかく風が冷たく、寒い。
 女の子のところに行くトムと別れて、アルメダ通りを歩く。街灯が少なく、通りは暗い。歩いている人もまばら。
「静かな街だが・・・」 どこか落ち着かない。街灯の下、街角に分厚い外套姿の警官が立っている。尾崎や及川と一緒だから、まだいいものの、一人だと恐怖感が倍増しそう。(ぼくはこのとき、イスラエルやアイルランドの戒厳令=体験済み=を思い出して、比較していたと思う)
 激しい雨の中、10分ほど歩き、ホテルを見つけたとき、ホッとした。ホテル。セルバンテス(1人1泊500エスクード<1000円>) 
 ベットに横になるとさすがに疲れて、睡魔が襲ってくる。が、空腹で眠れない。入国後、バスで移動しただけで、すでに3日がたっている。旅仲間は、この国を”アリ地獄”一度はいったらなかなかでれない魅力の場所と呼んでいるが、どこにそんな魅力があるんだ。あと2、3日いて出国するか? ヤミドルが使えなければ、滞在する意味がない。われながら臆病だと思う。もう逃げ出すことで頭が一杯になっている。

第15回(6.7配信)443

午後7時過ぎ、 雨の中、ホテルで教えてもらった最高級のレストラン(名前は記載なし)に行った。なぜだかワーと奇声をあげてレストランに入った。客はみんな、ぼくたちを見つめていた。多分、いかれた野郎と思ったのだろう。ぼくたちは、一番高い料理を注文した。なにしろ、そうしたかった。
「これからは、みんなバラバラだな」
 及川の言葉がいまも残っている。そう、ぼくたちは、メキシコから約3ヶ月間、一緒に中米、南米を旅してきた。サンチャゴに着いたら、チームを解散することに決まっていた。これからは、一緒に行動してもよし、わかれてもよし。レストランの食事は、解散式もかねていた。
 おっと申し述べるのが、遅くなりましたが、ぼくは、この当時26歳。及川も同じ歳。尾崎は、一つ若い25歳。みんな気が強く、わがまま。会社なんか、とっくにやめてしまった一匹狼ぞろい。
 そんな個性豊かな彼らを押切って、旅のルートと滞在日数は、だいたいぼくが決めていたような気がする。それは、当時は、ぼくが英語とスペイン語が3人の中で一番うまかったからでは? 
 旅をするくらいの外国語の習得は、そんなに難しくはない。とくにスペイン語は、日本人には発音がやさしいようだ。
 疑問詞(いつ、どこでで始まる5W1H)、動詞(行く、食べる、持つetc)
数字(1から50ほど)代名詞(わたし、あなた、彼、彼女)、挨拶(おはよう、こんにちは)を覚える。過去形、現在形なんかは、時制の副詞を一緒に言えば通じるから無視。単語を並べ、カンを働かせ、辞書から単語を捜す。これだけでOK。困ることは、ほとんどない。
 ともあれ、怪しげなスペイン語を操り、土産物屋やメルカード(市場)の人たち、素敵な女の子に話かけるのに喜びを感じていた。

第16回(6.10配信)442

7月16日(月)・・入国3日目(交換義務金30米ドル。所持金1560米ドル)・・風邪は、あいかわらず悪い。昨日の雨でからだが冷えて、いっそう悪化したみたい。午前11時過ぎ、サンチャゴの日本大使館に行った。移動する旅人にとって、日本大使館は、連絡口として、たいへん便利である。家(親父から3通・・いつまで世界をうろついているのだ。6か月という約束だろ。いいかげんに帰ってこい、の内容。そうか日本をでてもう3年近くたっているのか?)、マーラ(アメリカのインデアナ州在住)からも来ている。オサム(ニューヨークで隣り同士の部屋)からも伝言・・・サンチャゴに着いたら、電話を・・とある。
 途中、街角の露天を覗く。皮製のバッグ(6000E:Eはエスクード)、皮ベルト(700E)、シャツ、ハンカチーフ、くつ下、できれば銀のペンダントなどそのうち買おうと値踏みをする。
 午後6時、タクシーで20分ほど。プロビデンシアの地区にあるレストラン『アルカソ』に向かう。そこは、シーフードを食べたいというぼくの希望でオサムが指定した場所である。ガイドブックによれば、プロビデンシア地区は、資本家(ブルジュア)たちの高級住宅が集まっている近代的な街。高級ブッテック、レストラン、劇場、ホテルが多いとある。その視線で見ると、通りが急に明るくなったように感じる。
 古い屋敷を作りなおした重鎮なふぜいのあるレストラン『アルカソ』。店内にビートルズの「イエローサブマリン」が流れていた。資本主義の曲は政府が規制していると聞いていたのに、ここは例外か??
 
第17回(6.14配信)441
 オサムは、すでに来ていた。なんと若い男女のグループと一緒である。女の子は、リリー、マリッア、イザベル、ともに看護学校の学生。中南米の3C【Costa Rica,Colombia,Chili(コスタリカ、コロンビア、チリの最初のアルファベット)】の女性の美しさは、随一。評判にたがわず、3人ともうつくしい。それともう一人、Oさん(名前は思いだせない)チリの日系2世。日本語は、日本人と同じに話せる。
 ボーイがメニューをもってきた。英語とスペイン語、フランス語でも料理名が記載されている。どうせオサムのおごりだ。白ワインにロブスターの豪華番を注文。ぼくたちのテーブルでは、スペイン語と英語、日本語が入り乱れ、不思議は世界になった。サンチャゴの学生はどんな生活をしているとかテレビのチャンネル数はとか、たわいもない会話の合間をみて、
「オサムよ。もう何日滞在している?」 
 一番気になっていた質問をした。
「1か月くらいかな」
「1か月も! 毎日、何をしている?」
「映画を見たり、デスコ、競馬、カジノ、そうそう乗馬もやった」
「金は、ブラック・マーケット?」
「おいおい。英語使うなよ。どこで誰が聞いているか、わからないからな」
 ヤミ交換の場所を聞くのは、あとにした。場所により、日によって交換率が変わるヤミドル。法の網をくぐって、1ドルを10数ドルにするのは、大仕事だ。
「これからどうする?」
「わからない。ここは寒い、冬といえど寒すぎる」
「じゃあ、バルパラに行けよ。暖かいし、ニューヨークで会った連中が大勢いるよ」
 バルパラとは、バルパライソのことである。サンチャゴの西150キロにあるチリ最大の港町。気候も温暖、ラブロマンも海の幸も一杯あふれていると聞く。オサムの口から懐かしい名前(谷や田中)もでてきた。みんな南米に行きたくて、ニューヨークのレストラン(皿洗いや掃除、ウエーターなど)で苦労して金を稼いだ連中だ。 

第18回(6.17配信)440
 マリッアとリリーが、急に立ちあがって、手を叩きだした。ギターを片手に男たちがステージに現れた。生バンドが始まる。ギターとケーナ、民族楽器の音色が響きわたる。
「だれの曲?」
「ビクトル・ハラ」 
 サンチャゴへ行くバスの中であったトムが、たしか聞きたかった曲だ。曲の意味がわかりそうでわからない。Oさんが、訳してくれた。
♪♪♪マリア
     窓を開けて
       あなたの家の
         すみずみまで
           日が照らすように♪♪♪
「ここの店は、リリーが好きでね」
「キラパジュンの歌が聞けるしな」
 Oさんの説明によれば、キラパジュンは、ビクトル・ハラ(チリの国民的英雄。南米を始め、世界中に幅広いファンを持つ)をリーダーとするフオルクローレ・グループ。チリの社会主義を守る新しい歌『人民の歌』を広めている。となるとどこでも彼らの曲が聞けると思えるが、どうもそうではない。フオルクローレ(民謡)が流れると席をたつ連中もいる。特にこのプロビデンシア地区は資本主義復活を目指す資産階級の巣。レストランも大半が西洋の音楽を演奏している。アジェンデ大統領の評価も「好き、みんなを平等に扱うから」「嫌い、すこしも生活がよくならない」と、半々に分かれる。
 アジェンデが政権をとったとはいえ、社会主義政権は樹立後まだ3年もたっていない。経済的にもうまくいかず、資本主義の復活を叫ぶ声も強い。
♪♪♪マリア
   ごらんよ 外を
     わたしたちの暮らしは
       暮らしとはいえない
         いま あなたの瞳は
           幸せを見つけるために
             光りに満ち  ♪♪♪(Oさんの訳を少しあとで補足)

 いまやビクトル・ハラの歌は、社会主義政権を守る‘シンボル’的な存在となっているらしい。

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