第126回(7.7配信)440
何時ごろだろうか? しばらく静寂を保っていた通路が、慌しくなった。軍靴の乾いた音が近づいて来た。雑談をしていた男たちが急に押し黙った。横になっていた男たちが、身を起こした。鍵を開ける音、叫び声が聞こえる。それらの音は、だんだん大きくなる。みんなソワソワし始めた。武装した兵士の姿が、格子越しに現れた。
向かいの扉が開けられた。何が、始まるのか?
「エスピーサ・ゴドイ、ビクトル・ロハス、セルシオ・・・バラーサ・・・」
兵士のかすれた声が聞こえる。名前を呼んでいるのだ(もっと、たくさん呼ばれていたが、頭に残ったのは、数人のみ)
男たちが、次々とひっぱり出される。ほんのわずかな時間なのだろうが、すごく長く感じられる。兵士に挟まれながら、わずかな抵抗をしていた男たちが、遠ざかる。こちらの部屋は、幸いにも、だれも引っ張られなかった。留置所が再び沈黙に包まれた。
だいぶたってから、大きなため息がした。
「オオー」
誰かが泣きはじめた。
胸があつくなり、自然と涙が出て来た。
第127回(7.11配信)440
尾崎の声で我にかえった。少し気が遠くなっていたようだ。頭が重く、気分が悪い。
いつのまにか、男がひとり、ぶち込まれていた。ゼイゼイとあえいでいる。暗くてよくわからないが、口から血をだしているようだ。シャツも破けている。
本当かどうかわからないが、セメントをつめたゴムホースで殴られたと、男たちが、手ぶり身振りで説明してくれた。
彼らによれば、このくらいはまだ手ぬるい方で、昨晩などは、小銃の台尻で頭蓋骨を割られたり、歯を全部抜かれた者などがいて、地獄の有り様だったらしい。別の留置所では(どうやって情報を得るかしらないが・・・)鉄棒に手足をしばられて、ペニスと尻穴に電気ショックを与えられた奴もいるとのこと。
君たちは、釈放になるだろうから、この真実を世界に伝えて欲しいとも、彼らのひとりが言う。
軍部の横暴な仕打ち、兵士たちの残忍な行為に彼らの怒りが集中している。
きっと彼らは、サンチャゴをはじめ、各地で繊維や金属加工、化学薬品、電機部品などの工場労働者が闘っている。必ず勢いを盛り返してくる。人民連合の力強い足音が、この地下道まで響く。必ず助けてくれる、それまで抵抗を続けるのだ・・・そんなことを心のささえに、この恐怖と闘っているように感じる。
第128回(7.14配信)441
どこからか鈍い音が響いて来た。
ヒソヒソ話をしていた男たちが、急に耳を澄ました。
「銃声だ。かなり近い」
「レジスタンスが、警察署を襲っている?」
「まさか?」
また、銃声がした。等間隔に聞こえる。尾崎と顔を見合わせる。
「射殺!」
ゾックとした。地上では信じられないことが闇にまぎれて起こっている・・・。いや、思いおこしだ。抵抗のできない人たちを裁判もせずに射殺するなんて。あれは兵士たちがゲリラ戦に備えて射撃練習をしている。本当にそう信じたい。また銃声がした。今度は、かなり激しい。
「メンティーラ(うそだろ)」
「ケ、パサ(何が起こったんだ)」
口々に叫んでいた声が、急に静かになった。
突然、はす向かい部屋から、グワーという叫び声がした。男が頭を壁に力まかせにぶつけている。とめる手をふり払って、鉄格子から顔を出した。ゲラゲラ笑い出した。狂っている。気がふれた・・・。男を見ていると、こちらまでおかしくなりそうだ。
「見るな。声をだせ! 」
誰かがいった。
「ルッチャンド(闘おう)」
「クレアンド(創ろう)」
狂気の世界に引き込まれないための大合唱が始まった。
第129回(7.18配信)437
〜パン屋さんに平和を
粉屋さんに平和を
恋人たちに平和を
・・・・・・・
・・・・・・・ 〜
ぼくには、これ以上わからない歌が始まった。
「俺たち大丈夫かな。もう耐えられない」
尾崎が疲れきった声をあげた。
「あしたになれば、出してくれるよ」
「ほんとうかな。日本大使館に連絡をしようよ」
「どうやって? 」
「このまま殺されたって誰にもわからない」
「それはないと思うが・・・」
「ものには、はずみってものがあるからさ」
確かにそうだ。さっきの銃声が処刑とすれば、兵士たちは上からの命令とはいえ、簡単に仲間の命を奪っている。とても普通の神経ではない。彼らにとってチリ人でない外国人を殺すことなど、なんともないではないか? 外国人だ。特別なんだと気軽るに考えていると命を奪われることになる。
誰かいないかと通路を見るが、誰も見えない。いま叫んでもどうしょうもない。
歌声は、いつの間にか途絶え、みんな身を折り曲げて、静かになった。
腰を降ろすと疲れが、ドッときた。しばらく忘れていた寒気が襲ってきた。病気が悪くなりそう。
けさ起きたときは、こんなことになろうとは、思いもしなかった。
セシリアはどうしているだろうか?
軍事政権は、男女の区別なく反抗分子とみなされる者を刈りだしている。うまく身を潜めてくれているといいけど・・・・。
ぼくたちとて、安全ではない。外国人は、みんなコミニストであるかごとく、兵士たちは吹き込まれているのでは・・・。廊下の明かりが暗くなり、闇が広がる。ヒタヒタと得体のしれない恐怖が迫ってくる。