第130回(7.21配信)438
ハッして目覚めた。ここはどこだ? 頭がやけに重い。喉がヒリヒリと痛む。尻に冷たいコンクリートの床が張りついているみたいだ。
夜どおし、咳払いや唸り声、つぶやき、そして、男たちが連れ出されるたびに、聞こえたビクトル・ハラの『アマンダの思い出』・・・
〜アマンダ
ぬれた道を、走ったお前
マヌエルの働く場所へ
降り注ぐ雨の気にかけず
何も悪い事をしていないのに
たくさんの人が山に送り込まれ
そして帰らなかった、
マヌエルも・・・・〜(歌詞で不明なところは、あとで書き足した)
銃声が聞こえるたびに、隣りの男の体が触れるたびに、目を開けていたように思うが・・・・・少しまどろんだみたいだ。
「おーい、生きているか?」
尾崎のかすれた声がした。
「やっとな。腰が痛い」
「俺も。しびれている」
「あーあ、いつ出してくれるのかな?」
「外出禁止令は、もうとっくに終わっているぞ」
鉄格子に顔を出して廊下を見る。誰もいない。このまま待つしかない。
午前8時か9時か、廊下が慌しくなった。食事が運ばれてきた。スープにパン(どんなスープだったか、パンだったのか、記憶のはるかかなた、まったく、覚えていない)
なにしろほとんど食べれない。
「ポルファ・ボール、テレホーネ、ハポネス・エンバセダー(お願い、日本大使館に連絡して)」 と、見まわりに来た若い兵士に頼むが、首を振って取り合ってもらえない。見まわりの兵士が来るたびに、同じことを言う。
とても国の助けなどあてにはできないが、そうでも主張していないと忘れ去られてしまう。
何人の兵士に同じことをいったのか? やっと、襟にバッチの多い兵士が、ボスは、いま出かけているから、帰ってきたら話しておくと応えてくれた。いつ帰ってくるか、重ねてきくが、兵士は、わからないの一点ばり。
この分だと、今日か明日か、あるいはもっと遅れるか、長期線だ。もう焦ってもしかたがない。この汚水の臭いが漂うここで、横になって、静かに待つしかないのか。
第131回(7.25配信)441
突然、「ハポネス」の声がした。
兵士が数人、鉄格子越しに見える。彼らのひとりが、出ろと合図をしてくれた。
「体に注意してな」
「もうつかまるなよ」
「早くチリを離れろよ」
明日の命かも知れない彼らが、こんな言葉をくれる。命を大切にといい返そうとしてもスペイン語がでない。とてもそんな心の余裕はない。ただただ手を握るだけだ。
一緒に出されたのは、老人や子供を含めた7,8人(もう少しいたかも?)。
地下の階段をのぼりきって、外に出ると日差しが目をさす。外はこんなに晴れていたのか! 春めいた風が頬をなぜる。澄んだ空気のうまさが身にしみる。地下に閉じ込められている人たちにもこの空気を吸わせてやりたい。
リックを返してもらっているときだったか、没収されていたチリ紙幣を受け取っているときだったか、さだかではないが、尾崎が、さっきはひや汗がでたという。ぼくにはわからなかったが、ここに来る途中で、彼はおびたたしい弾痕、血しぶきのあとらしき黒ずんだ壁を窓越しに見た。彼はてっきりそっちに連れていかれると思ったらしい。
ふらふらしながら警察署を出ると、大勢の群衆が周りを取り囲んでいた。釈放されるのを待ちわびていた肉親や知人たちだ。
「ウワー」
拍手と歓声が沸きあがった。
「リブレ、リブレ」
一緒に釈放された人たちが口々に叫んでいる。リブレって何んだ。そうか、自由だ。間違いなく釈放されたのだ。
リックを担いで数歩もいかないうちに、グローリアが尾崎に抱き付いてきた。プエルトのママやイネス、カルメンの姿も見える。
「よかった。昨日も来てのよ」
「はやく、出してあげてって」
彼女らは、もし今日、釈放されなかったら花町じゅうから署名を集めて嘆願するつもりだったらしい。ママのイネスもカルメンもしっかりと抱きついてきた。みんな涙ぐんでいる。
朝はやくから、なんども押しかけたことを聞くにつれ、涙があふれてきた。
ホテル・ヘラスコでも、イザベルおばさんが、しっかり抱きしめてくれた。
(つかまっている間、日記帳は、手元にはなかった。あとで思い出して書いているため、思い違い、記憶違いがあるかもしれません。いま思っても、留置場でのことは、夢のような出来事でした)
第132回(7.28配信)439
9月15日(土)・・入国66日目(交換義務金1320ドル、所持金1240米ドル)・・正午過ぎ、グラディとスザンナが、ホテル・ヘラスコに来てくれた。警察署に連行されたと聞いて、たいへん心配していたという。
ぼくの姿を見て、安心するとすぐに、質問をしてきた。
「とられたものは?」
「お金とか?」
「ディネロ(金)は、大丈夫だったけど、クチージョ(ナイフ)を取り上げられた」
「・・・」
グラディは、スザンナに何かいっている。万能ナイフ(一つで7つの働きをする)、グラディが、たいへん欲しがっていたものだ。こんなことになるんだったら、早くあげておけばよかった。チリを出るとき、渡すと約束をして、それが果たせず、悪いことをした。
そうこうしているうちに福岡さんもあらわれた。
4人で食事に出かける。食事中、彼らは一応に、まだ、白目の部分が黄色い、救急病院は、土曜日でもひらいているから、いまから行こうという。
救急病院は、貨物駅のそば、ディスコ・ホリブルから山の手に、すこし上がったところにあった。
病院内は、クーデター勃発した後、数日間は、流れダマがあたり重態に陥った人、棍棒で怪我をした人、投石があたり、体のあちこちを紫いろにした人々が、廊下まではみ出し、大混乱をおこしていたらしいが、見るかぎり混乱は、おさまっている。
外人だからだろうか、数分で診察室に呼ばれた。40歳前後の、やさしい顔つきの医者が、ぼくの目と腹を問診して、すぐにグラディと福岡さんになにかを言った。
福岡さんが、医者の言葉にうなずくと寄ってきた。
「すぐ日本に帰って方がいいってよ」
そんなことできるわけがない。ヤミドルの壁が邪魔をしている。
「できないなら、、ここで3週間、安静に過ごす場所、海の見える部屋を紹介するってよ」
これから3週間もこの国で、安静・・・・。とんでもないことになってしまった。
グラディが、医者と何か話し合っている。
「彼女が、自分の故郷で静養させるって言っているぞ。どうする?」
「どうしようか?」
「この街にいては、危ないわ。いつまたあんな目にあうかわからない。ラ・カレーラに行きましょう。私の家で静養すればいいわ。食事の面倒は見てもらえるし、警官も友達よ。安全だわ」
彼女の田舎、ラ・カレーラがどこにあるのか知らないが、こうなったら彼女にすがるしかない。この病気は、栄養と休養が一番というから、いまより悪くはならないだろう。