チリ その35   次ページ  前ページ  トップ    


第141回(8.29配信)441


 9月24日(月)・・入国75日目(交換義務金1500ドル、所持金1190米ドル)・・ラ・カレーラ午前8時出発、100キロほど離れたバルパライソには、午前10時前に着いた。ホテル・ヘラスコに行くと、マリッアおばさんが、大歓迎をしてくれた。部屋は、前に田中が泊まっていた33号室。部屋代は、300エスクードに値上がりをしているが、ぼくには、前の値段200エスクードでいいと言ってくれた。
 リックを置くとすぐに街に出た。始めて訪れたところのように感じる。
 ビルの壁や電柱になぐり書きされていたMIRの文字や政治的なスローガンは、跡形もなく消されている。小型トラックの荷台には病気のときあれほど飲みたかった牛乳缶が積まれている。ベーカリーには、パンが並び、雑貨店にはトイレット・ペーパーや石鹸、シャンプーなどの日用品が山積みになっている。電機屋のショーウインドーにもテレビ、ラジオ、プレイヤー、掃除機などがにぎやかに顔をそろえている。
 軍事政権は、『売り惜しみを堅く禁止する。違反者は、厳罰に処する』の法令をクーデター後、すぐに公布した。
 はじめは、投機業者たちはこの法令を気に留めず、半ば無視していたという。
 しかし、タバコを大量に買い締め、多額の利益を得ていた仲間が、告発され、即座に処刑。その後、電機屋、雑貨屋などが、ぞくぞく処刑され始めたニュースに直面して、震え上がった。
 身の危険を感じ、見つかったらたいへんとばかりに、売らずに、値が吊り上るのを待っていた商品が、倉庫から店頭に次々と移動してきたのだろう。
 メイン通りのショーウインドだけが、輝いていると思っていたが、さにあらず、裏通りのショーウインドも見違えるほどだ。よくぞ、これだけ商品があったなと感じるほどである。
 アジェンデ政権のときこれだけ物をだしてくれていたら、経済が活気づき、クーデターは起こらなかったのでは・・・とても残念だ。

 
第142回(9.1配信)443

 しばらく海岸線を歩いてから、花町に踏み入れた。
「帰ってきたの。ウワー」
 ホテル・プエルトの階段の登り口で、カルメンと鉢合わせた。
「いよ!」
 尾崎が飛び出してきた。
「久しぶりね」
「もう目は、黄色くないわね」
 グローリアもママも出迎えてくれる。やはり古巣はいい。バルパライソは心が温まる。ひょっとしてセシリアがいるのでは・・・ホールに入るなりカウンターやソファを見渡したが、やはり無駄であった。
「あれからバルパラはどうだった?」
「たいへんだったよ。兵士が4人殺され、高圧線が切断、爆弾がほうぼうに仕掛けられ、毎晩装甲車やパトカーが走り回る。夜は息を潜めているしかない。それにな」
 尾崎は小声で、ボソッ話した。それによれば、
 クーデターが起こってから毎晩のように兵士たちが花町に押しかけて来ている。
『付き合いたいなら、お金を払ってからしてよ』
『ただにしろよ』
 こんな会話が、いつもかわされ、結局『お前をぶち込むくらいは簡単だぞ』と脅され、女の子たちは、いいなりになるしかなかったらしい。
 いまは、花町の女の子たちが、訴えて、すこし下火になったらしいけど・・・。いまだにイネスやカルメンなどは、彼らが現れると最低な奴らだとムッとして、すぐに姿を消してしまうという。

「ところで及川は、なんでつかまったんだ」
「電話で話したんだけど、密告といっていた」
「えっつ、密告!・・・」
 及川が、踏み込まれたのは、クーデターの2日後(外人は出頭するようにと放送を繰り返していたとき、ぼくらが捕まったときの同じ日?)らしい。
 ビニア・デ・マルの警察署に連行されるなり、他の捕まった男たちと同様に、いきなり警官たちに殴られた。
「俺は、日本人だ。なんでこんな目に合わすんだ」訴えたのだが、まったく無視されて、拷問室にぶち込まれた。そこですぐに裸かにされ、ペニスが傷つくほど強く尻を軍靴で踏みつけられた。「お前は、アジェンデ派だろ」と体に電流を流され、まさに歯まで抜かれそうになったとき、拷問が中止になった。
 外出先から戻ったエレナが父親と駆けつけてくれたからだ。
「彼は、何もしていないわ」と泣き叫ぶ彼女と、署長に金をつかませた父親のおかげで危ないところを助けられた。及川は、いまだにそのときのショックが抜けず、部屋に閉じこもったきりらしい。

「それと・・・福岡さんからの情報だけど・・・」
「なに?」
「オサムがスタジアムに押し込められた!!」
「嘘だろ。あいつ密出国に失敗したのか?」
「詳しいことは、わからない」
 なんということだ。谷や田中と一緒に逃げたはずのオサム、安全だと思っていた奴が、捕まっている。
 サンチャゴの国立スタジアム(サッカー場)には、現在1000人以上が収容されているという。野外の観客席に10人単位でグループごとに座らされ、隣りの者とは話もできず、銃に怯えながら、毛布にくるまり、夜の厳しい寒さに震えている。彼らは、もっとも過激な政治犯として、裁判もなく、つぎつぎと銃殺されていると聞く。その中にオサムがいる。 考えるだけで体が震えて来る。

(あとで知ったのだが、このときすでに、処刑場と化している国立スタジアムでは、革命の旗手、ビクトル・ハラが処刑されていた)



第143回(9.5配信)444

9月25日(火)・・入国76日目(交換義務金1520ドル、所持金1190米ドル)・・最高時1ドル(230円)あたり2100エスクード(4200円)、18倍以上にもハネ上がっていたヤミドルが、暴落を始めた。いまは、1ドルで1500エスクードくればいいほうだ。アジェンデの私邸から、多量の米ドル紙幣が発見(?)されてから、ヤミドルへの風当たりが、いっそう強くなったようだ。
 夢の国が、崩壊を始めた。
 逃亡ルートは、どうなっているのだろか? 南の方の情報はまったくはいらない。
 夕方、銃声が鳴り響いた。急にセシリアのことが、あんじられる。彼女の名前をプエルトで出すと決まって、みんな口をつむぐ動作をする。
 その名はここでは、タブーだという。
 尾崎によれば、クーデターが起こった直後から、何回も警官たちが、彼女を捜しに来た。危険人物としてリストに載っているらしい。そのため、店は彼女の私物はもとより、セシリアの名前が書いてあるのは、同姓別人であっても、すべて破棄。彼女とのかかわりをなくし、なんとか言い逃れをしている状態だ。みんな彼女のことを忘れようとしている。
 だが、彼女と親しい友達から、それとなく情報が伝わってくる。バルデビアの故郷に引きこもって家族の世話をしているとか、ゲリラに加わって、アンデスの山中で銃を持って戦っているとか、捕まって留置所にいるとか、小船で恋人とペルーへ逃げたとか・・・噂は流れるが確かなものは、何もない。
 
 彼女の白く、引き締まったきれいな顔、くるりとうしろを向き、兵士たちの前に立ちふさがり、銃を向けたセシリアの後ろ姿、長い黒髪が風になびき、いきなりの銃声、悲鳴、爆発音、鼓動が高まり目が覚めた。午前2時を回っている。彼女のことを思いながら寝てしまったらしい。汗をびっしょりかいている。


第144回(9.8配信)444

9月26日(水)・・入国77日目(交換義務金1540ドル、所持金1190米ドル)・・午前10時過ぎ、ホテル・ヘラスコの向かい側のコーヒーショップにいると、「よおー」とヒロが手を上げて、尾崎と現れた。髪の毛を短く刈り込んでいる。
「病気したんだってな。プエルト・モントでギリギリまで待っていたんだぞ」
「行こうとしたけど、どうしても体が動かなくて・・・それより、その頭はどうしたんだ?」
「まあ、いろいろあってな」
 ヒロは椅子にドッカリと腰を沈めて、アルゼンチンのタバコを勧めてくれる。別れたときよりも頬がこけてみえるのは気のせいか?

 ヒロは、コーヒーを飲み、一息いれると語り始めた。
 それによれば、脱出ルートは、まだ雪が多くマイクロバスが走れないところがあった。みんなバスを降り、10キロほど雪道を歩いた。足を雪にとられ、国境に着いたときは、もうへとへと。情報どおり、入出国管理所では、老人が出国スタンプをいとも簡単に押してくれた。まったくあっけないほどだった。それから、谷とクリスティーナは、ブエノス・アイレスに、田中はパタゴニアに、ヒロとオサムは国境沿いに少し北上して、その日のうちにチリに再入国した。
 クーデターが起こったのはそれから2日後、サンチャゴに戻るオサムと別れてプエルト・モントへ引き返した翌日のことだった。
 プエルト・モントの市内は、戦車やジープが走りまわり、駅や市庁舎には、ほぼ、3メートル間隔に兵士たちがたちはだかり、家々は徹底的な捜索。夜は想像を絶するほどの激しい銃撃戦。ホテルの窓からは、いくつも火の手があがるのが見えたという。
 次の日、ともかくサンチャゴに行ってみようと路線バスを乗り継いで、北上。コンセプションにはいる手前で、いっせい検問をうけた。
「日本人が、なんで、こんなところに」
「ツリスタ(旅行者だ)」
 という言葉も無視され、危険分子と間違えられて、そのまま、留置所へぶち込まれた。見まわりの兵士に、怪しい者ではない、ただの旅行者だと、どんなに説明しても、とりあってもらえない。ヒロの話を聞いていると、まったくぼくと尾崎が体験した状況と同じだ。


第145回(9.12配信)442

 ヒロが捕まったコンセプションは、アジェンデの支持基盤だ。そのため、今回の軍事クーデターには、多くの若者が銃を持ってたち上がり、過激に抵抗した。留置所は、そんな若者たちが大勢押し込められているため、連夜、血が飛び交う壮絶なありさま。たくさんの命が闇からヤミへ消され、ヒロもあわやの場面に何回も直面、なんとか日本人というだけで助かった。
 すぐにチリを離れる、再入国はしない、髪を短く刈り上げる(軍事政府に忠誠を尽くすため、若者たちは、長い髪の毛を短くし始めた。ヒロも忠誠を要求されたのだ)の条件で、やっと釈放。捕まってから、8日もたっていた。
 サンチャゴでは、日本からの特班員(新聞社?週刊誌?)の取材も受けたらしい。
 オサムのことは、取材後、彼の下宿先に電話をして、知ったという。
「なんでオサムは、捕まったんだ?」
「奴の恋人が、アジェンデのシンパだったからな・・・」
 始めてサンチャゴに着いたとき、オサムとブルジュアの集まっている地域、プロビデンシアで会ったときのことを思い出した。あのとき、紹介された女性(リリー、マリッア、イザベル)たちはどちらかといえば、アジェンデ派。たぶん、その線から捕まったのでは・・・。
「俺たちも注意した方がいい」
 ヒロが、ポケットから折りたたんだビラを出した。
 何が書かれているか、ぼくには正確には、わからない。が、ヒロがチリに長年住む友達に訳してもらったのによると

『チリ国民に告ぐ。
 軍事政権に抵抗するものを見つけたら、すぐに通報せよ。チリに在住する外国人 を知っていたら、すぐ警察署に連絡せよ。政権に反対する外国人を一掃せよ。抹殺せよ。
                                         ・・・ 戒厳令司令部』

「こんな恐ろしいビラが、毎日、軍部のヘリコプターから、蒔かれているんだぜ」
「こうなったら、日本大使館に逃げ込むか」
「・・・・」
 軍部の弾圧が始まっていらい、アジェンデ派(共産主義者?)たちは、パナマやメキシコ、キューバなどの大使館に逃げ込んでいる。その数は、2000人以上だという。狭い大使館の敷地で、チャーター機による国外脱出を、いまか、いまかと待っている。
 ぼくたちにいま以上の危険が迫ったら・・・日本大使館は、サンチャゴのビルの一室。あんな狭いオフィスに寝泊まりできるわけがない。サンチャゴの郊外にあるであろう大使館公邸とて行ったこともない。住所を聞いて、捜したとしても、逃げ込む理由をどうするか。・・・・・・不可能だ。


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