第157回(10.24配信438)
「戒厳令は、午後8時からですよ。夜は、出歩かないでください。南に行ってはいけませんよ。汽車も動いていません」
大使館では、なんども注意してくれたが、とりあえずセントラル・アルメダ駅に行ってみた。
なんと運がいいのか、ちょうど午後5時発のラピド(急行)が、南に向かうという。1等切符1250エスクード(5000円)で購入。チャイナレストランで50米ドルを両替(ヤミで1ドル1000エスクード、正規の銀行では900エスクード。その差、僅か100エスクード。日本円で24円)。もうヤミドルの威力は、ほとんどなくなってしまった。
汽車の発車時間まで、町中を歩く。クーデターで物資不足は、解消されたと思っていたのに、一歩路地に入るとパン屋や肉屋の前には、行列ができている。物不足が解決されるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ
「モネダ宮はどこですか?」
日本人の旅行者に尋ねられた。
彼は、ぼくらと同じようにメキシコからチリを目指して南下して来た。
「入国するのに、髪の毛をばさり切られましたよ」
「政権が変わったからね」
「おまけに2日しかいないといったのに、100ドルも両替させられましたよ」
彼は、ヤミドルでの生活を楽しみにしていたのに・・・もっと早くくればよかったと、さかんに残念がっている。彼の仲間たちは、チリには入国せずに、みんなアルゼンチンからブラジル方面に向かったという。
いまのぼくらの不安、立場を思えば、彼にとって遅れて入国したことが、ヤミドル生活を体験せずに、かえってよかったかも・・・。
ベルが、リーンと激しく鳴り始めた。トランクやバック、おおきな荷物を押した人たちがホームを足早やに過ぎる。
「プエルト・モント行き列車・・・」
「コンセプション・・・・」
せわしい構内アナウンスの合間をぬって、「ナランハ、ナランハ(オレンジ、オレンジ)」と駅の売り子が声を張り上げる。『軍事政権、万歳! ピノチェット、万歳!(多分こんな内容であろう)』と赤でかかれた横幕の前で、たくさんの兵士たちが、ホームを行きかう人たちに鋭い視線を浴びせている。
午後5時10分過ぎ、列車がゆっくりホームを離れた。
いよいよ南に向かう、脱出ルートへ向かう!
●途中から読まれたり、すでに忘れてしまった方へ・・・
日記の日付、滞在日数の次にかかれている交換義務金ですが、これは、チリ政府が、外貨獲得とヤミでの交換を取り締まるために決めた法律です。1日滞在するとすべての旅行者は、最低10〜20米ドルを必ず銀行で両替し、国内で使い切らなければなりません。出国するときに、たとえば10日滞在したとすると、たしかに10日分の滞在費を銀行で両替したという証明書(各銀行で発行)をみせなければなりません。もし3日分たらないとするとその場で強制交換を迫られます。強制交換したチリの貨幣・エスクードは、他の国の貨幣への再交換(貨幣価値がなくなるのを恐れているため)はできません。紙くずになってしまいます。
ぼくが入国したときは、銀行での両替を1とするとヤミ市(レストランや土産物屋、貿易関係の事務所など銀行以外の場所)での交換は、その10倍以上(自国の貨幣はインフレで貨幣価値が下落するのを恐れて、みんな安全なドルをもとめていたため)の紙幣が手にはいります。当然、10倍以上に膨れ上がった紙幣で、10倍以上の贅沢をしたいですよね・・・(チリ政府は、この現状を取り締まりますよね。その取締り法が、交換義務法・交換義務金です)
ぼくの場合は、この時点で、85日も滞在しています。交換義務金は、1690米ドル(そのうち、銀行の両替証明書は、150米ドル分しかありません)。所持金(もっているお金)は、1050米ドルほど。国境で所持金を全部両替したとしても、500米ドルは不足してしまいます。これだけの金額が不足となると、刑務所行きは避けられません。これより少ない金額(100米ドル以下)が不足して、刑務所にはいっている外国人がたくさんいるのが現状です。
したがって、もう密出国するしか道が残されていないのです。
第158回(10.27配信)440
南は危険だという。どの程度危ないのか。これから向かうコンセプションからプエルト・モントまでは、アジェンデの支持基盤。アジェンデを崇拝する人が多い。クーデター直後、ビルやバス・ターミナル、駅構内、車などへ仕掛けた爆弾があちこちで爆発。とてもは激しい市民兵と軍隊の市街戦が爆発音と機関銃の乱射音の中、展開されたと聞く。
列車が動きだしてすぐ、脇をリックを担いだ男が通った。リックの背に日本の国旗・日の丸が縫い付けられている。ぼくたち以外に日本の若者が危険な南に向かう!・・・それも1人で・・・勇気のある奴・・・オッ、ヒロじゃないか?
「おーい、ヒロ!」
「おー、偶然だな」
前の車両に行こうとしていたヒロが引き返してきた。ぼくたちに会っても嬉しそうでなく、どことなくソワソワしている。
「どこに行くの?」
「コンセプション」
ヒロは、コンセプション(サンチャゴとプエルト・モントの中間あたり)の刑務所で捕まっているW氏に会いに行く予定だ。W氏は1年間以上、ヤミ市・ブラックマーケットだけでヤミドル交換をし、脱出に失敗してしまった。刑務所暮らしはすでに8か月。ヒロはクーデターでさぞ刑務所の食事が貧しくなっているだろうとオレンジをさし入れに行く途中だった。
W氏が、もし大勢の政治犯が捕まり、送られているらしいドーソン島やサンタ・マリア島に移されるなら、そこにもリックにオレンジを一杯積めて持っていくともいう。こんな非常時になにが彼をそんなにかりたてているのか・・・?。
「俺、ここにいたいけど、前の車両に移るね。どうも尾行されているみたいなんだ。お前らを巻き込みたくないから」
仲間と間違えられて、捕まりでもしたらと、ヒロは心配をしている。たぶん車両の後ろから来た彼は、ぼくたちの存在を知っていて、声もかけずに通りすぎようとしたのでは・・・。
まったく彼は、自分の身の危険もかえりみず、人の心配をしている男だ。W氏に会ってから、成りゆきしだいでは、北のアントファガスタからの脱出をこころみるらしいが・・・
うまくいって欲しい。
第159回(10.31配信)441
列車はサンチャゴを離れて田園地帯を走っている。
アンデス山麓から森林が広がっている。麦畑を横切る小川にアヒルが泳いでいる。馬が、首をたれ、残雪の間に芽生えた草を捜している。牛が重そうな荷車を引いている。家路を急ぐ数10匹のヒツジの群れ。煙の立ち昇る農家の赤い屋根、もうすぐ日が沈む。
時間がゆったり流れる、この牧歌的な風景のどこに危険が潜んでいるのか?
バルパライソなどに滞在せず、もっといろいろチリ内を旅した方がよかったのでは・・・
「この国を出たらどこに行く?」
尾崎が聞いてきた。
「わからない」
「俺はとりあえずサンパウロに行くよ。親戚がいるんだ。しばらくして金ができたらまた入国するよ。グロリアに会いたい。お前もそうしろよ。セシリアのことが心配だろ」
「・・・・」
セシリア、常に胸にひっかかっていた名前だ。
いつだったか、彼女と、丘にそびえる教会を背に海を眺めたことがあった。
〜ちっちゃな池の中のちっちゃな魚
ちっちゃな魚が自由になって
海のふところにいだかれたら
なんと幸福で平和なのだろう〜(日記に残っていたメモを再現)
こんな意味の短い詩を口づさんでいたセシリアが『ねえ、私が日本へ行きたいと言ったら、連れていってくれる?』と、いきなり首に抱き付いてきた。かなり酒がはいっていたのに瞳は、はっきりしている。とっさに返事ができない。金を送ってもらっても、一緒に日本に帰り、彼女と生活したいと思っていたのに、いざとなったら何かが邪魔をした。
『ブロマ(冗談よ)』セシリアは黙っているぼくに笑いかけるとフッと横を向いた。
あのとき彼女は、ぼくの気持ちを試したのではないだろうか。
車窓から、落ち行く夕日を追いながら、大きな宝石を失った気持ちに陥ってしまう。
第160回(11.3配信)441
午後8時をまわった。戒厳令の時間だ。この時間になると列車は、もよりの駅でストップしてしまうのではと案じていたが・・・。列車は、闇に包まれた田園地帯を、車体をゆらしながら南に向かっている。
空腹を覚えて後ろの車両に連結された食堂車へ向かった。
レジの脇には4人ほどが席空きの順番を待っている。食堂車のテーブルは、人でうまり、半数以上がアグア(水)を飲みながら料理を待っている。みんな話もしない。列車の振動と皿やホーク、ナイフのこすれる音が、肉の焼ける匂いが漂う中で、かすかに響く。
「ずいぶん待たせるな。はやく食べたいよ」
「おい、あせるなって。子供がびっくりしているぞ」
ぼくらの耳なれない言葉に驚いたらしく、テーブルが空くのを待っていた女の子が怯えた表情でこちらを見ている。こんな幼い子供までもが、外人は怖いといい含まれているのか。
窓際のテーブルに座ってから、周囲の目が気になった。食堂車の奥で、ワインを飲んでいる4人の男が、ときおり入ってくる人に鋭い視線をあびせている。赤狩りを始めた地下組織のものか、軍が派遣した秘密警察、それともヒロが尾行されているかもと心配していた別の組織か・・・。
もしここで『ビバ、アジェンデ(アジェンデ、万歳)』と叫んだら、あっという間に屈強な男たちが2、3重に取り囲むかも知れない。
味の薄いポジョとパタタ、ソッパー(鶏肉の煮つけ、焼きジャガイモ、スープ゚)の定食(210エスクード、840円)を、量が少ないなと思いながら、尾崎と一言も話さず、もくもくと食べる。コーヒーを飲み終えたころから、列車は急にスピードダウン。停車や徐行する回数が多くなった。いまどこを走っているのか?
プエルト・モントまで無事に、たどりつけるのかな・・・・。