第164回(11.17配信)438
10月6日(土)・・入国87日目(交換義務金1710ドル、所持金980米ドル)・・午前7時30分起床。少し小ぶりになったものの前日からの雨が続いている。9時ホテルをチェックアウト。外に出ると小雪が体に舞って来た。南極に近いから、春のくるのが遅いのであろう。
駅からつづく石段のところで2人の警官に呼びとめられた。
「ドンデ バ(どこに行くの)」
「ピューラです」
「それからは?」
「アルゼンチーナ」
「中国人?」
「ノ、ハポネス(いや、日本人です)」
「パサポルテ(パスポートは)」
「はい、どうぞ」
2人の警官は、パスポートを見ながらなにやら話しあっている。日本のパスポートが珍しいのか、それともワイロを要求しようとしているのか?
「オウトブス、ノ、ティエンポ、サリール(バス、時間がない。出てしまう)」
単語を並べただけのスペイン語を使う。
なんとか、やっとパスポートをかえしてもらう。
バス乗り場01のすぐ近くで今度は、3人の兵士に呼びとめられる。こんな徒歩で5分くらいの距離で2回もコントロールにひっかかるなんて・・・。
またもや、なんやかやと話あっている。このまま、連行でもされたら、バスチケットは、パー、次のバス出発まで、また1週間程度滞在しなければならない。
「あのバスに乗るんです」
日本語で叫び、先に見えるバス乗り場を指さした。
兵士たちは、「・・・デネロ・・・」と、金を要求してきたが、スペイン語がわからないふりをして、バス停まで小走りをした。
マイクロ・バスは、エンジンをかけ、まさに出発しようとしている。飛び乗ると、運転手が親指を上げ、よかった、無事に間に合ってと合図を送ってくれた。
運転席からぼくたちが、兵士に足止めくらっているのが見えたのだろう。
バスが動きだしても、動悸はまだおさまらない。よく被害ゼロで通過できたものだ。へたをしたら撃たれていたかも・・・。
どうやら平静さを取り戻したころ、バスの窓に、雨と雪がひどくあたるようになった。
これからアンデスの山を登っていくのだ。これ以上雪がひどくなったら、このマイクロ・バスは無事に目的地までいけるのだろうか・・・。
ともあれ、ノートを開き、これからの脱出ルートを確認する。
・プエルト・モントからペトロピューエまでは、マイクロ・バス。
・ペトロピューエからペウラまでは、小型船。
・ペウラからチリの国境までは、マイクロ・バス。
いままで何度も何度も読み返してきたルートだ。
第165回(11.21配信)438
バスはペトロピューエに向けて、残雪のある道をスピードを上げて飛ばす。道幅は狭く、舗装はしていない。泥と土の道にタイヤをとられ、体がたえまなく前後左右、上下に振られる。
しばらくすると、そんな不安定な状態にもなれ、まわりを見る余裕もでてきた。
乗客は、幼い少女と少年を連れたセニョーラ、つり竿のようなものを持った老人、ガゴを横に置いた農夫らしき男、ネクタイに背広の青年、それに尾崎とぼくの8人。みんなペトロピューエの住人かな?
正午過ぎ、66キロを1時間強で走り、年代もののマイクロ・バスはペトロピューエに着いた。この間、ラッキーなことになんのトラブルもなかった。
白い雪に囲まれた湖畔、小船を係留した小屋、小さな食堂らしき場所で昼食(食べたのは、湖畔で取れる魚の料理か・・・記載はなし。残念)
ジーンと肌にしみる寒さ、深い木々の中に音が吸い込まれたかのように、あたりは静かだ。
午後2時、小型船でペウラに向けて出発。アンデスの山地にできた湖を横断する。自然は、ますます雄大になってきた。四方八方、白い雪の残る森林に囲まれ、水は澄み、空気はゾクッとするほど美味しい。これこそ最高のぜいたく。こんなに素敵な場所があったとは・・・。もっと早くこの大自然を味わいに来たかった。
「セニョール、セニョリータ(みなさん)」
小型船の船員が、突然、パスポートを集め始めた。
なんで彼がパスポートを集める必要があるのか。税関員でもないのに・・ペウラからは、徒歩でも国境は越えられると聞いている。密出国を防ぐためなのか・・・。
乗客は、なんのためらいもなく彼にパスポートを渡している。(このとき、乗客全員がチリ人でないのが、始めてわかった)
パスポートを渡すとき、ちょっと心配になった。月曜日には返すというが・・・(パスポートは、命の次、金と同じほど大事なものである)。
午後6時、ペウラに着いた。僅か30キロ、川を上るのに4時間もかかっている。船着き場からバスで5分、白い2階建ての建物に着いた。ホテル・ペウラ、村に1軒しかない宿泊場所だとのこと。バスを降りてビックリ、なんとホテルの1階に税関所があるではないか。
税関員が、リックとショルダーバックを開けるようにいう。厳しいチエックが始まる・・・
一瞬身がまえたが・・・
彼らは、チラッとリックの中を覗き込んだだけで、すぐにOKの身振り。まったくの形式的な調べ、拍子抜けだ。夏にはアルゼンチンからの観光客が多いいのであろうか? 彼らの場なれした笑い顔を見ているとそんな気がする。
ホテルは1泊3食付きで2500エスクード(1000円)。国境に向かいバスが出るまで、ここに2泊はしなければならない。5000エスクードを払う。残りのエスクードは、あと700だ。
第166回(11.24配信)437
10月7日(日)・・入国88日目(交換義務金1720ドル、所持金980米ドル)・・午前9時過ぎに目覚めた。音のしない世界が、こんなに安眠を誘うとは・・・
夕べは、深い眠りの空間に吸い込まれ、ぐっすり寝入ってしまった。チリに来てから、一番熟睡したのかも知れない。
午後10時に朝食、午後12時半に昼食(バイキング式?)、しっかり食べたのに腹が減ってしかたがない。体調が戻ってきたのか・・・。
明日は、捕まっているかも知れないが、とにかく、ここでの滞在は、空気が美味い憩いの場所、大自然に囲まれた天国に思えてくる。
午後2時過ぎ、ペウラの村(ここから密出国できるかどうかの可能性を探ろうとの気持ちもあり)を回ってみようとしたが、雪が激しく、こんな軽装備では、歩きまわることはできない。そのうえ、パスポートがない(インターナショナル・ポリスに置いてあるらしい)から、とても、ここから逃げることはできない・・・。いまはホテルにただ、じっとしているだけだ。
夕食後、手持ち無沙汰を感じた。ホテルのロビーで、尾崎とチェスをやって過ごす。外はもの音しない。
・・・セシリアや彼女の仲間たちが、この場所のように、大自然に囲まれ、国境に接した静かなところで、隠れていてくれれば・・・アジェンデ派への追求の手は、迫ってこないのでは・・・
チェスをやっている間、どうしても、こんなことを考えてしまう。
第167回(11.28配信)435
10月8日(月)・・入国89日目(交換義務金1730ドル、所持金980米ドル)・・午前9時30分、マイクロバスが来た。乗客は、プエルト・モントから一緒の6人に2組の熟年カップルが加わり、12人になった。10分ほどするとバスが止まった。インターナショナル・ポリス、掘っ立て小屋の前だ。
外は、猛烈な雨、足もとから突風となって、舞い上げてくる。
これではとてもバスを降りれない、小屋まで行けない。
豪雨を突っ切って運転手が、ひとりでポリス小屋に入っていた。
待つこと数分、強風と雨で足元をふら付かせながら、戻ってきた。カッパから水が、滴り落ちている。
「ノー、チェック」
彼は、そう英語で言った。“この天候のため、出国調べはなし”ということなのか・・・。
よかったなとでもいいたげに笑い顔でパスポートを返してくれた。天候が味方をしてくれている。ラッキー・・・でも完全に脱出するまでは、とても不安。
マイクロバスは雪の深い道をあえぎながら進む。バスの前後が気になる。あのカーブを曲がったところで兵士が立ちふさがっているのではないか? ジープが猛スピードで追いかけてくるのでは・・・。
どのくらい走ったのだろうか?
水滴のつたわるフロントガラスのかなたに黒い鳥居みたいなものが見えてきた。大木を組み合わせただけの素朴なものだ。チリとアルゼンチンの国旗が掲げられた渡し木に赤い文字が彫られている。
「見ろよ」
尾崎が、つついてきた。
「リパブリカ・デ・チリ、最後の文字は?」
「フロンテラー! 国境だ。チリの国境だ」
「やった。越えた」
時計は午前11時20分をさしている。
尾崎が手を伸ばしてきた。彼は、彼なりに不安だったのであろう。がっちり握手をしている間にバスは、鳥居の下(国境線)を走り抜け、しばらくしてとまった。運転手がボンネットを開け、加熱したエンジンをさまし始めた。
あれほどの豪雨が嘘のように止み、小雪がちらついている。
マイクロバスが越えてきた峡谷から木々のざわめきが伝わってきた。
アラモやカラハテ(?)の葉が、残雪を乗せて、深くこうべをたれている。雪の残る下の崖ふちでは、カランチョ(ハゲタカの1種?)が、羽ばたきながら小動物の死体を口ばしで引き千切っている。これこそまさしく大自然!
雪も風もなくなり、薄っすらと明かりが差して来た中をバスがふたたび動きだした。
しばらくすると栗毛の馬に乗ったひとりの男の横を通過した。黒い雨ガッパ、肩にかけた小銃、アルゼンチンの国境警備隊員だ。ゆうぜんとたっている。
ここでは、自由な政治を求めて戦っている隣りの国・チリの出来事、無数の銃声、おびただしい流血など、まったく無縁のようだ。
チリからの脱出は、時期、天候、運のすべてが、恵まれていたようだ。安心すると急に、どっと体から力が抜けた。
・・・89日間のチリでの滞在・・・、
・・・その時間と出来事は、いったいなんだったのだろうか・・・
・・・心の奥底に得体の知れない重たいものが、ドカッと残こっている・・・・
第168回(12.1配信)434
後書き・・・
(付録)
日本に帰ってからもチリの動向は、たいへん気になった。
ビクトル・ハラは競技場で銃殺された。アジェンデ派の人々は、ほとんど捕まり、処刑されり、ドーソン島やサンタ・マリア島などの孤島に無期懲役でつながれた。その人数は、1万とも2万、いや10万以上とも言われている。
日本に帰国してからしばらくして、フォルクローレ(民謡)の演奏活動を通して、『軍事政権反対! チリ国民に自由を! 』を世界中で訴えている《キラパジュン》の活動に出会った。この軍事クーデターを扱った映画『ミッシング』も見に行った。
チリのクーデターに触れるたびに、心がうずく・・・・。
結局、セシリアは行方不明のままだ。
チリで会った仲間は、その後どのように過ごしているのか・・・
ぼくの知る範囲では、・・・
谷とクリスチーナは、1女をもうけたが、離婚。及川とエレナは、1男をもうけ、日本とチリの間を往復している。尾崎は、帰国後、静岡でサラ金に勤めていたが、いまは没交際。福岡さんは、一度、新宿(東京)であったが、しばらくして、パナマに向かったと聞く。オサムはなんと警官になり、シンジは、中学校の先生だ。ひとしは、家業のカバン屋を継いだ。ヒロは、ベネズエラに行ったきり行方不明。I.Kは、ブラジルで命を落としたらしい。
・・・・ ・・・・
(2001.7.20)
お礼・・・2000年の4月19日に第1回目をお届けしていらい、1年8か月あまりも、お読みいただきまして、誠に有難うございます。どうやら終わりまでこぎつけホッとしております。また、最初にお申し込みいただきました500人前後の方々が、ほとんど最後まで、配信を受けられましたことも、たいへん嬉しく思っております。
アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルなど旅は、続いていきますが、一度ここで終わらせていただきます。
なお、私の方で休刊の手続きをしますので、個々での登録取り消しは、必要ありません。また、準備ができましたら、アルゼンチン以後をお届けできるかも知れません。そのときは、よろしくお願いします。まずは、お礼まで。いしはら。
追伸:「チリ軍事クーダター前後の旅日記」は、後日、ホームページにて、一括ダウンロード(ご希望の方がおられますので)できるようにいたします。ホームページをアップロードいたしましたらご連絡いたします。そのとき、ご希望の節は、ご訪問ください。