チリ その5    次ページ  前ページ  トップ  


第25回(7.12配信)439

7月20日(金)・・入国7日目(交換義務金70ドル。所持金1480米ドル)・・郵便局に行き、日本への荷物3キロを送る(日本へは8日間前後で到着)。少し身軽になった。
 さて、チリをいまでるか、それとももう少し滞在するか? 迷いに迷った末、港町バルハライソにとりあえず行ってみることにした。親友の谷(彼は1か月前に南米に踏み入れている)に会えるかもしれない。サンチャゴは寒く、風邪がよくならないが、バルパラは、ここより暖かい。風邪もよくなるかもの期待もあった。午後2時にバルパライソ行きのバスに乗る。及川も尾崎も一緒だ。バス代70E(エスクード
午後4時。塩の香りが強くなった。サンチャゴから西約150キロ、チリ最大の港町・バルパライソの町並が見えてきた。港町は、どこでも活気があふれ、温かい心の持ち主が多い。この町はどうだろうか?
 オサムがいっていたHotel・Herzco【オテル・ヘラスコ】、ブランコ通り20番地はすぐ見つかった。海に面した道路わきにある3階だて。1階は、やっぱりレストランになっている。
 ニ階にあるホテルのフロントについた途端、セニョーラが身を乗り出してきた。
「ブェノス・タルデス、ハポネス?(まあ、いらっしゃい。日本の方ね)」彼女は一方的にしゃべりだした。わかるスペイン語から類推するに、部屋は空いているわよ。ニ階の209号室、海が見えていいわよ。1泊400エスクード(800円)だけど、長く滞在するなら安くしておくわよ。そうそう、あなたたちの仲間が、5,6人いるわよ、とたぶん言っている。
 日本の若者が5、6人もいるとは、驚きだ。
 部屋は、広さ六畳ほど。ベットに丸テーブル、洋服ダンスと化粧棚、壁に誰が描いたのかバルパライソの港の風景。なかなかいい。
「OK。ブエノ(いいね)」
 泊まることにした。
 セニョーラはバスルームは、お湯がでること。ただし夜の10時から朝6時までは、ボイラーを止めるから駄目。トイレはバスルームの隣り、紙はないから自分で用意すること。太った体をゆすりながら、その場所に連れて行き、何回も説明をしてくれる。彼女の熱意(?)にこたえ、100エスクードほどチップを渡す。セニョーラは、思いがけなかったのか、一瞬、声をとめ、すぐに、こぼれんばかりの笑顔で、
「わたしイザベルというのよろしくね」と
 盛り上がった白い胸の谷間にそっと100エスクード札を入れた。

第26回(7.15配信)437
午後6時ごろ。久しぶりにさっぱりしてから、街にくいだした。ペルー海流の影響で冬なのにそんなに寒く感じられない。
 ブランコ通りに沿って歩く。ホテル・ヘラスコから2分ほど、プラザ・ストマヨア広場に来た。波止場の横にサンチャゴへ向かう汽車の駅、山の手にはドーム型の屋根をした市庁舎。何本もの国旗がはためいている。両側には電話局、郵便局、銀行などが目白押しに並んでいる。ここが街の基点だ。
 街の片隅や堤防の街灯の傍で、船員たちと抱き合っている女の子たちを横目で見ながら、郵便局の隣りのレストランに入った。
 沖仲と荷揚げ人夫、労働者で混雑している。個室の部屋も奥くに3つほど見える。店の端に座るとウエートレスのおばさんが客をかき分けながらやってきた。
「セルベッサ(ビール)、それともワイン?」
「食べ物はある?」
「少しだけだよ」
 ウエートレスのおばさんが、無愛想にメニューをデンと置いていった。
料理の名前のあちこちに紙が貼ってある。売れきれということか?
 かろうじて大衆的料理・エンパナーダ(挽肉、タマネギ、ゆで卵を具にしたもの)は、OKみたいだ。
 セルベッサとエンパナーダを注文する。
 ビールジョッキーを1ダース近く両手に持ったボーイたちが客の間をぬう。ジョッキーがぶつかり合い、ワインの栓が抜かれ、ナイフ、ホークが皿と擦れる。音、音、音。アルコールと肉、ジャガイモの匂いが混ざり、タバコの煙で店内が白くなる。漁師、人夫、水兵、労働者などの怒鳴り声、笑い声などが充満している。
「アミーゴ、バルコ(お兄さん。船員?)」
「どこから? 日本!」
「 ビバ、日本。ビバ、チリ(日本万歳、チリ、万歳)」
 酔っぱらった労働者たちが、次々にビールを注ぎに来てくれる。アルコールは、人種を越え、国を越え、ちっぽけな争い、心のわだかまりも越えて、人との交わりを深くする。どこでも出会ってきた人情が、やっぱり港町には生きついている。
 食事が終わり近くなって、少年たちの姿に気がついた。その人数は、三、四人。客が食べ残した料理に、サーと近寄って、すばやく口にほうり込む。ときおりボーイが少年たちを店の外に追い払っているが、すぐに店に入ってくる。そして、客が食べ残すのを黙って、大きな瞳を見開き、じーと待っている。
 アジェンデ政権は、こんな子供たちを救うのでは、なかったのか??

第27回(7.19配信)438
7月21日(土)・・入国8日目・・午前11時に目覚めた。尾崎も及川も、きのうはどこに遊びに行ったのあろうか? 彼らの部屋に行ったが、二人ともまだ寝ている。一人で街の探索に出かけた。
 ホテルから1ブロック離れたところに広場があった。
 広場の中ほどには白い塔がそびえたっている。塔の上には左手でサーベルの柄を押さえ、右手で海を指差している。ガイドブックによれば「英雄の像」とある。ブルナンド・オイギスト、植民地政策を続けるスペインから分離独立を目指して立ちあがり、いまの国家を作り上げた指導者だ。
 像の周りを老婆が腰をかがめて掃除をしている。カメラを向けるとすこし離れたところから声がした。
「ノー、カメラ」 水兵服の男が、芝生の立て看板をさしている。
【注意、中にはいらないこと。写真を撮らないこと】
 英語とスペイン語で記されている。
 ここバルパライソは、海軍学校、海軍の基地がある。さしずめ、ここは軍事的な重要ポイントとなっているのだろうか?
 港町といえば、陽気ではなやか、汽笛が絶え間なく鳴り響き、水兵たちが港の女たちを大勢連れて、はしゃぎまわる。大型クレーンが唸り声をあげて荷物を積み上げては、積み下ろす。沖仲仕の怒声が渦巻き、熱気に満ち、ときにはそのエネルギーに押しつぶされそうな危険さえ感じるものだ。
 しかし、通りを歩いた限りでは、波止場に並んだ数十台の大型クレーン機もペンキの剥げ落ちた姿でひっそりと停止している。
 海に突き出たT字型の埠頭には、小さな貨物船が一隻よこずけになっていた。沖仲の姿も見えない。繊維製品、機械器具などの輸入を主とする南米西岸第一の貿易港、サンチャゴにつぐ第2の都会、人口40万人の街にしては、静かである。船が入港していないからだろう。
 ぶらぶら歩いていると心がなぜかワクワクしてきた。この港町でなにかが起こりそうだ。

第28回(7.22配信)438
 エスメランダ通り、この港町一番の商店街に入った。人通りは多くなった。スペイン語、ドイツ語、英語で書かれた『ケント、コカコーラ、トヨタ』などの看板が目立つ。
 初めて来た町は、店のショーウインドを覗くのが、楽しみの一つである。前もって品物の値段を想像しておいて、店の品物の値段との的中率をきそう。これは、物価を肌で感じるよい方法とおもっている。しかし、この国は・・・。
 電機屋のウインドーには、広いスペースに白黒テレビが1台、ラジオが数台、懐中電灯と乾電池が数本並んでいるだけ。価格表はついていない。カメラや時計、靴やズボンなどにも値段表はない。貨幣の価値が日ごとに変わる時世、値段表が追いつかないのだろう。
 値段がわからないほど、やっかいなものはない。品物を買いたかったら店員との交渉となる。ヤミドルを生かして、時計やカメラを買いあさり、アルゼンチンで高く売って、利ざやを稼ぐ。そんな気もあったが、これでは手がだせない。
 ちいさな公園に出た。噴水のわきに誰が書いたのか、『くたばれ、アジェンデ』と赤ペンキで書きなぐってある。あまり気にしなかったが、そういえばビルの塀、陸橋、ガードレールの壁、街灯の支柱などに『アメリカ万歳!』『パンをよこせ』などの文字があった。チリの国民は、現政権にかなり不満??
 こんなことを深く考えるより、すれ違う若い女の子たちが、全員といっていいほど可愛いい。かわいいだけではない。ほほえむと微笑みかえしてくれる。素朴で純粋さを感じる。


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