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■会の成り立ち

 1962年(昭和37年)に「住居表示に関する法律」ができて、東京では1970年代に23区の古くからある町名はほとんどが変えられてしまった。町を大きなクラスターにまとめ、少ない名前で丁目で分けるという大町名システム(赤坂は1丁目〜9丁目まで)が取り入れられたからだ。また漢字排撃の風潮があって、それが当用漢字以外の字や、むずかしい読みを排除する動きになって、やたら町名を簡単にした。チョウかマチか読みがわからないというつまらない理由で、新砂町を新砂に、西片町を西片にする。当用漢字になく読みにくいと、笄町(西麻布になった)葵町(虎の門になった)が消えた、など。

 郵便制度の合理化のためなら、地番や飛び地の整理でうまく処理できたはず。それなしに国の力で町名を一気に変えることになったから、反対の市民運動が起こった。牛込・四谷地区の名を残す運動は、77年から78年にかけて展開、79年に新宿区長、山本克忠さんの同意を得て、旧町名が守られた。港区では、狸穴と永坂を守るため、故木内信胤さん、松山善三さんなどが立ち上がり、この2つの町名だけが、全滅状態の港区で残った。
 この結果、運動を成功させた人たちが集まって、この連盟が生まれることになった。

 全国地名保存連盟は、1982年(昭和57年)12月、、木内信胤さんが発起人代表として、政財界人やジャ−ナリストの発起人をつらね、東京に設立された。発起人は、正田英三郎、池波正太郎、石橋幹一郎,永六輔、木下恵介、根津嘉一郎など多数。

 会の骨組みになった主力会員は、旧牛込・四谷地区の町名を守った人たち、市民運動の先駆け者だ。いまも事務局の大事なメンバーの古田禎昭、木暮洋子、田中喜美子さんたち。狸穴を守った木内さんが会長、松山さんは副会長になった。地名に博学な楠原佑介さんも参加した。

 1983年3月に神田如水会館で設立総会が開かれた。規約がつくられ、会の運営は年会費でなく寄付でまかなうこと(1口2,000円)、『住居表示に関する法律」の抜本的改正を求めること、会長、副会長(複数)、運営委員、監事、などを置くことが決められた。

 いまもその伝統を守って、この会は任意団体として、会員、事務局はゆるやかに連帯している。


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