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2010年09月01日 02時54分21秒 | イラスト(他・趣味)
イラスト:ジーナおばさん
母をたずねて三千里、とは名前はきいたことがありましたが
たぶん見たことはありませんでした。
実際に見てみると、おかあさんからしてたくましく、
その他もガッツあふれる体型の人たちがたくさん出ていました。

その中で何より気になったのがジーナおばさんです。
マジックで簡単に描けるような単純な作りにもかかわらず、あの顔。
どうにもあごから頭までが長すぎの気がしてたまりません。
特にあのあごがあのあごが、あのあごが!
という気分のまま落描きに彩色してみました。



所要時間
・線画……10-08-31 5分
・彩色……10-08-31 3時間

2010年09月02日 03時38分57秒 | ちょこのひとかけ
発掘テープ
最近家の中の物を場所移動させなければならなかったのですが
意外に大きな被害になっています。
わたしがどけた以上に動かされた上に
今度はさらにまたどけなくてはいけないようで
片付けるのもうんざりです。

でもまあ、今まで存在は覚えていたものの
中身なんてすっかり忘れていた棚などを動かしたので
せっかくだからと中身の整理をしてみると、
ずいぶんと今になってはいらないものも
入っていることに気づきました。
そこで、せっかくなのでぼちぼちと分別をしています。

昔、技術家庭で作った微妙な棚なども
昔から邪魔だと思いながらもせっかくだからと
とってありましたが、今片付けないとこのままになると思い、
どうせならとデジカメで写真に収めて捨てました。
作っている時はなかなか面白かったのですが、
使い道のないものってありますよねえ。
あと、当時の作りの荒さに残念な驚きもありました。
技術で作ったもので一番よかったのは個人的には木の踏み台です。
あれは今も現役で使われています。

そんな片付けの中で発掘してしまったのが――カセットテープです。
かつて散々キャプチャーしてMP3にし、
本体は捨てつくしたはずだったのに。
いまさらまた50本近く出てこられても困ります。
でも困ると言ってもそのまま捨てられないのが
わたしの情けというかなんというか。
しかたなくまたキャプチャーすることにしました。

キャプチャーしたあと動画変換せねばならず、
それも4GBや2GBの制限のある動画と違い、
音声テープは前回で手順は確立されているので多少は気が楽です。
とりあえず何らかの手段でwavあたりでパソコンに取り込んだら
MP3に変換するだけ。

でもいまなら、ビデオ用のキャプチャーボックスで
音声と動画を分離してキャプチャーし、
動画を捨てて音声を変換する、なんて微妙な方法を使わなくても
カセットデッキから直接音声をとりこめるような
手段があるのではないでしょうか?
わたしもかつての経験から、目に付いたおもしろげなものは
微妙に買っていたはずです。

というところで部屋を探すと、録音のできるMP3プレイヤーと、
イヤホンジャックを赤白端子に変換するもの、
そしてイヤホンジャックとイヤホンジャックをつなぐものが見つかりました。
とりあえずMP3プレイヤーの録音のジャックと、
カセットデッキの出力のジャックを繋いだら
そのままMP3取り込みができるはずです。

……が。その録音MP3は普段寝るとき用のもの。
設定を変えると毎日の変更がめんどくさいです。
さらには録音音質がどこまで上がるかわかりませんし、
それで何分録音できるのかもわかりません。
むしろ調べるのがめんどくさいです。
そこで結局、カセットデッキをだしてきて、
ビデオキャプチャーボックスと接続することにしました。

でも、いざ出してみると、かつての時使ったカセットデッキは
使い方を忘れていました。
テープのオートリバースができるというものだったのですが
バネっぽいものでリバースを行うものだったらしく、
機構がおかしくなってもともとのフォワードがきかず、
リバースでしか再生ができません。
ということは、A面を再生するにはB面を表に入れ、
撒き戻しは早送りボタンを押す……ことになるのでしょうか。
しかも再生ボタンを押してもちっとも再生がはじまらず、
テープが動いていないのも見えています。
これは、もしかして壊れたのかもしれません。

こうなったら片づけ中に見つけた、電池式のカセットプレイヤーを
使うしかないかと考えていたら、物を積んである下のダンボールが
別のラジカセだったことに気づきました。
前回はすっかり忘れていましたが、
出してみるとオートリバースなどない機種で、
素直にA面から再生できたのでほっとしました。

とりあえず二本ほどMP3にしてみましたが……戦いは、始まったばかりです。

2010年09月03日 00時00分12秒 | おかし系
レビュー:バームクーヘン
株)クラブハリエのお菓子、『バームクーヘン』です。



外皮が砂糖でコーディングされた、
ふわふわのバウムクーヘンです。

一口食べた瞬間に、バウムクーヘンではないなにかの味がして
なんだろうなんだろうと首をかしげながら食べていました。
そしてようやくおもいついたのが、マドレーヌです。
味としてはバウムクーヘンではなく、マドレーヌでした。

これ自体は結構おいしいですが、
上の砂糖はいらない気がします。
そして、わざわざマドレーヌ味のバウムクーヘンを
食べるくらいなら、はじめからマドレーヌを
食べればいいのではないかと思います。

2010年09月04日 14時33分14秒 | レビュー系
レビュー:母をたずねて三千里
アニメ、『母をたずねて三千里』です。
母親が外国に出稼ぎに出てさびしくなったので、
その息子である、頭もないお金もない勢いだけの小童が
何も考えずに国を飛び出して、大人と運にうまく助けられながら
母親を追って行ってすったもんだするお話です。

オープニングの主題歌らしきところでは、
主役の少年が一人ロバに乗り旅をするような風景が
描かれているので、そういう孤独で厳しい旅を
していくんだろうなあと思いながら見ていきましたが、
まったくそんなことはありませんでした。
ロバに乗るのは最後の最後、
50話くらいあるうちの2話程度。
さらには主役も大部分、一人ではありませんでした。

正直、男の子の考えのなさに見ていてうんざりしました。
食事にしても旅にしてもその場しのぎのいきあたりばったり。
水袋も水桶も要地到着までの食料も持ち歩かない徹底っぷりです。

最初、母親が家の借金のために外国に出稼ぎに行き、
連絡が滞るようになると、
『母親は病気かもしれない』→『母親は病気に違いない』→
『病気だからぼくが行って連れ戻す』
というような思考を展開します。
そこで外国へ行くためのお金を稼ぐのですが、
そのときに目標とする金額は、主役一人の片道船賃分のみです。

……頭がおかしいとしか思えません。
仮に母親が病気で手紙も出せないほど
体が悪くなっているとしたら、その間の稼ぎはありませんし、
稼ぎも病院や薬代でなくなっているかもしれません。
動けないほど悪いとしたら、しばらく向こうに滞在して
よくなるまでの生活費や病院代が必要です。
それを抜きにしたって、母親を連れて帰るには最低限、
自分の行きと自分の帰り、母親の帰り分で、
合計三人分の片道旅費が必要になるはずなのに。

船を下りたところで持ち金をすべて盗まれますが、
それはたいした問題ではありません。
無銭乗船からの流れがうまくいったために
お金は手元に残っていましたが、
本来は船賃ですべて消えていたもので、
まっとうな手段を取っていれば
元々なくなっていたものだからです。

母親が勤め先を変わっていたのがわかって追うことになると、
ただ追っていくだけなのもばかばかしいです。
主役は手紙が途絶えたから心配して探しに来たというのに、
自分が手紙も書かずにただ追っていくだけでは、
国に残っている父親や兄にとってみれば、
消息不明なのがもう一人増えただけと同じ扱いです。
逆に心配して探しに行ってもおかしくない状況です。

その後の、母は無事だろうとわかったあとの行動も微妙でした。
せっかくここまで来たからというような理由で
母親を追っていきますが、
帰りのお金はどうするつもりだったのでしょうか。
家に借金があるから働きに出たというのに、
そのお金を無駄に使って戻ることになるのも
考えていないのがまた微妙でした。

結局はご都合主義で、主役が母親の元に行ったことで
母親の病気が良くなり、その療養期間で
家の経済状況も好転して借金は返せそうという締めに
なりましたが、主役をなぐりつけたくてたまりませんでした。

マスコット的な存在の猿は、行動がわざとらしいのは
置いておいても、最初から問題行動を起こしていたのに
何の対処もとらずにいたのもまた、腹立たしかったです。

主役のやる気のなさといい加減さにうんざりしたアニメでした。

2010年09月05日 21時55分28秒 | ちょこのひとかけ
右派・左派
夕飯にと台所にいくと、キッチンタイマーを渡されました。
電池が切れたので交換しようとしたものの、
硬くて硬くてどうしようもなかったそうです。

ネジ止めなのかと裏を見ると、普通に裏蓋をねじって
開けるタイプのものです。
そして電池蓋は こじってなめたあとがくっきり残り、
溝が半分壊れている状態でした。

とりあえず分解と言えば構造分析でテンションのかかりを
判別するのが第一ですが、それ以前のお約束として
書かれているなら書かれているものを読むというのもあります。
電池蓋の横に書かれている文字は、
右回しで『開く』、左回しで『閉まる』。
そしてこじれから見える、力をかけた方向は『閉まる』。

……なんで閉まるの方向に、蓋の溝がなくなるまで
回しているのでしょうか。
左回りで動かなければ右回りにしてみるのは
お約束ではないのでしょうか。

ということでマイナスドライバーを持ってきて
すこし右に回すと蓋は簡単に外れました。
どうして文字も読まずにただ閉める方向に
回し続けたのかを訊ねると、
メガネをかけていなかったので見えなかったのだそうです。

業界で統一されるならされてほしいとは思いますけど、
せっかく蓋の横に開けるも閉じるも書いてあるのだから
確かめてから行動をしてほしいと思います。


今回のことに敢えて意味を見出すのならば、
『あたりまえのことをあたりまえと思うといつか失敗する』。
これを古くからある言いかたに変えると――
『初心忘るるべからず』
とでもなるでしょうか。

こんな日常のものにせよ、医療現場にせよ、
原発の中にせよ、慣れたものをなれたようにする時に、
『その手順は本当にそれでいいの?』と
毎回ちょっと確認しなおすことこそが『あたりまえ』になれば
きっとつまらないミスは減ることでしょうに。

でもそれが進みすぎると、出かける前に玄関の鍵をかけたものの
本当にかけたかどうか不安になって二度三度戻るという
わたしのような行動になったりするので、
何事もほどほどで済ませられるのがいちばんですけど。

2010年09月06日 15時00分23秒 | おかし系
レビュー:ひこどら
どら焼き 虎てつ のお菓子、『ひこどら』です。



滋賀県のお土産にもらったものです。
どらやきにひこにゃんの焼印が押してあります。
キャラものに分類されるものでしょうか。

どらやきの皮の中につぶあん。
あんこはくどくもなく、多すぎもせず、
味も悪いところはなくすんなりたべられました。
なかなかよかったです。
Unknown (澄)
2010-09-08 20:44:08

ちょこれ可愛い!
やっぱこういうのは賞味期限短いですねぇ
Unknown (あまね)
2010-09-10 03:11:50

ものとしてはふつうのどらやきでも
可愛いキャラが描かれているだけで
楽しさとおいしさがアップする気がします。

人もお菓子も第一印象は顔です。

2010年09月07日 01時03分04秒 | ちょこのひとかけ
すクゥーラー
クーラーが壊れました。
いつごろからか一年の流れがよくわからなくなっていますが、
あっさり壊れたのではなく、対応年数越えくらいまで
頑張ってくれていたのだそうです。
ということで買い替えの上、取り外し、取り付けの工事が
必要になりました。

工事の当日は、室外機などの関係で
他の部屋のクーラーも使えず、ただ部屋の中にいることに。
工事が始まるまではクーラーをつけていたのですが、
とめてしばらくすると気温がぐんぐんあがっていきます。
そしてそうたたないうちに、やってられないくらいの
暑さにまでなりました。

だらだらになりびちゃびちゃになり、へろへろになったころ
ようやく取替えが終わったので、試運転中という部屋に
入ってみると――そこはもう、別世界。

暑いのもいいですが、やっぱり涼しいのはすてきです。
何がどうなって冷えた空気を作ってるのかなんて
一切中身は知らない魔法のような機械ですが、
クーラー万歳! クーラー万歳! としか
言いようのない感動がありました。

文明の利器は、偉大です。

2010年09月08日 22時29分19秒 | イラスト(他・趣味)
イラスト:モーショボー
女神転生シリーズより、モーショボーです。

猛暑日という言葉を聞いて、
モーショビー→モーショボーと連想した、
モーショでボーっとするモーショボーというだけのネタです。



今日は台風の影響で雨も降り、
ここのところは暑さに一息ついた感じですね。

所要時間
・線画……10-09-05 1時間
・彩色……10-09-07 1時間
     10-09-08 4時間

完成までは6時間くらいでした。

2010年09月09日 03時27分48秒 | ちょこのひとかけ
嘘とデコイ
世の中には、人をバカにしたくてたまらない人がいます。
人を傷つけたくてたまらない人がいます。
そういう人への予防策として、
わたしはいつからかデコイを撒くようになりました。

デコイ。身代わり用のおとり。
攻撃をしたい人が攻撃をする場所を作っておく、
いわば『嘘』です。

わたしは他人の嘘がほとんど見抜けないこともあって、
自分で口にできる嘘と口にしてはいけない嘘は
確固とした決まりがあります。
口にしてはいけない嘘は、自分が相手に望んでいないもの。
たとえば家に来て欲しくない相手には、決して
「近くに来た時には寄って下さい」
とは言いません。
力のひとかけらでも貸したくない人に対して、
「困ったら相談して」とか「必要なら声をかけて」とかも
決して言いません。

一方、わたしでも自分への裏切りに思わずつけるのが、
デコイ用の嘘です。

たとえばわたしの名前はほんのすこしだけ珍しいので
日本語自体に詳しくない人はまず正しく読めません。
そのため、名宣るときは、わざと人が間違える読みを口にします。

なぜそんなことをするかと言えば、
わたしでない『わたし』を作るためです。

バカにしたい人間は、名前からしてバカにします。
でもそこでバカにされているのはわたしではありません。
バカにされる用に作られた『わたしのようなもの』なのです。
けれど、完全な虚構は使えません。
嘘を現実に持っていくには、少なくとも一割程度の真実が
必要だからです。

というわけで、微妙に文字が書けてお箸が使える程度の手を
利き手と言ってみたり、
出身地はそこそこ知っているけどそれ以上ではない
朝里あたりにしてみたり、
ある程度なら体内に取り込んでも平気ではあるお酒を
まったく飲めないと言ってみたりします。

それを、
「出身は朝里なの〜?(笑)」とか
「大人なのに酒の一つも飲めないの?(笑)」とか
言われたところで何一つ痛くありません。
むしろ言うほうを笑えすらします。

……というのを冷静に考えているとふと連想したのですが、
虐待を受けているこどもは、人格を乖離させることが
すくなくはないそうです。
傷つけられているのは本体の自分ではなく別の自分なんだ、と
本体の『自分』をダメージを受ける場から乖離させることによって
自分を守る心の働きが起こったりするのだとか。
その心の機制は、なんとなく理解できる気がします。

こういうデコイ、悪意のある人には本当に効き目があります。
でも、問題もあります。
それは、好意的なひとたちです。

わたしの嘘は人格を作るどころかペルソナにすら
発展しない程度のものなので、
設定に矛盾を見つけたり、もっと自分で理解して
口にしやすい設定を見つけたりすると、
環境が変わった際にそっちを使うようにしてしまいます。

それもしばらく使っていると前のほうを忘れるもので、
忘れた後で前の設定を覚えている知人と話すと、
話されている人物がどこの自分かとびっくりします。
そして驚きつつも、そんな話を覚えていること、
ほんとのことを話せなかったことに対して
後ろめたさのようなものも感じるのです。

世の中に、他人を傷つけて喜ぶ人間がいなければ、
また、わたしがなにを言われても傷つかないほど強ければ
いちいちデコイなんて撒く必要もない、
気楽な生活が送れるんでしょうねえ。

2010年09月10日 06時07分19秒 | おかし系
レビュー:蓬・生麩餅
株)三昇堂小倉 のお菓子、『蓬・生麩餅 』です。



京都のお土産にもらったものです。

葉っぱを開いた時は緑色のもちゃもちゃしたものが
葉っぱに張り付きながら広がりました。
そのようすはまるで、葉っぱに産み付けられたなにかの卵。
見た目ではまったくおいしそうに思えませんでした。

それを指ではがして食べてみると、
中はこしあんで外はよもぎ。
蓬莱山の『蓬』と同じ字で、これはなにかとおもったら、
『よもぎ』と読むようですね。

ただ、食べてみると、
味はよもぎというよりも、高野豆腐かなにかのような風味が
常に鼻の後ろに居座る感じがしました。

そこらへんにそうそうあるものではない珍しいものだと
いう気はしましたが、もう一度食べたくなるものではありませんでした。
たいしたことのない味でした。

2010年09月11日 23時20分31秒 | ちょこのひとかけ
初栄養剤
「リポビタンDってどうなの?」
と夜に友達が訊いてきたので、
「おいしいよ」
とミスター味っ子ばりに答えてみました。

でもそういう答えが欲しかったのではないらしく、
「眠くならなかったりするの?」
と。
それなら、
「うん」
とわたしは答えます。

どうやら飲もうと考えているようなので、
とりあえず体質的に合う・合わないがあること、
味も母は薬臭くて飲めないと言っていたことなどを
伝えてみました。
でもわたしの思う一つだけは言わないでおいてみました。

それからコンビニへ行き、リポビタンDを購入。
横で開けるにおいに、思わずごくりとのどが鳴ります。
「ちょっと飲む?」
なんて訊かれますが、丁寧におことわりです。
だってわたしが今そんなものを飲んだら、
朝まで寝られなくなってしまうじゃありませんか。
……友達には敢えて言いませんでしたけど。

まずは一口飲んでみた友達は言います。
「なんだか薬くさい」
うちの母もそう言いますが、わたしにはまったくわかりません。
そこで、どこらへんがどういう薬くささなの? と訊いてみると、
「こどもの薬用シロップみたいな感じ」
だそうです。
それならなんとなくわかります。
わたしにとってはかつて駄菓子屋であった、
粉ジュースみたいな味として認識されているので、
あれはお菓子の味にくくられるのですけど。
……となると、わたしがコーラに感じる『人工的な味』というのは
友達たちが言う『薬くさい』と同じ感覚になるのでしょうか。

とりあえず友達が飲みきったのを確認してから、
人と体質によるかもしれないけど、とばらします。
興奮系の栄養剤を飲んでからは7時間、
コーヒーを飲むと5時間、わたしは寝られなくなります。
こんな時間に飲んでしまったら、わたしだったら
夜の2時くらいまで寝られなくなるかもしれません。

……ただ、本当に眠い時には、コーヒーを入れていても
がくんと寝てしまうので過信はできません。
もっとも効力を発揮する状況は、
寝なきゃいけないからと寝ようとしているときです。
このときに飲むと本来よりも力を発揮して、
もう朝まで寝られないくらいの精神覚醒をもたらします。

そんなこんなでその後。
「意外とすごいかもしれない」
と言う友達。
「眠くなってない」
どうも、体力の限界を感じていて、
だめだったら二・三十分くらい寝ようとしていたらしいですが、
普通に寝ずにいられそうとのことでした。

友達は薬系のものが嫌いで、使えば楽になれるときでも
無理して使わないようにしている感じなので
わたしよりも効いたのかもしれません。
でも、薬も要は信心と使いよう。変に使わなければ
個人のQOLを高めてくれたりするのです。

わたしの頭痛薬が、飲んだ瞬間からふしぎと痛みを和らげてくれるように。

2010年09月12日 18時01分07秒 | ちょこのひとかけ
ドライブ:ガンダムと静岡
友達の夏休みの残りで、静岡に行ってきました。

はじまりはこの前のドライブの後、
「今度は静岡にガンダムでも見に行く?」
という友達の言葉でした。

電車などを使うならいろいろな面で嫌ですが、
車なら見に行ってもいいかもしれません。
でもその後、泊りがけの上に結構な値段になると言われ、
やっぱりやめようと思っていたところ、
友達が詳しく調べたと 教えてくれました。
なんでも静岡へはうちから富士山へ行ったときよりも近くて、
片道二時間くらいでいけるそうなのです。

ということで日帰りが可能になったので行くことになりました。
ちなみに日帰りだとレンタカー代などが1日分で1万円。
泊まりが入ると宿泊代金が1万円に、
車関連が2日分で2万円プラスされてしまいます。
さらに、半日程度なら具合が悪くてもどうにかなる
わたしの体調も、泊まりを越えると動けなくなって
ぐだぐだになる心配があります。

とりあえず出発前の第一目的はガンダムで、
あとは鍾乳洞やロープウェイに行けたら行こうと
なんとなく調べておいて出発しました。


当日は、とてもよい天気でした。
というよりも残暑がはっちゃけたせいで
前のドライブよりも相当暑く、
車の中にいるだけですぐに汗がだらだら出てくるくらいです。
車の中は走っている最中でも窓辺に腕を置くと、
焼けるような熱さに思わず跳ね上げる感じでした。

まずは東名高速に向かい、そこから静岡を目指します。
あまり見たことのない景色は、
走っているだけでもおもしろいです。
車は快適に進み、お昼過ぎごろには静岡に入れる――
と思っていたのですが。
高速で渋滞につかまりました。

何十分経ってもほとんど減らない目的地までの距離。
ちっとも変わらない周りの景色。
どんどん遅れていく到着予定時刻。
……これは、つまらないです。
車がつまってるのにつまらないとはこれいかになんて
考えてしまうほどのつまらなさです。

そこで、気づきました。
わたしは車に乗るのが好きなのではなく、
車で走っていて知らない景色を見るのが好きだったということに。
走れない車なんて飛べない豚みたいなものです。
それが一時間くらい続いたところで、気づいたら寝ていました。
退屈は人をだめにします。

起きてもそれほど進んでいなかったのですが、
あまりの渋滞ですでに旅行の期待感も楽しい気分も、
二人ともほどんど失っていました。
なんというかもう、会社帰りくらいの だめ気分です。
サービスエリアかコンビニでもあったら
寄ってごはんにしようとでも思っていたのですが、
今回はそれすら失敗で、友達が一応と
持って来ていたパンを食べました。
おなかもすいていない感じの胸つまりっぷりだったのですが、
気づいたら食べきっていて二人で驚きました。
気分としてはものを食べたいとも思わなかったのに、
体は求めていたようです。

そして2時頃、ようやく留められそうなところが見つかったので
由比パーキングエリアでちょっと休憩。



写真ではどんよりしていますが、変に気温は高くて
のどは渇くし服はべとべとだし、
渋滞でやる気はそがれるしで、気分が悪いです。
もっていったお菓子のカールは、かさかさして
粉がのどに張り付く上に、乾燥っぷりが体の水分を
奪うような気すらして、わたしはほとんど食べられませんでした。


それはさておき、ここでも後の場所でも、
遠くに伊豆半島が見える というのは売りになるらしく、
いろいろな場所で言われたり書かれたりしていました。
わたしは足で歩ける以上の地理・地形には
まったく興味が無くてほとんどわからないため、
てっきり東京の右下にある、千葉のでっぱった部分が
見えているのだと思っていたのですが、
それを口にしたら大変嫌な顔をされました。

いま書きながら調べてみたら、まったく違うんですねえ。
千葉の横にも二つほど半島のでっぱりがありました。


そこからしばらく走ると、ようやく高速の出口です。
降りたところの看板を見ると、
近くにどこでもいっしょっぽい文字が見えたのニャ。
いわゆるひとつの、トロ遺跡なのニャ。
……正直、名前もなんとなく記憶に残っているくらいで
その詳細は一切覚えていなかったことを吐露しておきます。

登呂遺跡は方向的にもあっていたので、
ちょっと寄ってみました。
昔どこかの遺跡で素焼きのハニワ人形みたいなのを買いましたが
ああいうのが売っているんだろうなあと思ったのですが、
まったくそんなものではありませんでした。



まず、駐車場からして工事中。
そして売店なども存在しておらず、さらに遺跡は
木の杭などで囲って集落になっているわけでもなく、
のっぱらに茅葺の小屋が立っているだけのような閑散ぶりです。
なんというか、旅行者が行くような場所には見えませんでした。
……まあ、夏休みが終わったあとだからなのかもしれませんけど。

わたしは一通り建物の中に入ってみましたが、
友達は暑くてめんどくさくなったので、
最初のちょっとでやめていたそうです。
実のところ、わたしも本当に暑くて
中に入りたくないくらいだるくなっていました。
一応見た目を考えてTシャツの上にシャツを着ていたのですが、
シャツは脱いでしまいたいと考えていました。


さて、その後は一番の目的である、ガンダムへと向かいます。
行く前に見ておいて、と友達に言われたページでは
東静岡の駅前に6個くらい臨時駐車場ができているそうなので
車をとめる場所は安心です。
……と思いきや。さらに友達がよく見てみたところ、
臨時駐車場ができているのは土日のみで、
それ以外の日はやっていないとのこと。
そこで静岡駅そばに車をとめ、
電車で隣駅の東静岡へむかいました。
駅には何か知らないカードのマークがありましたが、
JR東日本で使っているsuicaも普通に使えたので
いちいち切符を買わずに済んで楽でした。

そうして着いた東静岡駅は――なんだか、小樽築港みたいでした。
または、ビックサイトかなにかがある駅です。
変に近代的なのですが周りとそぐわないというか、
場違いな建築物というか。
札幌や新宿にあればそれはそれで納得できますが、
何もないところにそれだけあったらどうなのと
思わせるようなつくりです。



なんだかなあ、と生暖かい気持ちで動く歩道に乗りながら
周りも見てみますが、そこらへんはがらんとしています。
なんとなく、周り中に駐車場がいっぱいあるように見えました。
そこで思ったのですが、わたしたちは東京の都心のつもりで、
『車をとめる場所は近隣には一切ない』
『それに配慮して主催者側が臨時駐車場を用意した』
『臨時駐車場は平日は別の用途で使われている場所なので、
休日以外は使用できない』
と思っていました。
でもそれは大きな間違いだったかもしれないことを
しみじみと思ったのです。

わたしたちがそこで思いなおしたのは、
『車をとめる場所は周りにもある』
『土日はその容量を超える人が来るかもしれないので
主催者側がそういう人たちの心配を減らすために、
臨時駐車場を用意して客を呼ぶ姿勢を見せているだけ』
ということです。
こんなことなら車を降りずに、直接こっちまで来ればよかったと
無駄な下調べが嫌な方向に行ってしまったことに二人で落胆しました。

そして、ガンダムです。
お台場の話では、人がすごくいて近づくだけでも一苦労
ということだったのですが、とても空いていました。
近づいてみると、アニメ内設定と同寸とのことでしたが、
やっぱり大きかったです。



感心して見ていましたが、
どうしても光沢が非金属なのが気になりました。
あと、足あたりにガンダムプラモデル30周年という意味の
文字があったのも。

どうせならこれをプラモデルにして売ればいいのに、とか
せめて金属で作ってくれればいいのに、とか
見ながらいろいろと考えていましたが、
金属でこの形を作ると、自重を支えきれないらしいので
そうなると作るにはガンダリウム合金が必要になるんだなあと
なんとなくしみじみ思いました。

ちょうど時間で首が動くところも見られて、
ひとしきり満足したので周りを見てみると、
横にツノの生えた白いお店がありました。
ガンダムカフェというものらしいです。
なかなかおもしろいと思って見ていたら、
秋葉原にはもっと大きなお店があるのだと言われました。
友達は先日、ちょうど行ってきたのだとか。
世の中はいろいろ動いています。

お台場のときは入るのも一苦労だったらしい併設のショップは、
静岡だと普通に入れました。
中を見ていたら、ライトアップされた
ガンダムの写真がありました。
どうも夜になれば光るようなので、
時間があえばまた来てみようということに。
そこではとりあえず静岡消印で自分宛に出してみようと
はがきを買ってみました。

その後は静岡駅ビルでおみやげでも見たかったのですが、
駐車場は、日中激しく時間課金されるところだったので
料金が気になってすぐに車へ。

その後はどうしようかと考えて、
距離的にどうにかなりそうなロープウェイを目指します。
そろそろ夕方になりつつあり、まだ日のあるうちに
適当にそこらへんもぶらぶら見てみようと思ったのですが、
友達は時間が危ないかもしれないと言い出しました。

わたしとしては、函館や札幌のもいわ山のように
夜になったらなったで夜景を楽しもうと
のんびり考えていたのですが、
「田舎クオリティをあなどらない!」
と言われてしまいました。

そういえば長瀞では、すべてのお店が
目の前で午後6時くらいで早々に戸を閉めていって
取り残されたという、もうここは笑っておくしかない
というような悲しいできごとにも遭遇しました。
わたしも東京の外れとは言え、
とりあえず都会のほうで暮らしているせいか、
なんとなく夜の本番はサラリーマンたちが
会社を終えて帰る6時から、
みたいな気分でいたことに気づきました。

そこですべての寄り道を中止して、
ひたすらロープウェイを目指します。
車のナビでは『日本平ロープウェイ入口』みたいに
書かれていたのですが、走っていくとどんどんと
山の方に向かいます。
そのうちに、『どう考えてもおかしいよね、これ』
というくらい山に登っていきます。

どれくらいおかしいかと言えば、
榛名山ロープウェイで、山の裾野の高原駅を目指してるつもりなのに
榛名富士山頂駅へ案内されているような感じです。
山に登るのがロープウェイなのに、
最初から頂上に着いたら、もう乗らなくてもいいんじゃないの?
なんていう微妙な空気を二人で味わっていましたが――
実際着いてみると、それは違いました。

今までのように、山すそから山頂へ登るタイプの
ロープウェイではなく、
道路つきで登れる山の頂上から、
道路がなくて山頂へは徒歩でしか登れない山のてっぺんへと
つながっているタイプのものだったのです。



さいわい、時間はぎりぎりでしたが往復はできるくらいだったので
ほとんどいられないことにすこしがっかりしましたが
乗ってみることにしました。
いつものわたしたちならこういうときは乗られないものなので、
どうにか間にあってほっとしました。
でも、正直あの高速道路の渋滞は恨みました。
あのせいですべてがむちゃくちゃです。

このロープウェイ、向かう先は徳川のお寺だそうです。
友達が、来てみたかった、というようなことを言っていて
そういえば前も別の場所でそんなことを言っていたなあと思うと、
どうも友達は徳川が好きなようです。
うちは先祖が前田家の家来の下っ端で苗字をもらったらしいので
興味があるのはかろうじて前田家くらいです。
むしろ、いつかは先祖を尋ねて石川県には行ってみたいなあと思います。

そんなこんなで向こうの山につき、
走るようにあたりを見回したらだいたい十分。
帰りのロープウェイには間に合いました。
そこの話とロープウェイ内での解説では、
山は1100段くらいの階段だったらしいので、
今思うと、時間があったらちょっと登ってみたかったです。

戻った後は、ロープウェイ内でお勧めされた、日本平の展望台へ。
そこにはNHKのアンテナが立っていました。



まわりは、ロープウェイ方面は木があって見られなかったのですが
反対側は視界が開けていて結構気持ちよかったです。

そこでこの後どうしようかと話が出ると、
友達が、ここに行きたい、とそばの観光案内板を指さします。
そこは、三保の松原でした。

――三保の松原!

三保の松原と言えば、あれでしょう。
三保の松原、三保松原、松原三保、まつばらみほ。
あの、まつばらみほです!
なにを言っているのかよくわかりませんが、
ひっくり返すと人名みたいです!

それは置いておいて、ミホミホのところを訪ねてみました。
もう夕方で薄暗くなっていましたが、
『天女が羽衣をかけておいたら、どこかの国の人間みたいに
それを見つけた男が勝手に羽衣を取って自分のものとして
もちかえろうとし、それに気づいた天女が返してとお願いしたら、
男が「これは俺のものだ。それでもどうしてもこれが欲しいなら、
そこで踊ってみせろよ、ウェッエッエッ」とかぬかしたので、
天女は泣く泣く自分の物を取り返すために
屈辱にまみれながら見せ物として踊らされた』という事件の
きっかけになった松も見ることができました。

……日本の伝承だというこういう話を訊くたびに、
不愉快でたまらなくなります。
現代は治安が悪くなっていると言いますが、
『置いておく』という概念が存在しない古代日本の方が
よっぽど治安が悪いです。
「羽衣は『置いてあった』のではなく、『捨てられていた』。
だから拾ったおれのもの」
これが、三保の松原の伝承の元になった考えです。
でも、そういう話は昔話ではよく聞きます。
これはまるで、
「店先に並んであるもの、道路に存在している自転車は
『置いてある』のではなく『どうぞ持って行ってくださいと
投げ出されている』もの。だからおれが持っていってなにが悪い」
と平気で口にするどこかの人間のようです。
公共性とか道徳とかってなんでしょうね。

天女の松とやらが、そういう言い伝えと共に
残っているのはいったいどういう意味があるんでしょうか。
「われわれ人間様が、天女の持ち物を奪って自分のものにし、
それを質にとって心を蹂躙し、躍らせ、見せものとして
もてあそんでやった」という征服記念碑なのでしょうか。
それとも、
「かつての我々は天女さまの持ち物を奪っていながら、
それを質にして見せものとして辱めた。
その愚かな行いを決して忘れてはならず、
また、繰り返してはならない」という
戒めの碑なのでしょうか。
地元の人はどう思っているのかすこし興味はあります。


それはさておいて。
松の向こうは砂浜でした。
海なんて久しぶりなことに加え、
あたり一面海でとてもきれいだったこともあり、
水際まで歩いていくことにしました。

でもそれまでの暑さや疲れによって結構くたくた。
その上、足をとられる砂地が意外ときつくて、
さらにへとへとになっていきました。
周りの景色もよかったので写真を撮ろうと思ったのですが、
バッグを下ろしてカメラを出すのも億劫で、
たそがれ時の光と闇が微妙な時間で
わたしのカメラだとシャッタースピードが
上がらずにぶれるか、シャッタースピードだけ速くて
黒しか写らないかのどっちかに転ぶ気もして、
友達のカメラを借りて何枚か撮った後は
友達に撮影を任せました。
なお、友達のデジカメは、わたしのものより
二倍くらいお高いものです。

そんなこんなで海辺を楽しみながら、
友達が撮っていた写真がこれです。



写真の色が青く、変に明るいのは、
カメラのオート補正が夕暮れを調整した結果です。
本当はもっと暗くて夕方色をしていました。
しかもこの写真、偶然撮っていたものなのですが、
実は本来、画面中央の木が途切れている右に、
大きな富士山が見える構図だったようです。

実のところこの日、旅行の道行きでは
富士山の近くにずっといたらしいですが、
一瞬たりとも富士山は見えませんでした。
そんな状況だったので、個人的には富士山というのは
もっとずっと遠くにあるのだと思っていました。
ネットで『三保の松原』で調べていたら
同じ構図で富士山がよく映っている写真を見つけて
ちょっとがっかりでした。

こうして思い出ながら書くついでに
ネットで調べてみたところ、
三保の松原は人名に似てるうんぬんよりも先に、
松の景色がきれいなところで有名だったようです。
あのときは松の木一本と海岸ばかりしか
見ていませんでした。
そばにそういう看板でもあれば
もっとよく見られたかもと思うと残念です。
下調べも多少は大切だと思いました。


さて。そこから車に戻ると、もうかなり暗くなっていました。
最近の乾電池のように、太陽も徐々に暗くなって行ったあと、
すとんと電池が切れました。

そこで、もう他には行けないと判断して、
夜のガンダムを見に戻ります。
今度は静岡駅に車をとめたりはしません。
東静岡の駅あたりで駐車場を探すことにします。
――が。
そこでわたしたちは一つの言葉を叫ぶことになるのです。
「静岡クオリティ!」
と。

駅前に駐車場があった気がして探していたら、
うっかり駅そのものに続く道に入っていました。
なぜ気づかなかったかと思ったら、
ガンダムがライトアップされていなかったからでした。



それでもいいやとそばによろうとしたら
入口のところに柵ができていて、
18時までと書いてあって驚くと共にがっかり。
まあ、そんなものかと帰路につきました。
田舎の夜って、早いです。
都会の人間って宵っ張りとは聞きますが、
こういうことなのかなあと
生きている時間のズレのようなものを感じました。

そのあとは高速道路に乗る前にコンビニに寄って
適当にお弁当を買って食べました。
秩父とかの山の中とは違い、静岡は結構そこらへんに
コンビニがあってよかったです。
コンビニって便利だからコンビニなんだ、と
語源的なものを改めてかみしめます。
いろいろ問題になったりするコンビニですが、
やっぱり便利なんだなあとは思いました。

それにしても、旅行に来てなにを食べたかと言えば、
昼は友達が持ってきた棒状のパン。
夜はコンビニで買ったやきそば。
旅行に行って、常にわたしたちは
なにを食べているのでしょうか。

――静岡の名物?
それはたぶん、コンビニの油っぽい焼きそばです。


駅ビルでも一切お土産を
買っていないことを思い出したので、
高速ではサービスエリアに寄って
お菓子をすこし買ってみました。
帰りの道は渋滞もなく、
結構スムースに帰ることができました。
行きのあの渋滞さえなければ、もっと他の場所にも
寄れたと思うので本当に残念です。

でも全体としてみれば結構楽しかったので、
朝に出て夕方まで渋滞に捕まって、
目的地に着いたら帰るだけ、みたいなものだった
足利フラワーパークや箱根へのドライブには
比べようもないくらいよかったです。

なお、旅行中に一リットルくらいは水分を取ったのですが、
帰ってからはさらにおかしいくらい飲み物を飲みました。
冷たいものもおいしかったし、水物というだけで
さらにおいしかったです。
ずいぶん暑かったこともあって、
体内の水分は結構使っていたようでした。

夏の旅行は水分に注意、です。

2010年09月13日 08時00分03秒 | おかし系
レビュー:ガリガリ君リッチ チョコチップ
赤城乳業のお菓子、『ガリガリ君リッチ チョコチップ 』です。



東京で購入したものです。

ガリガリ君リッチは、ふつうのガリガリ君とは違い
多少お高くなっています。
リッチなお子様向けのアイスです。

中身は濃い味のチョコアイスで、味も悪くありませんでした。
さらに中にはチョコのパリパリが入っていて、
食感を良くしているように思いました。
結構おいしいです。
Unknown (澄)
2010-09-14 00:12:34

これは贅沢ですね!
子供にはモッタイナイ
Unknown (あまね)
2010-09-14 18:37:50

とりたてて豊かでないこどもは、
ガリガリ君を一本買います。
リッチなこどもはガリガリ君リッチを一本買います。
強気なこどもはガリガリ君を二本買います。
そしてリッチな大人はガリガリ君リッチを二本買うのです。

2010年09月14日 01時44分08秒 | ちょこのひとかけ
人間の死亡率
最近片付けをしていたら、昔書いたメモなどを発見しました。
そののちも偶然のようにメモの内容に関係する話を
見たりしているうちに、ふと思ったのです。
『人間の死亡率って100%じゃないんじゃないの?』と。

もちろん、そう思うにはいくつかの理由があります。
まず第一には、生と死の定義のあいまいさです。
『生きている』というのは、どこからどこまでのことで、
『死んでいる』というのは、どこからどこまでの
ことなのでしょうか。
いわゆる『死』の直前にある人が、
『死ぬ』瞬間はいつなのでしょうか。
『生きている』のと『死んでいる』との
確固とした境界は、ミリ秒以下の世界に存在しているのでしょうか?

次に、統計としてのあいまいさがあります。
人の死亡は誰かによって確認されることで成り立ちますが、
昔から行方不明になる人はいました。
最近は高齢者が実は行方不明だった、というニュースも
目立つようになってきています。
観察されている限りすべての人間は死ぬのかもしれませんが、
そうして観察から漏れた人間が死んだとは
観察されていないのだから言えないはずです。
よって、そういう人たちは本当に生きていて、
死亡率の例外に入っているのかもしれません。

それから、死亡の確認と似たようなものになりますが、
人の情報処理には0.1秒ほど時間がかかるようです。
ある人が『死んだ』として、その人が自分が死んだとわかるのは、
死んでから0.1秒後です。
人の体がいわゆる『死』の状態になってから、
完全に『死ぬ』までには0.1秒はかかるのではないかと
なんとなく考えたりします。
ではもし、その時間より早く、肉体が消滅したらどうでしょうか。
例えば水爆などで一瞬以下にして消えてしまった人は、
自分の死も自分で理解できず、肉体もただなくなってしまっただけで
自分が変容しただけなのではないでしょうか。

そして最後。魂の話になりますが、
たとえばりんごは『生きている』のでしょうか。
それとも『生きていない』のでしょうか。
わたしはりんごは生きていると考えます。
りんごは放っておけば腐って行きます。
完全に腐って、それ以外になにもならないようにもなります。
一方で、りんごは新鮮なうちに食べることができます。
食べられたりんごは人の体にもなります。
食べられたりんごは死んだのでしょうか?
生きているのとおなじつくりのまま人の体に入り、
人の体で分解されてエネルギーになり、人を活かします。
りんごはどこの段階で死んだことになるのでしょうか。
また、りんごは土に埋まって木になることもできます。
りんごの木はりんごなのでしょうか。
りんごの木の元になったりんごは死んだのでしょうか。

または、たとえばトライアスロンのようなものを考えます。
自転車、水上バイク、ホッピングを乗りついで
ゴールを目指すレースがあったとします。
乗り物はこのレースのために、参加者それぞれに
主催者が用意したものです。
参加者は最初の区間で自転車に乗り、
次の区間では水上バイクにのります。
そこで用意されていた自転車は乗り捨てられ、
以後、他の人が乗ることはありません。
この乗り捨てられた自転車は、死んだのでしょうか?
自転車は自転車として二度と使われません。
この自転車の『死』とはいつのことなのでしょうか。

人の魂というものが輪廻転生を経て巡っていくものだと考えるなら、
人の体はその途中で生をよりよくするための
乗り物みたいなものに思えてきます。
人の本質が肉でなく霊のほうだとするならば、
『生きている』のも『生きていない』のも
それほど大きな問題ではないように思えます。
トライアスロンで乗り捨てられた自転車を、
『ああ、自転車が死んでしまった』と思う人はいないでしょう。
そこで見ているのは自転車ではなく、
なんの変容もせず、自転車を降りてその先へと進んでいる、
変わらない『参加者』の方です。

役目を終えた自転車は『役目を終えた』だけ。
それが『死んだ』か『死んでないか』は、
議論するのもおかしな問題という気がします。
参加者が先に進むために使い、それにより
よりよく進めたことで、自転車自体は『生きた』し、
その人の行程の中で『生きて』います。

同じ自転車たちや、自転車を作った人たちから見れば
その自転車が役目を終えて投げ出されてしまったことは
とても残念で悲しいことですが、
もし、乗っていた人を見られていれば、
それはさほど大きな問題でないと思える気がします。

一番の問題を考えるなら、わたしたちの自分や他人の
『死』への恐怖は、そこに乗る『魂』の存在を
とらえられないことにあると思います。
もしその存在をはっきりと感じることができたなら
『死』は状況の変化であって、本質にはなんの変化もないと
達観できるものなのかもしれません。


ということで、意外と人間の死亡率は0%だったり
するかもしれないとふと思いました。
自転車は自転車であり、自転車に人が乗っているときだけ
その自転車が『生きている』、
その自転車から人が降りたら『死んでいる』なんて
呼び方自体がおかしいからです。
自転車は乗られていても乗られていなくても自転車。
使用中か使用前か使用後かでも、自転車はあくまで自転車です。
もともと人は『生きていない』のだから、
たまたま『生きている』状態になる期間が終わったら
また『生きていない』状態に戻るだけです。
とりたてて死ぬものではありません。

だからこそ問題になるのは、それを壊す者です。
競技の最中、他人から自転車を壊されたとしたら、
乗っている人はその場で自転車を降り、
次の水上バイクへの道のりを走ってレースを続けることができます。
乗り物を壊されたというのは、競技者にとっては
それほど大きな問題ではありません。
でも、自分で乗っている自転車を壊し、
レースを棄権するのは、意味が違います。

その時期、そのとき、愛情をもって大事に使うように
与えられたものを自分勝手に壊し、投げ出して逃げ出すのは
不誠実であり、生命……というか、
魂の本質に反するのではないかと思います。
わたしもかつては死んでしまおうと強く思ったことがありましたが、
今は生きていてよかったと思います。
なんとなく、ですが、多分自転車はいいかげんなところで
自分から乗り捨ててはだめなのだと思うのです。
どんなになっても、他人から壊されるか、
レースの乗り換え設定地点にきて、
そこで降りるしかなくなって降りるか、しかしてはいけない気がします。
よくわからない確信めいた感覚ですけれど。


……ということを、昨日なんとなく思いました。
わかった気になっているうちは心おだやかですが、
そのうちまたそういう気が薄れると、
すごく怖くなるんだろうなあとは思います。

2010年09月15日 01時09分08秒 | ちょこのひとかけ
ゆぶね にしろう
どうも。湯舟 西郎です。
最近窓をあけておくと夜は涼しいくらいになりました。
そこで、ちかごろご無沙汰だったしと、
お風呂は湯船を使ってみることにしました。

最後に入ったのがいつだったかわからないほどだったので
中は土ぼこりのようなものでざらざら。
洗うのにも結構時間がかかりました。

でもお湯を張って入ってみると、
その気持ちよさは驚くばかりでした。

そろそろお風呂の気持ちいい季節です。
Unknown (澄)
2010-09-17 01:57:58

お風呂いいですねー
クソガキの頃はお風呂がとてもとてもイヤでイヤであかぼうずでした。

ゆっくり湯舟につかり、深くため息を吐きたいです。
湯冷めにはご注意あれ。
Unknown (あまね)
2010-09-17 21:52:56

わたしは昔から無駄に湯船につかって
ほんわかしていたので1時間くらい
時間が経つのがざらでした。

これくらいの時期だと汗も引かずに
服を着て、逆に冷えてしまうのも注意です。

2010年09月16日 00時42分23秒 | ちょこのひとかけ
さむ
今日は普通にしていると、とても肌寒い一日でした。
昨日の夜から涼しくて、パジャマも袖とすそが
短いものから長いものへと変えました。
そして今日は、涼しさにがまんできなかったので、
長袖長ズボンを出してみました。

パソコンが動いていると次第に暑くなってきますが、
無しの部屋はいつまでも涼しいままでした。
このまま秋に直滑降していくとしたら、
どうにも憂鬱です。

2010年09月17日 04時54分53秒 | おかし系
レビュー:しずおかコーラ
木村飲料(株)の飲み物、『しずおかコーラ』です。



静岡に行った際に購入したものです。

せっかく静岡に行ったので、なにか静岡らしいもので
ちょっと目新しくてよさそうなものを、と
探している時に目に付きました。
結構そこらへんに売っていたので、
とても買いやすかったです。

見た目は緑で濁っていて、緑茶を使ったような感じだったので
ちょっと面白いなと思い、買ってみました。

でも実際飲んでみると……これが、普通の硬い微妙コーラです。
硬い、というのはわたしの感覚的なものですが、
この場合はつまらない、と同義にとってもらって構いません。

なお、わたしのコーラにおけるやわらかさを順位付けると、

 柔らかい(好き方面)
 ↑タブクリア
 ↑ペプシコーラ

 ↓コカコーラ
 硬い

という感じです。
このしずおかコーラは、コカコーラの下に入るくらい、
硬くて人工的な味でした。

見た目は意外とおもしろいので、おみやげのねたとしては
いいでしょうが、味わってみると楽しめないので
実際におみやげにするには微妙に思いました。

微妙です。

2010年09月18日 01時03分24秒 | トリックスター
トリックスターR さよならはまだ言えない
トリスタ運営からのメールが来ていました。
それによると、ここ一年の間にログインしていないIDは
近いうちに削除されるのだそうです。
……とうとうこの日が来てしまった、という気分です。

たしかに使っていないキャラデータは、
あるだけ容量を使ってしまいますが、
個人的な感情からすると、IDの削除、キャラの削除は
そのままネット上の『死』に直結します。

今まではたとえまたフレンドリストが光ることはなくても
いつか光るかもしれない、という希望のようなものがありました。
でも、IDが削除されてしまえば、
その希望さえなくなってしまいます。

それは、とても――さみしいです。
Unknown (澄)
2010-09-21 08:43:48

ぼくが居ますよ
Unknown (あまね)
2010-09-23 02:02:34

人も時代も移ろい行くとはわかっていても
さみしい限りです
あのころが懐かしいです
Unknown (puti)
2010-10-18 16:33:48

久々に遊びにきました

とうとう抹消ですかぁ…
サブアカウントも含めて5匹のキャラ達とも
完全にお別れですねぇ

やっぱりチョット惜しいかな
全然やってないから削除なんだけど。
Unknown (あまね)
2010-10-19 23:00:44

せめてインだけでも!
一度インすると期限が一年延びるようですから。

……なんだかポイントカードの
有効期限みたいですねえ。

2010年09月19日 01時11分38秒 | おかし系
レビュー:お茶包み
株)銀座みゆき堂のお菓子、『お茶包み』です。



静岡のおみやげです。

おみやげ売り場にならんでいる、
偽物の商品サンプルを見たときはまったくおいしそうに
思えなかったのですが、食べてみたら普通においしかったです。

どういうものかといえば、
薄いパイ生地の中にバターあんを練りこんだような、
洋風おまんじゅうとでもいうようなものです。
実際にはあんこはバターでなくマーガリンのようですけど。
一言で言うなら、中村屋の『うすあわせ』の派生品です。

お茶の風味はほとんどしませんが、
全体の味としてはなかなかおいしく、
楽しんで食べられるお菓子でした。

2010年09月20日 03時02分07秒 | ちょこのひとかけ
メシア
最近、宗教的なものを見る機会があり、そこで述べられていた、
『現在のキリスト教は元々のキリスト教が伝えようとしたものからは
離れているのかもしれない』といった意味の文を見て
なんだか考えてしまいました。

わたしは旧約聖書を多少読んだくらいなので、
キリスト教がどんなものかは知りません。
でも、わたしと同じくらいの人だって、
ほとんどが名前くらいは知っていると思われるほど
有名な宗教です。

その中で、メシアであるといわれるイエスの大きな功績は
人の罪を一身に背負って殺されることのように
言われているように思いますが、
よく考えてみると、それも本当なのでしょうか?


今までの歴史を見ても、宗教というものは
集団を統治するためには有効であったし、
また有効であると思われています。

たとえば古代日本の卑弥呼が宗教的な力で
国をすべようとしていたと言われれば、
それもそうかもしれないと納得させる力が
宗教にはあります。

そうやって集団をおさめようとしてきた人間は
あまたいますが、世界をも揺るがした人物というのは
ほぼ0に近いと言っていいほどのすくなさです。
それは何故かと考えるならば、時代を作るには足りないほどの
じっぱひとからげな宗教者は数多くいても、
本当の力のある人はほとんどいなかったからと
考えるのが妥当でしょう。

つまり、その点においても、イエスやブッダなどは
そこらの宗教者とは確実に違う何かを持っていたはずです。

日本的宗教観では、
『そこらへんに神様がいて、それを拝めば宗教』というような
感覚がどこかにあると思います。
それはたとえば、日照りで水がなくなるのは
太陽の神様が怒っているからで、
その怒りを静めるためには生贄をささげたりして
ご機嫌を取り、拝むのが一番、というような
考え方からも来ています。

一方、ヨーロッパ的な宗教観では、
神様は人に指針をあたえるものなので、
人たちはそれに従うもの、というような考えがありました。
『神様が命じるから隣国を攻め滅ぼそう』というような
いいわけに通じる信仰形態です。

これは、発生の方向と形は違いますが、
人々を縛るだけの力は持っています。
「『おまえが』生贄を拒むから、神をばかにするから、
日照りが起こったのだ」
「『おまえが』神の言葉に従わないから村が危機に陥るのだ」
といった脅し言葉に使えるからです。

これこそが、いま、もっとも世界にある神であり、
信仰でもあります。
こんなのと同じことをやっている人など
かつてからも数え切れないほどいたでしょうし、
聞いたところで目新しくもなんともありません。

では逆に、目新しいと感じるのはどんなものでしょうか。
それを伝えることによって、為政者から危険分子として
処分されてしまう考えとはどんなものでしょうか?

そう考えると、『神が人を縛る』、
『人は神にしばられるべき』なのが従来の宗教なのですから、
それを反対にして、
『神は人を縛らない』、『人は自分の行動に責任を持つべき』
というようなものを思いつきます。

そういう教えは、実際にいくつかあります。
そのどれも、一定程度に有名になっています。
たとえば道教を見ると、『○○していれば宗教になる』
というような教えは存在しません。
十字架に祈っていれば宗教になったり、
日曜日にミサに行けば宗教になったり、
行かなかったら信仰が薄いように思われたりはしません。
あくまで、どのように生きるか、の『道』の教えです。

仏教も本来は、数珠を回して読経していれば仏教、ではなく、
どのように生きるかをまとめたらお経になったのであり、
生の指針、生のありかたを教えるためのものです。

たとえばそれは、浄土真宗の悪人正機に
まとめられるような考え方に思われます。
『正しい道に従い、真摯に生きた人間は、
自分自身の行いにより、魂が救われる。
でも悪人は人を傷つけ、自分を傷つけることで
悪い因果を引き寄せて、他人の痛みと等価の苦しみを
死んだ後や来世で経験することになる。
だからそういう悲しい縁を断ち切るための
導き、気づきを与えることは必要なのだ』
と、そういった考え方です。

こういった考え方は歴史上にたびたび出現し、
結果としてそれを広めた人間は、名を残すことになっています。
となると、イエスの考え方もそれに近いものだったのでは
ないのでしょうか。

ギリシャ神話などのような、人格を持った人間に近い神、
人に命令し、人を縛るとされる神ではなく、
裏表を含めた宇宙そのものである神。
人はそこにうまれ、そこに帰っていく存在です。

神が人を縛らないとすれば、『その人』を作っているのは
『その人』自身でしかありません。
人生を学び多いものにするのも、貧しいものにするのも、
すべては個人個人にかかっています。
人は神に任せて安心を得るのではなく、
自分自身が責任を持ち、人生を良い方向に向かわせるように
働きかけていかなくてはいけません。

……とすると。自分の救世主になりうるのは自分だけ。
傲慢や憤怒などで罪を犯したとして、
イエスに祈ったところで罪を消してはくれません。
自分が罪を犯した記憶は自分に残るからです。
それをどう償っていくのか、本当のつぐないとはどういうものか、
真摯に生きるにはどうしたらいいのかの気づきを
イエスは与えてくれるかもしれませんが、
直接救ってくれはしないのは、現状をみても明らかです。
個人的には、イエスは直接的なメシア・救世主ではなく、
間接的に救済のきっかけを与えてくれるもの、というように感じます。

でもそう取ると、聖書の神の行動や理論は、
明らかに矛盾だらけに思えてきます。
それも、人為的に改変したとしか思えないレベルです。



わたしは特定宗教は持っていませんし、
この先 はまるつもりもありません。
でも、ビフォーキリスト、アンノドミニと、
時代の分かれ目に名前を刻むような人なのですから、
イエスとはたぶんそれほどにすごい何かをしたのでしょう。
どういうことを話し、それはどういう意味だったのか、
歴史の手垢にまみれて汚された解釈などではなく、
本物の内容を聞いてみたかったと、すこし、思うのです。

2010年09月21日 00時41分55秒 | レビュー系
レビュー:真・女神転生 STRANGE JOURNEY
ニンテンドーDS用のゲームで、
3Dダンジョン探索型のRPG、
『真・女神転生ストレンジジャーニー』をクリアしました。

世界に変な空間ができて地球を飲み込み始めたので
その中に調査に行ったら悪魔が出てきてさあ大変。
しかも戻れなくなったのでどうにか脱出しようと
ダンジョンの中を冒険していくお話です。


システムとしては、『世界樹の迷宮3』っぽい
マップ探索・解放型の3Dダンジョンを移動していくものです。
こちらはオートマッピングなので書かずに済んで楽でしたが、
LやRボタンで視点を固定したまま横に平行移動が
できないのが地味にいらつきました。
世界樹3であれば、左にジグザグの道の場合、
↑・Lを押しながら←・↑
というキー操作の繰り返しでいけたのに、
このストレンジジャーニーの場合は
↑・←(向き変更)・↑(前進)・→(向き変更)・↑
というキーを入れないといけません。
これだけでもキー操作が2手増えます。
それをすべてのマップでやらされるので、
世界樹をやったあとだとめんどくさくてたまりませんでした。

そのマップにおいては、操作のめんどくささもさることながら
マップの仕掛けがなにより面倒でたまりませんでした。
マップのある地点まで行くと、別の地点に飛ばされるという
マップの場合、飛ばされる先を脳内で保持できる以上の
パターンを出され続けるので、本当に疲れます。
しかも、マップはどれも同じような形なので、
どこを選んでどこに飛べばどこに出るのかの
一本を見つけることも途中でできなくなることがしばしばです。

さらには、オートマッピングがされず、
画面上に地形も出ない場所が何度も出てきます。
いったんその場所を抜けると、
画面上で地形だけ見える手段が手に入ることが
しばしばなのですが、『いったんその場所を抜けると』が問題です。
そもそも見えていないのですから、どこに行けば抜けられるのかも
まったくわかりません。
そのため、一歩進んでは右を向いて前進、
左を向いて前進、進めなければ元の方向を向いて
また一歩前進、というマップのつぶしプレイみたいなことを
する必要がありました。
……それでもわたしは、ある箇所でつまってしまい、
何度やってもその先に行けなくなったので
攻略サイトを見てしまいました。

また、マップ上に度々ある、隠し扉もひどかったです。
画面上で隠し扉の正面に立ち、
隠し扉に対して顔を向けたときにのみ、
隠し扉が存在するマークが出てきます。
隠し扉の先が消費アイテムなどの適当でいらないものなら
それでもいいのですが、その先に必須アイテムや
いかなければいけない場所があるので、もう大変。
一歩一歩左右を確かめてから前進するという
ばかばかしいことをさせられ続けました。
これなら、せめて扉の前に立ったときに
反応してほしかったと思います。

加えて、マップ上の効果アニメーションが非常に遅いです。
アイテムを取ろうとするとき、暗闇に入ったときなど、
普通にそのままゲームがつづけばいいのに、
ピピッと読み込む音から始まって、
モザイクをスキャンするように上から下へ、
そしてようやく形があきらかになり、
そこからどうするかが出るような、
体感時間では5秒くらいかかる処理が、
毎度毎度起こります。

オートマッピングされないダンジョンを歩く時など
こまぎれになっている部分の扉を開けるごと、
入るごとにその処理が入るので
ゲームを中断されて非常にいらいらしました。

ストレンジジャーニーは、とにかくマップがらみが
劣悪な操作性です。
マップを自分で埋めるのは、わたしには無理でした。
攻略サイトのマップがなければ、
クリアすら無理だったろうと思います。
ゲームがゲーム内で解決されずに、
外部の手段にたよらないといけないなんて、
それはゲームとして間違っているとわたしは思います。


それから、RPGの中心となるバトル。
それぞれの敵と最初の一回目の戦闘だけは相手の姿が見えず、
何と戦っているかわからない、というのはおもしろかったです。
でも、それ以降の情報の増え方には納得が行きませんでした。
せっかく情報システムがあるのに、
それを増やすのは同じ相手と何十回と戦わないといけないのです。
たとえ一度相手の弱点を突いても、その弱点が記載されるのは
何十回も戦ったあと。
もしその弱点を記録しておきたいと思うなら、
メモに書いて置くしかありません。これは理不尽です。
それよりも、弱点をついたならそれをその都度
情報に書き加えて行ってほしかったです。
そうすれば同じ敵に出会ったときでも、
情報を埋めるために違う攻撃をためしてみるという
あたらしい刺激を受け続けられたのにと思うからです。

また、バトルではバトル中に敵の弱点をつき、
自分の性質と似た仲間がいた場合にのみ、
おまけ攻撃が発生するシステムがあります。
これは弱点をついただけではだめで、
同じ性質の仲間を用意しないとほとんど意味がない上に、
仲間を用意して追加攻撃が発生しても
たいしたダメージにはならないため、
縛りだけきつくてなんの役にも立たない感じでした。

それからバトル後ですが、経験値が全体でどれだけ入ったかは
表示されますが、それぞれに対し、いくつ入ったのかが
表示されないのは不便でした。
一応メーターでどれくらいかは示されますが、
あまりに漠然としすぎて目安にはできませんでした。
しっかりとそれぞれ数字で出てほしかったです。


次に、このシリーズおなじみになる、悪魔合体。
今回はスキルを連綿と受け継ぐ、ということが
できなくなっているようです。
AとBという悪魔をかけあわせてCという悪魔を作ったら、
AとBのスキルはそれぞれCに行きますが、
その受けついだものを、Cがそれ以降に
続けて受け継いでいくことはほぼできません。
完全ランダムな受け継ぎではなくて、
なにが受け継がれてしまうかはほとんど決まっているようです。

それをどうにかするために、その悪魔のスキルを
受け継がせるための『デビルソース』というものもありましたが、
これは仲間の解析度が最大になっているとき、
レベルアップした場合にのみ手に入れられます。
でもすんなり手に入るのは初回のみで、
一度使うと二度目を手に入れるのは、
その仲間をひたすらレベルアップさせて、
低確率で出てくるのを待つしかないというのが嫌でした。
そうして手に入れたとしても、受け継いでいけるのではないため
苦労に見合わない気がして、
わたしはこれを一度も使うことができませんでした。

ただ、一度作った仲間はレベルアップして
能力値だけは伸びていくので、
愛着を持った仲間を使い続けることができるようになっていたのは
よかったと思います。
ただ、仲間はどれだけ増えても並び替えができないのは
このシリーズをやっていて毎回不満が残ります。


今回のゲームでは、仲間はパスワードで出力や入力が
できるようになっていたのはよかったです。
パスワードはファミコン時代の復活の呪文のようですが、
これによって自分では育てられないような
仲間を手に入れられるようになったことで
プレイに救いができました。
ただし、そのせいか、仲間を呼び出すには
たとえパスワードを入力してもゲーム内のお金が必要で、
いままでのように金額がレベルで決まるのではなく、
持っているスキルで決まるようになっていました。
それも、いいスキルは一個だけでも莫大なお金がかかるため、
自分が作った普通の仲間でもかなり呼び出しにくくなっていました。
わたしは自分で作るのは半分あきらめて、
お金をためて他の人が作った、
強い無属性魔法を使えるキャラを買ってしまいました。


ストーリーは、中盤ごろまでの探索や
アクシデントなど、次はどうなるのかと
気になりながら楽しんでプレイできました。
でも中盤過ぎから、天使や悪魔がでてきて、
うっとうしくなっていきます。

わたしは天使も悪魔もうさんくさかったので
人間として両者の間に立ちたかったのですが
そういう選択肢がなかったので、
とりあえず両方とも殺すはめになってしまいました。
エンディングは、人間はこれから自分たちで
進む方向を見極めていかなければいけないんだ、というような
きれいな終わり方にはなりましたけど、
盛り上がりに欠けました。

ストーリーの中盤までで一番気になったのは、
大量の部隊員がいるはずなのに、
なにかをするのは常に自分だけ、というところです。
『強い敵がいる』→『主役が倒す』
『何かが必要』→『主役が取ってくる』
正直、自分だけいれば他はいらなかったんじゃないか
とすら思いました。他の人はサボり過ぎです。
そして、嫌なところで造反するので、
結果論としては邪魔でした。


ゲームとしては中盤ごろまでは
かなり楽しんでプレイできていましたが、
終盤に入ってからはとにかくつらかったです。
むちゃくちゃなマップのトラップに、
むちゃくちゃな強さのボス。
早く終われ早く終われと思いながら
攻略サイトに頼りきってプレイしました。

ラスボスに至っては、こちらのHPが最高でも999までしか
いかないというのに、ガードしていても
1000以上受ける攻撃をしてくる始末です。
これに勝つには、特定の装備をするか、
もくもくとレベルを上げるか、
もしくは運を頼りに死なないうちに倒すしかありません。


ゲーム全体として見ると、
最初は楽しくてもその印象を後のほうで完全に
ぬぐいさってしまうほど、とてもきついゲームでした。

2010年09月22日 00時05分48秒 | おかし系
レビュー:うなぎパイ ミニ
春華堂のお菓子、『うなぎパイ ミニ』です。



静岡のおみやげです。

うなぎパイといえばやたら長い形のものがおなじみですが、
こちらは短い上にビニール包装で箱入りでなく、
値段も安い気がしたので、家用のおみやげだからと
こちらを買ってみました。

ものは薄いパイ皮にナッツの粉を混ぜて
ハチミツを塗って焼いた感じの、クッキーっぽいお菓子です。
香ばしいかおりにさくさくした歯ごたえで
なかなかおいしかったです。
名前も有名ですし、味もいいので
お土産として充分通用すると思います。

ただ、後に友達から聞いた話だと、
うなぎパイには従来のものと新しいものとがあるそうで、
ナッツ入りのは新しいものなのだとか。
実際、こちらもナッツ入りでした。

初めから知っていれば、ピーナッツが入っているのと
入っていないのとではどう味が違うのか、
二種類を買って食べ比べられたのに、残念です。


2010年09月23日 00時43分08秒 | ちょこのひとかけ
ぶどう
昨日、お月様用にぶどうがお盆に載せてありました。
まずささげたのち食べてみたのですが、
その中には皮ごと食べられるものがありました。

種を噛んで、ごりっとしたらいやだなあと
最初の方は考えながら食べていたものの、
しばらくしたらそんなことも忘れていました。

それを思い出したのは、今日残りを食べようとしたときです。
パックには『種なし』という文字があったのです。
わたしはぶどうは結構好きで、
皮をむくのでも中身を吸い出すのでも、
やめられなくなるぐらいもくもくと食べます。
でも、中身を吸い出すものならともかく、
皮をむくものは、爪を切ったあとだと
皮の破片や硬い部分が爪の中の肉を押し下げて、
しばらくするとすごく痛くなってくるので
なかなか難しい食べ物です。

けど、それが。
皮もむかずに、種も恐れずに食べられるなら、
もうぶどうって無敵じゃありませんか。
まあ、好きな味の品種があれば、ですけど。

技術の進歩は目を見張るばかりです。

2010年09月24日 22時53分11秒 | ちょこのひとかけ
黒い羽ばたき
家族で夕食をとっているとき、ふと横を見ると、
台所の方に向かってとぶ、大きな物体が見えました。

ちょっとこげちゃで大きかったので、
『蛾かなあ。追い出さなくちゃなあ』
と思いながら目で追っていたのですが。
冷蔵庫の扉に止まって羽根を畳む姿をみた瞬間、
思わず顔をそらしました。

あれです、アレ。
右手は心臓を握るように、胸部を握り締め、
恐ろしさに顔も戻せず、声も出ませんでした。
最近はあらかじめ倒しておくタイプの薬を置いてあるので
夏の間も、入りに1匹、中間に1匹見ただけだったのですが。
最後にこんなのに出会ってしまうなんて。

とりあえずどうにか存在を伝えられたので
わたしは退避していましたが、残念ながら取り逃したそうです。
でもその間に対峙する父に飛び掛ろうとしたりと
ずいぶんアグレッシブだったようす。

しばらくの間台所あたりが恐ろしくたまりません。

2010年09月25日 02時58分03秒 | ちょこのひとかけ
だまし
父がひどい騙しにあってしまったようです。
落ち込むのでなく怒る姿は、怒りの精霊にでも
取り付かれてしまったようで
恐ろしくて泣くしかできませんでした。

祖父は苦難の連続だった人で、
人から騙されることもぼちぼちありましたが、
父にまで来るとは思いませんでした。

わたしは人の嘘を見破るのが病的に苦手で、
社交辞令もほとんどわかりません。
だから、人はみんな他人だし、
人はみんなわたしに対して嘘をつくと思っています。
わたしが誰かを愛することができないのも、
そういう下地があるせいなのかもしれません。

わたしも他の人みたいに、いっときの快楽のためなら
舌先三寸で相手からお金を借りて逃げたり、
一生愛せるかもわからない相手に愛してると言ったり
できもしないことをできると言ってみたりを
平気でできる人間だったらもっと生きやすかったのでしょうか。

わたしにも、もっと運があればいいのに。
どんなマイナスも補うだけの強い運があれば
この不景気だって好景気になって60年くらい続いたり
簡単に就職できたり、周りの人間も平和に平等にくらせたり
できるように巻き込めるのに。

2010年09月26日 02時28分09秒 | ちょこのひとかけ
レビュー:チョコバナナクレープ
株)ロピア のお菓子、『チョコバナナクレープ 』です。



チョコバナナをクレープの皮で
包んだだけのような食べ物です。

温度のせいなのか持ち運び方のせいなのか
食べる時にはぐちゃぐちゃのあわあわになっていました。

クレープである楽しみも何もありません。
中途半端で大したことのない味でした。

2010年09月27日 01時21分08秒 | ちょこのひとかけ
田舎のおそろしさ
わたしはいわゆる『田舎』というものを知りません。
札幌を知らない人は、どうも札幌駅自体を
羊ヶ丘のバス停のように思っていて、
出たらはるかな草原と羊や牛がいる景色が
広がっていると思っているようなふしがあります。
でもそういう人には繰り返し言いますが、
札幌なんて品のいい新宿みたいなものです。
オフィス群が並んでいるだけで、
基本的に人が住むところではありません。

そもそも北海道移民なんて、
田畑の相続を長男かだれかの一子に相伝しなければならないという
古い時代の法律によって食い扶持をなくした次男坊以下がたちが
どうにか食べていこうとして渡ったのが大部分。
いわば貧しい人たちの群れです。

なので、結婚式やお葬式も、そうとは知りませんでしたがとても簡素です。
たとえば結婚式に80万かかるとしたら、
新郎新婦がまず80万を前払いして用意して式を開くと、
みんなのご祝儀などが最終的には80万くらいになり、
式の費用と とんとんになってみんな幸せに終わります。

でも、東京に来て友達の結婚式に出て、
そのあと話を聞いたら、こちらの結婚式は
そんなものではないようです。
式に200万くらいかかり、
参加者はご祝儀もみんな5万くらいもっていき、
親からのも含めるとご祝儀だけで300万くらい集まるので
それで新婚旅行に行ったり、家具を買ったりするのだそうです。
札幌から出たわたしとしては、常識すら違うことに
ただただ驚きました。

それはさておき、田舎です。
北海道もそういう点で地域としては『田舎』になりますが
歴史としては『田舎』にはなりません。
そもそもわたしが札幌近郊なので、
『農家のしきたり』とか『何代続いたなんとかの末裔』とかの
縛りを一切知りませんでした。
そもそも札幌で不便に思うのは、
東京のお店などとやりとりすると輸送費があがることと、
冬の雪と寒さくらいです。

そんなこんなで、田舎なんて
ただおじいちゃんおばあちゃんがいる場所、
くらいの認識しかなかったのですが、
この前ひどい話をみかけました。
なんでも、村の長老みたいなものが無茶を言えば、
たとえ法律違反でも、村ぐるみでその犯罪がなかったことになるし、
家の鍵さえかけておくことも許されなくなるのだそうです。

いつの時代の、どこの封建集団だろうね、と
友達に笑って話したのですが、
友達は「多かれすくなかれ、そういうもんだよ」と
困ったように笑って言いました。

友達の親は、田舎を嫌って東京に出てきたのだとは聞きました。
わたしも、お店の多い東京に住んでみると、
田舎は買い物もろくにいけないし、暗いし
病院も近くにないし、都会のほうが生活には楽だなあと
うなづいていたのですが、そういうものではなかったようです。
むしろその、呪縛のような田舎のねっとりとした
人間関係が嫌だったらしいです。

下手をすれば、好きでもないどこそこの男のところに嫁にいけ、とか
むりやり嫁にするために強姦するとか、
それを女性が訴えても駐在の警察官さえ村の人間なので
事件にもせずに黙殺するとか、
そういうことすら起こるのだそうです。
それでも大きな声を上げれば、村八分どころか
集団で暴行して二度と声も上げられなくして、
その暴力も口裏を合わせて本人が事故を起こしたせいにするとかで
まとめることもあるのだとか。

そんなとこ、怖いし気持ち悪くて住みたくないねと言ったら、
友達は、わたしに田舎の話をしても、
いやに淡白に聞いてたから わかってないと思ってたと
そんなようなことを言いました。

……考えると、学校にしろ、官庁にしろ、取調室にしろ、
閉鎖空間とは恐ろしいものだとしみじみ思います。
どうすればいいのかの具体案など持っていませんが、
やっぱり風通しはよくないといけません。
すくなくとも男子校や女子校など、
単性高校は廃止すべきだと思います。
あの下品さ、無法地帯っぷりは取り締まられてしかるべきです。
とりあえず異性の目がある共学にさえなれば、
多少は改善される気がします。


人間関係が希薄すぎる今の状態が人間にとって一番とは
決して言いませんが、犯罪すら犯罪にならない田舎と、
隣家の人の顔も知らないような都会とでは
どちらがいいかと問われたら、わたしは都会の方がいいです。


ああ、田舎がない、歴史がないってすばらしい! 街なか万歳!
Unknown (澄)
2010-09-28 00:47:22

田舎は訪れる所であって住むところではない、と感じました。
なんだで都会が好きです
Unknown (あまね)
2010-09-29 07:20:03

改めて風景を集めたサイトを見ていたら、
やっぱり山と田舎のあるところには
変な憧れのようなものを感じました。

だれか友達が住んでいて、休みの間
適当に転がり込むなら楽しそうですねえ

2010年09月28日 01時34分09秒 | ちょこのひとかけ
冬に至る道
最近はもう、残暑のぶりかえしなどなくなって
ずいぶん寒くなってきました。
Tシャツの上にはシャツをはおり、
足も素足ではいられなくなってきました。

最近結構調子がよかったので、
置いてあった冷たいお茶を飲んだところ……
久しぶりに後悔する状況に陥りました。
もう冷たいものは危険な時期になったようです。

冬場に寒いところでアイスを食べても
壊れないような強いおなかは
どうやれば手に入るのでしょうか。


強くなりたいです。

2010年09月29日 19時29分36秒 | トリックスター
トリックスターR 3500枚の果て
ガーディアンをレアにするために、
カード識別1600回はノルマです。
……が。それよりも、1600回やっても、
そもそもガーディアン誕生の前提条件である
シークレットカードがそろわなければ
1600回やっても意味がありません。

すでにわたしのうさぎは1600回やっているのに
シークレット16だけが出ていません。
その16をねこで出すという目標もあって
識別を続けていましたが、とにかく出ませんでした。
これはだめかもしれない……と思っていたら、
ねこでのほぼ1600回目に近づいたところで、
ようやくシークレット16が出ました。
それまでにフレンドさんの分も300枚は やっていたので
合計すると1枚のシークレット16を出すのに
3500回はカード識別をやったことになります。
この極端な偏りを思うと、この設定にした人間を
殴りつけたくなってきます。

カード識別の反応は、シークレットが出る・コンボが規定数決まる、
でカウント追加のはずでしたが、
1600枚きっちり集めてから始めたねこできちんと数えたら、
シークレットもコンボも決まったはずなのに
1600回フルになるまで反応が消えませんでした。ふしぎです。

結果はこちら。



1600枚やってシークレットは60枚。
約27枚ごとに1枚出た計算になります。

前回のうさぎ(2010-08-05)の日記を見てみると、
識別1600回でシークレット59枚、
約27回ごとに1枚、と書いてあったので、
シークレットの出る確率はだいたいこんなもののようです。

とりあえず16をもう一枚出さないと、
うさぎのガーディアンが誕生できません。

2010年09月30日 00時20分26秒 | おかし系
レビュー:おせんべい(しょうゆ)
株)ヒコハンSSのお菓子、『おせんべい(しょうゆ) 』です。



滋賀県のおみやげだそうです。

おせんべい自体は硬すぎず柔らかすぎず、
表面にしょうゆを塗ったいわゆる普通のおせんべい……
としかいいようがないものでした。

味の特長は特になく、表面に刻印された
ひこにゃんだけがすべてです。
普通でした。
Unknown (澄)
2010-10-01 18:42:50

ひこにゃんを食したあまねさんは最強です
Unknown (あまね)
2010-10-03 03:46:54

フオオオオオ……
彦根のパゥアーが流れ込んできよるわ……ッ!