<研修のまとめ>
                           作成日:2006.12.27
                           修正日:2008.06.27

泉南市消防本部 AED講習会より

「人間関係づくりプログラム 教職員向け研修」
   講師 松木 正(マザーアースエデュケーション)

「学力の新しいルール」
   講師 立命館大学附属小学校 副校長 陰山英夫 氏

「車椅子バスケット選手が来校〜体験講座より」
   講師 日本パラリンピックキャラバン実行委員会

「レモンさんのPTA活動より」
   講師 ラジオDJ 山本シュウ氏

「生活保護制度とは〜児童の発達保障のための生徒活用法」
   講師 神戸女子大学 助教授 松崎喜良 氏

「人と人がつながりあう学校・地域づくり」
   講師 神戸大学発達科学部教授 二宮 厚美 氏

「中学生について考える」〜小学生時代との違い〜
   講師 スクールカウンセラー 上野弘司 氏

「気づかせて動かす 熱情と理のマネジメント」
   山口良治・平尾誠治 著より PHP研究所刊より

「いいもんだよ生きるって」
   講師 夜回り先生 水谷 修 氏

「授業の腕をあげる法則」
   向山洋一 著より

「あなたの明日のために」
   講師 松上京子 氏

「不登校への対応と学校の取り組み−スクールソーシャルワークの視点から−」
   講師
 関西福祉大学講師 半羽 利美佳 氏

「ノンリニア映像編集と授業での活用方法」
   講師 和歌山大学教育学部 豊田 充崇 氏

韓国済州島紀行

教育改革の動向と学校と学校事務 〜学校への「要望」「苦情」そして「イチャモン」〜
   講師 大阪大学大学院教授 小野田正利 氏

2005年度夏季心理カウンセリング講座
   講師 臨床心理士 上野弘司 氏


ちょっとひと工夫学級びらき(明日も楽しみ学級経営)
   講師 大阪市立鷹合小学校 教諭 前田睦男 氏

泉南警察署の防犯教室より

「子どもが育つ魔法の言葉」Children Learn What They Live Parenting to Inspire Values
   ドロシー・ロー・ノルト著 PHP研究所刊より

「悲鳴をあげる学校−「教育改革病」からの回復」
   大阪大学人間科学研究所・教育制度学研究室著の論文より

「ゲーム脳の恐怖」
   森 昭雄 著 NHK出版より

「青春がはじける学園−仮面をはずす子どもたち−」
   千代田学園高等学校 著 清風堂書店より

「写真・カットの効果的な使い方」
   講師 関西共同印刷所 松宮一之氏

「子は親の鏡」

「夜回り先生の卒業証書 冬来たりなば春遠からじ」
   水谷 修 著 日本評論社より

「学級再生」
   小林正幸 著 講談社現代新書より

人間関係づくり−=出逢う・関わる・学びあう=」
   講師 で・き・たね プロジェクト 神坂 登茂子 氏

府教委の人間関係の研修の時にもらったプリントより

教職員のための哲学講座より
   講師 関西勤労者教育協会 槙野理啓 氏

「企業経営の新しいあり方を求めて−社会貢献・企業倫理−
   講師 イオン株式会社西日本カンパニー 人事啓発室長 水町 繁 氏


泉南市消防本部 AED講習会より 2008.5.18

 5/18は泉南市消防本部でAEDの講習会を受けました。
泉南市では各中学校に6/1付けでAEDが配備されるので使えるようにするためです。

 研修を受けて、AEDを使うよりもCPR(心配蘇生)の方が大事だということがわかりました。以前に2回ほどCPRは受けたのですが、何年かに1度、やり方が大きく改訂されるそうで、2005年の改訂で以前とくらべてずいぶん簡素化されていて、コンセプトは「強く!、早く!、絶え間なく!」となっています。

 また、設置場所は学校の場合、鍵がかかっている可能性もある保健室ではだめで、他の職員もおり、必ず電話もあり、生徒も走り込める職員室であることが重要だと思いました。

AED:Automated External Defibrillaors
除細動
CPR:Cardo Pulmoray Rescuscion
心肺蘇生

○命が失われようとするとき
倒れている人の
 反応がない
 呼吸がない
 大出血がある

○「生きている」とは
気道から空気中の20%の酸素を
  ↓
肺で血液中に取り込み(呼吸)
  ↓
脳および体中に送り込んでいる状態(循環)

救急隊到着
  ↑
全国平均6.5分
泉南…5分
  ↑
年々時間が増加している
  ↑
救急要請の増加

【救急隊がくるまでになにができるか?】
○応急手当

1.反応がない
■刺激を与えて見る
 軽く肩をたたきながら、大声で呼びかけてみる…10秒程度
   ↑
 目が動いたり、顔をしかめたりするか
※赤ちゃんは足の裏を刺激する

□助けを呼ぶ
 119番通報、AEDの用意
※「あなたは119番に通報して、あなたはAEDを持ってきて!」と指名してお願いする。
※自分しか助ける人がいない場合
 成人…先に119番
 小児・乳児(8歳以下)…先にCPR(心肺蘇生)を2分(5サイクル)行ってから119番
※小児は呼吸の停止により心停止に陥る場合が多いため。


2.呼吸がない
■反応がない場合、下が喉につまり気道閉塞をしている可能性あり
 気道を確保
   ↓
 頭部後顎挙上法
  頭を後ろに反らせ、顎を突き上げさせる
   ↓
目で見て、耳で聞いて、頬で息を感じる…10秒以内

※「死戦期呼吸」…あえぎ呼吸かどうか見る。
 この場合は呼吸ができていない状態

□呼吸がある場合
  ↓
回復体位をとらせる
 横に寝て
 下顎を前に、
 上の手の甲に顔を乗せ、
 上の足の膝を90度に曲げる

□呼吸がない場合
  ↓
人工呼吸 Breathing
胸骨圧迫 Circulation
電気ショック Defibrillation
※「心臓マッサージ」という言葉は誤解を生みやすいので、「胸骨圧迫」に統一された。

○人工呼吸
 気道確保をおこない、
 鼻をつまむ
 相手の口全体を自分の口で覆うように
 吹き込み約1秒…2回まで

※人工呼吸は省略してもよい
 感染防止の防護具が用意できない
 顔面の嘔吐物がある場合
 自信がなく混乱している場合

○胸骨圧迫
 圧迫 4cm〜5cm
 リズム 100回/分
 部位 乳頭と乳頭を結ぶ線上の胸骨
※乳児の場合は、もう少し下を指で圧迫
※たとえ呼吸がなくても、血液中に残っている酸素を体内全体に送ることができる。その結果、回復することもある。

○AED 直訳すると、自動体外電気ショック
 心停止している場合に有効
   ↑
痙攣(ケイレン)=細動の時←VF…有効
心室頻拍←VE…有効
心静止…無効

 基本的に2枚の電極パッドを心臓を挟んだ右胸と左脇腹に貼るとAEDの装置が心電図を取り、自動解析して電気ショックを与えるか判断する。
 装置が音声案内をするとおりに操作すればよい。
※1歳以下の乳児には使用しない。
※小児の場合は胸と背中に電極パッド貼ってもよい。子ども用のパッドがない場合は大人用を使う。

※装着時もできる限りCPR(心肺蘇生)を続ける事が重要。

※大きめの電流が流れるので感電の防止のため、
患者の胸・腹を全部露出させる。緊急なのではさみで切り裂くのが効果的。
濡れている場合はタオル等でふき取る。
   ↑
 はさみとバスタオルをAEDと一緒に保管しておくとよい。

※心電図を取る際は誤検知防止のため、CPRを中断し、周囲の人にも離れて静かにしてもらう。

※電気ショックをかける時、感電防止のため、周囲の人に離れてもらう。

※電気ショック後もAEDの装置は動作して心電図を計測し電気ショックの指示をだしたりするので、反応が出て、呼吸が戻った場合でも救急隊が到着するまで、はずさない。

※反応が出て、呼吸が戻った場合は、回復姿勢にする。

※型式によっては古いプログラムが搭載されている場合があるが、その場合でもそのまま指示に従って操作すればよい。

※現在、国内では3種類の機種があり、ふたを開けると自動的に電源が入るものと、電源スイッチを入れる必要があるものがある。電気パッドと本体とのジャックがちゃんと接続できているか確認する。


3.大出血
 止血…傷口を直接押さえるのが効果的

 血液は体重の8%の量
    ↓
 体重60Kg…4.8L

■血液の1/3を失った状態→大出血
   蒼白・体温低下・脈拍弱くなるなどの症状
    ↓
□血液をできるだけ失わせないように止血する
    ↑
 傷口にガーゼやタオルを当て、体重をかけて圧迫する
  血液で濡れてきたら交換

※感染症にかからないよう、血液には直接ふれないようゴム手袋やビニール等を利用する。


【その他の応急手当】
○創傷
 傷口を水道水で洗い流す
 異物や汚物を洗浄

○熱傷
 冷水で冷やす
   ↑
 やけどが広範囲の場合は10分以下にとどめる

 水ぶくれはつぶさないよう、そのままにする
   ↑
 つぶすとその部分から容易に細菌が侵入する

○蛇・ハチ
 安静にする
※蛇の咬み傷から毒を吸い出すのは根拠なし
※ハチはアナフラキーショックが起こると30分ほどで命の危険があるので、病院を受診する

○偶発性低温症…体温34度以下
 暖かい場所へ移動し、濡れた衣服を脱ぐ
 毛布等で保温する

○毒物
 中毒センターにまず相談する
 皮膚に着いた化学的毒物は洗い流す

○痙攣(ケイレン)
 ケイレン中は抑制しない
 危険物を遠ざける
 咬舌防止は不要
 反応がないときは、CPR(心肺蘇生)、AEDを行う

○溺水
 救助は救助訓練された救助者が行う
  ↑
 2次災害が起こる可能性が高い

 陸から浮く物を投げて、ロープを投げ渡す
  ↓
 浮き輪、ペットボトルにロープを結ぶのが効果的


<人間関係づくりプログラムの教師向けの事前研修より 2007.5.14>
人間関係づくりプログラム 教職員向け研修 
   講師 松木 正(マザーアースエデュケーション)



○ものの見方
 天井を見上げて、指を垂直に立てて時計回りに大きな円を描き、だんだんと自分のヘソに円を螺旋状に小さく描いてゆく。
 そこで気づくものは?
   ↓
 最初は時計回りだったものが、目線の高さより低くなると反時計回りに見える。
   ↑
 ものの見方は視点によって異なってくる

○人と人とで常に反応し合う
人生←反応→人生
  response

   見方
  / |\
 /  | \
人生−こと−受取り方
 \    /
  \  /
   感情

○少し量が減ったペットボトルを見て、「誰が、これ勝手に飲んだんや!」と反応するのか、「まだあったわ」と反応するのか?

前者は「減っている」とネガティブNegativeに反応
後者は「まだ残っている」とプラスPositiveに反応
   ↑
後者なら世界はパラダイスに見えてくる。

前者の見方をするか、後者の見方をするのかは、育ちぷりが相当影響してくる
   ↑
親の影響が非常に大きい
(教師の影響も大きい…特に小学校「担任が替わればすごく変わる」)
   ↓
親には無条件で愛されたい…自己肯定感につながる
=「あなたという存在が大切」

「〜という条件のあなたが好き」という場合は違う
 勉強ができる、良い子等
   ↑
子どもの受け取り方次第(言葉の裏を読む)
 言葉づらでは条件づけがなくてもそう受け取られれば同じ。


自分が大切にされている時…Full value=存在をフルに認められている
   ↑
   ↓
そうでないとき…Discount
 countされていない、無視されている
 「あんたはいつもそうや」等々

○存在の認知Strokeは、人と人との関係の中に常にあること
   ↓
何気ない会話の中にもある…反応response

存在認知Stroke…知ろうと無意識にする
   ↑
反応responseから
 あなたにとってどうなん?
 どうでもいいのかなあ?
 大切にされてるの?

○これらは人と人のしがらみの中で確認できる
   ↓
人と関わらないと分からない
   ↓
今の子どもたちはたくさんの関わりを持っていない
   ↑
生命感弱い
ちょっとしたことでもインパクトが大きい
 Negative…すぐ落ち込んだりする
 Positive…ちょっとしたことでも舞い上がる

○Full valueなResponseってどういうこと?
存在認知Stroke…感情のやりとり
   ↑
38%は声の調子で受け取っている
55%はBody Lungage…body tuochも含まれる
7%が言語による

○マザーアースのメンバーがクラスに入ると、子ども達はすごく甘えてきて、膝の上に乗ってくる
   ↓
乳幼児期にどれだけ甘えていたのか?
(充分に甘えたら素っ気ないぐらい自立してゆく)
   ↓
甘えているとき=安心できるとき
甘えたいときに甘えられることが重要
(年齢に関わらず)
   ↓
それを基にして子どもは離れていく
=自立していく
   ↑
自己肯定感が充足
   ↑
今の子どもは不足している

○「甘える」と「甘やかす」とは大違い
※甘やかす…大人の都合
 なんでも買ってやる。お金を与えて放任するなど。

お互いの関係性が安定してくると、Full valueなResponseを始める
   ↓
自分が変わると、クラスが変わっていく
   ↑
「君がつくる安心なクラス」
〜Full Valueなレスポンスをしてみるところから始めてみよう!!〜


○Workshopより
人間の1次感情は「悲しさ」「寂しさ」、それが受け入れられないと、2次感情「憤り」「怒り」「妬み」へと変わっていく。

DiscontなStrokeが続くと、人間は学習して、「何もしないのが一番」となる。
   ↑
こうすることが、一番傷つかずにすむ。
   ↓
学級崩壊寸前のところでは挨拶しても返ってこない。

アメリカインディアンは儀式など集まるときは常に円形に並ぶ
身分立場の上下に関わらず
   ↓
こうすることで全ての人を見ることが出来る


<JCI泉州地区合同例会 070426 りんくうゲートタワーホテル りんくう国際会議場より>
「学力の新しいルール」

   講師 立命館大学附属小学校 副校長 陰山英夫 氏


1.本当のことが全然伝えられていない

マスコミ的におもしろくないと流れない
   ↓
物事にフィルターがかかり、真実や本当に重要なことではなく、衝撃的なことが中心に報道され、謝った理解が広まる。
   ↑
事実は知られていない

○いじめ自殺は深刻ではない
児童・生徒の自殺者
平成17年度 105人(2005年)
平成16年度 125人(2004年)
昭和55年度 380人(1980年)
   ↑
以前は今の3倍で毎日1人以上が自殺していた
最近むしろ自殺の傾向が減っている
   ↑
マスコミの論調、世間の意識
「いじめ自殺がすごく増えている」

○学校は自信を持とう
80%が、学校は「楽しい」「まあ楽しい」
中高生(条件は小学生より厳しい)の回答
   ↓
2割が悪い状態
   ↑
マスコミが報道すると全てが悪いように錯覚させられる

○学校はプライドを取り戻せ
1990年 校門圧死事件
   ↑
管理教育の崩壊

1992年 総合学習開始
1993年 マット圧死事件
1994年 いじめ自殺事件
1995年・1996年
 以降、校内暴力がひどい状況に
   ↑
子どもの自主性に重きを置きすぎた結果

○困難を極めた履修問題
国際化の時代…中学校の地理で何カ国を教えているのか?
   ↓
ヨーロッパ・アジア・北米各1カ国のみ

国境問題・都道府県の学習はいつするのか?
   ↓
中学校で3県、高校では全く履修しないケースも
   ↓
教員志望の大学生に富士山の位置が分からない学生が3割もいた


2.基礎的なことも事実が語られていない
○競争原理で子どもはの伸びるのか?
50m走
13歳は10年前・20年前の子どもより速い
   ↓
体が大きい

15歳・18歳は落ちる
   ↓
受験の期間
10年前は20年前は19歳で戻ったが、今は戻らずに落ちたまま

○子ども達は勉強に追いまくられている?
家庭での学習時間
 日本は最短
TV・VTRの視聴時間
 日本は最長の2.7時間

○日本の教師力は高いと言われてきた
「反抗的な生徒が増えた」
  ↑
比較軸のベースがまるで違っている
日本…反抗的に言い寄ってくる生徒
米国…銃を校内で撃つような生徒

○それでも学校は機能している
学力低下問題が問題に 平成15年度
  ↓
同じ問題で実施した平成5年、平成13年よりもグッと向上
  ↑
平成15年度はH16年2月に実施
  ↑
教師の指導力は高い
H15年度、子どもの精神状況悪く、いじめ、自殺、不登校等激増。
  ↑
予測できた実態

○子どもの荒れと教師の現状
平成17年度 2887人精神疾患休職
自殺者 全国3万人中80人が教師
採用1年以内の退職者100人超(東京都)
残業平均2時間(30分の金額)
休憩10分
事務・会議50分
校内研修10分
  ↓
免許更新制反対
こんな実態で更新制は酷でしかない

少しでも不祥事があれば激しくバッシング
  ↓
小・中・高で100万人の教員がいる

○批判病から道を誤った日本
子ども達の脳と体が疲弊
  ↑
世の中の夜型化
中学生向けの番組だった「金八先生」の放送時間
第1シリーズ 8:00pm
最終シリーズ 10:00pm

紅白歌合戦の視聴率の低下
  ↑
TV一人に1台
  ↓
家族団らんの崩壊の実態
昭和50年代から
 インベーダーゲーム
 若者の風俗の変化
 ゲームセンター
  ↓
有害情報の集中
  ↓
管理教育へ 昭和56年頃から
  ↓
管理教育が一気に崩壊 1990年
校門圧死事件
 典型的なゼロトレランス
  ↓
押さえ込む方法は×
 ダサ・モサ・コワの体育教師減る
 CityBoy系の受ける教師が増加
  ↓
秩序の崩壊へ

○意欲…知識量?

○「生活指導」というのに生活の実態を把握していない
プライバシーを重視して、指導に必要な生活実態をつかんでこなかった。

○社会の錯覚
昔はゆとりがあった?
  ↓
昔の人にゆとりはなかった
 家に帰ってから家事
 仕事・学校…月から土まであった

昔の先生は人間性が豊かだった
  ↓
生徒はボコボコにされていたのに?

○ディスプレー依存症

○全学習時間708時間<TV2時間年730時間
  ↓
心の教育=TVによって行われているのが現実
  ↓
有害情報が全ての子どもに入るようになってしまった
日本のTVは世界一有害情報が多い
最近、有害な番組のスポンサーにならない動きがでてきた。


3.学力低下の本質は生命力の低下
○学力テストと睡眠
7時間〜9時間がレベルが高い
 先日、中国に行ったとき、9時半で外務省でも消灯。こんな夜遅くまで起こしているのは日本ぐらい。
  ↑
寝ることはすごく大切

○何時に寝れば?
小学校では9時までに寝る子がもっとも成績が高い。
東大生に入試についてアンケートを採ると、最も大事にしたのは7時間は寝ることと回答。

○生活習慣の崩れ
  ↓
学力低下への片道特急券

○食事が乏しいと成績落ちる
30種類以上の食品をとりたい
種類が少ないと指示待ち型になる傾向がある

○食え!寝ろ!
IQがすごくアップ
  ↓
脳のパワーがアップ
  ↓
何でも対応することが可能に
  ↓
50人の卒業生で10人が国立大学へ
  ↑
100マス計算ではない

○長時間ディスプレーが脳を壊す
2時間まではあまり学力は落ちない
脳に悪い時間が増える
  ↓
担任をしていた頃
GWまでに視聴時間を減らすように指導した
 脳が良くなる
 我慢する脳をつくる

○学力を上げるには
1.9時までに寝る
2.週2冊以上読書する
3.テレビの視聴時間を減らす
※睡眠時間は中学生なら7時間から8時間

○学力を下げるには
1.朝ご飯を食べない
2.勉強を大切だと思わない
3.テレビを長時間、観て過ごす

○漢字は詰め込みが一番
脳にパワーがある状態の場合は「詰め込み」をするのが可能になってくる
通常の授業で小学校4年以降の漢字の定着率は50%程度に。
  ↓
定着の反復期間が必要
  ↓
徹底反復は短期間に知能を高める
 簡単な問題の方が脳がよく働く
 練習時間は30分程度が適当
 10分では短い。

音読は効果的。
 きちんと発声して、リズム良く読むのがポイント

100マス計算は毎日同じ数字の並びのものを
 リズム感、テンポの良さが重要
  ↑
 全く同じものをするので、タイムも当然あがる。そこでほめることが重要。
(人間はほめられると脳の奥の部分が活性化し脳の働きが高まる。)

そろばんは手先も使うのでよい

○どうすれば子どもが伸びるのか?
脳を育てるようにする
 スポーツのトレーニングのように脳の基本動作を高めてやる

脳が成長モードにはいると止められなくなるほど成長し始める

体を使っていろいろなことをする
  ↓
脳全体を活性化する
ほめれられることで、脳の奥の部分が活性化し、全体に+の影響がある

○自信をつけると子どもは伸びる
「学力はこうして伸ばす」学研より

○朝起きる時間
小学生 6時〜6時30分(家を出る1時間前)
朝型にするには優しく起こす
睡眠の質が重要…豆球・音なし
参考「新版 鳩山家の勉強法―五世代が東大現役合格した秘密 」

○今後の教育政策
政治家的にゼロトレランスを導入するのか、現場の調査と実践に基づいた声に耳を傾けるのか?

教育バウチャー
  ↑
目を覚まして、もういい加減に現実を見てもらいたい。


<日本パラリンピックキャラバン実行委員会体験講座 061201 信達中学校体育館より> 
車椅子バスケット選手が来校
パラリンピックキャラバン体験講座より


 12月1日、「日本パラリンピックキャラバン実行委員会」というパラリンピックの出場選手をはじめとする方たちが競技や障害について各地の学校を回って話や競技を実演したり体験する教室に来てもらいました。車椅子バスケットの選手5名が来校し、90分1コマで2コマの教室を開きました。前半は1年生と3年の半分、後半は2年生と3年の半分が体育館いっぱいで受けました。

 これがすばらしい内容で、単に障害や車椅子バスケット話にだけではなく、生き方の問題まで実際の迫力あるプレーと体験も交えながら行いました。やっぱり本物はすごいです。説得力が違います。とても印象に残るいい話がたくさんありました。これを受けた生徒は障害者に対する意識や自分自身の生き方について、受けていない場合と差がでるのではと思えるほどでした。
 第一、選手の人たちはものすごく前向きで、すごく自分の人生を自分で生きているというのが感じてとれました。とても自律していて立派ですてきな人たちです。障害なんか関係ありません。障害で失った分以上のことを見つけだして人生を豊かにしているすがたに感銘をうけました。


体験講座より

車椅子バスケットを生徒・先生も体験して


○よくある感想に「難しかった」「大変だった」

 これは車椅子が難しいわけではなく、初めて乗ったから難しい。健常者の人でもいきなり自転車を乗りこなすことができないのと同じ。
 車椅子バスケットをやっているメンバーはどんなにお金を積んでも現代の医学では立つことはできない。だから車椅子を使っている。さもなければ、ずっとベッドの上。車椅子はちょっと練習すれば自分の意志で動けるようになる。車も少し改造すれば乗れるようになる。とても便利で大切なもの。


○見た目で人を判断することはできない

 今回の車椅子バスケットのメンバーも障害はいろいろ。一見、片足しかない者が障害が重そうに見えるが、両足があっても腰から下、みぞおちから下の自由がきかないほうが障害は重い。なぜなら、片足でも立つことができ、はね回ることも、義足をつけて歩くこともできる。同じ障害でも見た目で人を判断することはできない。


Q&Aでの講師の先生の話から

○バスは怖い

 障害を持つ前は、バスの揺れは全く大丈夫でここちよく感じた。だが、障害を持って、義足を付けたらバスがこんなにも殺人的に恐ろしく揺れるものとは思ってもみなかった。妊婦やおじいさん、おばあさんがポールにしがみつくのが初めてわかった。
 席に座っていて寝たふりをして席をゆずらない人がいる。この人はなにも「ばばあ、恐ろしいだろ、ざまあみろ」なんて思っていない。この恐怖に気づいていないだけだ。立っているのがきついというより揺れで転倒するのが怖い。だから、「優先座席」なんてあるのがおかしい。揺れの恐怖に気づいてほしい。
 いずれ必ず自分自身が妊娠したり、年をとって老化して揺れが恐怖になるときがくる。「じゃまな妊婦、じじい、ばばあ」と自分や家族や仲間が扱われる社会がいいのだろうか。
 今、席をゆずるということは、ゆずるのが当然の社会を作っていくことになる。


○心のバリアの方が物理的なバリアよりはるかに大きい

 バリアフリーはだいぶ進んできて、以前と比べると車椅子の人や盲人の生活もかなりしやすくなった。しかし、設備面でバリアフリーが進んでもせっかくのスロープや点字ブロックに自転車や単車を止める人がいる。実はこちらのバリアーの方がはるかに高いハードルとなっている。
 止める人は「じゃましてやろう」と悪気があって止めていることはまずない。それがどういう結果を招くか想像できず「楽だから、便利だから」止める。これは相手のことを想像することができず人間として幼稚だ。特に若者にその傾向が強い。
 小さい子どもをベビーカーに乗せているお母さんがスロープを使うことができずに、階段をベビーカーを持ち上げる。自分がその立場になったときにこんな社会の方がいいのだろうか?
 車椅子の生活の場合、自分で自転車をどけることも上に上がることもできない。
 いずれは自分や家族が妊娠し老化する。自分が利用したいときにバリアのない社会でありたい。だれかの目がないときこそ、自分が問われる。


○「足のない人」と小学校1年生がいっても問題ない

 なぜなら、それは純粋な言葉で相手をおとしめる意図がないからだ。でも、いい年をしてそれをいったらただではすまないことがある。大人は発言には責任がかかってくる。
 どういう社会がいいのだろうか?
「ベビーカー、じじい、ばばあ、障害者…気持ち悪いな、じゃまやなぁ」
 この考えはもう少しすると自分がそういう立場になることが想像できていないので、人間として「幼稚」。相手がどう思うか考えて発言するべき。自分の魅力が下がるだけで、得することはなにもない。


○障害があるのになぜ楽しそう

 障害があることをベッドの上で言われてから、できなくなったことばかり考えて悩んだ。でもいくら考えても失われたものはどれだけお金を積んでも元には戻らない。
  ↓
 今度は、できることを考えるようになって、いろんなことに気づいた。
  ↓
 車椅子に乗れば、自分で売店にも行ける。
 車を改造すれば自分で運転することもできる。
 人は健常者であろうができないことを全員持っている。
  ↓
 ならば、いつまでもできないことを考えても可能性をせばめるだけ。
 一緒にできるルールを工夫すればかなりいろんなことができる。
  ↓
 人間はまちがいなく弱いところがある。
 できないことを数えるより、できることを数える方がはるかにいい人生が歩める。障害は関係ない。
  ↓
「おまえにはむりだろ」
  ↓
 自分ができると言えば絶対できる。
 人間はちょっと考えるだけで全然強い。
「きっと○○だろう」と自分からあきらめない。

 それぞれ自分にできることとできないことがあるが、犯罪行為でない限り「どうせ自分にはできない」と決めつけてはじめからあきらめるのでなく、とりあえず試してみるべき。そうすることで人生は格段に幸せな方向に向く。


○意見は言う方がいい

 自分の意見をいつもはっきり言えるように訓練していくことはとても大事。チャンスが巡ってきたときにもじもじしているとチャンスはすぐ通り過ぎてしまう。
 意見を言うということは、自分を出すこと。自分を出さないとその方向には向かない。


○チャンスの神様

 チャンスの神様は必ず前からやってくる。横や後ろからはやってこない。
 ボロボロの逃げたくなるような気味の悪い格好で「チャンス、チャンス」と言いながら、自分の前を通り過ぎる。
 振り返るとボロボロのコートに「本物」と書かれている。
 手を伸ばすと「やっときゃよかった」という名のボロボロのコートだけが残る。
 見た目で決めつけずに、犯罪以外は、まず試してみることだ。

 車椅子バスケットを始めたのは、「いちど見に来いよ」とへんな車椅子のおじさんから声をかけられたのがきっかけだ。でも、そのときは全然興味ははく、どうせ障害者がいろんな人に助けてもらってする子どもだましの軽い運動程度と思っていた。
 気が向かなかったが、せっかく呼んでもらったので一度だけ見てみようと思い試合会場に行ったところ、それは全く違う激しいものだった。そして、この世界に入ることに決めた。今はそれがベースになって、こうしてパラリンピックキャラバンの講師として年100回以上、教室を開くことで生計も立てている。今の仕事が好きだし、とても大事だと思っている。
 チャンスの神様のことを自分自身が体験して実感している。まずは犯罪行為以外はやってみて試してみることだ。そのことが人生を切り開いていく。
 希望者を募られたり、質問を受け付けてもらえるとき、少しの恥ずかしさがそれを押し止めたとしたら、それはチャンスを逃したことになる。もう一生、同じチャンスはない場合がほとんど。


○あいさつがあるから次の言葉がいえる

 あいさつ抜きに「あなたはどこから来たんですか?」と聞かれるとすごく気持ち悪い。あいさつをすることで気持ちが開け、次の言葉を話すことができる。


○切り替えは大切

 話を聞くとき、活動をするときの切り替えが早いとたくさんのことが吸収できる。遅いと決まった時間で話をできることが少なくなってしまい、とてももったいない。

関連HP:日本パラリンピックキャラバン実行委員会


<泉南地区PTA協議会研修会 あいぴあ泉南 2006.10.27より>
レモンさんのPTA活動より

   講師:ラジオDJ 山本シュウ氏


○どうして日本人がうまく「信頼のパイプ」を結べないか?

戦前の軍国教育から引き継いでいるもの
 ↓
頭ごなし
まず自分の言いたいことだけ言う
理不尽
親:「今日学校で何あった?」
子:「はあ、別に。普通。」
親:「何だ、聞いてやってるのにその態度は!」
 ↓
相手の言うことを聞こうとしない
 ↓
相手を理解しようとしない
 ↑
これでは「信頼のパイプ」は結べない

レモンさんの話を聞いていると、相手の話を8聞いて2話すぐらいでないと。
しかも、目にはハートマークで。

親:「今日学校で何あった?」
子:「はあ、別に。普通。」
親:「普通やいうても、いろいろあるやん。テンション高かったとか、低かったとか。自分が生徒のころもそやったわ」
子:(なんかちゃうやん)
  ↑
なかなか、「何あった」と聞かれても「信頼関係」がなければ、話をしてくれないのは当たり前。
「親子=オプションで信頼関係がついてくる」ではない。
  ↓
親:「ところで、Ka-tunの○○知ってるか? なかなか、ええ感じやん。」
子:「へぇ〜、そんなん知ってんの。」(ちょっとは話せるやん)
親からすればどうでもいいことでも、子の興味のありそうな内容を話す。すると、相手の方から話してくるようになる。
  ↑
「自分を理解しようとするもの」(愛)に「信頼のパイプ」が伸び始める。

「信頼せえ」×
相手からでてくるのが「信頼のパイプ」
  ↑
相手のことを「愛する」=理解する=相手の意見を大切にする

レモンさんはPTAでそのために
必殺「ジョナサンミーティング」大阪なら「ロイホ(Royal Host)ミーティング」をしょっちゅう開き、ハートマークで話を聞く。そして伝書鳩のように、他のメンバーとの人間関係を調整していく。
また、一本釣りで仲間を増やしていく。「おやじの会」もいいが、自分の学校に協力してくれる人なら、友達でも親戚でも会社の仲間でもみんな「サポーターズ」として迎え入れる。
ものすごく地味な事だがとても重要。


日本人は感覚で正しいと刷り込まれているものが多い。
「なぜ挨拶は必要か?」
「親子は当然、信頼関係がある」など
  ↑
戦前の教育が影響している。
戦後直後は本当に大変だったので、なんとか生きていくという姿を子どもは見ていたので、頭ごなしに言われようが、愛されていることを実感できた。
  ↓
今の子どもには全く通用しない。
すべてに説明がいる。
  ↑
戦後教育で抜けていること

○今の子どもと大人に対するイメージが全く違う
「電車で携帯で通話するなと言うが、大声で話している大人がいる」
「目の前で不正なことがあっても声を上げない大人」
「地下鉄の駅で線路に落ちた人を助けない日本人」
など、矛盾した社会。

○どれだけプレッシャーを子どもに与えているか気づいていない
「点数一つでどんな扱いをされるかととても不安」

戦争中の特攻隊の遺書をみると「お国のため」ではなく愛の物語
家族愛、親子愛、友情
「先立つ不幸をお許しください」
「後を頼む」等々
  ↓
戦後教育では「愛」「プライド」「幸せ」「命」が教えられていない。

先輩の世代は、戦後、産業・経済とのばしてきた
自分たち保護者の世代は、先輩の世代から
軍国教育で刷り込まれた「頭ごなし」「理不尽」・偏差値偏重教育を受けてきた。
暴走・学校のガラス破壊・万引き…これに対する叫びではなかったか?
  ↓
自分たち保護者の世代は、先輩たちからこの国を預かった世代
  ↑
次の世代に何を残すのか?

「愛」「プライド」「幸せ」「命」を教える必要がある

「プライド」
 日本では教えられていないこと
 「みんなの前で、ぼろくそ言われてプライド傷ついた」
   ↑
  プライドはこんなことでは傷つかないもの。
  「見栄」が傷ついただけ

 プライド=自分のことをかっこいい思う心=自尊心
   ↑
  そのことをあきらめない人間かどうか

「愛」
 大切に思う気持ち
 見返りを求めるのではく、帰ってくる瞬間を感じるもの

「幸せ」
 すぐ目の前の幸せに気づいた者勝ち
 「生きているだけでも幸せ」
 生きていれば必ず笑える瞬間が来る
 「幸せ」とは物理的に笑っている状態
 ベーターエンドルフィン(ハッピーホルモン)がでている状態。
 この単純さを逆に利用することが大切。

「命」
 誰のもの。自分のもの、家族のもの、みんなのもの。決して自分だけのものではない。

 先輩の世代から「人生、勝手にせえ」と言われたのは、「おまえなんかどうでもええ」ではなく、自立を促すもの。
 過保護=エゴ
 「自立」の方向へ次の世代を向けていますか?
  ↓
 「教育」自分たちが死んだ後、幸せに生きて
  ↑
 何のために
  生きていく強さを学ぶため
  「心」「脳」「体」

○戦後教育のいいところと、悪いところを分けて考えるのが重要


<大教組夏期学校060823 選択講座D(事務職員部主催)>
「生活保護制度とは〜児童の発達保障のための生徒活用法」

    神戸女子大学 助教授 松崎喜良 氏


1、危機にある児童の家庭
@学校格差
広がる学校格差
小中一貫校そしてエリート大学へ
落ちこぼれる子どもたち、給食費の滞納、高校中退
「就学援助世帯は30%を超える」(東京東部地域)
「公立高校授業料減額世帯は1/4」(大阪府)
高い大学授業料…私学だけでなく独立行政法人も

A児童虐待
増加する児童虐待…04年度は33408件(厚労省)
  ↑
 虐待の原因は経済的問題

B離婚
離婚件数も増加傾向…年間20数万世帯(全国母子世帯調査)
母子世帯数…2205400世帯(03年度)過去最多

母子世帯になったときの平均年齢…33.5歳に低下、離婚の若年化
一世帯当たりの平均所得金額(国民生活基礎調査H14)
  母子世帯 …243万5000円
  一般世帯 …602万円
  高齢者世帯…304万円
 母子世帯は所得が低い
 常用雇用者は4割、半数が臨時・パートなど不安定雇用
 賃金が低いうえ不安定な雇用で体をこわしたり、鬱病、アルコール依存症になる例も多い。
  ↑
 母子家庭自体は悪くないが、母子家庭に対して日本の社会は冷たい。

C自己破産と自殺
増加する自己破産…申立件数 年間22万〜24万件
 借金の理由→最大は「生活困窮」による
自殺件数は8年連続3万件を超える…32552人(05年度 警察庁)
 前年より227人増
 「健康問題」15014人
 「経済・生活苦」7756人←全体の1/4

D生活保護
 06年01月 149万人に(95年 88万人)
 世帯類型保護率(H16)2.15%
  高齢世帯は4.87%
  母子世帯は12.37%


2、貧困の背景
@就労携帯(05労働力調査)
正規雇用から非正規雇用の増加
 非正規…95年より06年で、662万人増
 正規 …95年より06年で、439万人減
全労働者の3人に1人が非正規雇用
  ↑
 企業業績は向上
  ↓
 非正規社員の8割は年収200万円未満
  ↑
 生活保護以下の生活

A五分位階級別所得状況(H16年度 国民生活調査)
平均所得
 第1階級 1314000円
 第2階級 3054000円
 全世帯  5797000円
前年度比 1.6ポイント減
 7年連続で減少…「年収300万円以下時代」

B貯蓄額及び借入金
「貯蓄が無い」世帯  10.3%(国民生活基礎調査)
単身世帯の無貯蓄率  41.1% 6ポイント増(日銀調査)
二人以上世帯の無貯蓄率22.8% 0.7ポイント増
一世帯の平均貯蓄額 1169.4万円
  ↑
 一部の高額貯蓄者が平均額を押し上げているだけ
「借入金が有る」世帯 31.8%
借入金の平均額   428.8万円

C生活意識
「苦しい」世帯 55.8%
 前年度比 2ポイント増
母子世帯では85.9%が「苦しい」

DOECD(経済開発協力機構)の貧困率
OECDの25カ国平均 10.2%
 メキシコ   20.3% 1位
 アメリカ   17.0% 2位
 トルコ    15.9% 3位
 アイルランド 15.4% 4位
 日本     15.3% 5位
 イギリス   11.4% 6位
 ドイツ    9.8% 7位
 フランス   7.0% 8位
 スウェーデン 5.3% 9位
日本は90年代は13.7%
03年国民生活基礎調査では16.7%に


3.構造改革の推進
@税制改革
定率減税廃止    07.1
老年者控除廃止   05.1
公的年金等控除縮小 05.1
配偶者控除廃止   04.1
課税標準額の引き下げ
  ↑
これらが住民税に跳ね返り、住民税も増税
  ↓
住民税が算出基礎になっている
生保等の保険料、保育所等の利用料や徴収金に跳ね返り負担増

A社会保障「改革」
年金の給付切り下げ
介護保険料、年金保険料の引き上げ
食費・居住費の自己負担…介護、障害者、医療
医療費制度も改悪
  ↓
最低生活費の引き下げ…OECDの中でも厳しい日本の基準なのに
老齢加算、母子加算の減額、廃止


4.生活保護制度の概要
@原理
生活に困窮する者は権利として誰でも「最低限度の生活」保障が請求できる。
  ↑
 憲法25条の生存権に由来

A補足性 生活保護法第4条
 「最後の受け皿」…他の社会保障制度等を補完
ア、資産
 資産があればまずそれを処分し生活
イ、能力
 稼働能力活用の要件で判断(「林訴訟判決」)
  稼働能力を有するか
  その稼働能力を活用する意志があるか
  実際に稼働能力を活用する就労の場を得ることができるか
 働いている場合は、その分を生活保護費から差し引く
ウ、扶養
 義務だからといって扶養を強制されることはない
エ、他の法律で定める扶助
 扶助される部分は生活保護費から差し引く
オ、急迫保護
 とにかく困窮している場合はまず保護。他の扶助や資産がった場合は後日精算する。


5,要否判定…生活保護基準(2006年度)
@最低生活費の体系(金銭並びに現物により給付)
生活扶助
 生活費(在宅、入院、施設)
 加算(個人、冬季)
 期末一時扶助
 一時扶助(被服、家具什器、移送、入学準備金、その他)
住宅扶助
 家賃、間代、地代、一時扶助(敷金、住宅維持費)
教育扶助
 基準額、教材費、学校給食費、通学交通費、夏期施設参加費
医療扶助費
 国保、老人健康保険の診察報酬、一時扶助(治療材料費、移送費)
介護扶助
 介護保険の介護報酬
出産扶助、総裁扶助、生業扶助
※05年度より、高校の学費も生業扶助として算入されるようになった。

A生活保護基準
毎年改定される
 2006年度も基準の引き下げ、老齢加算廃止、母加算の減額

B要否の判断の方法
最低生活費と収入充当額との比較
最低生活費=生活扶助費+住宅扶助費+教育扶助費+介護扶助費+医療扶助費
a.収入充当額+保護適用
b.収入充当額+医療本人支払+保護適用
最低生活費>収入充当額……保護「要」
最低生活費<収入充当額……保護「否」

C特徴
・生活費が保障される
・住宅も維持できる
・病気になっても安心
・教育費の捻出ができる〜高校教育費も(不十分だが)
・自立に向けての支援が行われる

※生活保護費の支給は経済の活性化につながる
 建物行政ではなく、生活保護費はぎりぎりの生活を送れるための支給であり、ほぼ全てが消費されるので、必ず地域の経済をさせる。しかも、消費した分は税金となって帰ってくる。


**********************************
2006年度の最低生活費(1−1級他)
<留意点>
・年額計算の内訳
ア、月額最低生活の12ヶ月分
イ、冬季加算5ヶ月分
ウ、期末一時扶助
エ、基礎控除の最高額(33,190円)の12ヶ月分
オ、特別控除
 を合算(月額は12ヶ月で割った額)

・賃貸住宅の家賃、2人以上世帯は54000円、単身世帯は42000円で年額を計算。
・社会保険料や税などの公租公課や医療費、介護費の自己負担分があれば、その実費が最低生活費に加算される。
・最低生活費の計算方法に基づく者であり、毎月支給される扶助費とは異なる。

◎標準3人世帯
 33歳男、29歳妻、4歳子で、一人が働いている場合
年額3291000円/月額274250円
※児童手当が5000円あるので、働いている者の毎月の手取り収入(賞与無し)が269250円なければ最低生活が出来ないことになる。
前年度比0円/月

◎フリーター
 28歳、単独生活者の場合
年額2132480円/月額177705円
※月25日、一日8時間働くとすれば、時給888円が得られなければ最低生活が出来ない。
前々年度比+530円/月
前年度比0円/月
大阪府の地域最低賃金(05年度)=706円

◎高齢者夫婦
 共に無職72歳以上が居住生活をする場合
年額2049360円/月額170780円
※だたし、国保料、介護保険料、医療費・介護サービス自己負担分は除く
前々年度比−19340円/月
前年度比−7520円
厚生年金のモデル年金は月額約23万円=最低生活費並

◎単身高齢者
 無職72歳以上の居宅生活をする場合
年額1442870円/月額120239円
※だだし国保料、介護保険労、医療費・介護サービス自今負担分は除く
(03年度13821円、04年度129909円、05年度123999円)
老齢基礎年金の満額の月額は66208円

◎高齢者(72歳以上)が介護保健施設で生活する場合
年額44440円/月額37020円
内訳=基本生活費13020円、高額介護サービス費15000円、食事負担額9000円
居住費は別途負担が必要。平均居住費はやい苦66700円
※ただし生活保護世帯は認めていない。家族が別に居住生活をしている場合は、その生活費が必要となる。
前々年度比−9040円/月
前年度比−3130円

◎母子世帯
 母30歳、9歳子、4歳子で働いている場合
年額3610920円/月額300910円
※児童手当10000円、児童扶養手当46870円あるが、母の月収(賞与無し)は手取りで224040円がなければ最低生活が出来ない。
前々年度比−2680円/月
母子家庭の68.4%は年収200万円未満(社会生活に関する調査H142)

最低生活費が高いのではなく、最低賃金、公的年金が低いだけである
  ↑
最低生活費は憲法25条に定められた生存権を保障するもの。
  ↓
標準生活費の68%で計算した科学的な金額

**********************************


6、生活保護が使い勝手が悪いわけ
@社会=制度への偏見と無理解
格差社会是認論…格差があって当然、努力した者が報われる
 生活保護世帯は怠けている、贅沢している、不正受給している
生活保護は“特別な人”しか受けられないのか、
 福祉の専門家、法律家、教育者でさえ知らない…ダマされている

A実施体制=受給抑制と方や制度を知らなケースワーカー
地方分権による行革の進行=配置基準の規制緩和、事務の外注化
 本来80ケースに1人いないときちんと見れない
 現在はひどい場合は400ケースで1人のところもある
福祉の素人の配置と頻繁な異動
 かつての職場を訪れても数年の間に顔ぶれが入れ替わってしまっていた。しかも、ベテランもいない状況。
厚生労働省も危機感を示す
 「やる気のない福祉事務所」「アマチュア同然のケースワーカー」
 件数が増えても1ケース当たりの業務内容は同じなため、超多忙で過労死寸前。さらに素人に近い。この状況でモラル低下が起こっている。

B制度のもつ限界点
補足性
 資産〜調査の徹底によるプライド、人格の侵害
 能力活動〜曖昧な基準
 扶養〜時代錯誤の強要
保障水準
 生理的な生命維持を目的とするに
制度運用が複雑
 担当者でさえ知らない。決定は正しいとは限らない状況。


7、生活保護「改革」が行われている
あり方検討委員会の「報告書」(04/12)
 「自立支援プログラムの策定と実施の義務付け」
 (功)高校就学費用の創設他
 (罪)加算の減額、廃止 多人数世帯の保護費の減額
国庫負担割合改悪提案→抵抗→棚上げ
 だが、保護の「適正化」を徹底


8、ますます広がる格差社会
@格差の「否定」論から格差「結構」論
「国際化の中で、能力や才能、努力によってたって生まれる格差はむしろ称賛すべきことだ」<経団連会長 御手洗冨士雄氏(キャノン社長>
  ↓
社会的弱者の切り捨て(自己責任)へ

A今後5年間 歳出カット 11〜14兆円(06政府与党案)
社会保障1.6兆円…失業給付の国庫負担の廃止を含めた見直し
扶助基準の引き下げなど生活保護制度の抜本的改定
 介護や医療制度の負担と給付の見直し
※社会保障の切り下げは教育予算の切り下げと連動

B格差是正を求める声
国民の間での不満の高まり=自分も、次は自分
国民
・安心して暮らせない
・痛みに耐えられない
事業者…老人養護施設・障害者養護施設・医療機関
・国民の痛みを支援している事業が維持できない
従事者
・利用者の笑顔が見られない、もう働けない
教育者
・子どもたちは育っていかない


9、教育現場に期待されること
・生活困窮家庭の発見とその支援
 貧困に対して自己努力をしており見えにくい。だが、シグナルを見つける。
・生活問題の理解と解決方法を学ぶ
・校内での役割の明確化
 関係機関の担当者の確認と、担当者へ情報をつないでいく
・地域関係機関との連携の確保
 共に問題を発見し、解決に取り組む


<関連法令>
憲法第25条【生存権,国の社会的使命】
(1)すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(2)国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

生活保護法(1950.05.04 法律第144号)

  第一章 総則
(この法律の目的)
第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
(無差別平等)
第二条 すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。
(最低生活)
第三条 この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。
(保護の補足性)
第四条 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
 (2)民法(明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
(3)前二項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。


<全国学校事務制度研究会大阪大会 記念講演060728>
人と人がつながりあう学校・地域づくり

   神戸大学発達科学部教授 二宮 厚美 氏


はじめに
 新自由主義的構造改革のなかで学校をつかむ
  ↑
 学校改革もその一環

○新自由主義
10年前に財界が提唱

(1)新自由主義的構造改革は日本社会に何をもたらしたか
1.新自由主義的構造改革とは何か
 多国籍企業の国際競争力強化のための構造改革

2003の財界奥田会長の奥田ビジョン(2025年までを見通す)
 Made in Japan(輸出で儲け)
  ↓
 Made by Japan(産地はどこでもOK)
  世界企業化、多国籍企業化
  中国深セン…世界の工場に(日本の工場も移転)
   30年前は小さな港町
   80年代2万〜3万人
   現在700万人
  安くて良質な労働力
   女工…視力3.0(農村ではざら)12000円/月の給料

2.新自由主義の二つの路線
a.企業の足かせをとってやる規制緩和と市場原理の適用

国内事情と比較される…賃金・税金
  ↓
国内コスト構造の是正
  ↓
企業に掛かる規制を軽く
  ↓
護送船団方式の撤廃→弱者を守らない・格差を容認
(護送船団方式=一番遅い船に合わすのでスピードがとても遅い)
  ↑
憲法第25条の生存権、第26条の教育を受ける権利の原則「必要充足応能負担」に反することになる


第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

b.企業の負担をとってやる負担軽減と所得再分配構造の転換

垂直的所得再分配
(所得の多い個人・企業から所得の少ない個人・企業へ)
  ↓
水平的所得再配分
(所得の多い個人・企業は再配分せず、所得の少ない個人・企業同士で再配分)
  ↑
自由な競争
弱肉強食性の拡大

3.新自由主義の帰結としての二重の格差社会化
a.弱肉強食型の対立的格差の拡大

生きてゆくために「購入」
  ↑
「所得」が必要
  ↑
雇用上の格差
 労働市場…派遣労働・契約社会
 最悪なのは「請負労働」
  労基法の適用外となり、無権利で劣悪
  健康保険にも入れない人が大勢
  ↓
底辺にいる人の生存の自由を制限=格差問題の本質
 自由といいながら、実際には住む場所も生き方も自由にならない
 社会的収奪の対象となっている

b.優勝劣敗型の分断的格差の拡大

企業の雇用形態の多様化
  ↓
不安定雇用形態の増加
 高卒の正規雇用は1/2のみ
  ↓
低賃金労働者の増加
 年収200万円以下…1500万人
 年収100万円以下…100万人
  ↓
所得格差の増大
 消費資産の減少
 貯蓄0が24%
  ↓
人間の能力の格差の増大
 潜在能力に格差=人間の存在の自由に影響
 健康格差
 教育格差
  ↓
雇用の格差

(2)新自由主義的構造改革は学校をどのように変えようとしているのか
1.公共部門への市場原理の適用
 教育・福祉サービスへの契約型利用方法の導入

とにかく勝ち組企業の「足かせ」を取り払うことを考える
「骨太の方針2006」…「一体」という表現がたくさん
 経済・財政一体
  ↓
企業の社会保障費・財政の赤字(社会保障・地方交付税)を減らしたい
  ↓
学校教育…民間の取り引きの方法を取り込みたい
 教育のバウチャー方式…英米の一部で実施
  バウチャーを各家庭に配り、好きな学校へ
  バウチャーが集まらないと経営が成り立たない
  介護保険、障害者福祉保険で導入されている

 市場化テスト方式
  教委が学校や人材派遣会社などに業務の入札をする
  図書館・公民館・住民課・社会保険庁などで導入されている

 要は「教育」を消費サービス化したい

2.学校にあらわれる学習・教育分離主義
a.子どもの学習の自由と「子ども中心主義」
 権利主体としての子どもではなく、顧客中心主義のなかの子ども

もともと教育は何なのか
  ↓
子どもと教職員がコミュニケーションで認識しあうこと
 教師は教育し、子どもは学習する
  ↓
コミュニケーション的に統合している
 コミュニケーションがあるから登校
 コミュニケーション的理性
 自分で発見するのではなく、教師に提示されたものを了解合意
  ↑
コミュニケーションとは「相互了解・合意の獲得」のこと
 目的・方法で了解・合意が成立する

b.教師の教育に対する統制と学校間競争
 教育メニューの提示と教育労働に対する効率的管理主義

*ポイントは「学習と教育のコミュニケーション的結合」の破壊

先生が教育し、子どもが学習する←表裏一体
  ↓
文部科学省…学習中心主義に
 これではコミュニケーションが希薄
  塾や予備校などと同等
 教育サービスをメニュー化させたい
  ↓
 教育バウチャー化を進めて安価で格差のある教育を
 教育格差是認の方向
  ↑
 経済格差、雇用格差是認の方向
 憲法26条に相対する政策

3.新自由主義的枠組みのなかの教育基本法改正
 学習・教育分離主義を前提にした教育の国家主義的統制

(3)憲法・教育基本法に基づく学校事務労働
1.新自由主義のもとでの公務労働の市場労働化
 市場労働化と効率的管理をねらったNPM(New Pulic Manegemant)

市場化テスト方式
 教委が学校や人材派遣会社などに業務の入札をする
  図書館・公民館・住民課・社会保険庁などで導入されている
   ↑
定型業務はこの方向で進んでいる

2.公務労働としての学校事務労働と専門性
 生徒と学校労働者とのコミュニケーションを本質とする学校事務

定型化・マニュアル化できる部分とできない部分がある
 定型化できるところは徹底的に定型化すればよい
 窓口等を通じてのコミュニケーションは定型化できない
  ↑
 専門性…知的熟練必要
  生徒・保護者とどう接していくか
  生徒の状況・家庭の状況をつかんでいる必要がある
 サッカーで言えば、教師は子どもにアシストパス
  教師や子どもにパスをすることがたくさんある
  ↓
市場化論理に対抗するポイントとなる

3.子どもの発達保障を担うコミュニケーション労働としての学校事務労働
 格差社会化のなかの子どもたちの発達保障課題の広がり

学校事務労働を売り買いの対象に出来るような定型でマニュアル的なものだけにしてしまうと、子どもたちの発達保障が出来なくなってしまう。

おわりに
教育における「自由・平等」の人権プラス「友愛」を担うコミュニケーション

*コミュニケーションとは「相互理解・合意の獲得」のこと

コミュニケーション…発展するほどレベルが高い内容になる
○科学的判断能力「5時間目の授業で睡魔が襲う」
 専門的なことを言われても知らないことなら相互理解できない
○社会的価値判断能力「でも寝てはいけない」
 道徳的内容を含む。
○喜怒哀楽を誠実に表現し理解する「眠りの形相で」
 人間の状態を理解する



<新入生入学説明会での講演 平成18年1月27日(金)信達中学校体育館より>
「中学生について考える」〜小学生時代との違い〜
   講師 スクールカウンセラー 上野弘司 氏



今の中学生と親の時代の中学生とでは同一点と相違点がある
○同一点
 二次性徴が現れる
○相違点
 昔は価値観や方向性はが一つ
 今は多様化している
  ↑
 今の中学生は何を目標にしていいのかわからない
 ∴今の中学生の方が育てにくい


心理学では人間の成長はチョウの成長によくたとえられる
○タマゴ
 幼児

○イモムシ
 小学生…大人にも従順
      ↑
 大人もイモムシと思い、小6ぐらいになると完全なイモムシになったと思っている
      ↓
 大人と同等の能力を備えたと思っている
 ∴小6ぐらいになると大人の手伝いをしたりする

○サナギ
 中学生
  ↓
 身体の変化で精神的変化も現れ、自分がわからなくなる
 ∴「自分はいったいなにか」いろいろ試そうとする
  ↑
 これが反抗期
 親「こんな子に育てたつもりはないのに」
  ↓
 まさに、そのとおり。これは、親が育てたから現れるものではない。

○成虫
 大人

思春期は「お試し期間」
 大人と同じ能力を持ったと小学生の時に思ったが、中学生になって身体が変化し精神的な変化も現れる。いったいどうしたのかわからない。いったい自分はなんなんだろうと考え始め、「こんな事をいったらどうなるか」などいろんなことを試し始める。
 試すなかには社会的に許されない事も多く含まれる。そのたびに大人からブレーキを掛けられ、許されないことを認識して行く。昔は親で十分対応できたが、今は価値観が多様化しているため、親だけでは対応できない場合が出てきている。そのときは学校と協力して対応する。その際、重要なのは家庭と学校での対応を同じにすること。そうでないと、「お試し期間」の中学生は納得できない。さらに困難な場合はスクールカウンセラーも入れて対応する。

<参加者の意見より>
○蝶々の話を聴かせていただき、自分の小学6年〜中学1年の頃のことを思い出し、わかり易いお話だと思いました。これから三年間よろしくお願い致します。
○(思春期が)おためし期間というたとえがおもしろかった。実践にがんばりたい。
○現実的に、とてもみじかな事だと思います。小6年になってからの変化があり、親も必死です。



「気づかせて動かす 熱情と理のマネジメント」
   山口良治・平尾誠治著 PHP研究所刊より引用抜粋


自分のおごりにはじめて気がついた

山口:
 いくら強くったって高校生だ。「おれは日本代表として長年やってきたんだ」という自負があったしね。でも、黙って見ていることしかできない。あのもどかしさと屈辱、悔しさのなかで、身体が震えてきてしかたがなかった。
 でも、そのときにはじめておもったんだよ。「生徒達はいま、どんな気持ちなんだろう」と……。なかには中学時代には同じチームでやっていた子どもたちもいるわけだ。「こいつら、本当に悔しいだろうな、情けないだろうな」と思った。このときだよ、はじめて機がついたんだ。「おれはこの子たちにいままで何をしてやったんだろう」って……。よく考えたら、何もしてやっていなかった。それまでは、ただ偉そうに「どうしてできんのや、おれの言うとおりにちゃんとやれ」と言っているだけだったんだ。そういう冷たい言葉が出てくるのは「おれは日本代表だっただ、おれは教師だ、おれは監督だ」というおごりが、ぼくのなかにいつもあったからなんだ。そういう自分にそのとき気がづいたんだよ。はじめて自分自身に「矢印」が向いたんだね。


「悔しさ」に気づいたことが、全てを変えるモチベーションになった

山口:
 「花園に勝つ」ということは、本当に気の遠くなる目標だったんだよ。最初は周りの人間はみんなバカにしてたよ。でも、子どもたちは単純に「勝ちたい」と思って涙した。たしかに、それまでの十年間、京都では花園にどこも勝てなかった。なぜか。それは、勝たせようとしなかったし、加藤とも思わなかったからなんだよ。やっぱり、想わないことは実現しない。想い描いて、はじめてそこに近づけるんだ。花園に一一二対〇で負けたとき、あの子たちが悔しさに気づき、「勝ちたい」と泣き叫んだ。そういう自分に出会えたこと、悔しさに気づいたことが、彼らが自分を変えていくモチベーションになったんだと思う。
 悔しさを感じる力が強ければ、絶対に自分たちを変えていけるんだよ。もちろん、ぼく自身もあの試合で指導者として、教師として大切なことを学ばせてもらった。「悪いから、できないから」って放ってしまうのではなくて、「どうしらよくなるか、どうやったらできるようになるか」ということを、いつも自分に問いかけるようになったんだ。ぼく自身も、あれからどんどん変わっていくことができた。自分でも怖いくらいね……。


自分の弱さに気づいたとき義務が権利に変わった

平尾:
 この「気づく」というのは、本当に大事なことですよね。
(中略)それまで「おもしろいな」と思っていたラグビーが全然おもしろくなくなったんですよ。(中略)五月の連休に入る頃から変わるんです。十五歳って、まだ子ども身体でしょう。それが十八歳と同じ練習をやらされるわけですから……。一年生としてはすごくきつかったんです。(中略)二、三日ボーッとしていた。完全なる登校拒否なんです。(中略)「これはサボッているのと一緒だ。いやなことから逃げているだけなんだ」と思った。自分の弱さに気がついたんです。そうすると、菓子食べてテレビ見ている自分がすごくダサく思えて、パッとテレビのスイッチを切ったことを憶えています。「明日から練習しよう」と思ったのを鮮明に憶えていますね。
 それで次の日から同じ練習をしたんですけど、不思議なことに今度はつらくもなんともなくなったんです・バサッと入れ替わったんですよ。「こんなもん、気持ちひとつじゃないか」と、そんな気持ちをそのとき、ちょっとつかんだ。先生に指示されてやらされているのではなく、自分が自分に指令を出しているんだと置き換えられたんですよ。ラグビーをいやだと感じたのは、「やらなければいけないという量(気持ち)」が「自分がしたい量」を上回っていたからなんですね。つまり、ラグビーをすることが「権利」ではなくて「義務」になりかけていたんです。そうなってはいけないと気がついて、権利としてやるんだと思えるようになった。そうすると、少々きついことも、それほどきつくは感じなくなったんです。


伏見での三年間がぼくの潜在能力を引き出してくれてた

平尾:
 子どもは自分の都合しか考えずにいろんな物事の判断をしているレベルじゃないですか。もう身勝手そのものなんです。自己中心的な人間が多い。「勝ちたいなあ」という気持ちはあっても、そのためには最後は何かを犠牲にしなければ、それを得られないということを自覚していない。


リーダーの三原則 媚びない、キレない、意地を張らない

平尾:
 キャプテンをやったことでぼくが学んだことは三つあるんです。それは「媚びない、キレない、意地を張らない」ということ。今から考えると、この三つをぼくは徹底していましたね。
 まず、「媚びる」ということは、自分に確固たる自信がないということでしょう。しっかりと自分の尺度や考えをもっていいないということ。自分のやっていることに誇りをもっていないということでもありますよね。そうしたら、相手になめられるというか足下を見られてしまう。説得力ももちえません。それにこっちから相手にすり寄っていてしまったら、(略)もうそのレベルでとまってしまうんですよ。みんなが高いところに向かわなくなる。もっと上を目指さなくなりますからね。
 「キレない」というのは、キレても意味ないですよ。得しないって思うわけです、そこに何があるんだと、と。たとえこんな奴に何言ってもしょうがないと思っても、つき合っていかなければならないんですから……。現実的に考えるんです。「こんな奴、もうダメだ。放っておけ!」となって、ほかの奴を試合に出しても、そいつよりパフォーマンスが悪い。それなら、そいつを何とかしてやる気にさせなければいけない、といふうに考えるわけです。何か方法があるんじゃないかって。
 逆に、意地張って、キレさせても負けです。だって、最終的な目的地点に行けないんですから。よく「ケツまくった」と言うじゃないですか。でも、ケツをまくらせたら終わりなんですよ。ぼくは真っ向から対決もしないんです。たとえある種の正義感から対決しても、それは自己満足にすぎないと思うわけです。その一瞬一瞬は自分の気持ちに正直になれますよ。たしかに自分の気持ちは満たされるかもかもしれない。でも、じゃあそれでチームがよくなるかっていったら、違うと思うんですよ、ぼくは。
 じゃあ、どうしてぼくがこの三つを徹底することができたかというと、簡単なんです。最終的な目標、つまり日本一を達成するため。そこに向かって一歩でも進むためには、少々のことは我慢できる、押し殺せるというのが自分のなかにあったんですよ。
 (略)「おい、平尾。今日先生おらんから、もう練習適当にしようや」と言われたら、「まあまあ、そう言うな。今日は一時間で終わるから」というふうにエサを織り込みながら、「その代わり、こういう内容でこれだけのことをしなかったら意味がない。だら、短時間だけれども、これだけのことはちゃんとするぞ」と、まえもって宣言してワーッとやる。(略)そうやってそうやって練習をこうかあるものに仕立てあげながら、彼らがコンスタントに力を発揮できるような状況づくりをする。そうしながら彼らに「このままやらされているんではダメなんだぞ」と気づかせることが、ぼくの役割だったかもしれないですね。


気づかせるためには生徒を信じること

山口:
 これは教育だから、そうした生徒を排除してしまうわけにはいかない。力で押さえつけるだけでもいけない。高めていけないわけだ。それには気づかせることなんだよ。気づかせて、自分から物事に取り組んでいけるようにさせないといけない。平尾もぼくも、気づくことで自分を変えていけたんだからね。
 そのために指導者にとって大切なのは、「生徒を信じること」なんだ。「信」というのは「人の心にまかす」という意味なんだよ。これは本当に勇気がいることなんだ。ぼくもそうだったけど、指導者はなまじ「何でもしてやれる」って思ってしまうからね。そのためには「こいつはダメじゃないか」って、「不」をつけて子どもたちを見ないこと。「不信」「不満」「不安」「不義」……。「不」を取り除かなければならないんだ。これがなかなかできないだけどね。


チームには、潤滑油的な人間が必要である

平尾:
 ぼくや先生のかんがえだとかやろうとしていることを理解してくれる人間が何人かいないとダメなんです。うまくつながっていかない。その点、高崎や和田なんかが「ちゃんとやれや」みたいな感じで、うまく潤滑油として活躍してくれた。うまい具合に伝播させてくれたようなところはありますね。
 上級生やほかのメンバーといった周りの人間が与える影響って、ぼくはすごく大きいと思うんです。周りの人間が、練習を「やらされている」と思ってやっていたら、自分もそう思ってしまうところがある。ところが、どんなにきついことでも、「自分達でやっているんだ」というふうに置き換えられて、主体性をもってやっている人たちばかりだったら、自分もそうなっていくんです。
 やっぱりチームが強くなっていくのには、それなりの理由があると思うんですよ。みんなが主体性を持って、自分たちで物事を考えられて、目標に向かって臨むことができるようなるということが大きいんじゃないかと思う。そうなるとチームの状態は好転していくし、結果も良くなる、強くなると思いますね。


先生にあるのは純粋に生徒を思う愛情だけ だからこそ伝わる

平尾:
 怒るという行為は自分に自信がないとできないでしょう。生半可な気持ちでは怒れないし、自分が腹立たしいという気持ちだけをぶつけてもダメ。「おまえがやってくれないと、おれが困る」……会社では上司がそういう怒り方をしますけど(笑)……ということではなく、「おまえ、これができなかったらどうするの、明日は」というような怒り方。「おまえが踏ん張らないと、気がつかないとダメなんだよ」という怒り方。「おれはこんなにしてやってるんだぞ」ということではないんです。そいういうことではいっさい「気づき」を感じさせることができない。つねに自分のことを度外視した叱咤激励であるということが徹底していますよね。


無視される問題児に出会って「おれはこいつらをどうにでもしてやれる」

山口:
 市内にある荒れていた中学に指導に行ってほしいと言われて、そこに行かされた。そこでぼくは驚くような光景に出合うわけだ。といっても、生徒に対してじゃない。教師にだよ。たしかに、その頃はいわゆる校内暴力がいちばんすごかった時期で、校舎の窓ガラスが割られて一枚もなかったし、生徒たちも、丈の長い学ランを着て、そり込みを入れたりした「ツッパリ」がたくさんいた。タバコを喫ったり、シンナーをやったりした奴も多かった。でも、生徒が授業妨害してても、ちゃんと注意すらしない。いまの社会におけるおとなと一緒で、「あんな問題児はあかんわ」って、ポーンと放ってしまう。そんな光景を見ているうちに、もう許し難い憤りがわいてきたんだよ。「こんなバカな学校があるか!」ってね。無視されているんだ、そういう問題児たちが……。
 ぼくはそういう子どもたちを見てね、すごく可愛く思えた。まだガキだから、純粋でね。(略)
 そのとき感じたのは、無視される子どもたちの気持ちだね。ぼくらは彼らを見ていて、「どうして、やっていはけないことをするんだろう」って思ったんだ。結局、彼らは「やってはいかん」ということをわかっているんだよ。「先生が何か言ってくれるだろう」と期待しているわけ。ところが、教師は何も言ってくれない。それで「どうせおれらは問題児なんだ。先生たちはおれらのことををんなにしか思っていないんだ」となって、ますますすさんでいく。そんな光景をまのあたりにして、「こいつら寂しいやろな」と……。「おれだったら、そんな生徒を放っておかない。こんな話をしてやれる、こんなことを伝えてやれる。どうにでもしてやれるぞ!」と思ったんだ。


「のに」をつけたら、相手は何も感じない。

山口:
 問題児とよがれる子どもだって、はじめからそうだったわけじゃない。最初から凶暴性を発揮するような子どもはいないんだ。ナイフでいきなり刺す奴なんて、絶対いない。そうなった理由が必ずあるんだよ。発育過程のなかで、必ず子どもの気持ちを逆なでしたとか、無視しているとかね。そういうものが積み重なって、いつかパーンとキレるわkでね。もともとは、本当にほとばしるような気がいっぱいあふれ出ていたと思うんだよ。その原因になったところまで一緒に戻ってやれば、「ああ、こんなことでそんな気持ちになってたんやなあ」ってわかる。そうして、「何言うてんねん、あいつ見てみい。あつなんか母ちゃんもいないで自分で洗濯してるんやで」とか「おまえ、あいつより足早いやん、身体でかいやん」というふうに、外に目を向けさせてやる。そうしたら、自分というものが見えてくるんだよ。そんな子の思いでいっぱいあるよ。
 おとなが本気で向かってきてくれることを、子どもたちは渇望しているよ。もう、飢えているんだよ。「この先生は、本気でおれらに向かってきてくれる」ということは、彼らはいちばん敏感に感じる。本当に怒ってくれる人には、ナイフでブスッとやるなんてこと、絶対にない。そういう彼らの純粋な部分に、ぼくはいつも向っていったなとは思うね。
 やっぱり、それは生徒に対する夢なんだ。「こんなにしてやっているのに」とか「思ってあげているのに」というふうに「のに」をつけたら、相手は何も感じない。「重さを感じさせないやさしさ」が「愛」なんだ。そして、そんな愛を生徒が感じとってくれて、うまく変わっていってくれたら、こちらが「ありがとう」という気持ちになる。これが大事なことだと思う。


親を変えないと子どもは変わらない

山口:
 小学生だった「してはいけないこと」は知ってるんだ。だからいけないことをしたときに、親や身近なおとなが必ず「何してんだ!」ってバーンと言ってやれば、その芽は摘まれるはずなんだよ。ところが、「怒られるかな」と子どもが思っているときに、何も言わない。ここで許してしまったら、それでおしまいだ。もう足下を見られてしまう。舐められてしまって当然。タイミングははずして、言うべきときにキチッと言わなかったら、子どもの人間性は歪んでいくよ。忙しさに紛れて、家に帰ってきても「早く寝なさい」というだけではね。産みっぱなしで放っておくような親では困る。「こんな子になってほしい」とか「こんなおとなになってほしい」という気持ちをちゃんともてるかどうかが大事なんだ。


教育とコーチング

山口:
 子どもは生まれたとき、とってもかわいがられるだろう。やっぱり、それだけ期待されて、成長を望まれているんだと思うんだけど、ぼくら教育にたずさわる人間に必要なことは、成長の過程において、子どもをそうした期待に応えられる人間になれるようにしてやることなんだよ。幼児期、小学校、中学校、高校と段階はいろいろあるけれど、最終的に周りの人に喜んでもらえるような人間になれるよう、つなげていってやることなんだと思う。いま教えていることは、そのままいま役立つということではないかもしれない。けれども、「あれは、こういうことだったんだ」と気がつくときが必ず来る。長い人生を歩んでいくなかで、「あのとき、あの先生にこう言われた、こんなことで怒られたなあ」という思い出とともに、「あのころの自分はあんなだったけれども、あのとき、あの先生に言われた一言のおかげでこうなれたんだな」とふり返って思えるようなものを、たくさん残してやることが教育なんじゃないかなと思うんだ。
 やっぱり、ひとりひとりがやがては社会を構成していくわけだから、はっきりとした目的意識をもった生活ができるようになれるかと言うことは非常に大きい。目標のないところに努力はない。だから、子どもたちに、どんな目標を、どんな夢をもたせてやれるかということが、教育ではとても大事なことなんだ。


指導者に大切なのは「自分で気づくようにしむけてやる」こと

山口:
 自分で気づくことがその人間にとって何よりも大事なことであるならば、指導者の側から見れば、「気づかせてやる」ことが一番重要だということになる。人から言われて気づくかということじゃなくて、「自分から気づく」ようにしてやらなければならないんだ。そういう場面や出会いをどれだけ用意してやれるかということが、指導者には大切だと思うね。


気づきは行動のためのすごい原動力になる

平尾:
 気づきっていうのは、自分にしかわらかない、ある場面の風景がパッと変わるような出来事なんです。それで行動がパッと変わる。
 だから、指導者は教え過ぎたらダメなんですよ。気づきを与えるためには。いろんなことを考え、試しながら、本人が気づくようにしむけて、気づいてくることを期待する。


愛情が足りないから気づかせることができない

山口:
 根性というのは、自分の姿をどれだけイメージして、そこに向けてどのようにマネージしていくかという能力のことだと思うんだよ。根性がないというのは、イメージができな、マネージができなということなんだ。
 だから、学習能力のない奴は、絶対に一流にはなれない。同じ失敗を平気で繰り返すからね。(略)ミスを知らない名選手はいないし、負けた悔しさを知らない勝利者はいない。でも、努力をしない天才もいないんだ。努力なしに素晴らしい勝利理や感動は絶対に得られない。そういうことに気づかない人間のことを、「根性がない」というのではないかな。
 だから、(略)そういうことに気づかせてやれるかどうかが指導者は非常に大事なんだけど、言葉で言って、それがそのままそいつの力になるんなら苦労しないよ。そこで大切なのがイメージなんだ。「どうしてやったらその本人にとってベストなのか、同時に周りの人間にも喜んでもらえる存在になれるのか」という青写真を指導者がきちっと自分のなかに焼き付けないと、現実からかけはなれた指導をしてしまうことになる。
 (略)本当に「この子にこうなってほしい」というイメージがあれば、おのずとわかるはずなんだ。愛情が足りないんだよ。何でもやってやるのが愛情なのではない。子どもを信じて、任せる。自分で気づくことができるまで、追い込んでやる。そういう気持ちが、本当の愛だと思うよ。
 伏見が花園に一一二対〇で負けたときに「辛抱するのかしないのか、はっきりしろ!」と二者択一を迫ったように、「やるのかやらないのか、どっちか選べ」という状況まで、生徒達を追い込んだ事もいっぱいある。(略)やっぱり、「どんな自分がすてきなのか」ということは、みんなわかっているんだよ。そういう「すてきな自分」に出会えるように誘ってやるのが、その子どもに関わる人間の責任であり、使命だろう。


「やらされている」という意識から脱却できない人間は伸びない

平尾:
 主体性とか自主性というのは、それを使いこなせる側、使う能力がある側……すなわち、目標が自分のなかで明確になっていて、どうしたらそこに到達できるかという具体的な方法もわかっていて、かつ管理されなくても自分を追い込んでいけるという人間にとっては、自分でメニューを君で取り組んでいったほうが効率はよくなる。でも、中学あたりで部活をはじめたときには、経験がないわけだから、やり方を学ばなければいけない。何も状況がわからないなかで自分がやろうと思っても、どの程度きつくやればいいのかわからないでしょう。だから、そんなには自分を追い込めないじゃないですか。最初は強制的にでも、そうした追い込みのしかたを学ばないとダメなんですよ。
 ただ、最後までそこから脱却できない人間はダメなんです。自分で何かやろうという気ががほとんどないですから……。そうすると、そいつをずーっと監視し続けなればいけないことになる。そうすることがコーチングだと思ったら、大間違いなんですよ。たしかに、はじめはちょっとめげたりするけれども、ある程度慣れてきて、それに対応できる力がつきはじめると、やっている意味だとか、「そこまでやらないと日本一にはなれない」という気づきが出できますからね、人間は。そこで指導者からの指示が自分の指示に変わる。たとえば、腕立て伏せを一〇〇回やらされたとしても、「これをやって一番得をするのはおれなんだ」と理解できるようになるんです。そうすると、それが主体性というものをすごく引き出してくれて、さらに前向きに上を目指すようになる。


イメージを与え、ほめてやる

山口:
 最近は「自由」とか「個性」ということばがもてはやされているけど、その弊害というか、いまは「自由」と「好き勝手」のバランスが非常に失われていると思う。はじめから自由ということは現実的にはありえないわけでね。何もわからない子どもには、強制を必要とする時期は絶対にある。なんでもかんでも好き勝手にするというのが自由ではないだろう。自由や個性というものには、自己責任が伴わなければいけないんだ。いま、それが実に少ない。そういうことに気づかせるためには、教育において強制される時期が合って当然だし、それなくしてははじめから終わりまで自由にさせて、本当に社会に必要な人間になれるのかなっていう気はするね。
 (略)何をしていいかわからない子にはきちんと目的を与えてやらせる。目的がはっきりしていれば、「これさえやれば、こうなるんだ」とう意識につながっていくんだ。逆に、自分の目的に向かって自主的に取り組んでいけるような子は、そのまま見守ってやればいい。(略)そういう子は、何かのときにちょっと手をさしのべてやるだけでグーンと伸びるからね、後からポンと押してやるだけで。
 その意味でも、(略)イメージを与えてやることが大切なんだ。「おまえ、こうなったらいいな」とか「がんばったら絶対日本代表になれるぞ」というように、夢を語ってやったり、目標を語ってやる。そういうイメージをその子のなかにぼやっとわかせてやるわけ。それも、個々に全然違うイメージをね。そう言いつづけていくと、本人もだんだんそう思っていくんだよ。そのなかで、徐々にイメージが鮮明になっていく。そうなれば、どんどん自分からそのイメージに近づこうとするようになるんだ。そのためには何が必要か自分で考えるようになるんだよ。
 「やらされてる」のか、それとも「自分でやっている」のか、子どもにどう思わせるのかというのは非常に大事なことなんだ。教育に限らず、どんなことでもそうだけど、やっぱり「こういう人になってほしい」とか「こういうチームをつくりたい」というイメージやビジョンを描けない指導者やリーダーは、人を育てることができないんじゃないかなと思うけどね。
 そこでもうひとつ大切なのが、それぞれの段階段階で「よし、いいぞ」って、きちんとほめてやること。評価してやることだ。そういう達成感の喜びがなかったら絶対ダメだね。もちろん、怒ったあとには、ちゃんとアフターケアーをしてやることは言うまでもない。


結果の出ないのは指導者の想いが弱いからだ

山口:
 よく「いまの子どもは……」っていわれるだろう。でも、違うと思うね。子どもはかわっていないと、ぼくは思う。むしろ変わったのはおとな、指導者のほう。「子どもが変わった」とか、「最近の子どもはしんどいことをいいやがる」というのは、みんな指導者の言い訳。ぼくはそう思う。
 さっき言ったイメージ、「ここでこういうことに耐えておけば、こんな素晴らしい自分が待っているんだ」というように、子どもがドキドキするようなものを与えてやれば、絶対に反応は返ってくるんだよ。
(略)生徒の反応が返ってこないというのは、伝える力が弱い。強い弱いを知るのは簡単なんだ。自分に矢印を向ければもう、いっぺんでわかる。その子どもの結果から学ぶことは、われわれ指導者にとっては非常に大きいんだよ。結果から学ぶというスタンスを、指導者やリーダーはしっかり持たないといけないと思うんだ。
 われわれ教師は前年と同じことをやっているわけにはいかないのだよ。つねに結果をフィードバックさせて、反省し、次に活かす。子どもを見て、「ああ、いまの子たちにはこんなことが必要だ」ということを経験的にわからないといけないんだ。一方では時代が変わっても絶対に残していかなければいけないことも当然ある。そういう気持ちでいれば、どんな子が入ってきてもつねに子どもの状況に対応できるはずなんだよ。「こうすべき」とか「こうあるべし」っていうことを押しつけてはいけない。それがわからないから、ついつい子どものせいにしてしまうんだ。
 だから、伏見が花園に大敗したときにぼくが気づいたように、「言ってわからん奴はあかん」と言って、それで切ってしまうのではなくて、「どうしたらわかるようになるのだろうか」とか「どうやったら勉強するようになるのだろう」と矢印を自分に向けて、「じゃあ言い方を変えてみよう」というふうに考えてみる。いいか悪いか、できるかできないかで選別してしまうんじゃなくて、「どうしたらできるようになるんだろう」ということにウェイトを置かなければいけないんだ。
 ちょっとしたきっかけを与えるだけで、子どもは本当に変わるんだよ。そんな指導者や教師を子どもたちは求めているんだ。そのためには、矢印を子どもに向けてしまってはダメ。「おれは子どもたちに何をしてやったんだろう」といつも自分に問いかけて「どうしたらいいんだろう」と考える。そういう気持ちがいちばん大切だし、そうしないかぎりは、子どもを変えてやることはできないと思うね。


<泉南市PTA協議会 記念講演 2005.11.25より>
「いいもんだよ生きるって」

   講師 夜回り先生 水谷 修 氏


91年のバブル崩壊以降

●攻撃的な社会に変貌
イライラした社会
ほめられることはほとんどなく常に追いつめられる。
  ↓
●父親は会社で責められ
「のろま・バカ・いつでもリストラしたる!」
  ↓
●母親はイライラした父に責められ
「飯もまだできてへんのか!」
  ↓
●子どもはイライラした母親に責められ
「なによ、この点数!」
  ↓
●子ども
○他の子に矛先を向ける
  ↓
 いじめ

○元気な子どもたち
  ↓
 社会に背を向ける→非行(夜の闇に沈むこどもたち)

○真面目で思いやりのある子どもたち
  ↓
 自分を責める→リストカット(夜眠らないこどもたち)
  ↑
子どもはほめることがとても大切
 昔から10ほめて1指導するといわれている。
 今の社会ではほめられることはほとんどなく、叱られることばかり多い。
 どんなにできる子でもほめられることがなく、叱られてばかりだと「叱られる自分はダメなやつ」と自分を責めるようになる。

●リストカットは止めてはいけない
 リストカットはただ「バカなことするな、やめなさい」と止めるだけではもっと危険。逃げ場がなくパンパンになった心が破裂するか自殺することになる。リストカットなど自傷行為をすることで、心のやっと心のバランスを保っている。近年、その数はすごく増えており、クラスに数名のレベルになっている。
 リストカットの原因を探り、原因を取らなければならない。
 リストカットは女子9割、男子1割。男子のリストカットは特に危険。それまで我慢してきたのを思い切って切る。


●第3次薬物濫用期の到来
 今回は国家の存亡に関わる…当時の橋本総理発言
  ↑
 今まで「ガキ」は相手にしなかった暴力団が、大量に子どもたちに薬物を流すようになった
  ↓
○大人の薬物→他人に広めるのは自殺行為
  だが、
○子どもたち→仲間はみんな使ってしまう
  ↑
 伝染病のようにどんどん広がって行く。

○暴力団は2度おいしい
 薬物が売れる
 麻薬漬けにして…売春させれる(女の子)
 売人にできる(男の子)

○大阪の薬物濫用は全国でも一桁上の多さ
 和歌山で陸揚げされ、通り道になる泉州も大阪の南より少しだけ少ないくらいの流通量
  ↓
 会場で子どもたちに「薬物の入手について知っていたり、聞いたことがあるか」との質問に10人以上が挙手。
  ↑
 どよめきが会場に起こった
 こんな真面目な子たちでも知っている

薬物の依存症の恐怖
 タバコのニコチンですら依存症から抜けられない
  ↓
○薬物はニコチンの100倍から1000倍の依存性がある
  ↑
 専門の医療機関で命がけでやっと抜けられるレベル

○シンナー(有機溶剤)
  ↑
脳・歯・骨を溶かす
依存性もタバコの100倍以上
  ↓
水谷先生の生徒ヒロシ(シンナーを5年間使い続けた)死
 当時無知な水谷先生は愛で治そうとしたが×
火葬後、骨上げをしようとしたが、
 唯一3つに分かれた大腿骨のみで他はすべて灰に
 それも、箸でつまんで10cm上げたところで粉砕。
  ↓
 「シンナーは人を2度殺す」

 辞職を考えた水谷先生は神奈川県立芹が谷病院へ
  ↓
 ドクターに2時間に渡って詳細な話をした
  ↓
 「水谷先生、あんたが殺したんだ!」
ドクター:「薬物依存は病気だ。42℃の熱を出しているのに私の愛で治してやる、胃けいれんをしている子に、根性出せと言って治りますか?」
  ↑
 これが水谷先生の薬物と闘う原点

○暴走族・麻薬
 暴走族=暴力団の弟分
  ↑
薬物が回ってくる
  ↑
リクルートされて暴力団員に

 興味本位で暴走族の七夕集会を見に行ったアイは、集会後、集団で暴行され、「もう私、結婚も幸せもない」と自暴自棄になり、暴走族の「雑巾(ぞうきん)」になってしまう。
 「雑巾」…性欲のはけ口だけではなく、「薬を買う金ないねん、体売ってきて」と使われる。
 3ヶ月で5回の薬物使用した時点で水谷先生と出会い、病院で検査したら、脳は80%の容積に縮んでいた。(=80代の高齢者と同じ)全日制高校に入学する。卒業後、水谷先生のスタッフとして働くことを夢見る。
 2週間ほど微熱の発熱があり、顔に斑点がでたので検査すると、HIV抗体反応+。エイズのキャリアーに。すぐ家出をし、長距離トラックの運転手に「私の体あげるから、乗せて」と全国を放浪。たまに水谷先生に電話が入る。
 京都からの電話で
アイ:
「わたし、いま京都。一人で修学旅行。とっても楽しい。」
水谷先生:
「早く帰って来いよ。」
アイ:
「まだダメ。まだ37人としかしていない。」
水谷先生:
「エイズにかかった男が最初にすることを知ってるか。夜の街へ行ってできるだけ若い女の子を買って、病気を移そうとするんだ。お前がやってるのも同じだぞ。それに、エイズといってもお前の型は薬が効く型だ。一生ちゃんと生きれるぞ、赤ちゃんだって産めるぞ。でも、薬の効かない型もあるんだ。これにかかるともう助からない。」
 この言葉でアイは帰ってくる。病院に行き検査をすると薬の効かない型に感染していた。数ヶ月後、エイズ発症。カリニ肺炎等をわずらう。水谷先生は毎週のようにアイを見舞うが、途中から部屋に入れなくなる。面会謝絶ではなく、アイの姿がどんどん変わっていくので部屋に入るのが辛くて入れない。車で高速を飛ばして向かっていても、途中で引き返してしまう。
 ドクターからアイは毎日「水谷先生に会いたい」と泣いていますと聞かされて、病院に行った。部屋に入ると体重20Kg代にやせて骸骨のようになり、黒い斑点だらけなったアイがいた。ベッドの横の丸いすに座って、下を向いてシーツを咬んで声をたてずに泣いていると、もう腕も上げられなくなってしまったアイが何分もかかって小指を這わせて頭をなでて「いい子、いい子」というようにしてくれた。さらに何分もかけて手に手を重ねてきた。
アイ:「先生、お願いがあります。これはもう先生にしかおねがいできません。」
水谷先生:「なんだい、アイ。」
アイ:「アイというバカな女の子がいましたと講演で必ず話してください。私のことを知って一人でも救われるなら、私が生きた意味があるでしょ。そしたら神様もアイよくやったとほめてくれるわ。」
水谷先生:「分かったよ。アイ、必ずお前のことを話してやる。」
 7月、いよいよモルヒネを投与して2ヶ月で眠るように死なせてあげることになったのでお別れに来てくれと連絡が入る。最後の夜は自分がアイに付きそうと、病院に行に行く。
 アイは若い看護師と一緒にお風呂に入ってもらいきれいにしもらって、行きたかった高校のダボダボの制服をお母さんと看護師さんでまつり縫いをしてもらってサイズを合わせ、黒くて斑点だらけの顔や肌にはファンデーションを塗り、薄く化粧も書いてもらっていた。でも、もう話にはならなかった。手を握っては泣き、頬を合わせては泣き、ずっと泣き明かした。その後、家族もみんなそろったがすることは同じだった。
 ドクターが「アイちゃん、そろそろお休みしようか?」と聞くと、「うん」と答えた。そしてモルヒネ投与が始まった。
 でも、アイはモルヒネでは死ねなかった。麻薬であるモルヒネは投与できる量が決められている。それ以上投与するのは殺人になってしまう。投与と投与の間のモルヒネの切れた間は激しい禁断症状に襲われる。血管の中を虫がはいずり回るような感覚を覚える。そのたびにアイは暴れ、肩、股関節など体中の関節という関節が外れてしまう。体をタオルケットなどでグルグル巻きにして押さえるしかなかった。アイはやはり生きたかった。
 10月アイの最期の日が訪れた。連絡を受け部屋に入るとアイは目を見開いて何か言おうとする。でも、舌が抜けてしまって何度入れてやっても話すことができない。その眼は「先生、私を助けて! 死にたくない!」と叫んでいた。
 そしてドクターから「ご臨終です」と言われたとき、父親が「アイ、良かったな。やっと楽になれたな。」と言った。自分の娘の死を喜んでやらなけらばならい。水谷先生は自分の生涯で聞いた一番悲しい言葉だと言われた。
 アイの最期は結局、憎しみと怒りの最期だった。その眼は「あんたが私を殺した! あんたら大人が!」と叫んでいた。

○明るくて楽しい社会には薬物は入ってこない
 まずは、お互い挨拶と声を掛けることが大切。
 また、「ありがとう」と感謝の言葉をかけることが大切。
  ↑
 ここから社会全体を変えていく必要ある。

 シンナーで死んだヒロシの話、アイの話ではたくさんの人が涙を流して聴いていました。
 著書は
アマゾン
http://www.amazon.co.jp/
 でもすぐ手に入れられます。ご一読をお勧めします。

 水谷先生も、ご自身で癌がたくさん転移していると話されていました。ご自身の死期もそう遠くないと自覚されているのが、前回聞いた海南での講演と比べても感じました。


教育新書1「授業の腕をあげる法則」
   向山洋一 著 明治図書刊より引用抜粋

「授業の原則十カ条」

第1条 趣意説明の原則
○指示の意味を説明せよ
 号令は「何も考えなくても行動する」兵隊へのもので、
 命令は「〜のために……をせよ」と将校に与えるもので、相手を一応「知的存在」と認めている。

1)やることだけ言う
「ゴミを拾いなさい」
2)趣意とやることを言う。
「教室をきれいにします。ゴミを拾いなさい。」
3)趣意を言って、やることをまかせる。
「教室をきれいにしよう。自分でやりたいことをやってごらん」


第2条 一時一事の原則
○一時に一時を指示せよ
二つの目標を与えられると、二つ目の目標を覚えていられない。
×「ノートに感じの練習をしてね。終わったら先生の机に出して、本を読んでいるのよ。その前に自分のロッカーを整頓してね。……」
格言
事を成し遂げる秘訣は、一時に、ただ一事を成すにあり。
  リンカーン
ナポレオンの天才の秘訣は、一定時に、一定事件に向かって、注意力を集中する点にあった。
  ブーリエンヌ


第3条 簡明の原則
○指示・発問は短く限定して述べよ
30秒を超える説明は、ダメ。私はたぶん10秒以内です。
十数秒で指示を与えるためには、輪郭がくっきりした指示を与えなければならない。
×「もっとがんばって跳び箱の練習をしましょう」
○「一人が3回飛んだら、先生の所に集まります。」


第4条 全員の原則
○指示は全員にせよ
 新卒教師が、希望に胸が膨らんで教壇に立つ。子供たちは、静かにじっと先生のいうこと聞いている。ってもかわいらしく見える。
 その日のうちにそばに寄ってくる子供たちが出てきて、あれこれ話しかけてくる。
 生活が始まると小さなことで子供たちが聞きにくる。
「先生、窓明けていいですか。
  −ああいいよ−
「先生、外で遊んでもいいですか。」
  −ああ、いってきなさい−
 こんなささいなことをなぜ聞くのだろうかと思うほど子供たちは次々に聞きにくる。
「給食を食べ終わったら、片づけていいですか」
「体育の時間の準備体操は誰がするのですか」
「野菜を残していいですか」
 次から次へと、際限なく子供たちは聞きにくる。
 そして、たまに小さなトラブルが生じる。
「先生、前の先生は、全員が食べ終わるまで片づけてはいけませんでした。」
 その頃は新卒教師に対する子供たちの質問は数十にのぼっているから、先生の回答のくいちがいも生まれてくる。
 ある子供には「野菜を残して良い」と答え、ある子供には「できるだけ食べてごらんなさい」と答えたような時である。
 一報の子供は「先生は残して良いと言った」と主張し、一方のこどもは「先生は食べなさいと言った」と主張するようなことが生じてくる。あまりにもささいなことを何度も聞きにくるので「自分で考えなさい」とつきはなすときもある。それぞれの子供が考えたルールが、独立して歩き始める。講師の権威はかすかに落ち始める。
 学級の出発に見られた静けさは、少しずつ失われていき、加速度的に騒々しさが教室を支配するようになってしまうのである。
 この間、わずかに二ヶ月ぐらいのできごとである。

「全員に伝えたつもり」「私としてはみんなに言った」という程度ではいけない。
 例えば、読書の時間、急に大切な指示をすることになった。
「みんなこちらを向いて、大切な事を言いますから良く聞くのですよ。」と言って、指示をする。
 ところが指示をした後、行動させると何人かの子が聞いていないということがおこる。
 ほとんどの場合、教師はそれを子供の責任にする。
 だが、これは教師が悪い。責任は教師にある。

○手に何か持っている状態で指示したのは指示したうちに入らない。
 子供は手に何か持っていいれば、それをいじりたがる。いや、大人だっていじりたがる。
 何十人もの子供がいれば、何人かは必ずいたずらをする。当然である。

○おへそを先生の方に向けなさい。
 こうして、全員をこちらに集中したのを確認してから指示をするのである。

○指示の追加はしてはならない。
 ある指示を与える。うまくいかないことがある。そこで指示の追加をするのである。ところが、指示の追加は中止よりもむずかしい。
 追加すると、いかなる整然とした集団でも混乱が生じる。追加した事による少々のプラスなどは吹っ飛んでしまう。
 指示をしたあとでも、少々の傷ならがまんしてそのままにしておいたほうがいい。

○最後の行動まで示してから動かせ。


第5条 所持物の原則
○子供を活動させるためには、場所と時間をと物を与えよ
 問題にしたいのは、どのくらい「考える時間」を与えているかと言うことである。
 30秒位しか考える時間を与えない人がいる。中には、出してすぐ子供たちに言わせるという人もいる。
 これでは、子供は何も考えられない。そのため、教師が強引に誘導するような授業になってしまう。
 また、子供達に作業をさせるのであれば、作業をする場を作らなければならない。
 教師での机の配置の基本パターンが「一斉授業用、給食用、学級会用」の3パターンしかないのでは、話にならない。
 「相談する時間」「作業する時間」「必要な道具」などを、しっかり確保してやるべきである。そんなことをしないで「自分たちで工夫してやりなさい」というのは指導の放棄である。


第6条 細分化の原則
○指導内容を細分化せよ
 プロ野球の選手は、素人から見たら同じように見えることに対しても、くわしく細かく分析を加えることができる。
 「跳び箱」を跳ばせる指導を考えるとき、それをいくつに細分化して考えられるかで、プロとアマは異なってくる。
 粗く言えば「助走する」「跳ぶ」「着地する」の三つに分けられる。さらに「助走を始める前」「助走を始めるとき」「助走を始めた直後」……というように細分化できる。
 さらにそのときの「目線」「走り方」などと、分解することができる。
 細かく分解し、それぞれの「コマ」に対して「どうすればいいのか」という解釈を与えることが必要になる。
 これをイメージ化して子供に伝えなければならない。文字を読んで理解するよりも、映像として音楽として理解する方が理解しやすい。
 たとえば「踏み切りは、ドタンと跳ぶのではなく、トンと跳ぶのですよ」と指導する。
 だから「助走を気を付けなさい」というような言い方は、何も指導していないのと同じなのである。
 つまり、「細分化して、解釈をし、イメージ化せよ」ということである。
 ただし、国語・算数などの指導では「細分化して、解釈をして、発問を考えよ」となる。
 例えば「電車の運転手さんはどんな仕事をしていますか。」ではなく、「電車の運転手さんは笛を吹きますが、誰に聞かせているのですか」というように、焦点化して具体化することが必要となる。このような発問の時、子供は動くのである。


第7条 空白禁止の原則
○たとえ一人の子供でも空白な時間を作るな

1)まず全体に、大きな課題を与えよ。しかる後に個別に指導せよ

2)授業中の個別指導は「完全にさせる」ではなく「短く何回もさせる」ということを原則にせよ。
 ただし、きわめて大切なポイントで、他の子供達にも波及効果があるときは、この限りではない。
3)終わった後の発展課題は必ず用意しておく
 「早く終わった子」は何をするのか、準備しておかなければならない。楽しく、朝鮮市外のある問題を準備しておくのは、教師なら当然のたしなみであろう。

 全校児童を集めて話をするとき、「三秒以上空白を空けるべきではない」
 「児童集会」などで、司会の子が、教師の指示を受け、そのために十秒、二十秒の空白が生じることがあるが、その分だけ全体は混乱していく。
 NHKの正気番組に出た時「四秒しゃべらないでいると馬鹿にみえるのです」と、ディレクターは語っていた。


第8条 確認の原則
○授業の途中で何度か達成率を確認せよ
 評価は別に新しいことではない。学問の制度が取り入れられた頃、つまり大化の改新のころから決められていた。今でいう定期テストがった。評価は誰の為にあるのかというと主として教師の為にある。
 自分の指導のまずいところを自分で診断するわけである。

 ここで言っているのは、一時間の授業の中で、できるだけ達成度を確認せよと言っているのである。
 「わかりましたね」と教師が聞けば、分からない少数の子供は周りの子供につられて「はい」と言ってしまう。

1)わからない人いますか?
 これとて、教室の空気によっては素直に「わからない」とは言いにくい。

2)達成率を確認する方法は方々の技術である
 机間巡視も確認のための有力な方法である。しかし、全体の状況をつかめるようになるには、少々訓練を必要とする。子供達の様子が映像として頭に残るような修業が必要なのである。


第9条 個別評定の原則
○誰が良くて誰が悪いのかを評定せよ
 指導を細分化することについて述べた。さて、指導の際、大切なのは一人ひとりを個別に評定してやることである。
 私の場合は、跳び箱二台を同時に使い、次々に跳ばせる。そして、十点満点なので、次々に評定するのである。
 クラスで一番体育の得意そうな子もまず、一点である。
 「一点」というと、クラスの中に驚きの表情が走る。なぜ一点なのか? それを教師は説明し、納得させなければならない。
 「今の人、力が入りすぎていたでしょう。もっと力を抜いて跳んだ方がきれいに跳べるのです。」
 というような話をし、それがきれいなのか、他の子に跳ばせてみるのである。だから、誰がきれいであったのかを判定して、覚えていなければならない。細分化して指導を続けるうちにだんだんに上がっていくのである。合格が出るのは、授業の終わり近くである。このようなとき、子供は何度も何度も何度も挑戦をしてくる。
 このように、誰のどこが良くて、誰のどこが悪いのかをはっきりさせるのは、運動会の練習であれ、よびかけの練習であれ、同じなのである。


第10条 激励の原則
○常にはげまし続けよ
 昔から、人を動かす方法に「アメとムチ」という言葉がある。エサで動かし、オドシで動かしているわけである。
 教育の場では、こんなことは、できる限り避けたい。教育の場で「子供を動かす」とは動くことにおいて教育することをねらいとしているからである。
 忘れ物一覧表、教室における「ムチ」の代表であるこんなことは、すぐにやめたい。
 「人間が動く」方法とは、「やる気にさせる」のが一番言い。それしかないと言ってもいいくらいである。
 教育の最も根本的な目標をただ一つだけ言えと言われたら「人間の生きていく気力を育てることである」といえる。
 「生きていく気力」があって、次に「生きていく技、つまり学問など」を身につけさせるのである。
 「やる気にさせる」ときに、最も大切なことは「はげます」ことである。「はげまし続ける」ことである。
 医者と比較すると良い。
 「あなた、これはダメですよ」と、医師に言われ続けたらどうなるだろう。一つ一つ悪いところを「ダメだ、ダメだ」としか言われなかったらどうなるだろう。
 反対に「ここが悪いけど大丈夫。こうしていけば治ります。がんばりましょう」と励まされたとしたら、病気にうち勝つ気力を奮い立たせることができる。
 「あなたダメです」とは、医者は決していってはならないのと同様、教師は「あなたダメです」と言ってはならない。
 悪いことは悪いとことして見つめて良い。語って良い時もある。しかし、それを克服すべき方法を示し、励まし続けるべきなのだ。
 「はげまし」とは、教師が子供と共に、一緒に欠点を克服していこうとする連帯の証なのである。

引用・抜粋
教育新書1
「授業の腕をあげる法則」
向山洋一 著
明治図書



<全教近畿ブロック学校事務研究集会 白浜 ホテルシーモア 2005.10.28 記念講演より>
「あなたの明日のために」
   講師 松上京子 氏


 車椅子生活17年すぎた。今は車椅子であることが普通で気負いもない。事故当初は自分の人生がゼロになり、ベッドの上で自分の人生や生き死にについていろんなことを考えた。
 そして、なくしたものを考えるのではなく、これから明日からのことを考えた。自分が自分のことを好きでいられるように。だいたい、泣いてる自分は好きじゃない。笑ってる自分が好き。いろんな人にあい、話をし、思いやりがもてる自分が好き。
 自分が好きでいられることが行動の基準に、いろんなことを選んで生活してきた。

ある年、日本テレビの24時間テレビで紹介される。
森脇健二さんが密着で普段の暮らし、カヌー、水上スキーの様子など生活まるまる密着して大変だったが、恐ろしいことにビデオは7〜8分。夫婦の出会いなどのインタービューでは正直にありようを話したが、夫がひどいところは全部カットされ、ほんの少しのいい部分だけが流れた。放映後、仲間から「いい旦那さんね」とたくさん電話をもらったが、事実ではないので恐ろしい。報道はいいとこどりで真実が伝わらないことを実感した。

ダウン症の人や、盲人マラソンの選手など障害を持った人といろいろ関わって学んできた。障害があるひともない人もいっしょということ思った。
森脇さんの知り合いで全盲でしゃべりのうまい人がラジオ番組で、まるで見えているような表現をしているのに、相方の芸人さんが「おまえみえんやろ」とつっこみを入れると「そういう感じに見える感じがするねん」と返す。普通はタブーに思うところを、同等の人間同士のつながりで妙な遠慮なく話ができているのがいいと感じている。


普段の生活は、普通の暮らしと、講演活動、文章を書くことが中心。
講演は全国に行くが、学校が多い。小学校・中学校・高校など実際子どもたちは障害を持った人に接する機会が少ないので、分からないことが多い。
子どもたちの質問で多いのは、
「服は自分で着れますか」
「お風呂はどうして入りますか?」
というようにだれかにいろんなことをやってもらって生きていると思っているものが多い。

分からなければ聞けばいいと思う。そういうことによって壁が取り除いていける。学校に行くのは好き。

障害を持っている人で活躍している人が現在、多くいる。
街の中の設備や道具に助けられることが多い。
段差が一番困る。
段があってもおいしい店に入りたい。
最初は段がなくてまずい方に入るだったが、変わった。
お店の人に「引き揚げてください」と頼むのはとても勇気がいる。
でも、行きたいところへいく自由が大事。15年前と比べると格段に設備がよくなってきているのを感じる。

東京で電車のエスカレータを登る時、なれた駅員さんの気持ちの負担をかけない介助を受けた。
平地は車椅子の横を世間話をしながら歩き、エスかレターにさしかかったとき、後にまわって、「自分のタイミングで乗ってください。後は見てますから」としてくれた。その旅行はこのことだけでとてもいい印象の旅行となった。設備も大事だが、人が大事だと思う。

ホテルにもバリアフリーを謳ったものが出てきている。
バリアフリーの設備の入ったビジネスホテルで狭いが必要なものが詰まっているのに泊まった。料金は6000円代。でも、バリアフリーを謳っていても電話でよく聞くといろいろできているのに風呂場には20cmの段差があったりすることが多い。(20cmの段差は車椅子を倒してしまう)


出会ったいろいろな人
 福祉ネットワークの会で見えない・聞こえない障害を持った東大の教授からチャレンジド(障害を持ってしまったことは神からもらったギフト)として日本でアメリカである障害のある者でも普通に教育が受けられる教育機関を作りたいという夢と目標を聴かされた。

 ほりうちまきこという10歳ほど年下の車椅子・リュウマチを持ちながら社会的に活動している人と、テレビの番組収録の打ち合わせの食事の時間に、自分でできないわけではないのにご飯を口に運んでもらっている姿を見た。尋ねてみると食べれるが、自分はリューマチなので非常に手を使うことは大変で、自分で食べてしまうと一番大事な打ち合わせのメモを取ることが疲れてできなくなってしまうから食べさせてもらっているということを聴いて、考えさせられた。
 優先順序を考えることが重要で、全部を自分でやるのががんばっているのではないと気づいた。

 ふじむらさんという大阪の車椅子のカヌーをいっしょにやる仲間はお調子者で、「いつか四万十川へ」とか途方もないことを軽くいうが、気が付くとそれが実現していく。
 カナダのユーコン川、98年現実
 3輪バイクでアメリカ大陸横断、03年実現

 そんな人と話をしていくと、夢を持っているのはいいことだと思う。人と出会うことがエネルギー・元気をもらっている。

 行動範囲が広がったきっかけは13年前、アメリカに留学をしたこと。それまでは日本にいて外国など考えもよらなかった。
 オレゴン州ユージーン。ここでは車椅子で生活しているが全く困らなかった。市内は全てリフト付きのバス。9ヶ月過ごした大学の施設がすべてバリアフリーで、障害のない人と同じように勉強できる。また、障害の程度によって公費による介助員がき、障害があってもスポーツやリクリエーションで遊べる。
 普通の中学校のプールでも午後から一般開放されているし、カヌーをするきっかけとなったラフティングトリップや、以前やっていて、初めて障害を持ってもできるのを知った水上スキーなんかが当たり前にできるのがすばらしい。

 一緒に学んでいた車椅子に乗ったグレッグは水上スキーの大会の後、とても車椅子ではしんどい体勢である前の地面へ前屈みになってゴミを拾っていた。聴くと、車椅子乗っているから助けてもらえて当たり前ではないと話し、
 「This is my responsibity.」と話した。この言葉でハッとした。以後、この言葉を大事にしている。


日本で障害者カヌーと出会い、カナダのユーコン川まで行った。
これからやっていきたいこと
○障害者カヌーを広げたい
活動を始めたころは危ないと思われたが、障害のない人であっても誰でも危ないのであって、危険をきちんと押さえた上で行けば同じ。障害者カヌーを手伝ってくれているカヌーイストの野田知佑は「障害者にも河で頭をかち割って死ぬ権利がある」少々乱暴な表現

○アメリカにあるNSCD(National Sports Center for the Disabled)の日本版として和歌山をあらゆる人が楽しめるアウトドアの拠点にしたい。

○子どもとの時間を大切にしたい
自分は2年生と5歳の母親。平凡ですがありふれたことは大切。
春に出版した「さよちゃんのママは車椅子」のまえがきより

子どもの心臓がきちんと動いていること。

当たり前だと思っていること
けれど実はあらゆる偶然が重なって起こっていること。
平凡な日常はすごいことなのだ

 人と出会うことを大事にしてほしい。力・勇気・方向をしてしてもらったり情報がもらえたりする。
 偶然を必然に変えていくのは自分。

未来へ向けての時間のなかで
自分のやりたいことを見つめ直してほしい
やりたいことに年齢や障害はじゃまにならない
自分のやりたいことを時間をかけてやることは大事にして欲しい

夢を書き出したり声に出すのは切符を飼うのと同じこと
今、準備することが見えてくる



<平成17年度小・中学校事務職員研修I B講座 H17.9.5より>
「不登校への対応と学校の取り組み−スクールソーシャルワークの視点から−」
   講師 関西福祉大学 講師 半羽 利美佳 氏


不登校の現状
平成16年度 12万3317人
(前年比2090人減)
  ↑
 不登校への理解の深まり?

○小学校 2万3310人
 0.32%(昨年度比0.01減)
○中学校 10万7人
 2.73%(3年連続同ポイント)
  ↑
 少子化しているが比率で見てみると変わっていない


スクールソーシャルワークとは
◆子どもが学び成長する権利を守るために、子どもたちを取り巻く環境を調整・整備する活動。

◆様々な困難に直面している子どもたちを、子どもたちの側に立って支える活動
  ↓
 子どもの代弁者
  ↑
 実際に対応してみるとそれほど好き勝手を言っていない。
 必要な事を言えていない
 心の内を言えない子ども多い

例1:修学旅行で自由行動のグループは男女混成編成いや
   ↑
  男女では行きたい場所が違う
   ↓
  先生にいってみれば?
   ↓
  言ってもどうせ変わらない
   ↑
  文句は言えるが先生に言えない
  パワーレス

例2:部活動がしんどい
   ↓
  やめたら?
   ↓
  やめると言えず
   ↑
  人間関係・親や顧問からの期待

◆子どもたちが直面している問題を、個人の資質や教育・医療といった一つの側面からとらえるのではなく、生活全体との関係の名からとらえ、その質をどう高めていくかということで問題状況の改善を試みる。
  ↑
 人間の抱えてる問題は複雑
  ↓
 人が生活するといろんな関わりが発生
 いろんなところでバランスを崩す場合がある


いじめ・教師との不和・学校になじめない
病気
大気汚染などの環境問題
経済問題・家庭内不和・虐待

 複合的に原因が絡んでいる場合が実際
 例:中2から家汚れ・経済的にしんどい、兄から暴力
    ↓
   学校でも様子からいじめに

 不登校の家…いろいろ抱えている。皆しんどい。
  ↑
 いろんなことをいろんな側面から改善
 生活の質をUPさせる専門職
  ↑
 いろんな人の協力が必要。


スクールソーシャールワークの基本姿勢

●受容する
 人間により価値観が違うので同じではないが、人それぞれ色々あっていいという姿勢
  ↑
 暴力をせざるを得ない状況を理解

●個性を尊重する
 時代の変化、子どもの人権
 実際には個性を尊重されている場合は少ないが

●その人の利益を優先する
 援助職…サービスの提供

●当事者の声を聴く

●自己決定を尊重する
 大人が子どものために想った行為…押しつけ多い


当事者の声を聴く

●誰が「しあわせ」を決めるのか
◆自分の価値観や基準で子どもたちの「しあわせ」を決めつけない
  ↑
 熱心な先生ほどバーンアウト
 結果、課程も含め本人が決める
 一方的な押しつけは×

 自分がどうしたらいいのかわからない
  ↑
 ひきこもる
  ↓
 なぜ学校にいけないのかも分からない
 なにがなんだかわからない
  ↓
 見守る姿勢が必要
 整理するのに必要な期間には個人差がある

 もしかしたら
 考えがまとまらないときにまとまらない
  ↓
 現実逃避…物理的・精神的
  ↑
 まとめる力が湧く
 
 次のステップをしたときに、別のサポートをする
 
 動き出す瞬間=自己決定


自己決定を尊重する

●人間には、物事を自分で考え決定していく力と可能性がある。
  ↑
 年齢に関わらず、自己決定の農協がある前提
 しんどい時、決定能力が落ちる時がある

●その人の判断能力が不十分であったとしても、自分で決める力、選ぶ力を奪わず、むしろわかりやすい適切な情報を提供して、その人の自己決定の力を高めることが大切。
  ↑
 経験があれば誰でも情報を提供できる

●失敗もあるだろうが、そこから学んでいくことも人間の特権。
  ↑
 失敗・後悔のない人生はない
 納得せずに行動してうまくいかとないとマイナスの感覚が強い

 大人は、失敗したときに、二度と立ち上がれない環境にしないようにする


連携・ネットワーク・チームアプローチ

何とか支えていける環境作りの為には不可欠


なぜネットワークやチームアプローチが必要なのか

●「一人」の援助には限界がある
 一人では、本当に必要な援助が提供できていないかもしれない
  ↓
 どんな優秀なカンウンセラー・ソーシャルワーカーがいても一人では解決しない
 今の生活環境がちょっと変わっただけでも本人の気持ちが変わってくる場合がある
  ↓
 スクールソーシャルワーカーは生活基盤を支える専門職
 それいがいに、専門性のない人の働きがとても大切

●多角的な視点から物事を見ることができる
  ↓
 スクールソーシャルワーカーだけでは偏りの可能性がある。
 学生を入れた例で想いも寄らない視点が出てきたことがある。
  ↓
 SOSやニーズの発見、提供できるサーポートの網の目が細かくなる


チームアプローチに必要なこと

●チームメンバー間で目標が共有されていること(ニーズに合った目標であること)

 落とし穴
  共通の目標
   ↑
  バラバラだと大人の期待に応えたい子どもが困る

 例:別室登校する子ども
  先生……教室へ
  用務員…しんどいなら別室へ

  できる範囲で、できることから共有する

●自分の役割と他のメンバーの役割を認識しておくこと
  ↑
 問題が起こっていないときから自分だけでなく、他人の動きも把握
  ↓
 人間はしんどいことはやりたくない。普段のからの関係があると物事がすんなり行く


マズローの要求段階説
  ↑
 子どもとの関わりで大切にしてる。
 夢を持つ(自己実現する)にはクリアすべき欲求がある

1.生理的欲求

2.安全の欲求

3.所属・愛情の欲求
   ↑
  愛情・仲間・友情・つながり

4.承認の欲求
   ↑
  人に自分の力を認めてもらうこと
  本人が力があると信じる
   ↓
  普段、我々ができること
   自分の周りのいる人が大切
   自分自身に自身がもてるように称賛

5.自己実現


子どもたちと接するときに心がけていること

「友情を得るには、相手の関心を引こうとすることよりも、相手に純粋な関心を寄せることだ」(D.カーネギー)

何かちょっとしたことで変わることがある
価値観の違う相手…自分を理解しようとする人

不登校
 誰にも会いたくない時期を抜けると
  ↓
 すごく関わってくれる人を欲する


◇PTSDについて
アメリカ精神医学会(American Psychiatric Association,1994a)の、精神疾病の診断・統計マニュアルの第4版(DSM-IV)より

 特徴の一つは、その人が外傷的出来事(トラウマ)を経験しているということです。
 地震、洪水のような自然災害や、戦闘、暴行などの外傷的出来事(トラウマ)をその人が直接個人的に経験している場合や、災害や暴行によって大きな怪我をしたのを目撃したり、不自然な死を目撃したりしたなどの目撃している場合や、症例は少ないのですが、身近な人がそういった状況になったことを知った場合も同様です。そして、その人の反応は強い恐怖、無力感、戦慄が伴っていなければなりません。

 そして、それに引き続く特徴的な一連の反応が確認される必要があります。

 一つは、外傷体験が再体験されるということです。
 その外傷的出来事の反復的で侵入的で苦痛を伴う想起が挙げられます。
 例えば、その出来事についての反復的な悪夢や、外傷的な出来事が再び起きたかのように行動したり感じたりするといったことが生じ、本人の意思に反してしつこく再体験されます。
 また、外傷的出来事を思い出すような刺激に触れると、あたかも外傷体験が再び戻ってきたかのような錯覚があります。
 そのため、心理的苦痛や生理的反応がおきて、恐怖のあまり、汗がじっとり出たりといった苦痛を伴う症状です。

 一つは、外傷に関連した刺激の持続的回避や、全般的反応の麻痺(感情鈍麻)といった症状も特徴的です。
 例えば、外傷的出来事に関連した刺激の持続的回避では、外傷体験に関連する会話、感情、場所、人物、活動などを避けようと努力します。場合によっては、外傷の重要な局面について想起不能(解離性健忘)になることもあります。
 全般的反応性の麻痺では、以前は楽しんでいた活動への関心が薄れ、他人から孤立したような感覚や、親近感や優しさといった感情を感じる能力が低下し、生活全般から引きこもりがみられます。

 一つは、過覚醒(自律神経系の興奮や過覚醒の症状)といった症状です。
 なかなか寝付けない入眠困難や途中で目が覚める中途覚醒や全く眠れなくなったりする不眠があります。また、集中できなかったり、過剰に過敏になっていて小さな物音などにドキッとするような過度の警戒心が生じてきます。

 上記で述べた3つの症状が1ヵ月以上続いていること。そして、その障害のため顕著な苦痛を生じていたり、社会生活が送れなくなっていたり、問題が起きていたりしていること。
 上述した状況や症状がすべてある場合にPTSDであると診断されます。


<泉南市コンピュータ教育利用研究夏季集中研修会050810>
「ノンリニア映像編集と授業での活用方法」
   講師 和歌山大学教育学部 豊田 充崇 氏


1)「ノンリニア映像編集技術」の現状

 昔のビデオ編集は一発ミスるといちからやり直しだが、パソコンにより画像編集は何度でも簡単にやり直しがきく。

 画面の切替もビデオデッキで行うのとは違い、簡単に確実にきれいにできる。

 映像、テロップ、効果音、BGM、ナレーションを自由に操れる。

 パソコンの能力の向上により、安い機材でもかなりのことができるようになった。


2)学校教育における「映像の活用」

@(教師が)映像教材の作成
 教科指導で、まとめや校外学習のポイントになるような場面を作って見せると効果的。

A映像番組、CM等の作成(メディアリテラシーの育成)
 実際に子どもたちに映像を作らせることで、構成能力を高めることができるとともに、作者の意図が入った映像になることを知ることができ、映像=真実ではないことを知って、TV番組等を批判的に見るメディアリテラシーを学ぶことができる。

B学校行事、学級経営等での活用
 学校に取りためられているビデオテープの整理やクラスの思いでをDVDにまとめると整理にも記念品にもなる。


3)「映像番組(映像教材)の作成」に向けて

○作成のポイント
 料理の世界は、「素材8割、腕2割」。映像編集は「撮影8割、編集2割」。いくら編集技術が発達しても、もともとの撮影映像が使い物にならなければいい番組や映像教材は作成できない。
 まず、番組構成やストーリーがしっかりしていることが大前提

※小中学校における映像制作の授業実践事例
 和歌山県美里中学校での実践例を紹介。

設備的・人的に美里でやったふるさと紹介の実践は大変だった。

撮影では2台のカメラを使い、1台は近くで音声をしっかり撮る。もう1台は遠くから全体を撮る。
ぶれたもの・逆光のもの等は使えない
  ↓
1台で撮って失敗してしまうと、番組ができないので、予備という意味も込めて。
cf.先日済州島でKBSの取材が来たとき、無線マイクを服に取り付けられて、カメラ(ベータカム)に受信機があって、音声を映像のサウンドトラックに録音していた。


実際のテレビ番組を見て参考に
2分ものの良くできた番組
「歴史街道」「世界の車窓から」
 カメラワーク・テロップ・BGM・ナレーション・効果音つかい具合を分析。

○カメラワーク
 Zoom、パーンは意味があるときのみで、基本は静止(Fix)映像。

○画面切替効果
 統一されたもので、落ち着きのあるものが基本。

○テロップ
 フォントは白字に黒影が基本。こうすることで画像を見せる効果がある。
 バラエティー番組では文字を見せるようにするので派手なものが多い。


CMを見て学ぶ
和歌山放送で良く流れている「酒直」の30秒ものの、和歌山の四季を入れ込んだもの
 たった30秒に20場面ほどが入っている。1秒の画像でもインパクトがある。
  ↓
 いらない画像はできる限りカットする。


4)映像作成の実習

 既存の映像を切り張りして、「メッセージ性のある映像」を作成します。
 同じ素材からでも編集次第で込められたメッセージが異なることを体験します。

※サンプル視聴
 講師の作品と、高校生の作品数本を見た。
 同じ画像でも簡単に全く違う内容の映像が作れてしまう。

5)上映・相互評価

本日の利用ソフトウェア
※フリーソフトでとりあえず
 Windowsムービーメーカー2(WindowsXP_SP2以上で自動的にインストール済)
※1ヶ月無料体験版ソフトおでお試し
 Adobe Premiere Elements 7000円程度DVD書き込み機能あり
※市販の専用ソフトでプロ並みの作品を仕上げる
 Canopus UltraEdit(超編) 20000円程度


韓国済州島研修旅行

 2005/8/3〜8/5の日程で韓国の済州島へ府立外教・府外教主催の研修旅行は、ほんとハードな「探検旅行」で普通では絶対に経験できない体験ができました。

【済州島について】
 済州島は韓国の一番南の島で形は横長の楕円形状で、大阪府と同じくらいの面積の火山島です。
 韓国では日本でいう沖縄かハワイのようなリゾート地で豊かな自然ときれいな場所がたくさんあります。カジノがあることでも有名です。
 動植物や自然の景色は九州に似た感じがします。でも、蝉の鳴き声はちがっていました。ジージージーと何か機械が壊れたのかと思うような鳴き声のクマゼミに似た蝉がメインです。ニイニイゼミ、ツクツクボウシ(すでに鳴いていました。)はおなじものです。また、カブトムシ、クワガタのたぐいも同じです。
 建物は、古い伝統的なものは、石組みをした壁に日本とはかなりちがった形の藁葺きです。日本の植民地時代に建てられたものは瓦葺きのものが多いそうです。とにかく火山島で軽石や溶岩などの石がたくさんあり、それをベースとしたものがたくさんあります。
 田圃はカルストのためほとんどありません。畑の区画には石を高く積み上げています。家の周りも積み上げられ、防風の役割を果たしています。
 農業の特産品はみかんです。それもよく見れば温州みかん。韓国の総消費量以上のみかんがとれるそうです。
 民族衣装は柿の渋で染色したとても素朴な服装です。

【食べ物】
 今回の「旅」では食事だけは上等だったようです。
 石焼きビビンバ、骨付きカルビの焼肉、甘鯛の開きの韓定食、ヒラメの韓国風つくり、アワビのお粥、ワタリガニの海鮮鍋、豚の焼肉などを食べました。
 どれもおいしかったのですが、量が……。とにかく、メインの他にキムチ、ナムル、チシャを始めいろんなものがついてきて、なくなるとどんどん追加を入れてくれます(もちろん無料)。さすが、キムチはどの店もそれぞれ違っていましたが、うまかったです。

 特にうまかったのは骨付きカルビの焼肉ですね。サンチュ3枚に程良く焼けたカルピをのせ、焼きニンニク、豆板醤、ネギのサラダなどを巻いて口へ入れると抜群です!
 みんなバクバク食べていました。
 ついに、カルビを食べ尽くして、済州島産のシマバラ肉の薄切りをごま油に塩を入れたものを付けて食べたのですが、これもまたうまかったです。
(日本では醤油をなんでもかける感覚ですが、韓国では豆板醤をなんにでもかけて食べるそうです)
 たのめばミドリの唐辛子をくれるのですが、これが超劇辛。へたにかじると最初は甘いのですが、その後は……。幸い自分はめっぽう唐辛子の辛さには強い方なので大丈夫でしたが、それでも1/2本が限度でした。ガイドさんに言わせれば、若い人達はよく食べるけど、年を取るとだんだん辛いものはそんなに食べなくなるそうです。辛いもののせいで韓国では胃ガンが多いそうです。カプサイシンも程々がいいようです。

 済州島では甘鯛の開きをよく食べるようです。これが、とてもおいしくて……。でも、箸が金属製の重いものなのでとても食べにくいのが玉に瑕。さすが日本は箸文化。日本の箸は魚を食べるために特化されているそうです。韓国はサジの文化で、韓国のサジは西洋のサジよりずっとスープを飲んだり、混ぜたりするのに良くできているそうです。そういえば、西洋スプーンを見たのはティースプーンだけでした。意外なことは韓国でもみそ汁をよく飲むようです。旅行中、大抵みそ汁がでてきました。だしが煮干しなのが違うところです。帰るころには鰹だしが少々恋しくなりました。これは日本の味なのでしょう。
 日本とは大きく違う習慣は、とりばしの習慣がないことです。ですから誰でもどの皿からでも直接取って食べます。この部分に代表されるようにいろんな面で韓国は日本よりおおらかなことが多いように感じました。
 ヒラメのさしみは日本と同じなのですが、ゴボウの葉かサンチュかシソの葉に載せて、コチュジャンを付けて巻いて食べるのが韓国流です。でも、一緒に出してくれていた醤油とわさびの方がずっとうまいですね。
 ワタリガニの海鮮鍋は鍋にハマグリ、太刀魚、いろんな野菜、そしてワタリガニを一緒にいれてぐつぐつ煮たものです。普通はこれに辛みを入れるようですが、日本人を意識してか辛み抜きでした。でもうまかったです。意外なことに、韓国でも冷麺の麺の他にうどん、そうめんなんかが普通にありました。もちろん、海鮮鍋にはうどんを入れて、最後は雑炊です。
 最後の日の昼は民族村で食べた豚の焼肉です。入った店は結構有名みたいでいろんなテレビ局の取材の写真が貼ってありました。なにが有名かと言えば、ヨモギとジャガイモを入れて練ったきしめんのような麺で、スープに入って一緒に出てきました。これを皿に取って、焼肉とコチュジャンとナムルなんかと混ぜて食べるのが韓国流だそうです。

 韓国ではあまり昼からお酒は飲まないようで、ビールも冷えたのがないくらいでした。民族村のお店のご自慢はキビで作ったマッコリです。マッコリとは日本のどぶろくの様なアルコール濃度の低い酒で、どんどん発酵が進む少々、酸味のある酒です。店で造った酒をそのまま出せるということは日本のような酒税がないのかもしれません。
 韓国ではビールは少々贅沢品で、特に日本産や外国産のビールは関税の都合か結構たかいです。350ml缶で300円以上します。韓国産のビールなら160円程度。どちらかといえば日本のビールよりは薄目で、発泡酒に似た感じです。おもしろいのは1.6l瓶をスーパーで買ったらなんと、ペットボトル入りでした。
 大体の人は合成焼酎(アルコール度22%程度)の350ml瓶120円程度かマッコリの500ml入り200円程度をよく飲むそうです。

【交通】
 済州島には鉄道がなく、すべてが来るまで、公共交通機関はバスです。悲しいくらいハングルが読めないのでまるで分からないのですが、かなり発達していて便利なようです。
 あとはタクシー。これが安いのでとても使いやすいです。ホテルスーパーまで約2Km乗ったのですが、料金は150円程度。これじゃ日本のバスよりずっと安いです。
 もちろん、日本とは逆で車は右側通行。バスのドアも正面向かって右側にあります。最初はなかなかとまどって反対の方から乗車しようとしてしまいます。また、バスの右側の席に乗っていると少し道路が細いだけで対向できないような錯覚に囚われます。
 日本と決定的に違う韓国の交通ルールは、信号が赤の時でも右折は可能なことです。日本ならたまに左折可の標識があって信号に関わらず左折できますが、韓国ではどこでも可能です。
 また、車優先なので、ぼやぼやしていると轢かれてしまうそうです。歩行者も車を運転している感覚で道路を渡る必要があります。それに、交差点は日本のようにやたら信号が多いのではなく、できるだけロータリーになっていますし、信号も最低限しかありません。
 車はどっかでみたけどちょっと違う車がたくさん走っています。Hundaiなどのメーカーが日本車をライセンス生産しているのか、日本からOEM生産してもらって輸入しているのかわかりませんが、ほんの少し顔が違うだけの車や、そのままでメーカー名が違うだけの車が多いです。特に目に付いたのはPajeroの旧型の新しいものです。
 全然ないものもあります。それは日本ではどこでも走っている軽トラです。1台も見かけませんでした。軽自動車も数えるほどです。単車も多くありません。


<全国事務研究集会愛知大会3日目第一講座より>
教委改革の動向と学校と学校事務 〜学校への「要望」「苦情」そして「イチャモン」〜

   大阪大学大学院教授 小野田正利 氏


学校現場に押し寄せてくる無理難題要求「イチャモン」の急増現象
  ↓
「社会が壊れ始めている」と危機感
  ↓
全国で300名を超える関係者からのインタビュー調査
2000を超える事例収集と分析、いくつかの論稿
  ↓
このテーマで講演依頼が激増
 校長会、教委、教職員組合、校内研修会
  ↓
イチャモン現象をどう理解するかではなく、
基本は「教職員が元気と自信を取り戻すために」というテーマでもあった。


この数年間の日本の社会構造の変容
新自由主義路線の中で出されてきている「教育改革」オンパレード
  ↓
どのような実態を作り出し、何が破壊されているのか。
  ↓
大局的に見ると「構造改革」
 公的資金(税金)の調達と分配方法を転換
教育について見れば
 「公共サービス性」を限りなく縮小
  ↓
 民間企業にいかに「丸投げ」していくかが焦眉の課題

「個別政策」…段階的な戦術のコマの一つの役割
 校区制の緩和
 情報公開
 コミュニティースクール(地域運営学校)
 バウチャー(教育クーポン券)構想
 教職員評価


社会が崩壊し始め、人々の結びつきが切れそうになっている状況
  ↓
学校と教職員が最後の防波堤としての役割を放している
 社会の絆をつくる底辺部分の礎としての重要な役割

学校がツブれると社会が崩壊するとの危機感を持っている
  ↓
学校が疲弊し続けている現実には痛恨の想いがある
なかなか等身大で評価されないことも歯がゆい

政治や社会全体が「教育改革病」に罹り、それに何度も翻弄される学校は異常
  ↓
「無理が通れば道理が引っ込む」
「角を矯めて牛を殺す」状態
  ↑
これが優先されている実態

例>学校評価って何のために
練馬の小学校で学期ごと年3回の学校評価
保護者からのアンケート惨憺たるもの
自由記述欄にかかれたことにいて学期末までに対応策を教育委員会へ

アンケート項目10項目
 よかった意見 ○
 悪かった意見 ●

7月
学級編成 31の意見中○7
教科指導 ○3
特色ある学校づくり ○2
生徒指導○1 ●8
○:●=1:3〜1:4

11月
○:●=1:7
  ↑
学校全体で対応したのによけいに悪い状況に

対応としてアドバイス
○あまり細かいことに一喜一憂しない
○子どもの7割が楽しい=充分な結果
○アンケートの方法
 「この小学校のいいところを3つ、たりないところを3つを書いてください」という形

都教委の動き
○説明責任で弁明をともめてくる
  ↓
○やればやるほど疲弊
○改革することだけが目的に


「教育改革は、未来の社会をどのようなものとして想定するかというとろに直結する問題」
  ↓
人と人が結びあいながら、まがりなりにも信頼性と共同性を培える社会?
社会階層の分断と猜疑心の増幅、疲労と不信の渦巻く社会の到来なのか?

  ↑
今、日本の教育はこの二者択一の岐路に立っている

流行のような、あるいは耳障りのいい言葉に惑わされずに
○いまの「教育改革」は果たしてまともなものなのか?
○冷静にまともに「教育改革」を考えるとはどういうことなのか?
  ↓
ごく当たり前のことが、最も大切
  ↓
忙殺され疲弊する学校現場が、正当な要望を受け止め損ねている場合もある


イチャモン研究の位置づけ
○日本の社会を分析
○公教育のあり方を考えるもの
○学校と教職員が
  体力を取り戻し
  子どもや保護者から頼られ
  共同の営みに加わって行ける
   道筋を探り出すもの


3類型「要望」「苦情」「無理難題要求(イチャモン)」
学校への地域住民保護者からの
「要望」
○学校が果たすべき内容で、誰かがはっきりしている
○要求に正当性がある

「苦情」
○20年前から
○本来学校がやることであるかどうか
○時によって誰であるかを名乗らない

「無理難題要求(イチャモン)」
○学校がやっちゃいけないこと
○文句を言うための無理な言いがかりで、当事者にとっては何ともならないもの


0.イチャモンの急増
 10年前から増え始め、5前ぐらいから急増
例>
日曜日にこうえんで起きた子ども同士のいざこざが、その調整と解決(謝罪と補償)を求めて、月曜に学校に持ち込まれる。(大阪では相当数ある)
  ↓
際限のない学校の守備範囲と責任領域

家庭の教育の機能一定の法則
  ↓
実際の機能低下を、この30年間に学校が際限なくカバー
  ↓
「学校はゴミ箱、教職員はサンドバッグ」
ツブれていく教職員、萎縮する学校


1.イチャモン研究のスタンス

イチャモンを付ける奴が問題とは思っていない
○中には大事な要望をイチャモンにすり替えてしまっている場合もある
○なぜそんな要求がでてくるのか

学校がどうしてしんどいのか
○学校への参加論
  ↓
自分の主体性と他者への配慮が必要


2.社会全体に広がっている深刻さ

道理もなく無茶な「構造改革」の問題
  ↓
絶対的に必要な社会的規制までも緩和と撤廃
  ↑
政治の問題
バブルの崩壊
  ↓
出口の見えない生活のしんどさ
ゆとりの急速な減少
  ↓
「いじめ」の構造に似たつぶしあい
「うっぷんばらし」に近い状況
 何かの不祥事が起きると、その原因をきちんと整理して本質的な課題はどこにあるのかを検討することもなく、完膚なきまでその当事者を徹底的に非難し追いつめていく……
  ↑
妬みと恨み
契約型社会への移行する「きしみ」なのか?


例>牛丼屋で殺人事件
2004.9墨田区で会社員が自宅アパートで殺されていた
当初、該当者見つからず
 捜査線上に会社員がたまにいっていた牛丼屋の店主
  ↑
ずっと、会社員は牛丼屋でありとあらゆる罵詈雑言、無理難題要求を重ねた
  ↓
牛丼屋の店主は追いつめられて殺すしかないと思い詰めた
「クレームが余りにもしつこいので」

殺された会社員はどうしてここまで牛丼屋の店主を追いつめたのか?
  ↓
会社の中で「愚図でどじでのろま」
  ↓
牛丼屋の反応でSM関係が
  ↓
飲食店は客に弱い
 受け手の側に回る
 大学生アルバイトに聴くとファミリーレストランでの客の傍若無人ぶりひどい
  ↓
怒るべき相手ではなく、弱いもの反撃できないものに「攻撃」が向けられていく
  ↓
政治家の暴論や大罪は見過ごされ、庶民のささいなミスばかりがねらい打ちにされる


「仮想敵」としての公務員・教職員
「教育改革病」の15年間
  ↓
「改革」をやればやるほど「疲弊」していくのはなぜか?
  ↓
「だったらお前がやってみろ!」と切れる寸前の学校現場
(対国、教委、議員、マスコミ、そして世間)

ただでさえ、「体力」が落ちている
残念ながら、学校と家庭・地域のコミュニケーションチャンネルのありとあらゆるところでイチャモンは起きる

文部省が進める「顧客満足主義」
  ↓
確かに公教育は公共サービス
しかし、「教育の本質と論理」に基づいた「顧客満足」とはなにかの検討が必要
「やれること」と「やれないこと」
「やるべきこと」と「やってはいけないこと」
 の区別が大切


3.2005年春に実施した関西3地区での「保護者対応の現状」に関するアンケート調査

量的な傾向を把握するための初の調査
  ↓
マスコミの注目
 朝日新聞 6/26付東京版
      6/27付大阪版
 以後、7月上旬まで全国で
 日本教育新聞7/4付
  ↓
※相当な反響(賛否含めて)

888候の幼・小・中・高・養護学校の校長・教頭への調査
  ↓
507人が回答
自由記述欄に実に多くの書き込み
「こういう研究を学校現場は待っていました」とも

「要望や苦情の内容の変化」…94%
「要望や苦情の持ち込み方法の変化」…88%
「保護者対応の難しさの実感」…90%
「保護者対応に悩む教職員の割合」
  25%「全教職員が悩んでいる」
「無理難題要求(イチャモン)は増えているか」
  24%「非常に増えている」
  56%「少し増えている」
 増えているのと応えたのは8割
  ↓
「増え始めたのはいつ頃からか」
  37%「10年ほど前」
  25%「5年ほど前」
 ほぼ1990年代後半以降が圧倒的


4.イチャモンの定義の変更

「学校教育活動及び学校経営に関する保護者・地域住民・生徒からの要望や苦情のうち、当事者の努力によっても解決不可能もしくは不条理な内容を持つもの」
  ↑
 これは内容的な部分にのみに注目する定義
 これに加えて、方法的な側面も加味する必要
  ↓
匿名性と権威性によって、所期のの目的を達成することが急増

名乗らない
より上位の機関を使う
 校長室に、教育委員会に直接
 文部科学省にもしょっちゅう入ってくる
保護者間のトラブルの調整役も学校に
 「当事者能力」の欠如、社会力の不足か?

例>林間学校でキャンプファイヤーでブラスバンド演奏
保護者、楽器心配に
市教委へ1時間の電話
 こんな感じの電話が1日に10数本かかってくる
  ↓
なぜ学校にかけないか
 匿名性がなくなってしまう(本人が特定される可能性あり)
  ↓
 学校では具合が悪い


深刻な民間会社のクレーム対応
1970年代頃から
1980年代
 だんだん増えてくる
1990年代
 PL法成立から本格的に
 原則的に不具合を会社が証明することに
 連絡先は工場ではなく、お客様相談室に集めている

川田茂雄「社長をだせ!〜実録・クレームとの死闘」(宝島社)
  ↓
読めば読むほど大したことない。学校に比べれば
○会社はお客様相談室があり、そこが仕事としてやっている
○作っている製品は同じで、お客に対する満足度は同じ
○最後は「うちの製品を買うな」と開き直ることができる
  ↑
学校にはどれも該当しない
言えないことをわかっていて無理難題要求をしてくる場合もある


5.「なぜ学校・園へのイチャモンが急増しているのか」についての3つの仮説(当初)

※社会構造の変化という根本的な土壌、
 冷静な現実感覚の麻痺、
 言ったもん勝ち
  といった風潮が強くなっているという前提の上で

@間口の広さと言いやすさ
 日本の学校は生徒指導を一つの機能として抱えていることから、苦情の受け口とし措定され、際限なく無理難題をも受け入れざるを得なかった。

A後押し
 マスコミによるステレオタイプ化した学校像・教師像の繰り返しによって、増幅傾向に拍車がかかっている。

B底流に広がるもの
 ここ数年間の国が主導する「教育改革」の質的変容が、教育不信・学校不信を生み出し、末端の学校がそれらの「尻拭い」をさせられている。


6.世代論的な考察がやはり必要か? 1970年代が転換期なのか?(4つ目の仮説)

○1960年代前半以降生まれか?
 子ども文化史にとっても分岐点(育ち環境の激変)
 少子化の始まり
 「群あえない子どもたち」
 「いつまでも子どものままにしておきたい親たち」

○校内暴力(特に中学生)の増加(1982年ピーク)から「いじめ」問題へ
 なぜ子どもたちは荒れるのか?

○1968年の大学紛争後の「反省」=生徒会の敵視と軽視、「管理の対象としての子ども」
 「学校でも出番のない子どもたち」

○学校の「機能と役割」の一方的増大と「期待」の拡大が1970年代に急速に進む(1965年文部省「生徒指導の手引き」の公刊や1960年「安全会法」の制定など)

○この時期に児童期や思春期を経験した子どもたちが、いま30年代の親
 彼ら彼女らに映る「学校の原風景」はどのようなものなのだろうか?

○「自分の問題として考え、自分でなにができるか」を考える文化と、「自分のせいではないと考え、他人に何をしてもらえるか」を考える文化。
 自治と責任の欠如かもしれない。

※約30年間の複合的で累積した膨大なツケを、払わされている? 今後も?


7.なぜ学校へのイチャモンの解決がしんどいのか?

@層の薄くなった地域社会のカバーを学校がしている。
   ↓
 際限のない学校の責任領域・守備範囲
   ↓
 本来学校教育的ではない事柄までもが含まれている場合もある。
 最初から「手にあまる」

A2つの異なる満足基準を抱えている
   ↓
 教育はもともとファジーな部分が多い営み。
 全ての者が満足するものは何か確定しにくいし難しい。
   ↑
 200万円の車とか210円の缶ビールを買う行為(満足度)とは異なる。
 人を相手にする。
 子どもの満足と親の満足の2つの基準での評価対象。

B今の学校の側に余裕がない
   ↑
 教育改革病に翻弄され、ともかく暇がない
 体力・余力がない
 体力があれば@・Aも多少は対応できたが……


8.学校としてできることは?

◇ある教師の提言
「@事実を確認する。A分析して問題点を整理する。B保護者との懇談を行い、意志疎通を図る。」
   ↓
所期の原則としてはきわめて正しく、忘れてはいけないこと
   ↑
しかし、こだけでは済まない事例が増えてきた。
なによりもひどく消耗する

◇多くは、次の視点が欠落している

(1)「渦中にある現象」と「本質(願い)」を区別して見極める必要性 
 オモテに見える要求ではなく、そのウラに透けて見える本音を見定める
 「実は寂しい」「実はうちの子がいじめられているんじゃ」「実は苦労して育ててきた自分が全く評価されていないんじゃ」等々

(2)一人で背負い込まない。徹底した共同化。
 元々日本の学校が持っていた利点
  ↑
 共同化が発揮できる職員室の構造
 多様な視点で語り合うことの重要性
 元気な人がひっぱっていく(世の中は相持ち)


◇「イチャモンは時と人を選ばない」
 問題の多い教職員に起こるのではなく、まじめな者にも起きている。むしろ、その頻度が高くなる傾向…これまでの事例調査から

◇温度差がありすぎる
 渦中の当事者間、教職員間、学校と教委間


9.制度改革を含めた短期的な措置と中・長期的な展望

◇根本的には、イチャモンが発生する状況(政治・経済・社会)そのものに対する反省や分析が必要

◇緊急避難的には何らかの措置が必要
  ↑
 学校が少しでも「救われる」ノウハウ。
@「問題調整」(整理)する第三者の創設(スクール・ソーシャルワーカー、スクールローやーなど)
A学校外部との関係性構築にもっぱら責務を果たすコミュニティー・コーディネーターを教職員として増員。
B調整と解決にあたる第三者機関の設置
※問題は人選にかかっている
 なかにはイチャモンのセミプロやプロも存在する

◇まずは問題案件の「さばき方」についての機関、次に「調整」の為の機関、あるいは「解決」の為の機関が必要かもしれない

◇中長期的には、どういう時に「コブシは振り上げる」べきか、また「コブシのおろし方」をお互いに学びある土壌の育成。

◇学校の役割の境界領域と協力についての「合意の形成」
   ↓
 長期的に「冷静にまともに」考える

◇なによりも「学校と教職員の体力を回復させること」が必要
 しなやかな対応や冷静な判断、そして共同性を発揮できる職場環境の大事さ。
   ↓
 このことが、もっとも経費も掛からず、短期的に達成でき、骨太の改善策である


10.日本的学校・園の特質を「再評価する」必要性

NHKスペシャル シリーズ「学校は変われるか」2003/10/25
 膨大な「生徒指導(生活指導)」の領域を抱えている
NHKスペシャル シリーズ「学校は変われるか」2004/11/13
 特別活動を通しての多様な学校の面
 教職員は「総合職」(何でも屋)
 「地域」の多様性とその概念の曖昧さ
   ↓
これらのタイトルの付け方はかなり恣意的で意図的


11.協同的取り組みの緊急性(教育学者、弁護士、精神科医(カウンセラー)たちと)

◇精神性疾患での休職者3500人
◇社会崩壊の防波堤としての学校の危機的状況
◇社会的な「調査」の必要性
◇本格的な分析と対応の為の研究組織の設置
◇「トドメは保護者が刺している」
 東京都教職員互助会「三楽病院」精神科部長 中島一憲先生
著書「先生が壊れていく」
保護者対応の問題を抱えて、ノックするのは10%
教師としてつぶされているとどめは保護者が刺している
   ↓
解決の兆しが見えてきて、古い情報で保護者全体が騒ぎ出したときに絶望の危機に


12.元気出していこうぜ!そしてツボをはずさないように!でも無理しないで!

◇教職員が専門職としての自信を喪失し、元気をなくしていることが最も危ない。

◇公立学校を、いわれなき批判の下で「第3の国鉄」にしないために。
※仮想敵としての公務員

民営化への準備がどんどん
郵政民営化の次は学校というカウントダウンの状況

◇「いつかは分かってくれるはずだ」という教員文化・学校文化からの脱却の必要性。

◇パフォーマンスをしましょう!
等身大の学校の姿と努力を分かってもらうために

◇信頼と協働の範囲
公立幼稚園 半径1Km〜2Km
公立小学校 半径2Km〜3Km
公立中学校 半径4Km〜5Km
公立高校 半径20Km前後

◇それぞれの学校で「実現率90%」から「実現率5%」ぐらいまでの段階的なプランを

◇エンドユーザーは親ではなく子ども
 大事なことは「子どもの自治の力」を育てること。
   ↓
 子どもの信頼を勝ち得ることが最大の励みになるし、明日への活力となる。

◇公務労働者が「支え続ける」中で、社会を維持する。


<泉南市生徒指導カウンセリング講座 050726より>
2005年度夏季心理カウンセリング講座
   臨床心理士 上野弘司 氏


◇臨床心理士について
 臨床心理士という資格は臨床心理学者の京都大学 河合隼雄博士が文化庁長官のとき、中心となりつくられた資格。出来て17年。
 文部科学省がスクールカウンセラーを学校に入れるのに資格を作ったらしい。

○資格を取るには、4年生大学で心理学を学び、大学院を卒業することが必要。
○5年間で資格更新が必要。
 勉強せず・現場で仕事していない場合や性な問題を起こした場合、資格が更新されない。
 臨床心理士かつ医師を持っている人が剥奪されている場合が多い

◇臨床心理士の仕事
○クライアントはカウンセラーの全人格をみている
  ↓
 むずかしい・おもしろい・性的問題も起こりやすい

 「カウンセル」とは「一緒に考える」という意味

○スクールカウンセラーをするまで教師の前で話をするようなことはなかった。それまでは目の前を偶然とおるクライアントに対応するアリ地獄的な存在だった。
  ↑
○現在、スクールカウンセラーだけではとても処理できないほどのクライアントが存在する。
 年々アスペルガー症候群の子供達が増え、神経症と思われるケースも多くなってきている。
 また、学校では教師としての知識経験だけでは子ども・保護者への対応はむずかしい状況。
  ↑
 実は学校が原因で起こるの問題行動はほとんどない。


1.心理カウンセリングにおける重要ポイント
◇心理カウンセリング
 言語的および非言語的コミュニケーションを通じて、相手の行動の変容を試みる人間関係。 國分康孝

◇カウンセリングの最終目標
(1)幸福の享受
   ↓
 カウンセリングにくるということは幸福ではない状態
 クライアントが幸福になれるように
  幸福…そのまま変わらずにいてほしい状態
   ↑
 人間は貪欲なので幸福な状況は続かない。幸福の内容は変化していく

(2)苦痛からの解放
   ↓
 身体的な反応がでる場合がある。頭痛・腹痛等々
 精神科の受診をスクールカウンセラーという立場からは薦めやすい
   ↑
 教員として精神科の受診を薦めにくい時には有効な手段。


○技術・方法なのか、姿勢・存在なのか?
 話がむずかしくなってくるほど、技術・方法は関係なくなってくる。

‡Roleプレイ
「死にたい」というマジ話への応答。
 カウンセラー・クライアント・観察者2名
 どう言葉掛けをするか
会話が暗くならない
声のトーン
相手は待ったなしの状況
カウンセラーの立場で、どれだけクライアントに関心を持てるか。
相手の愚痴をどれだけ聞けるか
カウンセラーにどれだけ話をしたくなったか
殺し文句をたくさん持っている

「死にたい」はサインだけでなく、整理がすでについてしまっている場合がある。見分ける必要ある。
  ↑
部屋まできれいになっている。

できるだけしゃべらせる。
共感の仕方が重要。
質問をしてしまいがちになってしまう。質問しているのか尋問になっているのか気をつける必要がある。
死なさないためのチャンスの芽をどう生かすか。

どうしたら止めれるか
臨床心理士…自殺・拒食が不安な言葉
自殺に追い込んでしまう臨床心理士もいる


 「死んだらあかん」誰でも言える言葉だが、重要。
 この言葉でクライアントが死について考えたら死なない。でも、「やかましい」と思われたら死んでしまう。
   ↓
 クライアントとの戦いなので、手は抜けない。
 「またあいたい」と思わせることが重要。
   ↓
 「死んだらあかん」「もう一回あおう」
 そうクライアントに思わせるものは自分そのもの。自分の存在が響かせたかどうか?
   ↑
 常にカウンセラーの自己を磨くことが必要
   ↑
○常識的な人はこの仕事に向かないと言われている。
   ↓
・自分に気づき、自分を肯定することから始める。
・相手はいつ「死ぬ」かわからないのでいつでも「自分はだから生きている」という答えをもっている。
・「死んだらどうなる」という問いは「死にたい」と同じ。死ぬと言うことがどういうことか、死んだらどうなるのかについての答えを持っておく必要がある。


○共感的理解における心髄とは?

共感するとは「そういうこともあるかも知れない」と思って聞けること。
  ↓
児童生徒の話を聞くときもだまされてもいいので、話を聞く


‡Roleプレイ
「実は私は蛙なんです」と言われたら。
  ↑
共感をする事の意味、スタンスの取り方を学ぶワーク

心を扱う領域(精神医学・心理学)の精神医学では「妄想」として治さなければならない。

「それは違うやろ」と返してしまうと終わってしまう。
自分の価値観をいれずに共感
カウンセラーが「僕もですよ」とやるのはあまりにも危険。

共感するとは「そういうこともあるかも知れない」と思って聞けること。
  ↓
児童生徒の話を聞くときもだまされてもいいので、話を聞く

<注意事項>
 「自分はカエル」というのは医学的には異常。カウンセラーは正常と異常の間に立って聞く。自分の異常性の許せる範囲で対応する。範囲を超えている場合は心理カウンセラーに。
 強力な異常の世界は性的な異常も含んでいる場合が多い。


○あいづち・うなずき・内容の繰り返し、感情の明瞭化

 クライアントに対してカウンセラーが共感しているという具体的な表現。
あいづち・うなずき
  全体の8割
内容の繰り返し
  全体の1割
 クライアントの言った内容の重要な部分を短く繰り返す。
感情の明瞭化
  残りの1割
 何かをしゃべったときには何かの感情を出している。中心的な気持ちを察して言ってあげる。重要ポイントと思ったところで入れる。

‡Roleプレイ
「一度自分で決心したら、私の意見は絶対に変わりません。昔からそうでしたし、それが、私のいいところだと思います。」
<感情の明瞭化>
なにも感情の明瞭化をせずとも本人が言ってもいいのでは。
理性・感性…教師
感覚…臨床心理士

言葉の後に「そんな自分が好きなんです。」がある
心の奥をえぐった場合
「自分をもっと引き出してほしい」
「自信がなくって」
 ズバリ言い過ぎると話が続いていかない。
悩んだ場合は「なるほど」等々
カウンセラーの存在が大きい場合はなにもなくても話し出す。

例>10歳の子供に朝、「昨日10時頃ローソンで、この辺に郵便局ないか3人のしらんおっちゃんに聞かれた」と聞いた。
「そりゃ、怖かったやろう」
  ↑
話が展開していく。


○心理カウンセラー自身の価値観

‡Roleプレイ
「結婚して数年、子どももできて幸せである。それにつけても、結婚前に何人かの男性関係があった。それを秘密のままに結婚し、夫はそのことを知らないままに優しくしてくれる。そのため、毎日良心の呵責に悩んでいる。この際、思い切ってすべてを告白して、許しを得たいと思うがどうか。」

※助言の鉄則
 心理カウンセラーは相談する人によって変わってくる。どうしたらいいかという問いにどう助言するかはカウンセラーの価値観による

正解は心理カウンセラーの中にある。
カウンセラー同士、常にカンファレンスで意見交流をしている。

結婚・貞操・男・女・人間
この辺の価値観がしっかりしていれば答えがでてくる。

「それにつけても」
  ↑
妻が負い目を感じている

クライアントに「最後に決めるのはあなたです」とはカウンセラーは口にしない。
「言ってしまおう」ロマンチスト班…危険
 言ってしまった後のフォローができない。
 お互いすべていいあって許しあえるのは理想。
  ↓
このケースは言わないように持っていくのがベターなアドバイス。

○様々な心理療法

○特殊な応答
‡Roleプレイ
「この私の服、どう思いますか。先生はお好きですか。」
「似合ってますよ」ということ
ただし、思いを込めて言うとよくない。
質問し続けるとしんどくなる。

<転移に注意>
転移とは
 カウンセラーに対してクライアントがカウンセラーとして以外の感情を持った場合→転移
逆転移もある

例>外出恐怖症の症状のクライアント20代前半のOLの自宅へカウンセリングへ行くと、スッポンポンの状態だった。

‡Roleプレイ
○「今日の先生は、お疲れのようですね。」
本当に風邪をひいていてしんどくても、「元気です!」と答えることが必要。
相手に疲れていると思われるとだめ。

‡Roleプレイ
○「約束の時間に遅れてすみません。」
「時間は残り○○分しかないですけど、時間の範囲で一生懸命話をしましょう。」と対応する。

各論1:
アスペルガー症候群
 自閉症の3つの主症状である社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害及びそれに基づく行動障害のうちコミュニケーション障害の軽微であるもの

各論2
神経症
 不安を生み出す状況において、学習によって獲得され、かつその中で、不安が通常中心的要素である持続的な不適応習慣

年々アスペルガー症候群の子供達が増えてきている
神経症と思われるケースも多い


◇不安状態
 不安とは、対象のない漠然とした恐れである。
軽度の精神面への表現
 恐れ、緊張、心配、恐怖、不穏
重度の精神面への表現
 焦燥感、苦悶、興奮
身体症状
 皮膚赤潮、蒼白(過呼吸の場合も)、発汗、動悸、手指振戦、頭痛、嘔気、下痢、尿意、便意、呼吸困難、胸内苦悶など
 不安状態が、正常な不安の量的に多いものか、質的に異なる病的不安なのかにも注意したい。


◇恐怖状態
 恐れ、おびえている状態
 不安状態ともオバーラップしていることが多い。
専門用語
 恐怖…対象が明瞭な恐れ
 不安…対象が不明瞭な恐れ

不安の時代
 現代は失う物が多く将来漠然

医療でいう「風邪は万病のもと」
 ↓
心理では「風邪」は「不安」に相当

対象によって命名される
 対人恐怖…人に会えない
 高所恐怖…高いところへ行けない
 乗り物恐怖・疾病恐怖・尖端恐怖など
日本人は対人恐怖が多い
 他人に良く思われたい気持ちや恥の観念が強い
 吃音恐怖、赤面恐怖、視線恐怖など
関係妄想が認められる重症の対人恐怖症
 自己視線恐怖…自分の視線が相手を不安にさせる恐怖
 醜形恐怖…高校生に多い
 自己臭恐怖など

◇強迫状態
 その無意味さや不合理性を判断できているにも関わらず、それから逃れられない状態。

強迫観念
 ばかばかしいと分かっていても取り除けない観念
 質問癖、詮索癖、不潔恐怖、火やガス栓の始末など
強迫行為
 不合理と分かっていても、せずにいられない行為。
 洗浄強迫、確認癖、就眠儀式など

強迫観念の打ち消しの行為が強迫行為であるとも言える。
強迫行為が強くなると、他人(特に家族)にも認識したり、確認させたりするなど症状に第三者を巻き込むようになる。

◇抑鬱状態
 抑鬱状態とは「元気のない状態」。総合病院や大学病院の神経科外来で最も多い主訴(状態像)のひとつ。
 抑鬱状態の患者を診た場合は、自殺企図に注意する。
  ↓
 まず抗鬱剤を処方

 子どもの場合は仮面をかぶり、身体症状で出る場合がある

◇幻覚妄想状態
 幻覚(対象なき知覚)と妄想(訂正不能な病的確信)とが認められる状況。
 臨床上では、幻覚といっても幻聴や幻視が多い。妄想も被害妄想や関係妄想が多く認められる。

◇その他
 性的異常、ヒステリー状態など



<自閉的傾向について>
 日本では、単に自閉症と言うことが多いのですが、自閉症の「自閉」という言葉が、何か母原病を連想させるさせることを避けるために、カナー症候群と呼ぶ専門家も。

自閉症児の大きな特徴
1.極端な自閉的孤立
2.同一性保持の脅迫的な願望

別の言い方をすると
1.人間関係が希薄
2.情緒が未分化な状態
3.知能発達が著しく限られている

カナー博士の見た特徴
1.食事には、毎日困らされた。
2.他の子どもたちが、キャンディやアイスクリームを食べているのを見ても、全く関心がない。
3.打たれることをものすごく恐れていたが、自分への罰と自分の間違いを結びつけることができなかった。
4.無数の言葉の儀式を終日反復した。
5.彼を抱こうとしても、それに応じる様子がなかった。
6.人が名前を呼んだり、話しかけたりしても、知らん顔をしていますが、自分の興味のある物の音がしたりすると、敏感に反応する。
7.言葉は、意志伝達の用をなすものではない。
8.聾ではないかと疑われた
9.著しく知的な顔だちをしている。
10.心配屋、臆病である。
11.目的なしに、部屋を歩き回る。
12.毎日の日課は、厳格に守らねばならず、その儀式を少しでも変えるとパニックを起こす。
13.興味を示す事柄については、記憶力が抜群であった。


<岸和田市教職員組合教育実践講座 2005.4.4 より>
ちょっとひと工夫学級びらき
(明日も楽しみ学級経営)

   大阪市立鷹合小学校 前田睦男先生


とても盛況で中味も濃い学習会でした。
特に小学校の先生たちが聴きたがるような内容満載でした。

もうすぐ、学級開きですね。担任の先生は勝負の時!!
気合いを入れましょう!


<レジュメより>
1.はじめに
(1)あまりにも、子どもが被害者になる(加害者になる)事件が多くないですか?
・長崎の事件・渋谷の女子・千葉の事件・寝屋川の事件等
・児童虐待……毎日のように新聞・テレビに!
※教え子が学校に訪ねてくる、うれしいことです。そんな中での事件。本当に悲しいことです。学校って何なの?

(2)学校の中で、子どもの状況は
・「死ね」「無駄」「殺すぞ」「泣き叫ぶ」
・作品壊し・止まらないおしゃべり
・「おれはむかついたら、人をどつくんや」
    ↓
 あまりにもキレる子どもが多くなっている
 自立できない? 我慢できない子どもが増えている。

(3)子ども生活はどうなっているのでしょうか。
   〔資料より〕
・あまりにも多いテレビ視聴の時間
・朝起きれない子ども
・寝るのが遅い
・少ない家庭学習の時間
・朝食をとっていない子ども
   ↓
 朝からあくび・しんどい・そして、キレる……

(4)今、学校現場では……
 大阪市内で300人を超える病休
 非常に増えている60歳になるまでの退職者
 先生を評価するって?

(5)教育と調教とのちがい
 さっさと
 びしっと
 まっすぐ
 静かに等
   これがほんとにいいの?

(6)そして、新学期
 雑務にふりまわされて、子どもを知ることがあとになることがないように!
 子どもたちは、みんな、今年は、今年こそは……
 親は、今度の先生は……
 〈期待と不安〉←そこを解き放すことから
 しかし、……………
 〈先生〉
 ゆっくりと子どもたちと話すおとも……
 多忙化→市内小学校6時間目が週4日
 〈子ども〉
 月曜日に休む子、体調を崩す子が意外と多い。
 テレビ、ゲームの時間が……
 ◆5日制が定着した? ホント!
  思ったほど、うまく使えていない、現場は大変


2.学校って、こんなことできるんや!
 学校へ来ることが、大好きな子に育てたい
   ↓
  子どもの居場所が、教室にある。
   ↓
 「先生が、ニコッと笑ってうれしいわ、すごいなっていってくれたら、私らもうれしくなるねん。
 まちがっても、出敗しても許される学級。

 〈おこらんで良かったなぁ〉←子どものすることには訳がある
 ・お花きれいきれい事件
   失敗をほめてあげる→そんなあなたがすばらしい
 ・先生白髪ぬいたる〜事件
   言葉にならない表現から→子どもの生活を見つめて
 ・僕なんかどうでもええね事件
   キレた子どもは、だきしめる。待ってあげる。
    ↓
   落ち着いてから、本音を聞くゆとり。
 ・俺は学校が好きやねん!→でも起きられへんねん
    ↓
   クラスの中での、見る目を変える。


3.学ぶは、“まねる”から
   でも、方法論の後ろ(おく)にあるものをつかんで!
       ↓
   自分の“らしさ”を出して、まねてください

    学ぶところはいっぱいあります。
   ・いろいろな先生の教室・掲示の仕方
   ・印刷機(自分が印刷する前に、一回まわす)
   ・教育書を読む。
   ・サークルに入る


4.子どもの心によりそい、楽しさとやる気を育てる学級を
 学級開き
  この一瞬を大切にしたいです。
(1)出会いを大切に
 ・学級開きは、一年を決める
   子どもたちの気持ちを一つに
 ・進級おめでとうカード
 ・ちょっとした気持ちを一つにするゲーム
 ・子どもたちに驚きと、期待を持たせる
 ・あなたの特技と若さを最大限生かして!
  「今度の先生は、ちょっとおもしろそう、楽しそう」
   そこがポイントです。
  一緒に作ってみましょう。やってみましょう。
   ・ガラガラヘビの卵
   ・不思議なカード
   ・輪ゴムの不思議
   ・絵合わせパズル
  特技は最大の武器です……

(2)朝の会、帰りの会
 ・すかっとした気分で
   消して、「反省」を押しつけない
 ・声をそろえて、「群読」

(3)休んだ子を単なる欠席者としてみない
 ・休んだ子は、一番不安やねん
 ・一人でいなくても、何も感じない学級では、豊かな感受性は育たない
  「あなたのことを大切だと思っているよという温もりを一人ひとりの子どもの胸にていねいに届けたい」


(4)参観日、懇談会(日曜参観)
 ・親の雑談会?にしないために
 ・簡単な授業の見方、見てほしいところ
 ・懇談会の資料
   思っていること、考えていることをとにかく書く
 ・たくさん来てもらってなんぼ!
  “わたし、しゃべるんにがてや”
    ↓
   無口じゃなくて、六口になろう
 ・失敗談と成功談

(5)家庭方法←幸せの黄色いハンカチ
 ・「いいとこ3つ、なおしてほしいところ1つ」
   親への宿題を出してみては……
   そんなん3つもないは……といいながら、うれしくしゃべり出すお母ちゃんたち
 ・できれば、写真を撮らせてもらう
 ・持ち上がりの場合は、グループ懇談会も
 ・家庭訪問は、何も春だけのものではない

(6)個人懇談会
 ・待ってもらっている間に
  (学級マーク・個人新聞・年賀状コンクールなどの投票依頼)
 ・個人の課題は明確に、端的に
 ・作文を読むと、成長がわかる

(7)誕生会・1/2成人式
 ・誕生カード
  (友だちや先生と一緒に撮った写真で)
 ・牛乳で乾杯

(8)夏休み
 ・暑中見舞い(残暑見舞い)の学級通信をもってゆっくり家庭訪問
   ↓
  突然行くから、おもしろい→いなければポストに
   ↓
  秋の父母の反応が変わる・お願い

 ・教材開発のいい機会
   研究会・サークル・駄菓子屋さんまわり
   とびっきり、「松屋町へ行け」
 ・夏休みのダンス講習会→きにかかる子ども声
             早めの練習

(9)運動会
 ・「私は、ここから演技するよ」
     ↓
   学年便り、学級通信で知らせる
 ・子どもの声
  「面白くないから、砂をさわるんやで」
  楽しいはずの運動会が。苦痛にしないで。
  走ったり、跳んだり、引っ張ったりすることが、おろそかになっていないかな?

(10)学芸会・展覧会
 ・子どもたちの違う面での発見の場
 ・保護者への案内状
  「こんなにていねいに書いたのははじめてや」
    ↓
 最近素材で、校区の中で。キャンバス用紙を使う

(11)文化活動
 ・剣玉、コマ、ベーゴマ、鉛筆けずり
 ・干し柿作り
  (短時間できるもの、給食を食べながらできるもの)
 ・父母の力もお願いして→藁で縄を編む、クツワムシを送ってもらう

(12)個人新聞づくり→壁新聞づくり
     (総合とも絡めて)
 ・修学旅行をまとめる

(13)“遊び心”を取り入れて
 ・先生の変身
   「クリスマス会(お楽しみ会)で」
 ・手品、ハンドパワー
 ・でっかいツリーづくり

(14)卒業(年度末)に向けて
 ・思い出壁新聞づくり
   一人一行事で、クラスのまとめを!
 ・タイムカプセルを埋めよう
   「20歳になったら、掘りましょう」何を入れる?
 ・校長先生との昼食会
 ・卒業パネルづくり

(15)学級通信
 ・無理をしない。でも、自分に、子どもに、親に宣言。
 ・愚痴・説教はできるだけ書かない
 ・子どもの声・作文をのせる
 ・親の参加を促す
 ・たくさんの人に見てもらう

(16)その他
 「親の回るらくがきノート」
 「先生のつうしんぼ」等


5.学力づくりも、……たのしく学ばせたいですね
(1)学習てすと場所
  15日間のテスト週間
(2)漢字ビンゴ
  毎日の課題として
(3)合格するまでテスト
  時には、しつこく、きびしく
   基礎・基本こそ、大切に
   読み書き計算は、前頭前野(脳)を鍛える
(4)都道府県・県庁所在地・山地山脈・川・平野は5年でも6年でも
(5)教科書に書いていなくても、必要だと思うことはやる。
  改訂前の教科書と比べてみよう
(6)読書の習慣を付ける
  朝の10分間読書がはやっている
 ※おまけ、旅行のお土産も立派な教材ですよ。


6.基本的な生活習慣の確率と学力づくりが大きく関係する
 ・家庭の中ですべきことは
 ・どのくらい家庭学習が求められるか
   読むこと・書くこと・計算することを基本に
       (宿題もここに重点を)


7.おわりに
 なんでもやれる職場・学年・学級を
  とりわけ、青年は先輩の先生に何でも聞く
   ↓
  「私が尻をぬぐったるから」と言える経験者
  「こんなことやってみたいんやけど」いえる
若者・青年
 青年は、若いということが最大の「武器」であり、魅力なのです。良い面での「教育的権威」なのですよ。
 失敗をおそれないで、やってみようと思うことをドンドンやってください。
 妙に、まとまらなくて良いのです。


◆最後に一言
 「教師の目線、まなざしをじっと見ている子どもたち」……まなざしの中にその教師の教育観や人間観が出る。子どもたちは、それを実に見事に見抜いている。
 「間違ってもいいやん。」という安心感が子どもたちを育てる。失敗が許されない教室は子どもたちにとっては、地獄になるのです。


泉南警察署の防犯教室 050404 泉南中学校体育館

○学校は安全な場所でなくなった
現実に学校に犯人として入ってくるのは40代から50代が多い。
犯人の心理は、弱い物いじめの心理。
実際捜査すると、精神鑑定が必要な場合が多い。
  ↓
普通の人間の感情の状態ではない

○不審者の侵入の防止
学校には簡単に入れる
下校時間は校門は開いている
  ↓
アメリカでは2mから3mの塀で学校が囲まれている…刑務所のよう
 学校までは保護者の責任
 学校内は学校の責任

不審者……その場所にそぐわない行動をする人物
 ↑
職員・生徒・その他の保護者の発見
 ↓
子どもの避難
危険の通報
自分たちの防衛

○マニュアル
任務分担…現実の事態ではその時点で現実にあわない場合がほとんど
  ↓
 いろんな状況が起こるので、何かあったときに何をすればいいのかを心得ていることがが重要。

○護身術
護身術の最大の奥義は「君子危うきに近寄らず」で、実際に護身術の様な技を使わなければならないような状況にならないようにすることが一番重要。
  ↓
不審者を中に入れないことが一番基本。

教室に入ってきてしまった場合
  ↓
身の回りある椅子などを方端から投げつけるのも有効
投げつけた椅子でガラスが割れるのも状況を他の職員に異常を伝えるのに有効

【護身術をする目的】
つかまれたりする状況になってしまった場合でも抜けることができるということが分かっていることで、パニックにならずに平静に対処できるようにするため。

【基本的な護身術】
 向かい合っている相手に左手を取られた場合、相手の手を巻き込むように内側へ回すと外れ、右手を捕まれた場合は、自分の左手を相手の手首に添えて腰のひねりと同時にへその前で返すと相手は投げ飛ばされる。(小手投げ)
後ろから首を絞めにこられた場合は、首に掛かった相手の手に手を入れて前体重を掛けてぶら下がり、膝が地面に着いたら思い切り前におじぎをすれば、きれいに背負い投げとなる。

※重要なこと
やるときは相手がどうなるかなど考えず、躊躇なく思いっきりやる。
相手からはなれたら終わりでなく、打撃を与えて、その場から逃げる。


【急所と攻撃を与える部位】
 男性は金的。女性が一番狙うべき場所は金的。
 護身術はやるときは徹底してやるのが非常に大事。
 状況はやるかやられるかの殺し合いの状態。躊躇することなく急所を狙う。

人間には堅いところがある。
頭・拳・膝・肘・踵(かかと)
 立っているとき膝が有効。
 座っているとき肘が有効。

人間の急所は中心に集まっている
眉間・鼻・喉・鳩尾(みぞおち)・金的・向こう臑(ずね)

頭・拳・膝・肘・踵(かかと)を使って目一杯攻撃してほしい。
 拳で殴ると、経験者でないと猫パンチのようになり、フックとなり小指を骨折しやすいのでおすすめしない。

【有効な攻撃】
最もおすすめなのは、掌(てのひら)で鼻を下から上に突き上げる。
 これをされるともんどり打って倒る。
 鼻を攻撃する理由は、目の奥まで痛みが走り、手で顔を覆ってしまうので、自分が相手の視界から消えてしまう。
 その間にその場から走り去る。護身術の基本は「君子危うきに近寄らず」なので、危ない場足から逃げてることが重要。
 さらにやるとすれば、思いっきり膝を金的に入れて相手を突き飛ばして逃げる。

 鳩尾(みぞおち)に打撃を入れても、鍛えていたり打たれ慣れていたり、鳩尾の位置が人により個人差があるので効果がない場合がある。
 金的も有効だが、人間が攻撃するとき、その部位を見てしまうので相手に気づかれ構えられてしまう場合が多い。


○さすまた
緊急通報からパトカーが到着するまで、大阪府警の場合、平均6分15秒程度なので、その時間を稼ぐことが重要。
そのためにさすまたは有効。

パトカーには折り畳み型の刺す又が配備されている。
刺す又は胴にはめる形で使うと、相手の両手がフリーになってしまい、最悪さすまたを奪われてしまう可能性がある。

胴にはめるより、斜めにして肩・首と反対側の腋に決めたり、刃物を持っている手も決めてしまい動けなくするのが効果的。

刺す又が2本ある時は、一本で相手の動きを封じながら、もう一本は背後に回り、膝の裏を突いて、相手をひざまづかせ、相手の動きを封じることもできる。


○まとめ
不審者を学校へ入れない近づけないを徹底。

使わなければならない状況が来た場合には
 ↓
躊躇することなく、相手がこれをやったらどうなるかなど考えることなく、目一杯使う。

狙われるのは、
 中学校よりも小学校、
 小学校よりも幼稚園、
 明るいところよりも暗いところ、
 広いところよりも狭いところ、
 男性よりも女性、
 若い一人よりも若干お年をめされた方
  となってきます。

自分がどのような状況であるのかを自分自身が把握して、対応することが大切。

訓練は毎日しないと忘れてしまうし、使わないと護身術を忘れてしまうので、つねずね、どういうやり方で技を効かすのか考えることが大切。

技が決まって終わりではなく、そこから逃げなければ意味がない。


「子どもが育つ魔法の言葉」
Children Learn What They Live Parenting to Inspire Values

   
ドロシー・ロー・ノルト著 PHP研究所刊より引用抜粋


「アメリカインディアンの教え」というのは日本で勝手に広まったようで、ほんとは「子は親の鏡」という詩だったんですね。しかも、その詩も時代の流れに従って何度が手が加えられていたんですね。
日本語訳も何通りかあるようです。

以下は、著者のドロシー・ロー・ノルト博士本人の本からエッセンスを抜粋したものです。
非常に長文ですが、いいことが書かれています。

冒頭に現在の「子は親の鏡」の原文を引用します。

「子どもが育つ魔法の言葉」
Children Learn What They Live
Parenting to Inspire Values
ドロシー・ロー・ノルト著 PHP研究所刊

Children Learn What They Live
                                   By Dorothy Law Nolte, Ph.D.

If children live with criticism, they learn to condemn.
If children live with hostility, they learn to fight.
If children live with fear, they learn to be apprehensive.
If children live with pity, they learn to feel sorry for themselves.
If children live with ridicule, they learn to feel shy.
If children live with jealousy, they learn to feel envy.
If children live with shame, they learn to feel guilty.
If children live with encouragement, they learn confidence.
If children live with tolerance, they learn patience.
If children live with praise, they learn appreciation.
If children live with acceptance, they learn to love.
If children live with approval, they learn to like themselves.
If children live with recognition, they learn it is good to have a goal.
If children live with sharing, they learn generosity.
If children live with honesty, they learn truthfulness.
If children live with fairness, they learn justice.
If children live with kindness and consideration, they learn respect.
If children live with security, they learn to have faith in themselves and in those about them.
If children live with friendliness, they learn the world is a nice place in which to live.


「子は親の鏡」
ドロシー・ノー・ノルト

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
褒めてあげば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であること大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

○この詩で伝えたいこと
 私がこの詩で伝えたいことは、とてもシンプルです。子どもは常に親から学んでいるということです。子どもは、いつも親の姿を見ています。ああしなさい、こうしなさいという親の躾の言葉よりも、親のありのままの姿のほうを、子どもはよく覚えています。親は、子どもにとって、人生で最初に出会う、最も影響力のある「手本」なのです。子どもは、毎日の生活のなかでの親の姿や生き方から、よこことも悪いこともすべて吸収してしまいます。口で何かを教え込もうとしてもダメなのです。親がどんなふうに喜怒哀楽を表すか、そんなふうに人と接しているか。その親の姿が、手本として、子どもに生涯影響力を持ち続けることになるのです。


○上手な叱り方
 上手な叱り方とは、どのようなものでしょうか。
 まず、叱る前に、言葉を選ぶことです。子どもの心を傷つけるようなことを言ってはいけません。その子のやったこと、つまり、その子の行動を正すような言葉を使ってほしいのです。子どもの反応を見ながら、叱る言葉を選ぶのです。その子のやったことは間違っているが、その子を嫌いだから叱っているのではない、ということを伝えてほしいと思います。


○小言を言っても子どもはよくならない
 「きっとできるはずだ」とう肯定的な言い方をすることです。「どうせできないはずだ」という否定的な言い方は避けてほしいのです。たとえば、
「また、おもちゃ、出しっぱなしなんだから」ではなく、「おもちゃ、入れておいてね」
「また、ソックス、脱ぎっぱなしなんだから」ではなく、「ソックス、洗濯籠に入れておいてね」。
 こんなふうに言うとよいのです。そうすれば、受ける印象は大違いで、子どもは気持ちよく聞けます。まだお手伝いの仕方がわからない幼い子どもには、こういう肯定的な言い方が特に大切です。そして、きちんとできたらら、必ず誉めてあげるのです。
「ブロックがしまえて、本当に、偉いわね」
 子どもは、こんなふうに肯定的な言い方をされれば、親の期待に応えようと、頑張るようになるものです。
 子どものやったことに、いちいちケチをつけるのは、逆効果になるだけです。文句が言いたくなるのは、その子がでれだけできたかではなく、どれだけできなかったかを見てしまうからです。


○とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
 子どもは、敵意や憎しみのなかで育つと、精神が不安定になります。子どもによっては不安から逃れるために、乱暴する子もいます。自分自身が強くなることで、不安に打ち勝とうするのです。
 また、子どもによっては、引っ込みじあんになってしまう場合もあります。いつも不安な気持ちでいるので、他人との対立や葛藤を極度におそれ、自分の殻に閉じこもってしまうのです。そんな引っ込みじあんな子どもは、学校でいじめの標的になり、乱暴な子の餌食になってしまうこともあります。


 カッとならないための対処法に関しては、わたしたち大人は、むしろ子どもを見習うべきでしょう。子どもは、何かに飽きると、体を動かす遊びをして(たとえば、駆けっこやお絵かきやおママゴトなど)イライラを本能的に発散させています。わたしたち大人も、子どもを見習って、イライラした体を動かしてみるといいのです。たとえば、散歩や庭いじりや洗車などはどうでしょうか。時間がないときは、深く息を吸ったり吐いたりして呼吸を整えるだけでも効果があります。深呼吸して十数えるというのは、カッとならないための、祖父母たちの知恵です。これで緊張がほぐれ、心が落ち着くのです。イライラしないことは、わたしたち自身のためだけでなく、子どものためにも大切です。


○不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
 親から受ける暴力、虐待や無関心、生死にかかわる病、あるいは身近な人から受けるいじめなど、子どもにとっては実に恐ろしい体験です。くる日もくる日もそんな恐怖を感じていたら、子どもはおどおどし、いつも不安な気持ちでいることになります。安心できる環境が整っていなれば、子どもの健全な成長は望めません。このような子どもは、人ともうまくつきあえなくなり、何事においても消極的になってしまいます。


○親の離婚
 両親の離婚は、子どもにとって最も辛い事件となります。子どもというものは、いつも心のどこかで、もし両親が離婚したらどうしようと思っています。親が配偶者の悪口を言うのを聞くと、子どもは不安になります。親が離婚したら自分は捨てられるのではないかと思うからです。子どもにとっては、親が家を出ていくということは、自分が見捨てられるということを意味しているのです。


○子どもは、どんな時に親の同情を引こうとするのか
 子どもは、親にかまってもらいたくて、同情を引こうとするところがあります。
 そんな時、いちばん大切なことは、親の同情を引けばわがままをとおせるのだと子どもに思わせないように注意することです。
 もし、学校に行くなくないために仮病を使っていようならば、次のように尋ねてみるといいでしょう。
「学校に行ったら、どうなっちゃうと思うの?」
「家でどうしていたいの?」
「本当はどうだったら一番よかったの?」
「どうすれば、そういうふうにできると思う?」
 子どもが仮病を使っていた場合、親の問いかけに答えてゆくうちに、子どもは、本当は自分がどうしたいのか自覚できるようになります。親も、子どもとの対話をとおして、子どもの状態をつかむことができます。


○同情とは
 どんなに相手に同情したとしても、それでその人のためになるのか、その人の役に立つかといったら、それはどうでしょうか。なぜなら、同情とは、相手と距離をおく感情だからです。わたしたちは、かわいそうな人に同情することによって、自分はそんな目に遭わなくてよかったとこころのどこかで優越感に浸っているのです。
 一方、共感はどうでしょうか。共感とは、相手に近づこうとする感情です。共感するとは、相手の苦しみや悲しみをわが身のこととして感じることです。共感とは、思いやりの感情であり、相手のために何ができるかを考える心の動きです。


○こどもをいじめから守る
 いじめにあっていることを、子どもはなかなか親に言えないものです。恥ずかしくて話せないのです。親に言っても無駄だと思う子もいるかもしれませんね。たしかに、親が介入して、かえっていじめがエスカレートする場合もあります。しかし、子どもを励まし、守ることができるはずです。いじめに負けずにほかの友だちを探すようにと、親は子どもに言ってきかせなければなりません。
 自分の子どもがいじめる側になっている場合もあるでしょう。まさかわが子がそんなことをと、親はショックを受けるに違いありません。けれど、「そんなことしちゃダメだよ」「いじめは悪いことだよ」とだけ言っても、効き目はないでしょう。子どもは、親に隠れていじめを続けるに違いありません。こういう子には、人に対する思いやりの気持ちを一から学ばせなくてはならないのです。
「もしあなたが同じことをされたら、どんな気持ちがすると思う?」
「そんなことを言われた人が、どんな顔をしたか、憶えているかい? その人がどんな気持ちだったか、考えてみたことがあるかい?」
 こんなふうに、子どもに問い質すべきなのです。
 子どもに思いやりを教える一番の方法は、親が子どもを思いやることです。子ども自身が人から思いやりを受ける経験をしていれば、人の気持ちに敏感になり、人にやさしくなるものなのです。


○自分を受け入れることが、子どもを受け入れること
 親の務めは、その子の個性を認め、長所を伸ばすことです。その子の欠点ばかりに目を向けていたら、お互いに何もよいことはありません。子どもは、親が思っているような子どもになろうとするのです。なぜなら、子どもという者は、親の評価を受け入れて、自分はそういう子なのだと思い、そのような自己像を形成していくからです。
 その子が何を望み、どんな悩みを抱えているのか、学校生活や日常生活で何を感じ何を考えているのか、わたしたち大人は、子どもの話に真剣に耳を傾けなければなりません。そうすれば、子どもは自分が大切にされている、認められ愛されていると実感できます。自分は親に丸ごと受け入れられていると感じることができるのです。
 また、親自身が自分の欠点も長所も全てそのまま素直に受け入れている人であれば、子どもはそんな親の姿から様々なことを学ぶことができます。自分の不完全さを受け入れ、己の幸福を幸福とする親の姿が、子どもにとっては何よりの手本になるのです。


○厳しく叱るよりも、子どもを励ますほうがいい
 子どもが何か悪いことをしたとき−物を盗んだり、嘘をついたり、人をだましたりしたとき−ふつう、私たち親は、まず怒り、そして、子どもを悪いと決めつけてしまいがちです。しかし、その前に、子どもの側の話しも聞いてほしいものです。子どもは、自分が悪いことをしたとは知らなかったのかもしれないからです。それを悪いことだと教えるのが親の役目なのです。まず、どうしてそんなことになってしまったのか、子どもの話をよく聞きましょう。そして、その後で、どうすべきであったのか、それを教えるのです。子どもを悪いと決めつけ、頭ごなし叱るのは決してよいことではありません。


○「ごめんなさい」という言葉
 「ごめんなさい」という言葉は、謝罪の気持ちを表す特効薬だと言えるでしょう。
 けれども、なかには、何をしても謝れば済むと思っている子どももいます。自分のしたことを反省したり、悪いとは思ったりはしないのです。こういう子どもは、同じ事をすぐまた繰り返します。また謝れば、相手はすぐに許してくれると思っているいるからです。
 だれかを傷つけたり、怒らせてしまったときには、相手の身になり、自分のしたことを反省することが大切です。そのことをぜひ、子どもに教えてほしいのです。それが分かっている子なら、心から謝罪し、償おうと努力するでしょう。人間は本当に済まないことをしたと思えば、二度と同じ過ちを繰り返すまいと心に誓います。そして、心から相手に謝ることができるのです。
 わが子を思いやりのある子に育てるためには、まず、親自身が、子どもを思いやらねばなりません。子どもの話をよく聞き子どもの気持ちを分かろうと親が日頃から務めていれば、子どもは、そんな親の姿から学ぶのです。


○人の気持ちを思いやることの大切さ
 子どもは、親に支えられ、教えられて、人の世の掟を学んでゆきます。しかし、あまりに子どもを厳しく叱りつけると、子どもはおどおどし、罪悪感を持つようになってしまいます。これでは、かえって逆効果です。子どもは、萎縮し、やる気を失ってしまうからです。子どもを厳しく叱りつけるのは、よいことではありません。それよりも、子どもに、なぜこんなことになってしまったのか、自分の行動を振り返らせるように導くほうが、ずっと子どものためになるのです。
 子どもの話に耳に傾け、子どもの立場や意図を理解するように、親は常に心がけたいものです。そうすれば、子どもは自分の行動に自らすすんで責任を取ろうとします。そして自分の失敗を素直に認めるのです。そんな時、親は、カッとして感情的にならないことが大切なのです。
 そうは言っても、幼い子どもは自分中心に生きています。親は忍耐が必要です。けれど、そんな幼い子どもも成長するにしたがって、正邪の判断がつくようになり、責任感を身につけていきます。心配はいりません。子どもの心に、相手への思いやりの気持ちが育ってゆけば、自分の過ちを心から謝罪できるようになります。子どもは、素直に償をしようと思えるようになるでしょう。このような学びの体験を重ねることこそが、子ども成長には大切なのです。厳しく叱りつけられて、おどおどし、罪悪感に苛まれていては、前に進むことはできないのです。


○励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
 結果がどうであれ、それをした経験から学び成長することが出来ます。成功すれば自信をつけることができますし、成功しなかったとしても、目標にむけてベストを尽くしたという満足感が得られるに違いありません。子どもを保護するのではなく、子どもが独り立ちするのを見守るスタンスを取るべきなのです。
 もう一つ気をつけたいことは、「やってみるだけでいいから」と言って、たとえば嫌いな野菜を食べさせたり、嫌がっていることを無理にやらせたりすることです。これでは、「ただちょっとやってみるだけでいい。後はどうでもいい」と言っているようなものんおです。子どもは、「ただやってみただけだから」と言い逃れして、最後までやり遂げる努力を放棄してしまうでしょう。
 子どもが何か難しいことにチャレンジしようとしている時には、親は、子どもの可能性を信じることが大切です。ベストを尽くすように励ますことは、プレッシャーを掛けることとは違います。きっとできると信じることが、子どものやる気を引き出すのです。どうせできっこないと親にあきらめられてしまったら、子どもはやる気を失ってしまいます。どんな子どもも、日々学び、成長しているのです。その子の持ててる力を十二分に伸ばすことが、私たち親の役目なんほです。
 自分がかなえられなかった夢を、無理に子どもに実現させようとする親御さんがいらっしゃいます。わたしは、このような身勝手な期待を子どもに背負わせるのはよくないことだと考えています。
 わたしたち親は、その子自身の人生、その子自身の考え方を尊重すべきです。もちろん、子どもは親とおんなじように考えるわけではありません。子どもは、それぞれ一人の人間として、その子独自の個性を持っています。子どものやりたいことをやらせ、子どもを支えていれば、親もまた豊かな経験をすることができるはずなのです。好きなことをしている子どもの目は輝いています。そんなイキイキした子どもの姿を見ることが親の本当の喜びではないかと、わたしは思うのです。


○子どもを丸ごと誉める
 なんていい子なんだろうと思ったときや、やさしさや思いやりや意志の強さなど、すばらしい心を見せたときには、その子を誉めましょう。子どもは、自分に対する親の評価をもとにして自己像を形成します。その自己像は、学校や地域社会や将来の職場での人間関係にも大きく影響を及ぼすのです。子どもの長所を見つけ出し、伸ばすことが出きれば、子どもは、最良の自己像を持つことができるでしょう。


○広い心で接すれば、キレる子にはならない
 我慢強いとは、どのようなことでしょうか。それは、現実を受け入れ、現実を認めるということです。ぐちぐちと文句を言いながら、いやいや我慢するということではありません。たとえ最悪の状況であっても、腹を決めて、できるだけの努力をするのです。そうすれば、きっと状況は良くなります。ベストを尽くせば、それだけで気持ちが明るくなります。そして、実際に、最終的にはよい結果が出るものなのです。


○どうすれば、うろたえずに冷静でいることができるのでしょうか
 たとえどんな事が起こっても、落ちついて、事に備えたいものです。そのためのちょっとした工夫をお教えしましょう。まず、目を閉じてゆっくり深呼吸します。そして、気力、活力、幸福、理性−この四つをそれぞれ一つずつ吸い込む気持ちで深呼吸を繰り返します。いかがでしょうか。こんな簡単な深呼吸一つでも、ずいぶん気持ちが落ち着き、元気になるものなのです。
 気を鎮めるもう一つの方法は「今自分にできることは何か」を自問自答することです。
「今はどんな状況なのか。そして今、自分にできることは何か」
 心配の種をくよくよ考えていてもしかたありません。何か他のことをして気を紛らわせることが大切です。


○誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
 子どもは、親のことばに励まされて、自分は認められ愛されているのだと感じるのです。親の誉め言葉は、子どもの心の栄養となります。子どもの健全な自我形成には欠かすことができません。
 子どもが為し遂げたことだけでなく、そのこの意欲も誉めましょう。子どもを誉めすぎるということはありません。子どもが大人になり、様々な苦難にぶつかった時、子どものころ親に誉められたことが、心の強い支えになります。親の言葉を、子どもは一生忘れないのです。
 子どもは、自分を誉めてくれる親を見て育つことで、友だちの関係でも相手の良いところを認めて仲良くやっていくことの大切さを学びます。こうして、子どもは、相手の長所を認められる明るい子に育ちます。親に誉められた文だけ人に好かれる子になるのです。


○愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
 子どもを愛するということは、子どもの全存在を認めるということです。
 愛情は、ことばや態度に表れます。子どもはそれを敏感に感じ取るのです。口先だけで「愛してる」と言ってもだめなのです。わたしは、子育て教室で、親御さんたちに、愛は三つの柱で支えられているのだとお話しします。その三つとは、子どもを認め、信じ、思いやることです。欠点を含めた全存在を受け入れ、愛してくれる親というものが、子どもにはぜひとも必要なのです。子どもはそのように愛されることによって、人を愛することを学ぶのです。


 子どもには、親とのスキンシップが不可欠です。やさしい言葉だけでなく、肉体的な接触によって、子どもは親が自分を愛していることを感じるのです。できるだけ多く、子どもを抱きしめ、やさしく触れてください。子どもには、そんな親の愛がぜひとも必要なのです。


○子どもは親に誉められた面を伸ばしていく
 親が子どもの長所を見つけ出し、それを誉めれば、子どもは肯定的な自己像を形成していることができます。子どもは、よいこところを誉められれば誉められるほど、よい子になろうと頑張るようになるものです。


○家庭生活のルールを教える
 食事が終わったらすぐに食器を片づける。外に行く前にはおもちゃを片づける、テレビは宿題を終わってから見る。このような約束事は、日常生活を効率よくきちんと送るためのものです。このようなルールについては、親が一方的に子どもに押しつけるのではなく、子どのもの考え方や要望を取り入れて決めていくものです。そうすれば、子どもはより協力的になります。そして、自分がルールを破ったときも素直に認めるようになるのです。
 家庭内にルールがあるおかげで、子どもの生活にも秩序が与えられ、心の安定も得られます。それは、たとえ両親が離婚した場合でも同じです。今までのルールが壊れ、子どもがそれぞれの家庭のルールに新たに従わなくてはならなくなったとしても、やはり、きちんとルールがあったほうが、ずっと適応しやすいのです。子どもは、家庭内の暗黙のルールを理解し、解釈する力に長けています。


 約束事はきちんと守る−幼い頃から身につけたこのような習慣は、子どもが難しい思春期に入ってからは特にものを言います。十代の子が、「学校の帰りに、友だちと遊びに行くから、遅くなる」といったら、誰と、どこへ行くのか、「遅くなる」とは何時になるのか、そんなことを親は確認しなくてはなりません。そして、子どもと無理のない約束をし、そのやくそくをきちんと守らせるのです。


 子どもが悪い誘惑に打ち勝つことができるのは、親に叱られるからではありません。自分の自尊心が許せないことはできないからです。子どもの自尊心を育てることの大切さは、ここにもあります。自尊心があるということは、自分が自分をすきであるという肯定的な自己像を持っているということでう。また、それだけではなく、自尊心とは、自分にはそんな悪いことはできないという道徳律に関わることでもあるのです。


○充実した数分は、どうでもいい一時間より価値がある
 親が喜んで子どもと時間を過ごせば、子どもにはそれが伝わります。一日のうちたとえ数分でも、その子にだけ注意を集中させる時間を必ず作りましょう。そんな親との一時は、子どもにはかけがいのないものなのです。


○あったことをありのままに伝えさせる
 たとえ自分に都合の悪いことでも、事実をありのままに認識し、それから逃げない態度です。何が起こったのか、自分は何をしたのかを、ありのままに伝えさせるのです。事実と作り話との区別をはっきりさせなくてはなりません。相手の機嫌を取るために話をふくらませたり、自分の都合のいいことだけを話したり、勝手に話をでっちあげたりさせないように気を配りたいものです。


○子どもとこころを通じ合わせる
 もう親の膝に乗って甘えることはできません。だからといって、もう親を必要としないかといったら、もちろんそんなことはありません。こどもは、親に反抗的だったり、親を無視する態度をとったりするでしょう。けれども、思春期の子どもは、いちばん親を必要としているのです。
 この時期ほど、親と子の関係が問われるときはありません。親は、子どもと新しい関係を作ってゆかなければならないのです。子どもは、何よりも親の支えを必要としています。親に悩みを聞いてもらい、一緒に真剣に考えてほしいと思っているのです。親は、生について、体の変化について、欲望について、子どもと真正面から語り合う覚悟が必要です。子どもにも自分にも正直に、誠実にならならねばならないのです。
 照れたり気取ったりしてはいけません。子どもが今後の人生で必要なことをきちんと教えなくてはならないのです。子どもを初めて幼稚園に、そして小学校に送りだした日と同じように、子どもを大人の世界に送り出すのです。現代社会は危険がいっぱいです。酒や薬の誘惑は、すでに中学生から始まっています。性体験も低年齢化し、エイズなどの恐ろしい病気も他人ごとではありません。


 兄弟姉妹の間の不満を解消するためには、それぞれの子どもと2人きりになれる時間を作るのも一つの名案です。
 大切なのは、親が自分だけのために時間を作ってくれている、自分の事だけを見てくれていると、子どもが感じることなのです。


○やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもはやさしい子に育つ
 人を思いやるとは、その人を敬い、やさしくすることです。それは、毎日のちょっとした仕草に表れるものです。夫婦が互いに敬い合い、子どもにやさしく接していれば、子どもは自然にそれを学びます。人を思いやるとことは、ありのままその人を受け入れ、その人の気持ちを尊重し、時には自分の気持ちよりも優先させることなのです。


 子どもは、一人ではなかなか思いやりの重要さを学べません。親が導かなくてはならないのです。思いやりの心は、子ども次回に学ばなければなりません。大人になってからではとても苦労してしまうことでしょう。


○未来に向かって
 親としていちばん大切なことは、子どもに何を言うかではありません。また、心の中で何を思っているかでもありません。子どもといっしょに何をするか、なのです。親の価値観は行動によって子どもに伝わるのです。毎日の暮らしのなかで、親がどんなふうに子どもに接しているか。それが子どもの生涯の手本にとなり、子ども自身が親になったとき、ものを言うのです。親が愛情を持ってを育てれば、その愛の行為は、世代から確実に受け継がれてゆきます。


「悲鳴をあげる学校−「教育改革病」からの回復」
   大阪大学人間科学研究所・教育制度学研究室著の論文より


連絡帳やなどで「日常の細かいこと」を保護者と共有することが保護者との合いだ重要ということが研究されています。

以下は、本文を引用しつつまとめたものです。

「担任不信(=学校不信)に関する一考察−あるいわ「問題教師」を生み出すメカニズムについて」金子伊智郎氏によれば、「担任不信、ひいては「問題教師」を生み出すメカニズムは、基本的には教師個人の資質や能力には無関係なのではないか?」という仮説をたてて検証しています。

初期条件に
1 「いい先生」とは、「子どものことをちゃんと見てくれている先生」
2 任意の時点で、教員個人に対する「いい・悪い」の評価が多様な形で存在している。

 四月の時点で、保護者は新しい担任に関する情報を、それまで担任をしてもらった保護者(前任校の分も含めて)様々な方法で入手し、「あの先生どんな人?」ということが親同士でウワサで広がり、担任に対するイメージがウワサを元にして形成される。そして、このイメージは情報元のイメージがそのまま反映される。つまり、誰から情報を入手するかによって、つくられるイメージが変わってくる。
 あるひとりの先生について肯定的・否定的な印象を持つ親はどちらも当然存在しているため、どちら側から情報を入手するかによって、その先生に対する肯定的・否定的イメージが決まる。これは偶然の要素が濃い。もしくは、偶然そのものである。

 実際にクラスがはじまると、連絡帳や子どもの話を通じて担任の発言や行動が伝わってくる。
 担任が子どもをちょっと厳しく叱った場合、「いい先生」と言うイメージがあるときは、「何か考えがあって叱ったのだろう」と解釈される。反対に「悪い先生」というイメージがあるときは、「やっぱり悪い先生だ」「原因はウチの子じゃなくて先生の方にある」と解釈される。

 保護者の関心は、「子どものことをちゃんと見てくれているかどうか。」です。「日常の細かいこと−たとえば連絡帳の片言隻句、クラスの些細な決めごととその理由、授業のために家から持っていかなけばならない教材など−で、安心したり不安になったりする」そうでうです。日常の学校生活は、要するに「細かいこと」の積み重ねであり、だからこそ、同一の発言・行為が、時には正反対に解釈されるよちがあるわけです。
 担任に対するイメージは、なかなか変わりにくいものだと思います。突発的な事件が起きた場合などを除いて、保護者−担任間の関係が劇的に悪化もしくは好天するようなイベントは現状の学校にはないものでしょう。

 「いい先生」「悪い先生」という最初のイメージが実際の人間関係にも影響を及ぼし、現実に「いい先生」「悪い先生」としてのふるまいを呼び起こす。その結果、様々な要因で、いつのまにか先生の側も「いい先生」「悪い先生」としてのふるまいを自分の行動パターンとして振る舞うことがある(イメージの内面化)。そうすると、その先生は本当に「いい先生」「悪い先生」として存在してしまう。
 「悪い先生」としてのふるまいを加速させる要素としては、先に述べた「影響力のある保護者がたまたま「悪い先生だ」というイメージをもってしまい、それが広がっていく」以外にもいくつか考えられる。
 悪循環に陥らないようにするには、やっぱり「日常の細かいこと」を大事にするしかないかと思います。
 例えば連絡帳で
「連絡帳に『今日はウチの子はお腹が痛かったみたいです』と書いたらたら、『ああ、それで元気がなかったんですね』と返ってきたことがあって、そのときは『ああ、先生ウチの子のことをよくみてはるるんやわ』と思った」

「子どもを休ませたときに、急いでいて連絡帳に理由を書けなかったのだが、次の日の連絡帳に休んだことについてなにも書かれていなくて、先生ウチの子のことはどうでもいいのかなぁとと思った」

 こういう、本当にちょっとしたことで保護者は安心したり不安になったりします。「この子今日は元気がないなぁ、どうしたのかなぁ」と思ったのは同じだとしても、それについてやりとりするかどうかによって、保護者の視線はかなり変わってくるようです。
 やっぱり連絡帳で子どもの様子をできるだけ細かく伝えておく方がいいのではないか? そうすれば、「悪い先生」だというイメージを持っていた保護者でも、一年後に連絡帳を読み返してみたときなどに、「ああ、この先生、案外子どものことをちゃんとみてくれてたんだな」と感じることがあるかもしれない。そうすれば、その保護者が「ウワサ」の発信源になったときには、それもれよりも肯定的な評価につながり、結果的に「悪い先生だ」とイメージする保護者の減っていくのではないか……?
 また参観・懇談や、保護者にもう一つの評判のよくない家庭訪問のあり方を考え直すこともアリかもしれません。それでもやっぱり大事なのは、「日常の細かいこと」を保護者と共有することだと思います。



「ゲーム脳の恐怖」
   森 昭雄著 NHK出版より


 とてもショッキングな内容です。

 脳波の研究者が痴呆のお年寄りの脳波を調べていたときに、たまたま脳波計の設計者の脳波を調べたときに、あまりによく似た波形なので、壊れているのかと他の人を測ってみると違っていたということからテレビゲームを良くする人の脳波が痴呆の脳波(α波とβ波が重なる特徴がある)と極めて似ていることを発見したところから始まります。

 以下は本文を引用しつつ、内容を大まかにまとめてみました。とてもショッキングな内容です。

**************
 脳波にはα波、β波の他にもありますが、α波はリラックスしているときにでやすい波形で、β波は興奮しているときに出やすい波形です。脳の前頭連合野(理性、注意、施行、意欲、情動を行動に変換したり、人間らしさや道徳といった高次の内容を処理する場所)のα波とβ波について研究してみると

○ノーマル脳人間タイプ
 ゲームをしてもほとんど脳波に変化がない=脳が正常に働いている。印象として礼儀正しく、学業成績は普通より上位。

○ビジュアル脳人間タイプ
 テレビゲームはほとんどしないがテレビやビデオを毎日1〜2時間見ている人。テレビゲームの画面を見ると一気にβ波が減少する。ゲームをやめると元にもどる。

○半ゲーム脳人間タイプ
 テレビゲームを行う前も行った後もβ波がα波のレベルまで減少してしまい、混合した状態。少しキレたり、自己ペースといった印象の人が多くなってくる。ゲーム中に声を掛けても「うるさい!」程度の返事しか返ってこない。日常生活において集中性があまりよくなく、もの忘れが多い。
 積み木合わせゲームを行ったときはβ波が1分以内にほとんど消失。ゲームをやめると元にもどる。

○ゲーム脳人間タイプ
 β波が完全にα波のレベルより下になってしまい、顕著なβ波の減衰がおこる。このタイプには切れる人が多いと思われ、ボーっとしていることが多く、集中力が低下しています。学業成績は普通以下の人が多い傾向。物忘れは非常に多く、時間感覚がなく、学校も休みがちになる傾向がある。

の4つのタイプがあるそうです。

 画像情報は基本的に前頭葉に行かずに処理され、β波が極端に少なくなると考えられます。ゲームの操作をするときにいちいち考えずに、どんどん手が動いて、後頭部中心の神経回路が強固になっていき、前頭前野の脳細胞が働く必要が減っていきます。
 半ゲーム脳人間タイプは、テレビゲーム、携帯型ゲームを小学校低学年から大学生になるまで、週3回から4回、1日1〜3時間行っている人たちで、筆団から前頭前野の働きが低下してしまっている状態だと考えられます。
 ゲーム脳人間タイプは、前頭前野の脳活動が消失したと行っても過言でないほど低下してしまった人たちです。
 小学校低学年あるいは幼稚園児から大学生になるまで、週4〜6時間、1日2〜7時間テレビゲームを行っていた人たちです。このタイプの人のなかには、β波がα波のレベル以下で出現したり、消失したり、不安定なものも存在しますが、テレビゲームをおよび携帯型ゲームをしている間は、完全といっていいくらいβ波が消失してしまいます。
 表情が乏しく、身なりに気を遣わない人が多いようです。気が緩んだ瞬間の表情は、痴呆症の症状と非常に酷似しています。ボーっとしているような印象です。ゲーム仲間で集まる事が多いようですが、関わりあいは浅く、ひとりで内にこもる人が多いようです。
 計測器がなくても、表情をみればある程度は見当がつけられると思います。幼い子どもでも、同様に無表情で、笑顔がなく、子どもらしくないな、という雰囲気になります。
 もうひとつは自分勝手であること。羞恥心がないこと。そういった人間らしさが乏しい印象の人は、ゲーム脳人間か、ゲーム人間になりかっている危険があります。

 前頭前野は、動物的な行動を抑え、人間らしい理性をコントロールしているところです。ゲームをすることで、前頭前野の働きが低下してしまいます。ゲーム脳人間タイプの人では、β波が低いままになっていて、まともに働いていません。
 ところがゲーム脳人間は、テレビゲームを長年にわたって行ってきたことで視覚系が強化され前頭前野の脳細胞の活動低下が生じ、大脳辺縁系に対しての抑制が利かなくなってしまったと考えられます。自分の本能的な行動を止められず、激情のおもむくまま、つまりキレてしまうのです。
 楽しい運動によって海馬の記憶中枢の細胞が増殖することが明らかになってきたことからも、幼児期には、跳んだり、走ったり、ボールで遊んだりすることが健全な脳の発達に必要であると思います。よく学び、よく運動することが脳の発達にも身体の発達にも必要なのです。

 子どもにゲームをやめさせようとしている親も大勢いますが、わかっていてもなかなかゲームをやめられないのは、ドーパミン神経系が刺激されることで、大脳辺縁系、前頭前野が刺激され、一種の快楽を持つようになるからと思われます。
 けれども、テレビゲームが常態化している本人が、楽しいと思っているかどうか、本当は分かりません。単にやらずにいられなくなっているだけのような気がします。
 それはシナプスの反復刺激によって脳の神経回路が、そのように組み上がってしまっているからです。ゲームに対しての身体の反応が決まってしまっているのです。ゲーム機をみれば、やらずにおれない。「楽しい」という状態はもう超えています。
 中学生や高校生になってからテレビゲームを始めたという人は、ゲーム脳人間にはなりにくいのです。それは、脳の神経回路が組み上がるのが10歳頃までだからです。脳の神経回路は20歳過ぎでも形成されますが、ほとんどは小学校の中学年ぐらいまでの脳の発育段階で、どのような神経回路になるか決まるのです。
 もしも、テレビゲームをやらせるというのなら、せめて中学生以降、できれば大学生になってから。18歳以下はお断りです。それでも30分ぐらいまでで、週1回程度なら神経回路が形成されにくいのです。子どもの頃からテレビゲームをしている人は、やめようと思ってもやめられません。重症で、将来が心配です。

 パソコンを使っての教育には注意が必要でしょう。それは、画面を見ているだけですんでしまうということです。画面を見ているだけでは前頭前野に情報が行かず、視覚野だけで処理してしまいます。パソコンを使うのなら、子どもが受動的に知識を取り入れるのではなく、自分のものとして能動的に取り入れられるようにしなければなりません。
 パソコンを使えば、確かに知識は増えるかも知れませんが、自分で工夫して身につけた知識ではないので、そこから新しく組み合わせて何かを創造することができない子どもになってしまいます。一つの事柄からどのような事が考えられ、そして自分の考えはこうである、といった具合にならなければなりません。
 この創造性、考えが個性なのです。本来は自分で経験し、体験したことから施行や推理をして抽象化するものです。これこそ、前頭前野の働きにほかなりません。
 テレビゲームをすることでは個性は生み出されません。まして幼児期にテレビゲームをさせておくのは、その子の個性や人間性が作られないことになるのです。人間形成には、前頭前野の発達が必要なのです。いきいきとした目の輝きのある、個性豊かな人間を育てるのは、大人の責任だと思います。



「青春がはじける学園−仮面をはずす子どもたち−」
   千代田学園高等学校著 清風堂書店より引用抜粋



この本は河内長野市にある千代田学園高校の先生たちが書いた本です。

生徒会活動が盛んで、色んな所に学び直しをするような仕掛けがあり、ひどい中学時代を過ごした生徒たちが自分を解放していく姿がたくさん読んで取れます。そこには色んなヒントがたくさんあります。なかなかいい本なので一読されることをおすすめします。

本文より抜粋

○学園の主人公は生徒

 教師たちは生徒の低学力や「荒れ」がどこからくるのか、その克服の方途はどこにあるのか、また、生徒の自主性と教師の指導性の関わりはどうあるべきかをめぐって激論を戦わせたと聞きます。
 そうして導き出されてきた結論は、生徒の「荒れ」の原因と責任が生徒の中にあるのではなく、今の社会と教育のゆがみの中からであること、またそれを克服し発達していく力も生徒自身の中に存在していること、しかしながら、その力を引き出すのは教師一個人の力ではなしえないというものでした。それはどんな生徒の内面にも潜む「勉強がわかりたい」という人間としての要求に依拠して、生徒が自らの学習権を自らの手で守っていけるような、「自主・自立の力をそなえた生徒集団をめざそう」という指導の中貫かれてきた観点でした。そこには教科書裁判杉本判決に学んだ「発達可能態」としての存在という生徒の捉え、「国民の教育権・子どもの学習権」思想に裏打ちされた、生徒への深い信頼と、人間洞察の高い見地があったと思うのです。これは学校の中で子どもの命が脅かされ、学級崩壊という「新たな荒れ」が大きな社会問題となっている今日、いっそう重要になっている見地ではないでしょうか。
「単位をやらないぞ」という脅しゃ「そんなことでは推薦されないぞ」という、競争を道具にした教育の延長では生徒の嫌悪感や不信感を助長し、いっそう生徒をゆがめる結果を招くだけ、本当に生徒の中に生きる意欲を育てることにはならないのです。
 このようにして生まれた本校の自主活動は、生徒の学力回復を第一義的な課題として出発しました。
 私が千代田にきた頃は、生徒会の方針といえばいつも第一にくるのは「授業の充実」、教師の方は「自主編成でわかる授業を追求しよう」というものでした。 こうして各クラスの指導の中で、生徒に自分から勉強しよう、わかろう、やってみようという自主的な気持ちを引き出すために苦闘の模索をしながら、さまざまな生徒会方針を編み出してきました。

○学年を越えた友情を育てる

 体育大会を実施するには、生徒たちのさまざまな組織が関わります。それは、保健体育委員会や学級代表委員会のようにすでにある組織と、大会の運営に責任をもっ体育大会実行委員会や運営委員会のように、大会のためにあらたに結成されるものがあります。そこに共通するのは、あくまで生徒たちの手で大会を企画準備し、実施するという視点です。
もちろん、私たち教師はそのために周到な準備をして臨みますが、実行委員会が動きだせば、生徒たちが自分たちの手で運営できるようサポートしていきます。教師がすべてお膳立てして、生徒はそのレ ー ルの上を走るだけというのではない、生徒たちが自分たちの体育大会だと実感できる運営です。
 競技種目は、四月下旬に生徒たちの実行委員会で決定されます。ですから、毎年競技種目に変化があります。運動の得意でない者も楽しく競技に参加できるようにしたいという生徒の思いから、パックリレ ー、俵かつぎリレーなど、ユニークな競技も登場します。当日の準備や召集、審判などは運動クラブなどの部員たちが分担しておこないます。もちろん選手宣誓の内容も生徒が考えます。また、二、三年前から生徒たちの提案で、自分のチ ームだけでなく他チ ームも応援するようになりました。
 さて、そうした体育大会運営の基礎となる組織で特徴的なものが、縦割りの集団である「色別集団」です。これは各学年一クラスから二クラスをペアにし、学年を越えて四つから五つのチームを編成して、そのチームに色の名前をつけるもので、「色別集団」と呼んでいます。1章ではイエローチームのことが紹介されていましたが、ほかにブル ー、ピンク、レッド、グリーンがあります。
 たとえば、一年一組と九組、二年二組、三年一組と八組がグループを組みブルーチームとなり、一年四組と八組、二年一組と八組、三年二組がグループを組みピンクチームとなる、といった具合です。 そしてこの色チームが体育大会進行の単位集団となって、競技や応援を競い、優勝を争うのです。
 この色別集団には、それぞれ、運営委員会と応援団が結成されます。運営委員とは、実行委員会で決定された競技種目と出場人数にあわせて、選手決定の案を作成したり、練習を計画したり、後でふれますが、学習計画や学習目標をたでたりと、色別集団の運営全体に責任をもっ委員です。また、応援団は当日、チームの先頭にたって応援します。
 しかし、それだけでなく、ほかの委員たちとともにチーム全体をまとめる責任をもち、学習目標など先頭にたっておこないます。
 千代田高校の生徒はどちらかといえば、中学時代には学校行事に積極的に参加した経験が少ないと言えます。自主的な活動も遠ざかりがちで、自分たちで計画をたて準備し運営した経験もあまりもっていません。それは本人たちの意欲の不足というより、そうした場が与えられてこなかったことと、成績で輪切りにされて自信を失い、勉強以外の活動にも積極的になれなかったという面が強いのではないでしょうか。
 ですから、一口に自主性を伸ばすといっても、とくに一、二年は、毎年運営委員や応援団の定数がなかなか埋まらないという事態になります。また、委員になっても協力できない生徒もいます。彼らは学校に残って何かをすることに強い抵抗感をもっているのです。それまでの「やらされる」行事への嫌悪感があるのかもしれません。しんどいことを遅くまで残ってするより、友だちと遊んでいたい、あるいはアルパイトをした方がましなどと思っているようです。また、経験のなさから自分にできるのだろうか、二年、三年の先輩たちとうまくやっていけるのかと不安ももっています。
 そこで、縦割り集団の良さをいかして三年生が先輩として指導力を発揮するのです。やさしく声をかけたり、悩みを聞いてやったり……。一、二年生は、そんな先輩たちの姿にあこがれ、また、先輩たちのがんばりが無言の励ましとなります。
 こうして参加していった生徒たちの達成感は大きく、斉藤君のように次の年も引き続き何らかの委員を引き受けようと思う生徒が多いのです。そして、一、二年生を励ましながら大会を引っ張る三年生も「一、二年生の力に励まされた」「一、二年生が一生懸命ついてきてくれた」などの感想をもつようで、学年を越えた友情が育っていきます。


○「平和学習はもううんざり」

 「私たちは最後の『直接世代」」といわれます。戦争体験者の平均年齢はすでに七〇 歳を越え、今の若者世代がまさに戦争体験を直接継承できる最後の世代なのです。ところが、学習指導要領の度重なる変遷と教育をとりまく情勢の変化の中で、小中学校で平和の問題をくわしく学んでこなかったという生徒たちが年々増えています。ヒロシマ・ナガサキの事実はまだしも、アジアの国々への侵略の事実となると「日本は、戦争で原爆を落とされたかわいそうな国とばかり思っていた」と、本当に何にも知らずにいる生徒がたくさんいるのです。
 平和教育は、「きちんとした事実に基づいて」と言われます。しかし、中国と朝鮮の区別ができず、「侵略」「植民地」という概念を理解できない生徒もいる現状で、平和学習をどうすすめていったらいいか、深刻です。さらに『はだしのゲン』のビデオを見ても『ひめゆりの塔』のビデオを見ても、まったく共感できず、「ああー 、だるかった」としか返ってこない生徒たちに、どこから切り込んでいったらいいか。平和のための学力を育てていく困難さに頭を抱え込んでしまうような現状もあります。
 一方、中学のときに熱心な平和教育を受けてきた子どもたちはどうかというと、ここでもまた少し違った困った現象が起こっています。それは「平和学習はもううんざり」「また平和? 中学でやってきたからもういい」という平和学習に対する拒絶反応です。多くの生徒たちは、平和学習というと、自分たちの興味関心には関係なく、目を背けたくなる写真やビデオを何度も見せられ、「これが戦争の現実だ! 気持ち悪くても目をそらしてはいけない……!」と教師の思いを一方的に押しつけられ、何だかんだ言っても、最後は教師の言わせたい答えが待っている、つまらない学習というイメージをもっています。そして、学校や教室でのイジメ・暴力、体罰・管理主義といった子どもたちをとりまく現実をよそに、あたかもきれいごとですすめられる「平和教育」に不信感や“うさんくささ” を感じ取っています。このような体験の積み重ねが、生徒たちの中に「平和学習アレルギー」を沈殿させてしまっているのです。
 以前の私も、生徒の現状を無視して、自分が「正しい」と思うことの「教え込み」をよくやっていました。生徒の「だから核を廃絶し、平和な社会をつくっていかなければならないと思います」「だから社会に流されず、真実を見抜く力をつけていかなければならないと思います」といった言葉の上での「いい」感想に、「平和の意識がしっかり育ってきたな」と自己満足していたのでした。しかし、そこにとどまっていては、生徒にとっての本当の生きる力には発展していかないと、今は思うのです。たとえ、やぼったい言葉でしか表現できなくても、自分自身をしっかりくぐった「借り物でない自分の言葉で平和を語るこのできる力」をつけ、生徒たちが、平和な社会をつくっていくことを、自分の生き方の一部として学び取って欲しいと思うのです。


<大教組事務職員部 情宣学習会050225>
写真・カットの効果的な使い方
   講師 関西共同印刷所 松宮一之氏



 昔は文字ばかりの機関誌だったが、印刷技術の向上により写真や飾り文字が使われるようになっていった。
 最近、パソコンが普及し、デジタル化して読者の活字離れがすすんでいる。
 最近ではできるだけ文字の少ない写真とマンガなどで説明するようなレイアウトになってきている。

写真の効果
 写真を効果的に使うことが決定的。インパクトを与え読ましていく。写真が今までは穴埋め的な使い方だったか、写真を見た目で効果的に使うことで、なにがかかれいるか理解させ、読ませるようになっている。
 新聞は旧来的な編集方針で文字が多い。宅配されているので、競争がない。かかれている内容で勝負。
 それに対してスポーツ新聞は見た目で買わせる新聞なので、レイアウトや見出しはもっとも進んだものになっている。視覚的なレイアウトの参考になるものが多い。現在の主流は写真の中に記事があるような作りになっている。

組写真の効果
 関連のある数枚の写真を組み合わせて、それを見るだけで内容がわかるようする。

よい写真原稿を
 できるだけ高画質の写真を使いたい。
 写真が編集室にデジタルデータの写真がくるが、画素数の少ないものが届くことが多い。そのため仕上がりが悪いものになってしまう。
 知識を持ってもらう必要がある。今のところは印画紙上の画像がのぞましい。

トリミングを使う
 大きな写真の見せたい一部を切り取ったり拡大してクローズアップして強調する。

顔写真
 顔の向きを調整するために裏焼き(鏡像)を使う場合がある。。
 バックの切り抜き(顔の輪郭だけを残す)をして、切り抜き地紋を入れることがある。
 新聞で顔写真を入れるときは楕円が多く、角は犯罪者の顔写真を使うことが多い。

マンガ・カット・イラストの効果
 記事と関係のないものは載せれないので、専門のイラストレーターに書いてもらうことが多い。自分で描けると非常に楽。
 紙面のあいたところにカットやマンガを入れるのではなく、記事の視点をもったものものを入れるようにする。
 写真に暗喩や伏線を持たせ見出しを入れる。
 イラストは紙面を明るくする効果がある。
 見出しのフォントや文字飾りも重要なファクター。

写真を斜めに使う
 人物が入っている場合は画像を回転させて、切り抜いて紙面上、人物が直立しているように使うと安定感がある。

記事を少なくするために
 まず、最近はレイアウトから入り、写真やイラスト・カットの配置を決める。記事の配置は、写真などの配置が終わった後、段組に応じて字数を決め記事を書いてもらう。記事の文体や文字数の調整は編集者が行うので、書いてもらった記事をいじることは多い。

画素数
 デジタルカメラで撮影したデータは人物の場合は300〜400dpiが必要。
 プリントされた銀塩写真の場合は1200dpi程度の解像度があり、かなり伸ばして使うことができる。

輪転機で写真がつぶれてしまう場合は、網点をかけるとよい
 高解像度なプリンタで出力した場合、実際の写真のようにきれいにでるが、この原稿を輪転機でそのまま製版すると、その品質に対応できずに、写真の部分の細かいディテールが出せずに、結局、黒っぽくなってしまう。
 その場合は、高解像度なプリンターで出力する際に、写真の部分に網点をかけてやる(そのプリンターの能力よりもかなり粗めな点による画像表現=網点)ことにより低解像度な画像読みとり能力しかない輪転機でも対応できるようになる。
 その原稿が白黒原稿の場合は600dpiより解像度が低いレーザープリンターで出力するものであれば、でてきた原稿の写真は輪転機に対応しやすい網点になっている場合が多い。

写真の配置
 大きな写真は上の方が安定する。
 人物の切り抜きの場合は下でも見えたりする。

縦組みで縦のタイトル(「朝日新聞」の題字)の下は写真や図表を入れるのが楽。でも、最近の新聞や機関誌のタイトルは横のものの方が多い。
ビジュアルを中心とした編集であれば紙面のタイトルは下にするのも最近の傾向。


「子は親の鏡」

2005.2.23の朝日新聞の社会面に皇太子が誕生日の記者会見で読み上げた詩で「あなた自身の社会 スウェーデンの中学校教科書」から抜粋が載っていました。
これって、ちょっと違うけど「アメリカインディアンの教え」というのに似てると思って、ちょっと検索してみると、どうやら日本語訳の違いのようでした。
でも、この訳が一番心に響くなあと思います。

原文といくつかの訳です

「Children Learn What They Live」 Dorothy Law Nolte著(1972-75)より。

If a child lives with criticism,
He learns to condemn.
If a child lives with hostility,
He learns to fight.
If a child lives with ridicule,
He learns to be shy.
If a child lives with shame,
He learns to feel guilty.
If a child lives with tolerance,
He learns to be patient.
If a child lives with encouragement,
He learns confidence.
If a child lives with praise,
He learns to appreciate.
If a child lives with fairness,
He learns justice.
If a child lives with security,
He learns to have faith.
If a child lives with approval,
He learns to like himself.
If a child lives with acceptance and friendship,
He learns to find love in the world.


「子は親の鏡」
ドロシー・ノー・ノルト
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
褒めてあげば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であること大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる


「子どもの詩」
批判ばかりされた子どもは
 非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは
 力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは
 ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは
 鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは
 自信をおぼえる
寛容にであった子どもは
 忍耐をおぼえる
賞賛をうけた子どもは
 評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは
 公正をおぼえる
友情を知る子どもは
 親切をおぼえる
安心を経験した子どもは
 信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは
 世界中の愛情を感じとることをおぼえる


批判ばかり受けて育った子は
 非難ばかりします。
敵意に満ちた中で育った子は
 だれとでも戦います。
ひやかしを受けて育った子は
 はにかみやになります。
恩を着せられながら育った子は
 いつも悪いことをしているような気持ちになり、成功を恐れます。
心が強く寛大な人の中で育った子は
 がまん強くなります。
無償の励ましを受けて育った子は
 自信を持ちます。
おだてではない、真の賞賛を受けて育った子は
 いつも感謝することを知ります。
公明正大な中で育った子は
 正義心を持ち、正しく自己主張することができます。
思いやりのある中で育った子は
 人を信頼する力を持ちます。
ありのままの自分を認めてもらえる中で育った子は
 自分を大事にします。
仲間の愛の中で育った子は
 世界に愛を見つける能力を持ちます。


「夜回り先生の卒業証書 冬来たりなば春遠からじ」
   夜回り先生 水谷 修著 日本評論社より引用抜粋


前半は「水谷修先生の夜回り日記」に加筆・修正したもので、後半は講演会の講演録をまとめたものになっていました。

特に、後半は1月に海南で聞いた講演会とほぼ内容が一致するもので、改めて講演の内容がリフレインされました。
この本もお薦めの1冊です。

水谷先生が常に指摘していることは「自己肯定感の欠如」です。

一部を抜粋します。

 今、私たちの社会は「攻撃型の社会」になっている気がします。「何やってるんだ」、「そんなことをしていどうする」など、日々の人間関係の中で人を傷つける言葉が飛び交っています。上司が部下を叱り攻撃する。その部下は家庭で妻を、その妻は子どもを叱り攻撃する。それでは子どもはどうするのでしょうか。自分より弱いものをいじめるのでしょうか。年下の子どもをビルの屋上から突き落とすのでしょうか。同級生を殺すのでしょうか。今、この大人たちのイライラがすべて子どもたちのところに凝縮されています。そんななかで、少しは元気を残した子どもたちは、夜の街に出て、非行、犯罪を繰り広げ、あるいは夜の街の大人たちの餌食にされてしまいます。
 しかし、それらの子どもたちよりはるかに多数の、優しい心の素直な子どもたちは、「私が悪い子だから親に叱られた」、「私がだめな子だから先生に叱られた」と自分自身を責め、そして、夜の暗い部屋でカミソリや多量の薬を前にして、死を考えています

 「なんでおまえシンナーやってたの?」
 「みんなやってたから」。
 モノの価値の基準が善悪ではなくて、みんながやっているか否かで決めている子が異常に増えています。

 みんなさん方の学校、とくに高校、中学のあの格好を見てください。「ズルズルカッペ靴下」と僕は呼んでいます。略して《ズルカ》。「ルーズソックス」というのはやめましょう。あれは茨城県の水戸の輸入業者が輸入しました。だから「カッペ靴下」。茨城の人がいたらごめんなさい。(笑)。ズルズルしているから「ズルズルカッペ靴下」。それから「スケベ丸出し、パンツ丸見えスカート」に「耳ホッチキス」、「銀色の鼻くそ」、「はげ眉」に髪の毛は「トウモロコシの腐ったの」と……。
 でも、ほんとうにあんなものがカッコいいと思ってやっている子どもたちだけではない。みんながそれをやっているから、あれをやらないとはじかれるから、みんなの真似をしてやっている子が非常に多い。これはあらゆることに言えます。子どもたちのあいだでは、なんでもすぐブームになってしまう。

 窃盗の天文学的増加とかかわって、リストカット、自殺願望、ODが増えている背景に、じつはモノを考えられないということがあります。モノを考えられない、考える能力がない、コミュニケーションがとれない。だから人の真似をして生きる。生きている人間が人とのコミュニケーションがとれなくなったときどうしますか。真似をしようにもグループがないのです。孤立が何十倍にも何百倍にもなる。モノを考えられる人間は、孤立したとしても、これは俺の生き方で、俺には俺の明日がある、そういうふうに昇華して考える能力がある。それがないわけです。
 そんななかでモノを考えるもう力もつくられていないのに、悩む。外に目が向かず、自分のことばかり考える。「自分病」といいます。その自分病のなかで苦しんで苦しんで、そしてリストカットやODや自殺願望に入っていく。
 じつは一冊めの『夜回り先生』は《救い》、「いいんだよ」がテーマでした。二冊め『夜回り先生と夜眠れない子どもたち』は「明日へ」というテーマです。そのなかで強烈に入っているメッセージは、「悩むな、子どもたち」です。悩んでもムダなんだ。答えの出ることは悩む前に答えが出ているし、答えが出ないから悩むんだ。答えの出ないところで悩むより、明日に向かって今やれることはあるんじゃないか。まわりに優しさを配ってみよう、人のために生きてみよう、そういうメッセージを込めた本です。そこが大事だと思います。

 みなさん方のなかでお母さんをやっている方、胸に手を当ててください。今までの自分の子育てで、子どもを褒めた回数と叱った回数、どっちが多いですか? 褒めた回数が多い方、どうぞ手を挙げてください。
 ……少ないですね。困ったもんですね。みなさん方の子どもさん、そんなにワルですか。人を殺しました? 人のものを奪いました? 違うでしょ。
 人というのは褒められることで成長していく。自己肯定感がついてくる。夜の世界で非行や犯罪を繰り広げる子、あるいはリストカットをする子、病んでいく子、とくにからだを中高年の男に一夜買われる子の多くは、自己肯定感、自信がない。昼の世界で徹底して攻撃されているんです。


「学級再生」
   小林正幸著 講談社現代新書より引用抜粋


最近読んだ本に「学級再生」小林正幸著 講談社現代新書があります。この本はなかなか興味深かったです。

おすすめの一冊です。

一部を抜粋します。

○学校崩壊
 小学校で起きている「学校崩壊」の本質については、その引き金要因となる「指導の困難な子ども」よりも、それに同調していく子どもの多さに着眼している。そして、この同調圧力の強さこそが、「学級崩壊」の本質であるとする。

○子どもを甘やかせるとは
 子どもの意見を尊重、了承することではない。子どもの深いな感情や、かなわぬ願いを持つことで起きる哀しさや怒りについて、保護者がしっかりと受け止めることである。

 幼児期の子どもは、何かができても、できなくても、そのことを無条件に受けてもらえる体験が必要になる。不快な感情を誰かにしっかりと抱きとめてもらうことで、安心感が育まれる。

○中学の荒れ、攻撃性の問題史
 社会や教師に対する「反抗」ではなく、ストレス発散の様相を呈するようになったことである。このことは、中学生の示す問題が「反社会的な問題」から「非社会的な問題」へと変化していることを表している。

○非社会性を生む子どもの遊びの変化
 かつての集団遊びが情緒交換を目的としていたのに対して、現代の遊びは情報交換を目的とした遊びが主流になってきているのである。

 遊ぶ人数が少なくなると、複雑な人間関係の中で、自分のポジションを定める体験が不足していく。

○いじめを受けるとは
 「いじめ」を受けることは、どのように振る舞っても、「お前はダメだ」「お前を仲間から外す」というメッセージを絶えず与えられることにほかならない。繰り返し罰せられた状態である。これが続くとどうなるか。自己評価はひくくなり、自信を失う。人を信じることができないし、人と付き合うこと自体が怖くなる。

○問題への危機介入の手順を定めておく
 教師や保護者が叱りの言葉の冒頭で使う常套句「どうしてそんなことをしたのか?」は使わない。子どもが身構えるからである。問いかけの最初の言葉は、その出来事について「今、どんな気持ちでいる?」「今、何を考えている?」である。「そうなってしまったのは、どうして?」とつづける。

○楽しいイベントを繰り返し行う
 楽しいイベントを繰り返すことは、子どもの「問題でない部分に注目をする」ことの一環でもある。人間関係で荒んだ気持ちを回復する意味もある。また、ルールのない遊びはないので、遊びを楽しむことそのものが、人間関係の結び方の基本を培う体験ともなる。


<大阪府教育センター 平成16年度 小・中学校事務職員研修会IIより>
これからの学校運営のために
−人間関係づくり−=出逢う・関わる・学びあう=
   で・き・たね プロジェクト 神坂 登茂子(こうさか ともこ)


(1)学校全体の仕事:人との関わりを通して人を育てる
*「人」=子ども・教員・保護者
<「子どもを育てる」のに大切な環境の一つである大人の存在>
1.子どもと大人(教員・保護者等 対人援助者)の関係
2.対人援助者(教員・保護者者等)同士の関係
   ↓
 「子どもを育てる」という共通の目的に向かっての協力体制
   ↑
  ともすればバラバラ
3.協力体制をバックスアップするのが事務局←核
 *連携を結ぶ点……地域・他団体とのネットワーク
 *学校の顔的存在…電話・窓口での対応
 *事務的事情をすべて把握している場所…「守秘」の」重要性
   ↓
 大人同士(教員・保護者・事務職員)の関係性の結び目&子どもとの関わり
   ↑
 縁の下で目に見えないものを見せていくのが重要

(2)<あったかハート>+<目ざすものへの想い・願い>+<クールな頭>
1.目ざすものの確認←言葉で自分の中で表現
   ↓
 目ざすものへの想い・願い
   ↓
2.クールな頭で
  現状とのギャップを考える…観察力
   問題発見→問題解決 
   課題設定→課題達成
   ↓ステップアップしていく
 <自分で考える>
   ↓
 <みんなで考える>…バランスがいい
   ↓時間軸・空間軸・鳥の目・虫の目
3.あったかハート
 問題解決力・課題達成力に必要な(対話的)人間関係力
 <対話できる場/関係づくり>=安心・安全な場←力関係に注意
 *秘密が守られる・色んなことが試せる場・失敗が許される場など
   ↓
 気持ちいいが、伸びていく緊張感
 <大切なわたし>関係性…点
 <大切なあなた>関係性…線
   ↓
 <大切な私たち>関係性…面←人権の基本
 *体の栄養+心の栄養
 *自分を大切にするために「自分を知る」←人間理解の基礎
  人は大切にされる経験から人を大切することを学ぶ
  一人で暖めるのはダメ…凍ってしまう。

 ★自己覚知・自己開示・自己理解(→自己肯定・自己受容)・他者理解・受容

 自己覚知 自分を知る…他人を深く理解する核に
 自己開示 自分を誉める…安定してくる
       ↓
 自己理解 冷静に考えられるようになる…クールになる
       ↓
      過ぎ去った自分をふりかえって
       言葉ではなく 生き方
       ↓
 他者理解・受容 この人だったら…想像して関わり

(3)「学ぶ」ということ
    ↓
  参加型体験学習導入の意味…一斉講義型学習と参加体験型学習のバランス

 *情報・知識(INPUT)
    ↓
 *自らの言葉・行動(output)


【学びを推敲し続ける者】
 「モノや事柄や人間に絶えず『繋がり』を生み出していくこと、その『繋がり』を発見し築きあげてゆくいとなみが『学び』と言ってよいだろう。学びを遂行し続けるものは、モノとの関わりや他者との関わりや自分自身との関わりにおいて、たえず『繋がり』を見出し築き上げることを身の所作として体得した者なのである。
 「学びの快楽」佐藤 学


「自分」で「自分」をほめたい

京都の大会に選ばれたことを
もう一人のあなたに
“よくここまできたね”と
ほめてやって下さい
他人にほめられるのを待つより
あっさり自分で自分をほめてやるのが
自然です
だって
練習のつらさも
負けたくしゃしさも
そえでも走り続けたわけも
一番わかっているのは
あなた自身なのだから
明日のレース 目標どうりなら
もう一人のあなたに
“おめでとう”って
笑いながら声に出してみようか
誰も身がわりはいない
あなた自身の
あなたのレース
あなた自身が選んだ
栄光の道
どうぞ、いい走りを
       高石ともや


府教委の人間関係の研修の時にもらったプリントより

  あなたOK
劣等感 ↑自他の調和
自己軽視|共存
ひがみ |協力関係
ひけめ |対話
従属関係|
−−−−+−−−−−
←私NO|私OK→
−−−−+−−−−−
あきらめ|独善
絶望  |排他的
放棄  |優越感
無力感 |さげすみ
    |見下し
    ↓差別
  あたなNO

参考資料
「幸せの心理学 下」田舞徳太郎 致知出版社
「交流分析のすすめ」杉田峰康 日本文化科学社

このチャートのなかで右上にいる状態がいい状態です。
「私は一生懸命にやっているのに認められない」という状況は右下で、それが進行すると左下のいちばんよくない状態に陥ります。
「どうせ私は大したことない」というのは左上でそれも進行すると左下のいちばんよくない状態に陥ります。
いつも今がどの状態か見きわめるといい方向へむかえるそうです。

アサーティブ‐トレーニング [assertive(断定的な)training]
【心】 断行訓練法.引っ込み思案や弱気などの性格から対人関係に悩み,神経症になっている人に対する訓練法の1つ.学習理論に基づき,行動療法の技法を取り入れたもの.アサーティブネス‐トレーニングとも.〈現〉

資料でもらったプリントに次のように載っていました。

3つのタイプの自己表現の特徴一覧表

1非主張的 2攻撃的 3アサーティブ
引っ込み思案 強がり 素直
卑屈 尊大 率直
消極的 無頓着 積極的
自己否定的 他者否定的 自他尊重
依存的 操作的 自発的
他人本位 自分本位 自他調和
相手任せ 相手に指示 自他協力
承認を期待 優越を誇る 自己選択で決める
服従的 支配的 歩み寄り
黙る 一方的に主張 柔軟に対応
弁解がましい 責任転嫁 自分の責任で行動
私×You ○ 私○You × 私○You ○

「アサーショントレーニング−さわやかな<自己表現>のために」
平木典子著 日本精神技術研所

さらにサーチしてわかりやすいのを見つけました。

アサーティブ‐トレーニング
http://www.okinawa-with.org/ikuji/asertive.htm
  ↑
なるほどと思うようなことが載っています。


小野田正利さんの「イチャモンつけんとて!」講演より

 2005/1/28 大教組事務研 ホテルアウィナ大阪
 この先生、なかなかパワフルで現場主義でどこのおっちゃんや?!というようなキャラでなかなかおもしろいです。
 結構、あっちこっちの校長会や教委からも講演の依頼を受けているそうで、いわば現場の代弁者という感じで現場を無視した机上
 の空論を実態を突きつけながらめった切りにしてくれます。

◇速報から
「イチャモンつけんといて!冷静にまともに考えてんか!」
〜教育基本法の価値、公教育の今と未来、そして社会は?〜
大阪大学大学院教授 小野田 正利さん
 「探偵ナイトスクープ」出演の楽しい話をきっかけに、「教育改革病」についての話から始まりました。
 「教育改革」についてさまざまの議論・意見が出ている中、「真実は学校現場にある」をモットーに学校へ赴き、現在の学校が
「疲弊」している生々しい実態を調査してこられました。
 等身大の学校をお互いが理解できていない中での、「学校・家庭・地域の連携は」は実は大変危険なものであるこちゃ、また先
日の中山文科相の発言でもあるように、今の「教育改革」が未来を見据えた定見がなく無節操なものであること批判され、ここ数
年の保護者から出される学校不信が本当は「猫の目」のように変わる「教育改革」そのものに対する不審であるあり、身近にある
学校がその尻拭いをさせられているというのが真実であると話されました。
 また、よく聞かれる「金がないからしょうがない」というのは全くの「議論のすり替え」であり、政府・行政は「富をどう配分
するか」が仕事である。関空2期工事など大規模事業にどんどん金を使う一方で教育には(=子どもには)「我慢せよ」というだ
け、肝心の「なんで金がないのか」の前半の部分が隠されていて大きな問題であることを指摘されました。
 「教育基本法」の問題については、その理念は「平和」「民主主義」「機会均等」であり、国際的にもたいへん優れている中身
であり、もっと評価していくことがひつようであると話されました。
 最後に、今学校に求められているのは「いつかわかってくれる」ではダメで、こちらから保護者や地域に対して声を大にして
「パフォーマンス」していくことが大事だと話されました。


<大教組事務研特別講演 2005年1月29日より>
高石ともやさんの講演から

 高石さんは、大学の先輩で思春期問題研究所長の江幡玲子氏(元警視庁少年一課勤務 2004年没)に出会い、その手伝いをするう
ちに自分を明るく前向きなものにできたそうです。
 主に、江幡さんが保護司や介護師の方向けに話しておられたことで、閉塞感の強い今の社会を明るく楽しく生きるためのコツに
なるようなお話を唄を交えて話され、とても聞き応えがあり盛況でした。


【自分のいいところを3つあげてください】
 江幡さんが保護司の研修会で退職校長対象の研修会で紙が渡され、いきなり書かせたそうです。

心を閉ざしている=保護観察の子ども
  ↓
心を開かせるには…自分が幸せで、精神的に余裕がないと無理
  ↓
いいところが5以上、できれば10欲しい
(30あればどんな仕事でもこなせる)


【生き物が人間になるのは名前が付いたとき】
親しくなるには下の名前を聞いてください
  ↓
下の名前には、その名前を付けた理由がある
  ↓
親は何かの期待や気持ちを込めて名前を付けている
  ↓
必ずその子は親に愛されている
  ▽
家庭裁判所で初めて上・下の名前を呼ばれる子どもが多い。
「おい」「そこの」と親からも周囲からも呼ばれている。
  ▽
家出していて帰ってくるかどうか、家庭訪問でその子の部屋を見ればわかる
  ↓
人間は帰ってくるのを待っている場所があると力がでる。
 アウシュビッツで「おまえの故郷は空襲で全滅した」とドイツ兵に言われて、すぐに死んでしまうユダヤ人が多かった。


【友達を2人作ろう】
長く生きると楽しいことと同じだけ辛いこともある
  ↓
人生を楽しく生きて行くには、2人の友達が必要。

○辛いことを聞いてくれて「たいへんだったね」の一言でつらさは半分になる。
○うれしいことを聞いてくれて「よかったね」の一言でうれしさに花が咲く。

人の幸せを作る言葉
「よかったね」「たいへんだったね」


【希望…旅の唄】
安田講堂以前の60年代フォークソング
  ↓
 言葉がとても重要だった

♪遠い世界に旅にでようか等々
  ↓
 「旅」=希望があった

【ジャンケンゲーム】
○負けた人は拍手をする
  ↓
 とても嫌な感じ…負けることはしんどい
  ↓
 自分不幸

○ホノルルマラソンのゴールをしたとき、順位は低いのに心から祝福してくれた。
  ↓
 祝福してくれた人は元々ハッピー

○負けたときに自分がハッピーなら、勝った人をほめられる
 年を取ったら負けるのは当たり前
  ↓
 勝った人に「よかったね」

○必ず勝つジャンケン…一瞬、後出し
 心の問題は失敗が多くお互いに傷つく
  ↓
 心構えの切り替えの練習になる

○必ず負けるジャンケン
 負けジャンケンは子育て
  ↓
 勝った子ども…歩けた・しゃべれた・〜できた……
 (親の方が当然なんでも勝っている)
  ↓
 親は「すごいね」「よかったね」←負けても元々ハッピー
  ↓
 幸せにする手伝いができる

【understandは低く立つこと】
○阪神大震災2週間後、両陛下が神戸に。そのとき避難所の体育館で被災者に声を掛けるとき、しゃがんで目線を低くして話しか
けた。

○UnderStandは低く立つこと
  ↓
 相手は重圧感がなくなり、相手を理解しやすくなる
  ↑
 幼稚園などでしゃがんで相手をするとたくさん寄ってくる

【幸せは貯金できない】
 悲しみ・怒りはドンドン貯金されてしまう。
 うつやいらだちは伝染する。

○人間は一度に一つのことしかできない
脳で考え、筋肉を動かすと気分も変わってくる
  ↑
気乗りしなくても積極的に声を出したり、体を動かしたりすると乗ってくる

○「腹がへったら、なんでうまい!}は言ってならない。
  ↑
料理を作る相手への思いやり


<唄>
○リクエストでは「受験生ブルース」をはじめ、いきさつ付きで笑いの中で何曲も唄ってくれました。
なかでも、立教大学出身の長島監督が在学中、本当に勉強しなかったそうで、追試(簡単な問題1問だけ)の英語で

次の英文を過去形にしなさい。
I live in Tokyo.
というのを
I live in Edo.
としたのが有名だそうです。

○マラソンランナーの有森さんが「自分で自分をほめてやりたい」と言わした詩も唄ってくれました。

ことの大会に選ばれたことを
もう一人のあなたに
“よくここまできたね”と
ほめてやって下さい
他人にほめられるのを待つより
あっさり自分で自分をほめてやるのが
自然です
だって
練習のつらさも
負けたくしゃしさも
そえでも走り続けたわけも
一番わかっているのは
あなた自身なのだから
明日のレース 目標どうりなら
もう一人のあなたに
“おめでとう”って
笑いながら声に出してみようか
誰も身がわりはいない
あなた自身の
あなたのレース
あなた自身が選んだ
栄光の道
どうぞ、いい走りを
       高石ともや



21世紀にいきる教職員パワーアップ講座より
2005/1/15〜16

第一講座は唯物論と観念論の哲学の話です。

この講座でハッと思ったのは「憲法は国民を縛るためのものではなく、国民の側が国家権力を縛るもの」だということです。
憲法をかえると言うことは、国家権力の縛りを変えるということなので、よっぽど慎重にしないと危ないということです。

「この不景気じゃどうにもならんでしょ」
「職場はそれどころじゃない」
「自分のことで精一杯、他人のことなんかかまってられない」
「戦争はイヤ!でも自分の国は自分で守るしかない」
「人間なんてしょせんバラバラ」
「どうしてみんな立ち上がらないのか、落ちるところまで落ちたらいい」……
 と思ってしまうと負け
 こうもっていければ支配したい人はコントロールしやすい

唯物論に立って物事を科学的に見ないと、現象と本質を見誤り観念的な考え方に引っ張られてしまうということです。

以下は、講座の内容です。
*****************

関西勤労者教育協会 槙野理啓 氏
人間らしく生きるために社会と人間と根本を学ぶ!
労働学校を1年に3回開催。約半世紀の歴史。
府立住之江高校の教諭

教職員のための哲学講座

住之江高校の実態
 卒業率50%、学校つぶしの口実にされているよう。
 しばくぞ=おはよう
  ↓
 現象と本質は違う
 現象に振り回されずに本質をつかむことが大事

現実をありのままにとらえる

1.いま私たちの国はどうなっているか?

(1)深刻な不況、
 吹き荒れるリストラの嵐、
 あいつぐ倒産、
 あふれる失業、

 300万人以上が完全失業者

 完全失業者=仕事がなく最後の1週間ハローワークへ通うが職がなかった人。
 実質は倍の失業者が存在。

きびしい就職難、ニート
 Neet Notenproiment Education
 英国で始まる。英国では大問題として取り扱われているが、日本ではどうしようとないやつという扱い。
 日本では完全失業者をNeetにカウントしていない。
  ヤンキー型・引きこもり型・立ちすくみ型・つまずき型
 本人だけに責任転嫁して社会的責任を全く考えていない。

ホームレス……
 10年前までは米国の話だった

仕事があっても賃下げ、長時間労働、不定期雇用、
 フリーター
  労働の契約内容さえわからないような働かせかた
  カロウシ……国際語に
  
なにかというと、「構造改革」「着せ緩和」「国際競争力」「弱肉教食」「自己責任」
 竹中平蔵の著作では「弱いものはどうなっても本人の責任」


(2)たたかえば必ず前進する
サービス残業の是正
 不払い残業・泥棒残業…日本にしかない
 厚生労働省通達で取り返し始めている。
 教職員の労働時間

地域最低賃金の引き上げ
 大阪704円に。1円の引き上げ。
 不十分な最低賃金制でさえ、財界は邪魔者扱い。

解雇自由化の撤回

過労死の認定基準の改善

新たな共同のひろがり

地方政治の新しい流れ
 長野県脱ダム宣言
 熊本
 高知

高まる労働組合への期待
 組織率は下がってきているが、なおのこと期待は高まってきている。
 地域労組が広がっている(一人でも加入できる)
 数字だけみれば減ってきているように見えるが、それは定年退職者も多いため。

プロ野球選手会ストライキ
 マスコミ、国民の支援、選手会の労働組合としての力
 労働条件についてはいえるが、合併問題については法的には即刻却下の内容だったが、プロ野球を守るためにファンと戦ったために大勝利。

人間ってすごいぞ!

反戦平和を求める若い力

九条の会の呼びかけ
 反戦平和の若い声がたくさん挙がってきている。

災害地に対する支援がすごい。
 直感的に分かる
 いざというときにはお互いに助け合う
 おかしいことはおかしいという労働者が立ち上がり裁判で勝利


(3)とわいえ、やっぱり
「この不景気じゃどうにもならんでしょ」
「職場はそれどころじゃない」
「自分のことで精一杯、他人のことなんかかまってられない」
「戦争はイヤ!でも自分の国は自分で守るしかない」
「人間なんてしょせんバラバラ」
「どうしてみんな立ち上がらないのか、落ちるところまで落ちたらいい」……

 と思ってしまうと負け

 こうもっていければ支配したい人はコントロールしやすい
  ↓
 哲学が必要



2.事実・現実から出発する

(1)ものの見方のわかれ道<物質と精神との関係>
哲学の根本問題
物質
 物質的なもの あるもの 調べればわかるもの
精神
 人間はものを考える
両方存在する

唯物論
 世界の根元は物質的なもの
 物質が先で精神が後
 精神は脳の働きとして精神を持っている
 意識
  外の世界を写す 外界の反映
  「赤いバラがある」…なくても浮かべることはできるが、それぞれ違うバラを浮かべている。
    ↓
  その人が過去にみたものを写しているので一致しない
  かといってあり得ないバラを想像することはない
  しかもその言葉で空想できてしまう

 ◎何かおかしなことがあったら、それを換えればいい

観念論→唯物論と対極
 我々を越えたものが大もと
 神が支配する
 運命が支配する
  結構幅を聞かせている
   今日のラッキーカラー
 意識の能動性
  人間の能力には限界がある 不可知論(観念論の変形)
  未知≠不可知

 ◎何か問題があっても、「魂の救い」、「心の自由」の範囲


(2)現象と本質はちがう
本質は直接には感覚できない
 本質=そのものをそのものとして成り立たせる
    むきだしの形で現れない
現象としてあれわれない本質はない
現実とは現象と本質の統一
現象から本質を明らかにし、本質から現象をとらえなおす、それが科学ということ
 現実
  現象と本質をあわせたのもの
  現象を現実という意味で使いがち
  本質だけが本当でもない。それでは観念論に
 科学
  現象から本質を学ばなければならない。
  本質から出発して現象をとらえ直す。


(3)事実・現実から出発する
私たちの外に世界があるということがはっきりする
  ↓
それはどうなっているのかという問題意識を持つことができる

現実と認識の一致を問う
実践による検証
実践が正しさを証明する

正しいかどうかはやってみるしかない

偏見や先入観、幻想にとらわれない
様々な側面からとらえる
物事を固定的に見ない
 物事は変わる
 固定的なものはこの世界にない



3.観念論の落とし穴
(1)素朴には誰でも唯物論
より深く理解したいが分からないとき観念論が生まれる
 人間の能力に限界
 人類の歴史からも
  原始人は唯物論的考えないと生きていけない
  理解できない自然現象→神様=観念論

教育・マスコミに観念論は満ちあふれている「はずだ」「べきだ」「こんなにがんばっているのに」
 意識しないままに観念論が振りまかれ影響を受ける
 自分なりに一生懸命がんばっている
  こんなにがんばってるのになぜうまくいかないのか?

「新自由主義」「畏敬の念」「心のノート」
 その通りやってなくても影響を受ける
 危ないのはまじめな先生
  教科書そのまま教えようとする
   教科内容をわざと差がつくような割振りにしてある。
 心のノート
  嘘つかない 教科書で教えなければならないことか?
   人間は賢いので嘘をつく。それで失敗して成長する。


(2)理論と実践
組合方針
 経験をまとめて一般化したもの
 理論が実践に基づいている
 経験は非常に大切

理論は相対的自立性を持つ
 アインシュタインは重力方程式で宇宙は普遍だと思っていたが、宇宙が膨張していることがハッブルが発見。
   ↓
 アインシュタインの理論が正しければ大きくなるはずと考えて検証したため。

理論は展望を開く
 ちゃんとした方針は展望を開く

経験主義(体罰は必要、競争が成長の原動力)
 殴られて目を覚ましたものはいるが、その逆は何倍もいる。
 競争すると成長するものがいることが強調される。

教条主義(賃金闘争こそ組合の原点、宗教は人民の阿片)=観念主義
 理論が一人歩きする


(3)健全な常識は唯物論と一致する
不健全な常識「勤勉に働くのはよいこと」「一人ひとりの心がけが決めて」「明るく元気にたくましく」
「勤勉に働くのはよいこと」
 職場の現実に合っていないと場合がある
  すぐに若者が仕事を辞める→やめなかったら過労死
 勤勉→資本主義になってから言われたこと

地球環境問題「一人ひとりの心がけが決めて」
 一人ひとりよりやることがあるはず
  文科省・財界

「明るく元気にたくましく」
 高度成長期の日本社会には合っていた

常識は現象的な通用する時間的・空間的な範囲がある
 例:大阪人の常識は全国の非常識の固まり



4.人間らしく生きる

(1)人間は社会的な存在
労働が人間をつくった

人間には「共同」がふさわしい
 原始時代以来、人間は共同して狩猟をしてきた。
 資本主義以前は共同した生活
 50年前でも共同作業で田植えはみんなで。その後ご苦労さんでお祭り。

資本主義の二面性
 労働の疎外、利潤第一主義、競争主義、効率主義
  資本主義の害悪

 自由、個性、平等、民主主義
  歴史的な積極面
  江戸時代は生まれたときから定められれてしまっているので自由がなかった。


(2)人間は発達する存在
「人間能力は生まれながらに決まっている」
 小学校低学年から選別

「人間は本来は怠け者、競争によって成長する」
 競争があるでも人間は成長するようにみえるが、出発点はそうでもレベルがあがってくると向上心になってくる。

あきらめの克服

人間への信頼、自己肯定感、未来への展望


(3)憲法を職場と暮らしに生かす
現時点では憲法改憲50%

憲法は国民が守るものではない
 consutitutionには法という意味は含まれていない。
 国の形という意味。
 聖徳太子の十七条の憲法、欽定憲法は国民にこうあれと示したもの。
 そのため、そう思っている。
 校則・法律の親玉と思われている。

現代の憲法は国民の側が国家権力を縛るもの。

自由獲得の努力の成果
正義と秩序を基調とする国際平和
  ↓
国連憲章のこと

侵すことのできない永久の権利

不断の努力

人間が社会を作り、社会が人間を作る
社会が変われば人間が変わる
朱に交われば赤くなる
友達をよくしないとよくならない

理論と実践の統一


まとめ
 哲学自体が難しい。
 哲学は日本ではかなり誤解されて伝わってきている。

自己責任論
 影響が大きい
 本来国家としてやるべきことを個人に転嫁している

悲観論の克服
 忙しい
  ↓
 思考停止
  ↓
 あきらめ

悲観は気分
楽観は意志

突破口が見えれば楽観できる
基礎は学習と話し合い
これが人間がもつ能力を高める

ベテラン卒業(退職)問題
「あんたらこれしいや」ではなく
「自分はこれをする」を徹底して実践


<平成16年度小・中学校事務職員研修会II>
「企業経営の新しいあり方を求めて−社会貢献・企業倫理−
   イオン株式会社西日本カンパニー 人事啓発室 室長 水町 繁 氏

はじめに
 今回の企業とは法人としての株式会社で個人経営のことではない



1.企業とは何か
○財・サービスを販売生産するもの
 継続的に営む組織体
    ↑
 前提条件
  社会が必要とするもの
   ↑
  利用者・お客様

○冷静に考えると資本主義体制では倒産する理由がある
 企業が社会から淘汰されている
   ↓
 年間1.8%が倒産
  昨年、1年間で18000社が倒産
  日本の登記上の会社は休眠しているものを含み100万社
 中小企業だけでなく大きな企業も倒産
  企業は自分の身が常に競争にさらされている
  でも一部の企業は国などの助けを受けようとしている
    ↑
  どうして??

○逆に企業はどんどん誕生している
 景気がいいときは倒産より誕生の方が多くなり、雇用も確保される。

○企業は人・物・金・情報を使って事業活動をする
 資本をだんだんと大きくして拡大していく。
    ↑
◎永続的に成長していく……継続的事業体 going concern

○経営資源
  人……人材 確保・育成
  物……卓越した質の高い商品・
  金……資金繰り 適正な財務体制
  情報…経営に必要なもの スピード感のある
   ↓
 うまく機能すると成長する


◎企業の寿命は30年
 創業者が創業→市場における位置確保→競争相手の出現→衰退
   ↑
 よくみると、その中にずーっと続いているところもある
 経営資源を有効活用

◎近江商人・伊勢商人
 安土桃山時代 蒲生氏郷
○近江日野に条々を定め楽市楽座を布く。
  座(規制が厳しい)がない状態で
 規制緩和→商業が活発に

 転封 松阪市(伊勢松が島)へ転封
○松坂に条規を定め、楽市楽座を布く。
 これについてたくさんの商人が動いていく

 奥州会津黒川へ転封。
 これについてたくさんの商人が動いていく
  病没

○商人、天秤棒をかかえた行商になっていく
   ↓
○全国で店を構えるように
   ↓
  近江商人のネットワークでその土地の産物を諸国産物回し
  生産者ともタイアップ
  かって・うってよろこばれ自らも利益
   ↑
○「三方善」の商売
 例えば、仕入先、販売先、末端のお客様、社員の方などに等しく、利益(物質、精神面での利益)や福をもたらす様に取り計らい、営業を行う事 姿勢。

○「のこぎり商売」
 岩瀬では、北前船のことを「バイ船」と呼ぶ。“倍倍”にもうかるから、船の往復もうかる。

○株仲間 共同出資者組織
 全国に大きな商家
   ↑
 現在の丸紅・伊藤忠など

◎伊勢商人
 伊勢松坂の商人
 越後屋 三井高利 52歳で江戸へ

○アイデア商法
サラシの1反売り
 銭湯で話を聞き6尺でいいことをしり、販売

○越後屋は「現金掛け値なし」「正札販売」を大宣伝
   ↑
 誰でも同じ値段で販売
 座売りは値段交渉をして販売していた

○日本一の商人に……三井グループの礎に

◎革新 inovation
 100年、200年の歴史を積み上げるのに必要
 住友 安田 三菱
   ↑
 成功体験を否定して、環境の変化に対応

○キャノン
 1933年カメラの研究所として創立
 いまやグローバル企業に
 大改革
  生産方法を変えた
 フォードのベルトコンベアー方式
   ↑
 セル方式 チームを作ってやる
 効率上ががり 収益高まる

○イオン
 2000年にジャスコからイオンに←30周年で
 ジャスコとしてして30年成長
 それまでの成功体験が身に付いてしまっている
   ↑
 環境変化をするのがおっくうに
 社名を変更して今までの会社はなかったことに
 「ジャスコ」名前はお客様に対しては残す
 社名を変えただけではない



2.企業を取り巻く環境の変化
○環境の変化を正確に捉え、反映する必要がある
○冷戦の終焉と市場経済の拡大
◎グローバリゼーション globalization
 地球規模で見る
 情報技術の革新
 世界経済が大規模な動きに
 社会のあり方、人々の考え方の変化
   ↑
 大津波の情報も国内の事件のように伝えられるようになってきた

○個人の価値観が多様化してきた
   ↓
◎マズローの欲求の5段解説
  生存の欲求
  安全の欲求
  帰属の欲求
  自尊の欲求
  自己実現の欲求
 個人の価値観がレベルアップ
  ファッション 人並み→他人とは違う物
 ニーズの幅の中央に以前はスーパーの品揃えをしていたが、それでは売れなくなってきている。

○社会の成熟化
   ↓
◎豊かな社会の出現
  教育水準が高くなる
  社会の諸機関に対する期待・要請が高くなる
  非常に情報がすぐに知られる
  権利の主張がすご行われる
  被害者意識が強くなる

○インターネット→情報の受け手から発信者に
   ↓
 社会が企業を見る目が多様化して非常に厳しいのものに

◎カジノ資本主義
 経済そのものあり方がゆがんできている。
  投棄筋が動き出すと会社が乗っ取られることさえある。

資料1
○1995年度経済力ランキングトップ100
 22位以下に企業が多数入っている
   ↓
○企業が社会に与える大きな影響がある



3.これからの企業経営に求められること

(1)企業と社会の関係
◎企業と社会
  企業の存在の正当性
  社会にはいろいろあり、要請は違う。場所・歴史的。
   足尾銅山 水俣病 イタイイタイ病
   先進国・途上国
    自然環境の保護 先進国のエゴでは?
   豊かな社会
    教育水準・情報化・権利に対する意識
    セクハラ 被害を受けた人の意識 社会の意識
◎マクドナルドの事例
  ホットコーヒーをこぼした老女 訴訟で3億円賠償
   アメリカは訴訟社会
    弁護士は90万人でアンビュランスチェイサーと呼ばれる。日本の45倍。
   ホットコーヒーが熱すぎるとういう要望が多く寄せられていたが対応していなかった。

   くちばしを切ったブロイラー育てている業者から鶏肉を納入
     ↓
   くちばしを切らず飼料に抗生物質を加えない業者に切り替え

◎ジョンソンアンドジョンソンの事例
  薬品のタイレノールに何者かが毒物
   即、自主回収、当局に製造工程の検査を依頼。
   異物混入防止の3重包装……客からの意見
     ↓
   業績が伸びた

◎ステイクホルダーズ stakeholders 利害関係者
  株主・従業員・消費者・債権者・取引先・政府・地域
  語源は開拓時代に杭の上で賭事をしていた台の足の部分から


(2)企業評価の物差し
◎事業活動と利益
  企業性悪説もあるがそれだけではない。
  利益は結果であって目的になってはいけない。

◎法令の遵守 コンプライアンス compliance
  最低限で法令が整理されていない状況が多い
   水俣病 排水を流すのは当時法令上問題なかった
    公害対策基本法1967年
    水質汚濁防止法1971年
   容器リサイクル法
    法律がなかった頃は散乱していた。
   家電リサイクル法
    施行直前に無料回収
 公共の福祉の範囲でないと利益が目的化してしまうことになる。

◎社会貢献活動 フィアンソロピー philan thropy
 日本ではあまりステークフォルダーからは評価されていない感じがある。
 最初はアメリカで50年ぐらい前から
 日本では戦前からあった
 安田善次郎→安田講堂、日比谷公会堂
 1980年頃から日本企業がアメリカへ行ったときに、求められたことが日本に波及。
 企業メセナ等、バブル後も確実に続いている。日本ではあまり評価されていない。
 アメリカはそれもマーケティングのうち。

◎企業倫理 ビジネス・エシックス busdiness ethics
  アメリカでの人事面接では学生から質問
   企業倫理の取り決めの有無、内容
  校正で適切な経営
   松下電気 29万人に企業倫理基準徹底

◎トリプルボトムライン triple bottom line
  サステナビリティー社
   経済・環境・社会的側面から評価
  1997年GRI指標
  社会からの要請が変わってきたことの事例

  CSRレポート
   Sony

◎ 企業の透明性 transparency
  決算 粉飾がないか
  役員の選任 手順 報酬
  取締役 監査役 → 役員 設置外
   商法改正 1997年Sony導入。


(3)CSRへの取り組み
◎企業の社会的責任 CSR  Corportate Social Responsibility
 ISO化の動き
  EUが先頭を走っている。結果として環境問題もクリアできる。
  企業の社会的責任
    1960年代アメリカで
    責任なき権力は腐敗する
     慈善原理
     受託者原理
      長期的に安定した利益

◎社会的責任投資 SRI  Socially Responsible Investment
 社会的責任を果たしている会社は利益も上げているはずだ
   ↓
 SRIはもともと1920年代の米国で、キリスト教会がタバコやアルコール、ギャンブルなどに関連した企業を資産の運用先から外したことが始まりだと言われています。
 60〜80年代はベトナム戦争の反戦運動や人種差別を撤廃しようという公民権運動と結びつき、「社会的に問題がある企業には投資したくない」というかたちでSRIが広まりました。
 90年代に入るとSRIの投資成果に注目が集まり、SRI市場が急拡大します。SRI型投資信託の設定が相次ぎ、多くの年金基金や機関投資家がSRIを導入。



5.企業経営の原点
 経営理念と経営者が必要



おわりに
 ウオールマートを6年前に視察
  田舎のテンポと都会の店舗に違い
   監視カメラの数量が都会では多い
  犯罪が起こる前提になってきている。

 毎月店周辺の清掃をしている
  ゴミの大半が吸い殻
   家の中でもやらなくても外ではやる

 企業や社会がなにをしてくれるのを考えるよりも個人が社会になにができるかを考える
   ↓
 内部告発重要