韓国舞踊鄭明子の世界
鄭明子について
すでに世の中から独特の自分の世界を認められ、一目置かれる存在となった鄭明子は、6歳にして父親の
手につれられ舞踊の世界に入門、韓国国立国楽高校を卒業、その後、日本東京工芸大学卒業。20数年前
に渡日、丁明淑、李東安、李梅芳、金淑子、朴ビョン千など韓国を代表する人間文化財・名人のもとで伝統
舞踊を習得してきた。1986年、デビユー公演を
ソウル・パタンゴル小劇場にて行い、毎年一度のペースでこれまで17回に及ぷ定期個人発表会を開き、94
年全州大私習の舞踊部門で受賞し頭角を現した。続く2000年文体部長官賞受賞、94年国務総理賞受賞、
95年国務総理賞受賞などをはじめ各種芸術祭、舞踊祭、シンポジウム、民俗祭、映画祭、伝統文化公演、
世界芸術人との交流公演など多数の行事に出演、その芸術性を広く認められた,その結果、解放(光復)50
周年、祖国の名を輝かせた海外同抱賞を受賞した。99年度には北朝鮮子供のためのチヤリティー公演を企
画、主宰し、北朝鮮の子供達を救うための支援金を送り、朝鮮人民共和国経済委員会から感謝状が授与さ
れた。
演劇、映画、TVなど多方面で該博な知識と旺盛な活動力をみせている。現在、日本読売新聞文化センター・
毎日新聞文化センターの韓国舞踊専任講師、韓国MBCアカデミーでも韓国舞踊専任講師を担当している。
韓国の伝統、文化、芸術の継承及び発展のために日韓両国にて鄭明子韓国芸術研究院の代表として後進
を養成しながら、総括的な韓国舞踊の継承と発展を志し韓国文化の新しい章を開いている。
鄭明子、その踊りの世界
鄭明子は、幼い頃から現在に至るまで舞踊の世界に生涯を捧げてきた舞踊家である。そのため、踊りから
発生するすべての喜怒哀楽は彼女白身の力であり、そこから痛みに発展し、昇華されてきた。鄭明子の踊り
を見た人は誰でも、彼女が心の奥の苦悩と煩悩のなか、優雅に舞うその姿と目線から無我の境地を感じる。
音楽に合わせ「オルシグ」というかけ声を誘う踊りとテンポのいい粋な動きは奉奢な体から溢れ出す彼女だけ
の特微である。伝統を固守しなけれぱばらないと主張しながらも、伝統だけを固執しない、すべてのジヤンル
の芸術と融合し、ときには不融合までを一つの新しい芸術として誕生させる彼女の努力は、他の芸術に対す
る絶えない理解と包容力から生まれ、芸術の領域をつんでいく内容で舞台の上で新たに生まれ変わり、新し
い芸術に対する試練と期待の情熱は高く評価されている‘踊りが単純に躍りで終わらないことを願う彼女の
表現の世界には音楽、美術、演劇、文学が含まれていると評論家は言う。渾身の力を傾け踊り続ける彼女
の姿から切なさと悲しさ、溢れ出す強烈な力が描き出す喜びを感じることができる。いまは伝統と創作の間
を自由に行き来し、自分の踊りの世界を構築してきた鄭明子。彼女はいつも変わらぬ韓国民族の脈を守りな
がら、常に変化する新しい舞踊の世界を表現するため、たくさんの試行錯誤と挑戦に自分白身の哲学をもっ
て活動を続ける舞踊家である。
88年「鳳葬吹(ボンジャンチ)」.97年「帰天地(キチョンジ)j.98年「部族(ブゾク)」.99年「炎(フエップル)」
、2000年「窓(チヤン)」.2001年「夜明けの響き(トントウヌン・ウリムドユル)」などを発表。1986年から
2000年までに個人発表会17回公演.