長老主義・キリストのからだなる教会
―信仰・希望・愛の一致―
人は一人で生きていけないもので、お互いに支え合って生きていくものです。このことは、キリスト者についても言えることです。もちろん、キリスト者一人一人はキリストとの深い交わりと、聖霊による確かな導きのもとに生かされていますが、それと同時にキリスト者はお互いに支えあって生かされているのです。これがキリストのからだなる教会の姿です。
ところで、教会は召しだされた者(神によって選らばれ、神の救いのうちにある者)、のキリストのうちに導かれている者の集まりです。そして、その教会には二つの面があります。一つは見える地域教会として、もう一つは地域や時代をこえた目に見えない教会としての面です。つまり、私達は見える地域教会に属しているとともに、目に見えない世界的な教会の一員なのです。
片倉キリスト教会での「秋の教会の学び会」では『教会』について学び続けてきました。教会とは、ということから聖書より長老主義の教会についての学びを重ねてきました。今回は、これまでの学びを土台として、私達キリスト者が教会のうちにどのように歩めばよいのかということを『キリストのからだなる教会』と題して、副題に―信仰・希望・愛の一致―として、学んでいきたいと思います。
さて、「教会はイエス・キリストのからだである」と聖書は教えています。
「神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」エペソ人への手紙1:22,23
そして、キリスト者ひとりひとりがキリストのからだである」と聖書は教えています。「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」第Tコリント12:27
今回の学びを通して教会に毎週通う私達キリスト者一人一人が、キリストのからだなる教会に属し、それぞれがキリストのからだなる教会の各器官として必要な存在であるということを覚え、教会にあることの真の喜びと希望のうちに歩むことができればと思います。
一・キリストのからだなる教会
@キリストのからだとされているキリスト者。
まずキリスト者はどのような神の救いの計画によって導かれ、キリストのからだとされているのかをみていきましょう。そのことをエペソ人への手紙1:1-14節(新約聖書341頁・新版373頁)からみていきます。
まず第一に、父なる神の選びによって導き出されていることです。
「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」エペソ1:4,5
第二は、イエス・キリストによるところの罪のゆるしによって導かれていることです。
「私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪のゆるしを受けているのです。」エペソ1:7
第三は、聖霊なる方によって導かれていることです。
「キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。」エペソ1:13,14
以上のような神の救いの御計画によってキリスト者である私達は導かれ、支えられています。このように神に導かれていることこそ、神に召されているということです。
教会は、ギリシャ語で「エクレシア」と言いますが、この意味は神に召しだされた者の集まりということです。キリスト者は、神に召し出されて一つのキリストのからだである教会のうちに歩む者とされているのです。「天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められるのです。」 エペソ1:11
Aキリストのからだの各器官であるキリスト者。
一つのキリストのからだとされているキリスト者は、それぞれに働きの違うキリストの各器官です。聖書はそれぞれに異なった賜物(神様が備えて下さった能力)が与えられていることを教えています。「私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。」エペソ4:7-11。(ローマ12:6〜参照)。のことを詩篇のみことばを引用して、ちょうど、戦いにでて凱旋した時のように、キリストはよみがえり、高いところに上られ人々に賜物をわけあたえられた(68:8)と説明しています。そして、「こうして、キリストご自身がある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また、教師として、お立になったのです。」エペソ人への手紙4:11節。
では、それらの賜物が何のために与えられているのでしょうか。それは、教会が霊的に成長するためであるということです。キリスト者一人一人を整えさせ、霊的に成長させ人の悪巧みや策略に影響されることなくかしらなるキリストに達するようになるようにということです。エペソ4:12-15
ところで、聖書の他の個所において、教会を人間の体に例えて説明していますが、体がそれぞれの器官、部分が組み合わされて成り立っているように、キリスト者もそれぞれ異なる賜物を持って、一つの教会をたてあげているということが言えます。
「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」Tコリント12:12-27節
このように、自分に与えられている賜物を、他のキリスト者のために、教会のために生かしてもちいることが大切です。とかく、個人主義的傾向になりがちですが、それは真の教会の姿ではありません。なぜなら、キリストは私達のためにその命を捨ててくださったのです。(Tヨハネ3:16)。私達も、他のキリスト者とともに、賜物を生かし合い「キリストのからだなる教会」を建て上げていくことです。
二・キリストのからだなる教会を信仰・希望・愛の一致をもって共に建て上げる。
神に御計画のうちにキリストの救いのうちに召され、一つのキリストのからだなる教会にあるキリスト者は、神の恵みをいただきながら一人一人が大切な各器官として存在しています。そのキリスト者である私達がキリストのからだを共に建て上げるためにどのように歩むべきかを聖書はこのように教えています。エペソ人への手紙4:1-16節(新約聖書344頁 新版377頁)を中心としてみていきます。
@ 信仰の一致
「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのもののうえにあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」 エペソ人への手紙4:1-6節
(「召し」とは、神の御計画によってキリストの十字架の救いのうちにいれられ、聖霊によって導かれていること、また神のくださった賜物である働きのうちに歩むことです。)
信仰とは→ イエス・キリストを信じる信仰。そのうちを歩むこと。
ローマ人への手紙1:17 3:21-31 4:24-25 6:3-11 10:9,10,17
ガラテヤ2:16-20 3:23-29 へブル11章 12:1,2
エペソ3:16-19Tヨハネ1:3 5:4 ピリピ3:7-9 Tコリント2:5
Uテモテ1:13,14 2:11-13 Tペテロ1:5-9 ヤコブ2:26
A 希望の一致(キリストの知識の一致)
「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることのなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。」 エペソ人への手紙4:13-15節
希望とは→イエス・キリストによる救いの希望、そのうちに歩むこと。
エペソ1:12,17,18 テトス1:2 3:7 ユダ21
Tテサロニケ4:13-18 へブル6:18-19
@ 愛の一致
「キリストによって、からだ全体は、一つ、一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって,しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して愛のうちに建てられるのです。」エペソ人への手紙4:16節
聖書における真の愛とは→イエス・キリストの十字架の愛。そのうちを歩むこと。
ヨハネの福音書3:16 ローマ人への手紙5:8 第Tヨハネの手紙3:16-24 4:7-21 5:1-3 第Tコリント人への手紙 13:1-8,13
ウェストミンスター信仰告白「第26章 聖徒の交わり」
みたまにより、また信仰によってかしらなるキリストに結合されているすべての聖徒は、イエス・キリストの恵み・苦しみ・死・復活・また栄光において彼との交わりにあずかる。
また、彼らは、愛において互いに結合されて、相互の賜物と恵みをわかち合い、また内なる人においても外なる人においても共に相互の益に貢献するような彼らの公私の義務の実行を義務付けられる。