アレキサンダー(2005・米)

 この映画のアレキサンダーの姿に、現在のアメリカ大統領の姿がダブって見える事は、パンフレットにも書かれていた。侵攻していく国々の人々に自由を与えるために、アレキサンダーは戦う。たとえ、その国々の事情は尊重するとしても、その姿はどこか傲慢で、どこかうぬぼれている。ハリウッドが外国を舞台にした映画を製作するときによく批判されるものに言語の問題がある。どこの国でも、いつの時代でも英語を話しているというものだ。このこと自体が悪いとは決して私は思わないが、この映画に関してはむしろこの言語が逆にうまく機能しているように思える。アレキサンダーの傲慢さと、ハリウッドの傲慢さがダブって見えるからだ。また、アレキサンダーの論理は、何よりも強者の論理である。力があるものでなければ出来ない野望である。このこともまたアメリカとダブらせる。

 社会派と呼ばれるオリバー・ストーンが監督した作品である。どうしても、社会派作品として斬りたくなってくる。しかし、そう考えると違和感が生じてくるのだ。その最大の理由は、現在のアメリカ大統領とダブってみえるアレキサンダーは決して否定的には描かれていないからだ。

 わかりやすい構成となっている。途中、アレキサンダーは何度も自らの野心を口頭で説明してくれるのに加えて、アンソニー・ホプキンス演じる老いたプトレマイオスがさらなる解説をしてくれる。アレキサンダーは自らが世界を征服することで、世界の国々を解放し、自由を与えるという大きな野望を持っていた。だが、その野望に周りの人々がついていけなくなってくる。結局、アレキサンダーの野望は途中で挫折して、死を迎えることになる。プトレマイオスによると、アレキサンダーは「失敗者」だが「多くの成功者よりも栄光を得た失敗者」である。

 オリバー・ストーンは「私は、彼こそが世界で最も偉大な理想主義者であると共に、世界で最も大きな失敗者だったと解釈している」と語っている(パンフレットより)。プトレマイオスに語らせた言葉は、まるでストーン自身の見解であるかのようだ。ストーンは脚本にも参加している。これまでのストーンの作品にも、ストーン自身の見解かと思われるセリフを登場人物に多く吐かせていたことが思い出される(「JFK」がその最大のものだろう)。

 そんなこの映画におけるアレキサンダーの人物像は暖かく見守られている。ペルシャの富を手に入れて、祖国に帰り、安寧とした日々を送りたいという部下たちに対して、アレキサンダーは理想を語り、インドへの侵攻の必要性を訴える。その姿は権力を持った理想家の姿だ。権力を持たないものからすると、はた迷惑な存在でもあるアレキサンダーだが、映画ではその部分はあまり描かれない。それよりも、理想に突き進むアレキサンダーの姿をひたすら描き続ける。途中、アジアの部族の娘との結婚をアレキサンダーは決意する。彼に反対する側近たち。このシーンでは、側近たちが偏狭で、時代遅れな考え方を持っており、アレキサンダーは寛大で、進んだ考え方を持っているかのように私には映った。

 この映画におけるアレキサンダーは、その考え方の良し悪しを問われてはいない。それよりも、理想を追い続ける野心的な姿についてひたすら描かれている。思えば、理想を追い続ける主人公というのは、ストーンの映画に多く登場する。「JFK」「ニクソン」といった政治的な内容がとやかく言われ過ぎる作品においてもそうである。オリバー・ストーンは小さい頃から、アレキサンダーに魅了されていたらしい。そう考えると、この映画はオリバー・ストーンが政治的な志向を超えて、自らが魅了されるタイプの人物、理想を追い続ける野心的な人物をひたすら描いた、彼の原点回帰の映画といえるのかもしれない。それが、アレキサンダーという強大な権力を持つ人物だったから、「たまたま」現在のアメリカ大統領と共通する部分が描かれただけなのかもしれない。

 おそらくあまり見た人は多くない「ニクソン」は、見た目以上に理想を追い続けた一人の人間を描いた作品である。オリバー・ストーンは、この作品を監督した後、監督作としては直接的に社会派ぶった映画を手がけていない。この作品を、あまり社会派として捉えると見誤る可能性がある。

 映画監督の中には、理想を追い続ける野心家である人物が少なくない。「タイタニック」のジェームズ・キャメロンは珍しい成功者だろう。アレキサンダーに魅せられたオリバー・ストーンも、理想を追い続けた野心家であろう。200億円もの制作費をかけてまで、そのリスクを背負ってまで、自らを魅了した人物を監督することが出来るわけだから。では、オリバー・ストーンは成功者と成り得たのだろうか?

 ラジー賞という、その年の最悪の映画に贈られる賞がある。「アレキサンダー」はラジー賞に作品賞をはじめ、多くの賞でノミネートされている。オリバー・ストーン自身も監督賞でノミネートされている。ラジー賞にノミネートされたからといって、そのことだけを理由にして批判する気はさらさらない。だが、私もこの作品を「タイタニック」のような成功作とは思えなかった。理由はいくつもある。解説が過ぎる。アレキサンダーの様々な面を描いていることはわかるが、母とアレキサンダーとの関係がドラマとして機能していない。理想家であるアレキサンダーの面を強調しすぎるあまり、脇役があまりにも脇役となりすぎており、ドラマが生まれない。アレキサンダーの父の暗殺シーンが、時間軸をずらす必要性が感じらない。アレキサンダーの死の真相がとってつけたようで拍子抜けするなどである。

 とはいえ、ストーンがもしも失敗したとしても後悔はないだろう。200億円もの巨費をかけて、自らの原点とも言える人物の理想家としての姿は余すことなく映画とすることは出来たのだから。そう、何よりもあれほど自分を魅了したアレキサンダーと同じように、理想家として挑み、失敗したのだから。
(2005,2,6)