リチャード・ニクソン暗殺を企てた男(2004・米)

 この映画の主人公は「狂っている」と一般に言われるであろう状態になる。だが、はっきりとそうは見えないところに、この映画の真骨頂がある。それは、ショーン・ペンの真骨頂と言ってもいい。映画が始まったばかりのとき、主人公のサムは少し変わった人物として登場する。被害妄想が強い気がするし、別居中との妻や黒人の友人とのやり取りのギクシャクした感じがコミュニケーションがうまくないことを示している。一言で言えば、生きるのが大変そうな人物に見える。

 生きるのが辛いということは、だいたいが周りの環境と自分が合わない場合が多い。サムについて、典型的なシーンがある。サムが中小企業庁に新しいタイヤ事業の融資を申請するシーンだ。ここで、サムは審査官に語る。「タイヤの利益は30%なんです。だから、私はお客さんに正直にこう言いたい。『このタイヤの利益率は30%なんです。だから、2人で山分けしましょう。15%ずつ』と。でも、店は10%以上の値引きは認めないんです」と。サムの考え方は分かりやすいし、確かにそうすればいいように聞こえるが、どこか違和感がある。それは、私たちが現在生きている時代や、この映画の舞台である1970年代のアメリカがそうであるように弱肉強食の資本主義社会においては、あまりにもきれいすぎる論理だからだろう。もちろん、私はサムの論理が正しいか否かなんてことを語りたいのではない(そんなものに答えはない)。そうではなく、映画の中のサムの論理は、当時の社会を生きていくには大変なものだということを言いたいのだ。

 サムは最終的に、飛行機を乗っ取り、ホワイトハウスに突っ込んで時の大統領リチャード・ニクソンを暗殺しようとして、失敗に終わる。映画の冒頭でのサムは、そんな大それたことができるようには見えないが、サムの身に起こる出来事が徐々にサムを追いつめていく。別居中の妻や家族との決定的な離別、望みを託していたタイヤ事業の挫折といった出来事の末、サムはホワイトハウスに突っ込むことを決意する。ここでの徐々に追いつめられていくサムを演じるショーン・ペンの素晴らしさがこの映画を支えている。身の回りの不幸の責任が大統領であるとして、自爆テロを行うまでになると精神状態は、文字だけで書くとかなりイッてしまっている。だが、ペンの演技は生きるのが大変そうな人物から、自爆テロを行う人物へと、確実につながっている1人の人物として描いてみせる。この映画の批評に、「サムは私たちの中にもいる」というものが多いのは、ペンの演技がそう見せているからだと私は思う。

 ホワイトハウスに突っ込むといっても、ニクソンがその時間にどこにいるかについて知っていたのだろうか?映画ではそこまで描かれない。そういった基本的な問題については考えずに、飛行機乗っ取りのリハーサルを繰り返すサムはまるで遊んでいるかのようだ。だから、拳銃を取り出し、飛行機の中に駆け込んでいったとき、そうすることはサム自身が語っていたにも関わらず、驚きを感じた。それくらい、ショーン・ペンの演技は、ギリギリまで追いつめられて、飛行機乗っ取りを実行する段になってもなお、生きるのが大変そうな人物、すなわち「狂っている」という言葉からイメージされる「自分たちとは違う」人間ではない、1人の人間としてサムを描いている。

 ペンの素晴らしい演技は、この映画を「狂気の人間を描いたホラー映画」ではなく、「一人の人間を描いたドラマ」にしている。ペンがいてくれて、よかった。
(2005,7,9)