ザ・ボディガード(2002・米)
もはや、シルベスター・スタローンに何かを期待する人はほとんどいないだろう。かつては、今か今かと青少年たちが新作の公開に胸を焦がした、おじさんたちが「おっ、スタローンの新作か、見なきゃ」と思わせたスタローンの映画であるが、最近ではアメリカでの公開から日本での公開までに間があいても誰も気にしない存在となってしまった。最後の大作は「ドリヴン」である。これは、スタローンは一歩引いた作品であった。
スタローンは「クリフハンガー」で失敗に終わったコメディ路線から「クリフハンガー」で「復活」してからずっと、衰えゆく肉体と変わらない「マッチョ」のイメージと戦っていたかのように思える。「スペシャリスト」や「ジャッジ・ドレッド」でかつてのアクション俳優として自分を売りながら、模索を続けていたかのように思える。「暗殺者」では、一歩引いてアントニオ・バンデラスの動に対して静で対抗しようとしていた。そんなスタローンが自らの肉体を崩してまで熱演した「コップランド」が、ほとんど無視されたことが今でもファンとしては悲しい。それほど、一度ついてしまったイメージは変わらないということだろう。それでもスタローンはがんばっていた。「アンツ」で声優をしてみたり、「追撃者」で渋い役柄にイメージチェンジをしてみようと試みたり。脚本を手がけた「ドリヴン」は、スタローンのがんばりと現実のきしみが聞こえてくるかのよう作品であった。
「ザ・ボディガード」は2002年にアメリカで公開されている。メジャーではなく、インデペンデントの会社によると思われるこの作品は、日本公開は2年も遅れてしまった。この映画が、日本で公開されるのが遅れた理由は、最初の10分ですぐにわかる。この映画は、コメディなのだ。コメディのスタローンが受け入れられる可能性は低い。配給会社はポスターや宣伝で、一生懸命アクション映画であるかのように工作をしていた。格闘家の魔娑斗のコメントを新聞広告に入れたのも工作の一環だろう。スタローンの映画を売るにはこれしかなかったのはよくわかる。しかも、この映画はラブ・コメディでもある。実年齢で公開当時56歳のスタローンと、44歳のマデリーン・ストウのラブ・コメディである。このまま宣伝したのでは、客は入らないのもわかる。しかし、これによって、スタローンはまたいつものイメージから脱却することは出来ないことだろう。
この映画は、人生の前半を終えた男女のラブ・ストーリーとしてなかなか悪くないと私は思う。かつて、何もしなくても美しさで画面を満たしていたため、実際何もしていなかったマデリーン・ストウは、この映画で神経質な女性を過剰ともいえる演技で見せる。今でも美しいことには変わりないが、目じりの皺は増え、化粧は濃くなっているストウ。彼女が見せる過剰な演技は、いつまでもお嬢さん気分でいるのが手に取るようにわかるだけ、悲しさも同時に感じさせる。そんな、ストウを小さい頃から見つめ続け、おそらく恋をしていたに違いないが胸の内に秘めていたスタローンの役柄はまた複雑である。スタローンはよくしゃべる気のいいボディガード役を笑顔と愛嬌で見せる。2人の演技は悪くない。役者としての年輪を上手く活かしたキャスティングが良かったともいえる。
問題があるとすれば、あまり笑えないという点であろう。軽やかな音楽はコメディであることを強調する一助となっているが(音楽は「ロッキー」のビル・コンティ)、映画全体にコメディの雰囲気が足りない。冒頭の、買い物をしているストウのすぐ後ろにスタローンが立っている写真をバックにした、スタローンのナレーション(「いつも彼女(ストウ)を見ていた」)でコメディであることをはっきりとわかればよいのだが、観客には今一つ伝わっていないようで、ストウの演技過剰を見せられるまで、観客はどっちつかずの微妙な反応であった。これは、スタローンの責任でもある。スタローンは気のいい奴を演じることがコメディを演じることであると勘違いしているのかもしれない。スタローンのどっちつかずの演技が、この映画を笑えなくしている。
いい奴を演じているスタローンの演技は鈍重なのだが、無理している感じがない分だけいい。「オスカー」や「刑事ジョー」での明らかに無理をして困った顔をしているスタローンを覚えている人なら、無理しているスタローンがおもしろくもなく、好ましくもないことがわかるだろう。思えば、「ロッキー」を演じていたスタローンもいい奴を鈍重に演じていて、好感が持てた。「ランボー2」からマッチョなイメージになったが、「ロッキー」のスタローンを見ると、「トロくさいけどいい奴」というイメージが強い。この映画のスタローンは原点に回帰したかのようなのびのびとした姿を見せている。
ボディガードという仕事のために、対象に恋を出来ないというケビン・コスナーの「ボディガード」的な要素もあるにはあるのだが、それよりもこの映画のスタローンは怖くてストウに告白できない。結局、スタローンが愛していることを示すのも、そしてストウが愛されていることに気づくのも、ラストである。命懸けでスタローンがストウを助けに行く時まで待たなければならない。余計なことはペラペラしゃべるし、器用に料理を作る男(一瞬映る盛り付けの凝りようを見よ)が、大事な一言を発せられないというなんともイライラさせられるが憎めないキャラクターをスタローンは「ロッキー」的演技で見せる。
遺作となったアンソニー・クインを自分が守れなかったにも関わらず、スタローンはあまりクヨクヨしない(この映画のポスターなどは、クインを守れなかったことを悔いてストウを必死で守るような印象を与えるが)。クインのカラっとしたキャラクター(死を目前にしても、食事の話しをしている)は、自分の時代がとうに過ぎたことを悟っていたことがよくわかり、スタローンはクインがボスであったからこそ、クインの亡き後の自分がストウを守るという役柄(そして、ストウと結びつくという役柄)に専念することが出来たのだ。名優クインの遺作だからといって、過剰にクインの演技を称えるわけにはいかないが、クインがこの映画に重さを与えていることは確かだ。
シュワルツェネッガーのことを引き合いに出され、「政治に興味は?」と聞かれてスタローンは「俳優以外に興味は無い」と答えているという(パンフレットより)。なるほど、最後に自己のイメージの塊のような「ターミネーター3」を置き土産に政界に進出したシュワルツェネッガーとは違い、スタローンは自らが演じる役柄を、俳優としてのキャリアを考えているのが感じられる。それは、決して成功しているものばかりではないし(「暗殺者」)、そして成功しているように見えても世間に受け入れられなかったもの(「コップランド」)も多い。というか、そればかりである。しかし、私はこの努力を買うし、試行錯誤しているスタローンの映画は買う。だから、この映画も買う。「ロッキー6」の噂もあるスタローンの次の一歩がどんなものかが楽しみである。クリント・イーストウッドが「許されざる者」を送り出したのは、62歳のときである。まだ時間はある。
(2004,7,13)