キューティーハニー(2003・日)
冒頭の数十分。片桐はいり演じるゴールドクローとの戦いは戦隊もののノリだ。かなりハイテンションな戦隊もの。アニメの実写版が、アニメとは異なるアイデンティティをどのように打ち出していくかという点で、この映画は戦隊ものを選んだのかなと思った。最近DVDにもなった「ルパン三世
念力珍作戦」が、アニメから遠く離れて(そのキャラクターすらもぶち壊している。だって、次元大介が田中邦衛なのだから)、実写コメディとして処理したような飛躍はここにはない。アニメと同一ではないにしろ、スタイルをそのままにしてもアニメのキャラクターと遜色のない佐藤江梨子を主人公にしたり、村上透の容貌をアニメの世界から飛び出したかのように見せるという手法を見ると、かなりアニメに寄っている。ただ、この映画は実写である。アニメのテイストを残して、実写として映画にした結果、戦隊ものの雰囲気が宿ったという印象が残る。
戦隊ものの主人公は世界の平和を背負って戦っていた。その戦いは背負うものも大げさなら、戦い方も大げさであった。わざわざ巨大化する必要がなさそうなのに、スペクタクルのために強大化して戦っていた。この映画にはそういった大げさな部分がない。ハニーが戦う理由は、誘拐された叔父を取り戻すためであり、せっかく出来た友人を守るためである。その世界は小さい。ハニーはその小ささをまったく疑うことすらしない。よく言えば純粋であり、悪く言えばバカである。佐藤江梨子が主人公に選ばれたのは、そのスタイルだけではなく、この純粋でありバカであるというキャラクターを演じることができるという判断からではないかと思われるくらい、ぴったりとはまっていた。
「Iシステム」によって永遠に生きることができるという特殊性も、この映画のハニーにとってはたいしたことではない。それよりも、事故によってなくした記憶を取り戻すのではなく、新しく蓄積していくことに躍起になっている。その邪魔をする者が、ハニーにとっての敵となる。映画の中で、美女連続誘拐事件が起きていることは、あまり重要なこととは描かれていない。1万人およぶ女性が誘拐され、女性たちはシスター・ジルの養分となっている。そのシーンもチラとしか出てこないが、彼女たちはしっかりとジルに吸収されている。つまり、殺されている。ハニーはそのことすらあまり意識せず、自分の記憶の蓄積のために、新たな人生を豊かにするために戦う。
この映画全体の印象は明るい。その明るさは、ハニーの世界の小ささによるものだと私は思う。ハニーがもしも、永遠に生きることの意味や、自分と周りの人々との差異や、シスター・ジルのために1万人の美女が誘拐され、殺されていることを知ったら、ハニーの感知する世界が広くなったら、この明るさはなかったことだろう。
ハニーは強い。シスター・ジルの手下たちも打ち倒してしまう。その一方で、脆すぎるほど脆い。ハニーの知っている世界は小さすぎる。ハニーの悩みは、友達に冷たくされて落ち込んでしまった高校生のようである。そんなハニーがシスター・ジルに対して、「この世界が好きだ」と宣言したとしても、その世界のあまりの小ささに、ハニーを憂うシスター・ジルの方に共感を覚えてしまった。しかし、それは子供に説教したがる大人たちのような余計なお世話なのだろう。世界の小ささゆえの純粋さがハニーにはある。それを失ってしまった人間が、あれこれ言う問題ではないのかもしれない。
世界の狭さがこの映画の特徴であり、魅力でもある。世界の平和を背負っていると自負するものにエゴが見え隠れするのと同じように、この映画のハニーにもエゴが見え隠れする。世界の狭さゆえのエゴが。この映画は、世界の狭さゆえのエゴを原動力に生きるハニーに魅力を与えようと躍起になっている。佐藤江梨子はそんな純粋でバカなキャラクターを見事にこなしている。小さい世界をいとおしく見つめる視線がこの映画にはある。ただし、このいとおしい視線は、大きな世界への視線が欠けている。大きな世界の重さを無視することで成り立っているという脆さを持った映画である。軽い軽い映画である。
(2004,6,12)