デイ・アフター・トゥモロー(2004年・米)

 現在のブッシュ大統領や、地球温暖化の現状を見ると、この映画は映画とはかけ離れて「テーマ」や「メッセージ」だけで語られる危険がある。その一方で、「そういったものは関係ない」と迫力のある映像に限定して語られる危険もある。そんな両極端に陥らないように心がけながら、この映画の感想を書いてみようと思う。

 「パニック映画」という言葉がある。映画にさほど詳しくない人でも言葉を聞けばどういったタイプの作品かを思い浮かべることができるくらい、一般化している言葉だ。スピルバーグの「ジョーズ」から、この映画と同じ監督、ローランド・エメリッヒによる監督作品である「インデペンデンス・デイ」まで共通する点が1つある。それは、主人公自身が活路を開いていくという点である。「ジョーズ」のロイ・シャイダー演じた男は、鮫の危険性を町長に進言するが受け入れられない。シャイダーは善玉で、町長は(鮫以上の)悪役である。「インデペンデンス・デイ」は悪役は宇宙人が一身に背負ってくれ、アメリカ大統領は善玉の代表として存在する。そして、シャイダーも大統領も、自らが鮫や宇宙人と戦い、未来への活路を開いていくのだ。「ディープ・インパクト」、「アルマゲドン」、「ツイスター」、「タワーリング・インフェルノ」・・・こういった作品の主人公の行動を見てもらえれば分かるだろう。もちろん、例外はある。たとえば、「ポセイドン・アドベンチャー」は、転覆してしまった後の客船からなんとかして生き残ろうともがく映画であり、先に挙げた作品よりとは少し趣が異なる。しかし、多くのパニック映画は「ジョーズ」のパターンを踏襲しているといえる。

 この映画の主人公といえるデニス・クエイド演じる気象学者は前から異常気象を予想しており、副大統領にも進言していた「善玉」である。しかし、彼はこの映画ならではの特徴が2つある。1つは、異常気象自体は予測していたが、その速度を見誤っていた点。もしも、もっと正確に予想していたら、少なくとも自分の息子を危険に晒すことはなかっただろう。その点で、クエイドは完全なヒーローではなく、不完全に人間としての役割を担っていることになる。2つ目は、主人公があまりにも非力であるという点である。異常気象が起こったときに、主人公が出来ることといえば、生きているか死んでいるかも分からない息子を迎えに行くことだけである。異常気象が引き起こしたアメリカ北部の極度の寒冷化に対して、主人公はなすすべが無い。なんとか寒冷化を遅らせることも、少しでも和らげることも出来ない。

 この映画の主人公の特徴は、この映画の特徴でもある。この映画では、異常気象をあまりにも大きな存在として、1人のヒーローではどうにもできないものとして捉えている。人類の叡智、勇気ではとうてい敵わない存在として。デニス・クエイドのニューヨークへの旅は、孤独である。あまりにも大きな自然を前にして出来ることは、「小さな一歩を踏み続けること」だけである。雪に覆われた大地と吹雪によって、静謐なまでの白さの中を行軍するクエイドの姿を見ていて、私は深作欣二監督の「復活の日」を想起した。「復活の日」で人類がほぼ絶滅してしまった中で自分にできること=「小さな一歩を踏み続けること」を繰り返す草刈正雄の姿と、この映画のクエイドの姿は、あまりにも大きな存在の前で無力な1人の人間の存在を浮き彫りにしているという点で共通しているように思えた。クエイドには仲間がいるという決定的に違う点があるとしても。

 あまりにも巨大な異常気象を前にして、人間に出来ること=「小さな一歩を踏み続けること」という規定は、クエイドだけに背負わされているわけではない。クエイドの息子と彼と共に市立図書館に残った人々は、火を燃やして暖を取り続けるという「小さな一歩を踏み続ける」ことで生き残ることが出来る。さらに、人類の叡智の象徴としての本を燃やすことを見せることで、人間の小ささをまた浮き彫りにする(ベタではあるのだが、「税法の本を燃やしちまおうぜ」というセリフで笑いを取って、ベタを和らげる手法はうまい)。

 この映画で最も感動的だったシーンは、暴風雪をもたらした雲が去った後、ニューヨークの数々のビルの屋上に生き残った人々が次々と姿を現すシーンである。豆粒ほどの大きさでしか映らない彼らのそれぞれに、クエイドの息子たちが行ったような「小さな一歩を踏み続ける」という行為が行われていたことを想像すると胸にこみ上げるものがあった。エメリッヒは、「この映画は人間対自然の闘いをテーマに、あらゆる困難を克服して、ついには人間の精神が勝利を収める物語なんです」と語っている(パンフより)。この言葉にある「勝利」は決して1人のヒーローによるものではなく、小さなひとりひとりの人間の「小さな一歩」による勝利であるという点で、これまでのパニック映画とは一線を画している。

 この映画は、人間の小ささとそんな小さな人間が巨大なものにぶつかったときに何が出来るかを描いている。異常気象を起きたとき、人間は「小さな一歩を踏み続ける」ことしかできないが、それが未来を開くことにもなると訴えているかのようなこの映画は、多くのパニック映画が描いてきた一人のヒーローが危機を切り開くという視点にはない人間の側面を称える作品となっている。そしてまた、雲が晴れたときに宇宙から見える白くなった北半球の美しさは、異常気象を起こしたとしても、地球は美しいという地球を称える作品ともなっている。

 ローランド・エメリッヒ監督は、今までで最も効果的にCGを使っているように思える。異常気象の恐ろしさを、竜巻や津波を見事にCGとミニチュアを使いこなすことで描き出すことに成功している。とはいえ、マイナス面も多々ある。映画の性質上、サスペンスを入れこまなければならないという要求からか、狼に襲われるという中途半端なサスペンスシーンを盛り込んだ点。父と子のドラマが設定以上に見る者に迫ってこない点。CGシーンの演出の冴えと比べると、サスペンス、ドラマの部分が今一つである。これは脚本のせいといえるが、エメリッヒも脚本に名前を連ねている。エメリッヒにドラマと適切なサスペンスを求めるのは無理なのだろうか?今まではない「人間の小ささ」を描いたパニック映画であるだけに、脚本のツメの甘さが惜しい。
(2004,7,19)