エターナル・サンシャイン(2004・米)

 監督を務めたミシェル・ゴンドリーは、最近読んだ本に書かれていたこととして、次のように語っている。「ノスタルジアとは幸福感と絶望感が混ざったものだというんだ。過ぎ去ったことは、もう二度と起こらないから哀しい。だからこそ、思い出すと幸せな気持ちになれるんだよ」と(パンフより)。

 チャーリー・カウフマンは、ハリウッドの他の作品と同じような脚本は書きたくないというひねくれた人物だ。そのカウフマンによる脚本は、トリッキーな構成、記憶の消去というSFの要素や記憶を旅するというファンタジーな冒険ものの要素を加え、自らの信念を貫いたものとなっている。そうでありつつ、恋愛話という映画化されることおびただしい量となる話でもある。

 そんなカウフマンの脚本にゴンドリーが肉付けを施した結果がこの作品なのだろうと思う。ノスタルジアについての文章を読むと、ゴンドリーが人間の心の中で起こる哀しいという気持ちや、幸福感について、まじめに考えてこの映画を撮ったのではないかと思われるからだ。ジム・キャリー演じるジョエルが記憶を失っていく過程は、そのめまぐるしい展開だけでも十二分に面白い。記憶の中なのだから、時間も距離も場所も関係ない。そのことを表現した映像と、そのつなぎ方は、ただそれだけでも十二分に面白い。この映画が、それだけの映画に終わっていないのは、この過程に記憶を失うことの哀しさを表現しているからだろう。

 ジョエルが記憶を失っていくのは、クレメンタインとの辛い思い出からだ。そして、段々と楽しかった思い出が消されていく。ここで、ジョエルは記憶を消したくないと思うようになる。それは、間違いなく記憶を消されていく過程で今、その時にジョエルが思っていることだ。記憶を失ってしまった人物の哀しさではなく、今消えていく記憶を何とか消えないようにしたいと思う気持ちの哀しさがここにはある。この映画は、「記憶を失ってしまった」哀しさではなく、「記憶を失う」哀しさを描いている。

  その一方で、ゴンドリーが語っているように、ノスタルジアがもう二度と起こらないゆえに哀しく、だからこそ思い出すと幸せな気持ちになれるものだとしたら、記憶を失う過程で、二度とは戻らないことが分かっている過去を思い出しているジョエルは非常に楽しい体験をしていることにもなる。なるほど、記憶を失いつつあるジョエルは、確かに楽しそうでもある。特に、楽しい記憶を消去されているときは。そして、その楽しい記憶を思い出すことすら出来ないことが分かっているため、さらにその哀しさは増しているようにも思える。

 ジョエルが記憶を消されたくないと思い戦うとき、それはたとえば愛する人物が殺されそうになっているのを必死に助けに行くときと似ているのではないだろうか?そして、その一途な思いが映像化されることで私が感動させられてきたのと同じような感動が、ここにはあった。カウフマンの脚本は、見た目を大きく変えながらも、ハリウッドの伝統的な愛の物語と同じ感動を与えてくれたように思える。この技量は、並ではない。ただ、ハリウッドの伝統的な愛の物語と違うのは、決してその思いが成就されないという点だろう。夢から醒め、クレメンタインに愛を告げにいくことをこの映画は許さない。その代わり、ひたすら記憶を失う哀しさを描いてみせる。

 同時に、この映画は記憶の強さもまた描いてもいる。サブ・ストーリーとして語られる、記憶消去をつかさどる中年医師と若い女性の恋もそうだ。そして、何よりもジョエルとクレメンタインの行く末がそのことを示してもいる。運命の赤い糸を「前世」とむすびつけて考える話は聞いたことがあるだろう。前世も愛し合った2人が、現世で出会っても運命の赤い糸を感じるというような話だ。この映画は、運命の赤い糸を、記憶と絡めて描いてみせる。そして、この運命とも思える展開は、記憶を消去させたからではないかと言う気持ちにもなる。ジョエルのように、「記憶を失う」哀しさを強烈に体験したからこそ、記憶がなくなった後でもまた運命のように結びつくという展開になるのではないかと。これは、非常に逆説的だ。「大切なものはなくしたときに初めて気づく」という、常識的ともいえるほど昔からある言葉が思い出される。

 ゴンドリーの撮影方法は、カメラをリハーサルから回して、役者のリアルな演技を引き出そうとするものだという。ジム・キャリーの姿形や演技は、これまでに見た事がないほど地味だし、ケイト・ウィンスレットとの奇妙なカップルぶりにはステレオタイプではないリアルさを感じもする。カウフマンのトリッキーでひねくれた脚本には、その見た目とは異なり、伝統的な愛の物語の部分や、古臭くすら感じるほど普遍的とも言える部分が多々ある。ゴンドリーの真面目さを感じさせる発言や、独特の撮影方法を知ると、この映画はカウフマンのトリッキーな部分を活かしつつ、ゴンドリーがその裏に隠された部分を見事に引き出した作品といえるのではないだろうか。違うベクトルを持った2人の人物が結びつくことによって、新たなベクトルを持った映画、それがこの映画であるように私には思える。
(2005,5,15)