花とアリス(2004・日)
岩井俊二は作り物にこだわる。「15歳のリアル」がキャッチコピーだった「リリィ・シュシュのすべて」においても、それは例外ではない。岩井俊二流に掬い上げられた中学生は、リアルかどうかはともかくとして、岩井俊二が掬い上げなければ、他に映画として掬い上げる人がいないという点で貴重な存在であり、「リリィ・シュシュのすべて」はそれゆえに貴重な映画であった。いってみれば、岩井俊二のリアルがそこにあるかということが問題であり、映画監督の価値の一つが個性にあるとするならば、岩井俊二の個性は明確にあり、あるがゆえに岩井俊二は価値のある監督だと思う。
個性があるからこそ、岩井俊二に対しては批判的な声を聞くことも多い。私が今まで聞いてきた批判は、「画面がきれいなだけ」「話が作られすぎている」「女性像が男性から見た理想にすぎない」などである。これらの批判を聞くたびに私が思ったことは、「なぜ、それがいけないことなのだろう?」ということであった。ヒッチコックの映画が「テーマがない」と批判されるのと同じである。決して岩井俊二やヒッチコックの作るような映画ばかりになってしまうことは私も望んではない。よりリアルで、現実を感じさせる映画も見たい。しかし、その一方で、ヒッチコックや岩井俊二の映画のように、映画ならではの世界を見ることもまた映画を見る上での無上の喜びの一つだと思うのだ。
この映画も作り物であることが強く感じられる映画だ。鈴木杏と、蒼井優のような二人の少女が、たまたま同じ中学に通い、たまたま親友同士であるという点からいってまずありえない。このような組み合わせを映画で見るたびに、古典的なハリウッド映画が「美男美女のありえないカップルを描いている」という批判が頭に浮かぶ。確かにその通りなのだ。こんなことがあり得る確率は劇的に低いのだ。そして、だからこそ映画のすばらしさがあるともいえると思うのだ。そして、話は頭をシャッターにぶつけて気絶した先輩に、「あなたは記憶喪失です。あなたは、私のことを好きだと言ったことを忘れています」と刷り込ませ、そして先輩が信じてしまうという展開もあり得る確率は劇的に低い。しかしここでも、映画の中にも登場する落語の話が、あり得ないがゆえにおもしろく、時にはぞっとしたり、教訓を与えてくれたりするのと同様に、あり得ないことを映画にするすばらしさがあるように感じられるのだ。
作り物であることのすばらしさをどんな映画にも感じるわけではもちろんない。結局は、そこにすばらしいと思えるものがあるからに他ならない。この映画でいうと、鈴木杏と蒼井優という二人の女優が画面に映っているだけで、満足してしまった面が私にあったことは否定できない。しかし、二人が出演しているものをすべてみたり、掲載がある雑誌をすべて手に入れたりしているわけではない私がそのように感じたのには、やはり理由があるのだろう。そして、それは恐らく岩井俊二によるものだと思う。
冒頭、冬の地方都市のプラットホームが映った瞬間に、私はそこにぎゅっと胸をつかまれるようなものを感じた。それは、私が実際に立ったことがある冬の地方都市のプラットホームではないけれども、それでもそこに通じる何かが私の中にあったからだ。プラットホームを走る少女たちの吐く息の白さや、ぽつんぽつんと立つ電車を待つ人々の姿に、実際に自分が見てきたものとは違ってはいても、そこと強烈につながる何かがそこにはあった。
ラスト近く、蒼井優演じるアリスがオーディションを受けるとき、選考をする大沢たかお演じるカメラマンは「誰でもいいんだけどな」とつぶやく。カメラマンを嫌なヤツと描くためでもなく、アリスの小ささを露呈するためでもないこの一言は、私の心に残った。「誰でもいい」仕事は多々ある。しかし、しがらみの多い世の中で、「誰でもいい」なんてことは思われているほど多くあるわけでなない。「誰でもいい」ということは、裏を返せば「誰にでもチャンスがある」ということだ。そして、そういうチャンスをものにするからこそ、人はのし上がっていけるのだと思う。
冒頭のプラットホームで、ラスト近くのカメラマンの一言で、この映画は作り物の中に絶妙な重さを埋め込んでいるように思える。これはもう理論ではない。感覚である。「Love
Letter」の雪の描写にも同じものを感じた。岩井俊二が「リアル」だと思えるものが感覚的に映画の中に投影されているのだから、感覚的に合わない人には何も感じられず、単なる作り物以上のものは感じないのであろう。しかし、それは、「合う/合わない」の問題であって、決して岩井俊二の映画を批判する材料にはならない。
岩井俊二の作り物への感覚はいささかも衰えてはいない。それ以上にますます磨きがかかっているようにこの映画を見て感じた。作り物を作り物として、独自の感覚で監督することができる映画監督は、日本でどれほどいるだろうか?決して多くはないだろう。世間一般のリアルではなく、岩井俊二のリアルがきちんと刻み込まれているこの作り物の映画は、「画面がきれい」で「話は作られ」ていて「男性から見た理想的な女性像」であると思う。そして、絶妙の重さが埋め込まれた岩井俊二以外は作り得ない個性的な映画だ。
この映画を見ると、「知りすぎていた男」や「北北西に進路を取れ」のようなスタイルの確立されたころのヒッチコック映画を思わせる。岩井俊二には周りにヘンに影響されて映画に対するスタンスを変えることなく、映画を撮り続けて欲しい。スタイルが変わるときは、岩井俊二自身が変わったときであって欲しい。たとえ、そのためにこの映画のように上映規模が小さくとも、私は見に行く。
(2004,4,24)