ザ・インタープリター(2004・米)

 シドニー・ポラックは、テクニックの監督というよりも内容の監督であるように思える。「コンドル」も、「ザ・ファーム」も、ハラハラドキドキのサスペンス映画の形をとってはいるものの、それほどハラハラドキドキしなかったことを強く覚えている。両者とも世のかの暗部を描くという内容の面では、十分その目的を果たしているように思えるが、映画を見ていてくぎ付けになるほど心をとらわれることはなかった。この映画でも、ヒッチコックを思わせる爆弾のシーンがあるが、それほどうまくはいっていないように思える。理由は簡単で、テロリストが爆破するという目的がはっきりとしないからと、一連のシーンが爆破だけではなく、ニコール・キッドマン演じるシルヴィアとマトボの反政府組織のリーダーのやり取りにも注意がいくようになっているからだ。要するに、シーンがサスペンスに集中していないのだ。

 それはそれでいいのだと思う。それが、シドニー・ポラックの資質なのだろうから。上に書いた点だけを見ると、つまらない映画ばかり撮っているように思われるかもしれないが、決してそういうわけではない。内容の面では興味深い映画は多々ある。ヒッチコックの資質がポラックにないことを批判するのは、八百屋に行って、肉がないと怒っているようなものだ。この映画はそこそこ楽しめ、内容についていろいろと考える事ができるというポラックの映画の長所を備えている。

 内容についていろいろと考えてみると、一番最初に突き当たるのが、シルヴィアが白人であるという点だ。架空の国であるマトボという国だが、アフリカにあるということなどを考えると、他のアフリカ諸国と同じように、黒人が多くを占める国であることは想像ができる。そして、少数の白人が移住してきて、植民地状態であったであろうことも想像ができる。当然、ニコール・キッドマンは裕福な白人の側だ。だからこそ、地獄のようなマトボを脱出して、国連で通訳をしているという現在があるのだろう。彼女がかつて、テロリストとして母国のために戦っていたとしても、それは黒人たちの戦いとはまた違ったものであったことだろう。そう考えると、彼女のアイデンティティが非常に危ういものであることが感じられる。シルヴィアはマトボで育ちながら、先祖代々がマトボで生き、そして外国へ行く事もなく死んでいくマトボの人々からすると、門外漢ですらある。

 結局、何が言いたいかというと、シルヴィアをアメリカとして描いたのではないかということだ。地球という大きな枠で捉えれば一蓮托生なのだが、ミクロな視点でみれば門外漢である他国に対して取るべき態度を、シルヴィアの行動を通して表現したのではないかと感じられる。

 という見方をすることができるのが、シドニー・ポラック映画を楽しむ方法なのではないかと、私は思う。
(2005,7,3)