交渉人 真下正義(2005・日)
テレビドラマ、映画で大きな成功を収めた「踊る大捜査線」のサブキャラクターをフィーチャーした作品である。「踊る大捜査線」は日本の組織論を基軸とし、私たちの身近な要素を取り込んだ刑事ものとしてドラマ・映画化した画期的な作品だった。この作品は、元々の「踊る大捜査線」では縛られてしまい、出来なかったことをやっている。大味だが楽しい娯楽作となっている。
脚本が良い。地下鉄の車両を外から自由に動かす犯人と、犯人と交渉をするユースケ・サンタマリア扮する交渉人・真下。犯人の顔を見せず、声もはっきりとは聞かせないことで、交渉人側の人々に対して思い切り感情移入ができる構造となっている。堅物の地下鉄の司令官、真下の足のように動き回る叩き上げの刑事といったベタな配役がわかりやすい。また彼らに、二面性を持たせることでコメディの要素も持ち込まれている。「ジャガーノート」「オデッサ・ファイル」といった映画への言及は少しやりすぎのように思えるが、お遊びとしては有効だろう。ラストに近づくにつれて、物語がコンサートホールに収斂していくうまさ。交渉人として事件の第三者の立場にいた真下が、恋人のいるコンサートホールが爆破の対象となっていることで、事件の当事者となる転換。地下鉄の司令官の「お母様」が、帰らずにコンサートを聞いていたら、当事者が増えて物語として面白くなるようにも思えるが、それはもしかしたらやりすぎに見えたかもしれない。ボレロのラストで叩かれるシンバルの音が起爆となるというアイデアは、あからさまにヒッチコックの「知りすぎていた男」なのだが、緊迫感に欠ける。その代わりに、シンバルを止めようとする寺島進演じる叩き上げの刑事のコミカルさがここにはある。コンサートの客席の拍手(それはオーケストラに向けられたものなのだが)を叩き上げの刑事が真下に携帯で聞かせ、爆破を防いだ事を知らせるとともに、がんばった真下へ拍手を送っているようにも捉えられるシーンのうまさには惚れ惚れした。
地下鉄を舞台としたサスペンス・アクション映画として、この映画は様々な地下鉄でロケを行っている。舞台は東京だが、東京の地下鉄で撮られたものはない。札幌・大阪・神戸といった地下鉄で撮られた地下鉄ホームや入り口でのロケが、大味で楽しい娯楽作足り得ている。アイデアで乗り切る作品ではなく、王道としての娯楽作とはこういうものであることを訴えかけてくるようだ。私が感動したのは、東京の街並の垂直に見下ろす夜の空撮だ。「コラテラル」や、後に見た「ザ・インタープリター」などのハリウッド映画では夜の都会の垂直に見下ろす空撮は当たり前のように行われている。都会が都会であることが感じられる時間帯は夜である。また、横からでは高いビルによって見ることのできない地図と同じ視線を垂直に見下ろす空撮は見せてくれる。夜の都会を垂直に見下ろす空撮は、都市が都市である事を強く感じさせる。物語と直接関係のない、雰囲気を出すのみの意味を持つ空撮に、大味な娯楽作ゆえの余裕とが感じられて、私はなぜか感動してしまった。
この映画は裏を読む事を拒否しているかのようだ。「踊る大捜査線」のような日本の組織論はここにはない。とにかく、楽しんで帰ってくれればそれでいいという心意気に満ちている。本当はそうなのに、メッセージを送らないと映画じゃないと勘違いして、そして観客もそう思っていると勘違いして、付け足しのつまらない教訓を垂れるといった愚も犯していない。
「とにかく“踊る”のことは一度すべて忘れてくれ」とプロデューサーの亀山千広は脚本を担当した十川誠志に言ったという(キネマ旬報「5月下旬号」より)。監督を努めた本広克行が「金がかかりそうだ」とプロデューサーの亀山千広に言ったところ、「わかった、金かけてやろう」と言ったという。また、本広克行監督はこうも語っている。「だからもう大きな船を動かしている感じ。でも船長はいるんですよ。亀山千広っていう(笑)。僕は操縦士って感じでしたね(笑)」。この映画が亀山千広を中心に作られたことは間違いないだろう。大味でも楽しい娯楽作への意思は、脚本にも演出にも見事に宿っている。そして、そうさせたのは亀山プロデューサーであることは、先に挙げた言葉から伺える。おそらく、亀山プロデューサーでなければ、これほど「踊る」から離れて娯楽に徹した作品にはならなかっただろうし、大型娯楽作の雰囲気を醸し出す空撮もなかったことだろう。
亀山氏はフジテレビの社員だ。ただそれだけで、亀山氏の映画を批判する人もいるだろう。しかし、かつてハリウッドにダリル・F・ザナックやサミュエル・ゴールドウィンがいたように、日本にも角川春樹や俊藤浩滋がいたように、プロデューサー主導によって優れた作品を世に送り出してきた人物は多々いる。映画は小説や絵を書くよりも、大勢の人間が関わるし、お金も莫大にかかる。だからこそ、プロデューサーの役割は重要なのだ。亀山氏のバックにフジテレビという巨大資本がいようとも、そんなことは私たちには関係ない。問題は、いい映画を世に送り出してくれるかだ。亀山氏は映画を見る者にとって、信頼に足るプロデューサーである。この映画のおもしろさがそのことを証明していると私は思う。
(2005,5,28)