カンフーハッスル(2004・中国=米)

 この映画の原題は「クンフー(カンフー)」である。パンフレットにはブルース・リャンなどの往年のカンフー映画スターが出演していることや、過去のカンフー映画との関連などに触れる文章が多かった。それは、主にブルース・リーの時代のものだ。ブルース・リーの時代の硬派なカンフー映画をCGやワイヤーアクションを使って現代風にアレンジし、チャウ・シンチー流の笑いを絡めた映画、それがこの映画といえるのかもしれない。

 私がこの映画を見てまず思った事は、ジャッキー・チェンのことだ。ジャッキー・チェンは、体を張ってカンフーを演じながら、ジャッキー流の笑いを絡めた映画を撮ってきた。今は、ハリウッドで「体を張って」の部分ではなく、人なつっこいキャラクターと笑顔で「80デイズ」なんていう大作にも主演することになったジャッキーは、ジャッキー・チェンにしか作り得ないクンフー映画を多く撮ってきた。

 往年のカンフー映画が硬派なロック・バンドだとしたら、ジャッキー・チェンの映画はさしずめコミック・バンドといったところだろうか。コミック・バンドとして、往年のジャッキー・チェンの映画は見事な輝きを放っていた。「燃えよドラゴン」のような伝説的な1本はジャッキー・チェンにはないかもしれないが(それは、アメリカで認められたかどうかという違いだけかもしれないのだが)、一連のジャッキー映画の輝きは決して「燃えよドラゴン」にひけを取るものではないだろう。

 そんなジャッキー・チェンが「Who am I?」という映画のインタビューで「CGも勉強したい」という内容の発言をしていたことを覚えている。ジャッキー・チェンも寄る年波から体を張ったアクションがきつくなっているだろう頃の話だ。その後、ジャッキー・チェンがCGを使いこなしたカンフー映画を監督したという話は聞かない。そんな中、2年前に華々しくチャウ・シンチーが「少林サッカー」を完成させた。日本での大ヒット、香港での数々の賞の受賞と、いい話尽くめのこの映画は快作だった。CGを使ったアクションシーンの迫力、とことんまで突き抜けたナンセンスギャグの数々もさることながら、それでいて1本の映画としてきちんとしたストーリーラインを崩さず、正攻法でまとめあげたシンチーの脚本家・監督としての腕が冴え渡っていた。CGを使ったカンフー映画として、チャウ・シンチーは1つの模範を示した。それは、ジャッキー・チェンの一連の作品に並ぶほどの快挙ではないだろうか。「CGも勉強したい」と語っていたジャッキー・チェンは、チャウ・シンチーに完全にしてやられてしまったように感じた。

 そんなチャウ・シンチーが本格的なカンフー映画として製作したのが、この映画だ。先に書いてしまおう。私は、この映画は失敗作だと思う。チャウ・シンチー流の笑いの部分と(面白いシーンが多々あったとはいえ)、カンフー映画としての部分が見事に決裂している。「少林サッカー」で見せたナンセンスギャグとカンフーの融合はこの映画では消え去っている。

 この映画を見た感想を読むと、「とにかく楽しめた」という感想と、カンフー映画の歴史について言及された2パターンが多い。CGを使ったカンフー映画としてどうかという文章はまだ読んだことがない。往年のスターを出す事が決して過去と現在のカンフー映画をつなげるわけではない。この映画は(CGを使った)「今の」カンフー映画としては「少林サッカー」には遠く及ばないと私は思う。

 ジャッキー・チェンは自らの体を張る演技とコミカルさを見事に融合させ、一時期のカンフー映画を築いてみせた。その中には本格的カンフー映画も多々あった。そこには、カンフー映画の「今」があった。チャウ・シンチーがこの映画1本で「今の(CGを使った)」本格的カンフー映画を完成させたと思ったら、それは大きな間違いであると私は思う。チャウ・シンチーならば、CGとカンフーを融合させた「今の」本格的カンフー映画を作れると私は思う。だから、あえてこの映画を失敗作と言いたい。

 CGを使った「今の」カンフー映画としては、「少林サッカー」に一敗地にまみれた感のあるジャッキー・チェンだが、CGを使った「今の」本格カンフー映画ではまだ勝ち目はある。ジャッキー・チェンにはコミカルさという、チャウ・シンチーにはナンセンスギャグという強い武器がある。2人がそれぞれの魅力を活かした「今の」カンフー映画を作ってくれればそれに越した事はないし、そうなれば確実にまだしばらくはカンフー映画は死なないであろう。
(2005,1,13)