鳥−なぜ鳥は人間を襲ったのか?

 ヒッチコックの「鳥」は、サスペンスという面において、他のヒッチコックの作品の追随を許さない作品だ。過去に作られた多くの映画の中においてもそうだと言ってもいいくらいだ。だが、そのことによって、この映画を見て思い当たる最大の疑問「なぜ鳥は人間を襲ったのか?」ということについて考えられることはあまりなかったかのように思える。また、DVDのドキュメンタリーを見ていると、ヒッチコック自身がその疑問に答えを出すべきではないと考えていたようだ。ヒッチコック曰く「答えを出すのはSFだ」ということだ。そう、ヒッチコックが作ったのは、答えを出すタイプの映画ではなく、見ていて不安感で夢中になるサスペンス映画なのだ。サスペンス映画として超一級の作品の内容をあれやこれやと考えるのは、不粋な行為だろう。私もそう思う。しかし、不粋を承知で考えてみたい。

 この映画には原作がある。同じくヒッチコックが監督し、アカデミー賞の作品賞を受賞した(ちなみに、ヒッチコックは監督賞を受賞しなかった。生涯に渡っても)「レベッカ」を書いたダフネ・デュ・モーリアによるものだ。原作でも、鳥が人間を襲う理由ははっきりと示されていない。ただ、原作の主人公は、潮流の変化によるものではないかと推測している。あくまでも推測であって、根拠は何もない。ヒッチコックは原作を大きく改変して、「鳥が人間を襲う」という部分だけを利用して映画にしている。原作ではイギリスの海岸沿いの田舎町が舞台だが、映画ではサンフランシスコのボデガ湾に変わっている。まるで、原作の理由を完全否定するかのように、ボデガ湾は静かに凪いでいる。映画で、鳥が襲う答えを出す事を避けたヒッチコックは、原作で提示されている推測を感じさせないように作っている。

 DVDのドキュメンタリーによると、映画が鳥が襲う理由を示す代わりに、登場人物に考えさせたという。レストランで主人公2人やコック・客たちが語り合う場面がそうだ。もちろん、ここでも答えは出ない。答えが出ないままに、新たな鳥の襲撃が始まり、理由などはどうでもよくなる。だが、ここで一人非常に印象に残る人物がいる。酔っぱらいの男性だ。彼はことあるごとに言う。「世界の終わりだ」と。この男性は、ユーモラスな存在として登場しているし、その何の根拠もない適当な言い草が絶妙の間で差し込まれることで、軽い笑いを提供してくれる。だが、新たな鳥の襲撃を目の当たりにすると、彼の言葉は一気に現実味を帯び、笑えないものであることに気づくだろう。この人物の存在は、脚本上で多義的効果をもたらしている。しかも、このときの襲撃のシークエンスの終わりには鳥の視点、ひいては神の視点とも言える大俯瞰映像が待っている。このシーンは、まるで人々が理由なんていうくだらないことでペチャクチャとおしゃべりしているのをたしなめているかのようだ。「くだらないことを言ってるんじゃない。もう、君たちの時代が終わったのだよ」と。

 誰もその言葉を信じないような酔っ払いの言葉が真実なのだろうか?人間にとっての「この世の終わり」であるから、鳥は人を襲い始めたのであろうか?そうかもしれない。人間の驕りが鳥の怒りを買い(それは神の怒りかもしれない)、人間への攻撃を始めたのであろうか?そうかもしれない。ヒッチコックも言っている。この映画のテーマは「自然は復讐する」であると。だが、人間の驕りに対する鳥たちの怒りだとするならば、この田舎街はいくらなんでも小さすぎはしないだろうか?もっと先に攻撃をする場所があるのではないだろうか?

 再び、原作に目を向けてみよう。原作では、鳥たちから身を守るために自宅にこもった主人公と家族はラジオでニュースを聞く。ニュースでは、イギリスの首都ロンドンが鳥たちの攻撃を受けていることが告げられる。田舎町だけではなく首都も攻撃されていることによって、原作ではより強い「世界の終わり」感を漂わせている。それに対し、映画では近くにサンフランシスコが、少しいけばロサンゼルスという、人の世を終わらせるにはうってつけの都市があるにも関わらず、鳥たちはボデガ湾の人々を攻撃する。ということは、仮に「世界の終わり」がやってきたのだとしても、そのきっかけに当たるものがボデガ湾にあったのではないだろうか?

 もう1度レストランのシーンを思い出してみよう。鳥についての議論は、実際の鳥の襲来によって中断される。電話ボックスの中で鳥に襲われたティッピ・ヘドレン演じるメラニーは、ロッド・テイラー演じるミッチに助けられ、何とかレストランに戻ってくる。そこで、パニック状態になった女性にメラニーは言われる。「あなたが来てから鳥が襲うようになった。あなたは何者?あなたのせいよ!」と。鳥に襲われたショックに打ちのめされた状態で、追いうちをかけるように責め立てられたメラニーは、女性の頬を叩く。ここでは、メラニーは被害者で女性の頬を叩くのも仕方がないように思える。むしろ、正気を取り戻させるための、優しい行為のようにすら見える。だが、本当にメラニーのせいではないのだろうか?レストランにいる人たちには分からないだろうが、映画を見る私たちはメラニーについてより多くのことを知っている。

 メラニーとミッチは鳥のペットショップで出会う。メラニーはミッチと「遊ぼう」と考え、ラブ・バードのつがいを購入し、ミッチに届けるためにボデガ湾に向かう。ラブ・ストーリーの展開だ。ラブ・バードじゃなくてもいい、犬でもいいし、猫でもいい。生き物じゃなくてもいい。鳥は恋をつなぐ役割を果たすために使われる。しかも、ラブ・バードは決してメラニーが可愛がったものでも、思い入れがあるものでもない。カゴに入れられ、自動車に乗り、ボデガ湾に連れていかれる。さらに、メラニーはミッチに恋しているわけではない。金持ちの令嬢である彼女は、ミッチを相手に「遊ぼう」としている。ボデガ湾でのモーターボートと車を使った追いかけっこは、そのことを物語っている。

 ラブ・バードはミッチの妹であるキャシーに贈られる。そして、映画はラブ・バードのことに触れられずに進んでいく。だから、見ていていつの間にかラブ・バードのことは頭の隅に追いやられてしまう。キャシーの誕生会での襲撃、煙突からの襲撃、農場の男性への襲撃、学校での襲撃と、ガソリンスタンドでの襲撃と、襲撃の度合いを増して鳥がひたすら襲いかかって来る様を私たちは見続ける。そして、ミッチの家での篭城戦に至り、ラブ・バードがミッチの家にいたことを映画は告げる。すっかり忘れられており、最後まで前面に出てこないラブ・バードが、もしかしたら鍵となるかもしれない。

 それまでの鳥が襲った人間を考えてみよう。すると、そこにはラブ・バードが強く関連していることがわかる。モーターボートで襲われるメラニーは、ラブ・バードの所有者である。誕生会で真っ先に狙われるキャシーは、メラニーからラブ・バードを贈られた人物だ。煙突から鳥が突入してくるのはラブ・バードのいるミッチに家だ。学校の生徒の中にはキャシーがいる。ラストの篭城戦の舞台の場にもラブ・バードがいる。

 こう考えてみると、鳥の目的はラブ・バードではなかったのではないだろうかと思えてくる。もしかしたら、あのラブ・バードは鳥の世界の王と王妃か何かで、悪い人間たちに捉えられており、奪還するために鳥たちは襲ってきたのかもしれない。昔からあるお姫様奪還映画を、鳥と人間に置き換え、しかも悪い側を主役にしたのがこの映画なのかもしれない。メラニーが鳥の世界の王と王妃を「遊び」の恋の道具として使っていたのだとすると、いかにも悪役がやりそうなことである。メラニーの車の中で右へ左へとカーブするのにまかせて、カゴの中で右へ左へと体を傾けるラブ・バードの姿はユーモラスだが、どこか気品が感じられるではないか。鳥の王と王妃のような気品が。

 ラブ・バードとは関係ないところでも鳥の襲撃はある。だが、こう説明できないか?それは、ラブ・バードを解放せよという警告であったと。鳥のエサを扱っていた男を殺す事によって、ミッチやメラニー圧力をかけようとしたのかもしれない。農場の男性の死体はミッチの母親であるリディアが発見する。その効果はあったはずだ。ガソリンスタンドへの襲撃は、なかなかラブ・バードを解放しないメラニーらに業を煮やし、自分たちの力を最大限見せつけたのではないか。惨事の起こった町を俯瞰で見下ろす鳥たちの姿は、「どうだ!まいったか!」と言っているようにも見える。

 この映画のラストは不思議だ。ミッチの家の前から見渡す限り、鳥たちで埋まっている。だが、あれほど凶暴に襲ってきた鳥たちは、ミッチたちが出てきても襲ってこない。静謐で荘厳な雰囲気さえ漂っている。そんな鳥たちの間を、ミッチたちは静かに車に乗り込んで去っていく。ミッチたちは逃げ出すのだ。それは、城を明け渡す姿のようも見える。敗北し、去っていく人間たちを鳥は襲わない。鳥たちはミッチたちに最後のチャンスを与えているかのようだ。だが、ミッチたちはラブ・バードを一緒に連れていってしまう。静かだった鳥たちから鳴き声が聞こえてくる。その音はだんだん大きくなっていき、映画は終わる。鳥たちは相談しているのかもしれない。せっかくチャンスを与えてやったにも関わらず、またラブ・バードを持っていったミッチたちをどうするか?状況は圧倒的に鳥たちに優位だ。あせることはない。

 ヒッチコックはラストをいろいろと悩んでいたらしい。ミッチたちが、車でサンフランシスコに着くと、ゴールデンゲートブリッジが鳥たちで埋まっているバージョン。死体に溢れたボデガ湾の町を車で走っていると、再び鳥に襲われるがなんとか逃げ切るバージョン。どちらも、ラブ・バードが原因という私の説は成り立つと思うが、弱くなるように思える。前者だと、ヒッチコックが語るところの「自然は復讐する」の部分が大きくなるし、後者もボデガ湾の町が死体に溢れているところがラブ・バード奪還という目的と矛盾してくる。このラストだからこそ、私は強く鳥のラブ・バード奪還説を唱える事ができる。

 もちろん、答えなどない。かなりこじつけて、私も半分冗談・半分本気で自分なりの「なぜ鳥は人間を襲ったのか?」という疑問に答えてみただけだ。だが、鳥がラブ・バードを目的にして襲っているという見方をすることで、この映画が昔ながらのお姫様奪回物語をひねくれさせ、逆転させて見せたようなおもしろさを持っていることが見えてくるのではないだろうか?
(2005,2,5)