「臨床政治」"Clinical Politics"学の覚え書              岡野加穂留
 
■1.問題の提起

 学問でも信仰でも、それを相成する主体となる体系が、社会的に有効性を保つ為には,全てにおいて体系の主体者である自己が、生活の営為が具体的に展開される人間の日常生活の中に於いて、能動的な「実践」を中軸にして、対社会的に穂極的地行為の姿勢を示す事が有って、初めて成り立つものであると考える(例えば、古来から言い古された事柄だが、社会に役に立つ学問に関して「学問を大切にする者は、又目らも語ったり書いたりして、一般の人々の役に立ちうる人てなければならない。」『旧約聖書《続編》』「シラ書〔集会の書〕−5・6」と言われている問題である)。

 この課題を探求し、実践する方法を樹立する為の段階として、1963年に、北欧諸国〔スウェーデン、ノルウェー、デンマーク〕で政治システムの比較研究を行っている時、驚愕に値する知的刺激を受けて以来、次の二つの問題点を試行錯誤しながら、研究生活の当初から提唱をし実践をして来た。それは、新しい視点からの問題提起に対して、それを阻もうとする日本社会に、"封建遺制"の如く深く根を下ろした伝統的なアカデミズムの研究方法や手法への疑問が育ったからであった。

■2.二つの提案

 第一に、研究成果の人間社会への還元の組織の構築を、どのようにシステム化するかが前提にな乱つまり,社会から得たものを社会に還元するという目的と、その為の手段をどのように作り上げるかという問題である。

 社会科学は、自然科学とは基本的に研究対象が異なる。特にその中で、政治学が探求の目的としてする対象は,生きた人間の社会集団である。この集団は、目標を掲げ体制選択のイデオロギーの論争に依拠し、それによつて対時する敵方と味方の陣営対立の現場や,葛藤などの織り成す権力闘争が主体的に展開される場である。それゆえに、客観性の追究とはいっても、自然科学の狙う因果法則の追究とは異なる。骨肉の争いをする愛憎問題をも内包した人間社会の研究には、現実には、道徳的・倫理的な側面からの価値判断が付き細い、その為に、客観性と主観性の対立、普遍性と特殊性の対立は避けて通ることが出来ず、その為に普遍性や客観性を持った概念の定立には、多くの困難な問題が立ちはだかるのである。

 第二には、社会から得たものを、研究と言うプロセスを通じて生じた結果やその内容、及びその過程で生じた付加価値をも還元するシステムのプログラム化が必要である。しかし、社会還元を具体的な政策プログラムに表すには、その背景には、未だに新しい研究領域に止まっている面が強い政策科学や応用政策科学などの学問研究領域が、複雑に絡んでくる点を、指摘しておかなければならない。

 以上のような条件下で提言を成り立たせる為に、具体的な研究過程の中に、有効な成果を引出せるような科学的な方法としての、嚮(きょう〕導概念の定礎が必要不可欠となると考えた。

■3.「臨床政治」("ClinicalPolitics")と言う概念の提唱と構築


 「臨床政治」学と言う耳慨れない概念の発想とその基点は、以上述べたような筋道の中に有乱従来からの社会科学の研究分野で展開されて来たいわゆる方法論には、アカデミズムの伝統と言う観点から、時には、陳腐とも思われる科学主義への極端な傾斜や拘り、又は、ひたすら抽象的な方法を論じる方法論(極端なのは、方法論を方法論に絡まして、再び方法論を論じる愚かさが一部では未だに脱却出来ないでいる。特に新しい研究分野では、先人の過ちを性懲りも無く繰り返している)に埋没して、一向に埒のあかない悪循環に落ち込む危険性があつた。

 このような悪循環が依然として存在するには、明治政府成立以後の近代日本の学問研究の伝統と歴史がその背景にある。それは、民主的な社会における思想の自由や学問研究の制度的な保障は無く、『大日本帝国憲法』の天皇大権による総覧と統治機構下における恐ろしい国家権力からの研究への介入と干渉への恐怖感と畏怖感から生じたものなどが考えられる。

 自由主義社会と非自由主義社会を比較検討をして見ると次のような分類が可能である。戦前の日本にこれを置き換えて喜ると、学問研究の自由が制度的に認められてはいない全体主義・独裁主義・帝国主義の社会では、研究者には3つの選択肢からの態度決定が迫られていた。

 第1のカテゴリーは、体制側に身を置く論者〔太平洋戦争における大政翼賛会の参加者など〕である。
 
 第2のカテゴリーは、反体制側に位置する論者(特高警察の思想的な取り締まりの対象者など)である。
 
 第3のカテゴリーは、二者択一を迫られ、身の置く場所に窮した研究者は、直接に権力の偏りや風圧を食わない枠外に在り方を求めれつまり、外国の文献の翻訳業に徹し、機械的に外来文化の翻訳に専念して自己防衛する消極的な抵抗姿勢・非協力姿勢である。つまり、厳しい状況下で良心との葛藤に悩みながらも、沈黙生活を余儀なくされた大学教授・ジャーナリスト・評論家・インテリゲンチャー一般にらに見られた態度である。

 第二次大戦が終了して『日本国憲法』で、学問研究の自由が保障され、国民の基本的権利と義赫の中に条文として明記されても、日本では、未だに戦前に見られたこの3つのカテゴリーの選択肢は現存し(引き継がれ)生きている。これには、従来の研究者が陥り、それについての反省が、歴史的に未処理のままに来ている点に注目をしなければならない。

 これを日本政界の現象に置き換えてみると、歴代の首相や現職の国務大臣らが、中国などに向けて、日中戦争の反省的な発言をしても、かつての日本の植民地や帝国主義的地侵略を受けた国々はその謝罪的な発言を、心底から信用をしていない。つまりそこには、明治維新から日本敗戦の時まで、対外的に軍事強行姿勢で展開してきた政治・軍事・外交の手法が。根本的に《為政者の心のそこから》反省されてはいない点が明確に残されているからである。表向きには謝罪の政治的なポーズを執りながら、国内政界向けには"堂々"と明治維新の薩長藩閥イデオロギーで権力的に作られた国策神道である『靖国神社』(ヤスクニ教)に公式参拝をするアナクロニズムを棄てきれない態度に象徴的に表れているのである。

 「デモクラシーは、それが正しい反省と本質的にその問題に就いて討論すること無しに導入されたところでは,どこでも傷付いてしまっていることをよく認識しておくこと」(H・ティングステン『現代デモクラシーの諸問題』)なのである。つまり、この「正しい反省」と「本質的討論」が無かったがゆえに、第3の選択に関連がある問題がでてくる。政治学者が研究対象である権力との距離感を忘れ、外形や形式に左右されて、それによって擬似権威に追従する事から起こり得る真の学問の中立性が否定される問題である。換言すれば、学問の権威を放棄した一"権力に伺候する御用学者"とか"権力者の下僕"に成りたくないと言う研究者の誇りが、それを許さないというオーソドックスな立場である。例えば、歴史的な問題としては、第二次大戦中や満州事変以後の戦前日本の政治学の状況が、それらを説明している(これに就いては、蝋山政道著『近代日本に於ける政治学の発達』に詳しい)。産業報国会や大政翼賛会に積極的に参加協力をした学者・文化人や新聞報道機関・仏教団体・キリスト教関係者及ぴ労働組合の指導者層とか、アカデミズムの世界における大内兵衛東大名誉教授の戦前・戦中の学者研究者としての生き方や、南原繁東大学長のそれとか、自由主義的な社会政策論議と当時のジャ一ナリズムで積極的に自説を展開をして裁判に掛けられた河合栄治郎教授の研究者としての生き方、更に支配体制の弁護者や独裁体制のアジテイターたちの行動様式は、戦前・戦中の天皇制支配体制下に於ける学問研究の位相を具体的に説明する材料になる。

 更に学問の理想や、それを極める為の体系化を思念する基本問題を提起する研究を、頭から非現実主義的と非難する立場、つまり「現実主義」(リアリズム)と称するものが陥る欠陥がある。すなわち権力側が、具体的に政策とし社会に適用し展開する時に、彼等は、巧妙に隠された「権力の魔性」に気づかずに、"勇ましい"現実主義の方法論が、結果としては権力の"走狗"に衣替えをすると言う"体制の代弁者"の立場も考えられる(拙稿「現実主義の俗論」『公研』2000年2月号参照)。

 だが、「非世俗」という名称で、俗世問から専門研究領域を分離し、それにとどまらず更に、現実と研究の間に遮断の壁で隔離し、今もなお日本社会の中で特異な学会の論理である学問研究の中立性と称する「タテマエ」を隠れ蓑に振りかざす伝統が有る。これは、厳しい現実に対して、研究の客観性を保つ為に「距離」を固くのではなくして、むしろ現実から目を背ける科学者の勇気を喪失した学問研究には有るまじき一"逃避"の姿勢であると考える。


■4.アカデミック・ジャーナリズムの視点

 伝統的なアカデミズムとジャーナリズムの接点を越えて、重なり合う対象分野の客機的な研究取材の領域に踏み込んで、対象物を分析する方法の確立が是非とも必要であり、その為の研究接近の方法としての、"臨床"(Clinics)の概念を伝統的な政治学に組みこんで見たい願望に駆られたの有る。日本のジャーナリズム(特に政治報道)には、デモクラシーの理念による先駆的な取材報道姿勢は、ごく僅かの例外を除いて今もなお見られず、「インテリ野次馬のロマンチシズム」(マックス・ウェーバー『職業としての政治』)を振りかざす情緒的な姿勢を脱却出来ずにいる。特に、伝統的な活字文化を背景とする新聞を凌駕するテレヴィジョン文化の進出や各種の視聴覚革命で、マスコミュニケーションの幅が広まり、視聴率中心の営業利益と質を無視した娯楽低俗番組の氾濫で、厳しい批判精神を持った本来のジャーナリズムは死滅してしまった。ジャーナリズムの本来的特性である大衆性と、本来は孤高性の強いアカデミズムとの接点における融合を思考することによる学問の社会的な還元の道を開拓したいので有る。これなくして、コンヴェンショナル ジャーナリズムをアカデミック・ジャーナリズムに高める事は出来ない。今の発行部数を競う新聞には、真の社説に相応しい論調は基本的には存在しない。つまり「論説」と「解説」と一般記事の「説明」との区別が明確ではないのである。「社説」欄で単なる「解説」をしている体たらくは、厳しく指摘をしておかなくてはならぬ問題なのである。

 これらを克服する方法の一つの具体的な研究実践として、比較方法による「臨床政治」を考えた。その為に、次のような方法を採用する事によって"現場"での臨床体験を重ねてきた。

■5.4つの方法

(1)「モザイク社会」の概念構築の為の突進国と発展途上国(後進国・後発途上国〕のシステムの比較

 特に第二次大戦終了まで、植民地だった新興諸国は軍隊と共産党が当該国家の政治の近代化過程で果たす政治的な役割を重視し、比較研究(国会・選挙・政党の観点からの分析方法の確立への努力)を行い、西欧国家の植民地であったカンボジア、マレーシア及びインドネシアの政治組織の検討を行った。特に、インドネシアは建国の当初の過程から、在住華僑を媒介として中華人民共和国との関係が深く、政権と共産党の関係と、インドネシア国軍は、政治の近代化過程で極めて大きな役割を担って来た。

 インドネシア共和国における「9.30クーデター」と「ゲシタップ内閣」「アンペラ内閣」の成立過程とスカルノ大統領やマリク外務大臣らとのやりとりを行った(これらは、岡野加穂留著『光りの国とやみの国』経済往来社刊に詳述。)調査過程で、発展途上国の中では、軍隊と共産党に、エリート
が集中し、政治の近代化過程の中での役割の重要性に着目した。

(2)平和の具体的な概念についての講義

 「平和とはなにか」「平和の概念規定」と言った概念の弄びではなく、平和を掲げての実践内容の具体的な体験としての世界最古のNGOであり、ノーベル平和賞授賞団体であAFSC(American Freiends Service Committee)のベトナム戦争の時における実態活動と、AFSCのアメリカ政治における典型的なプレッシュアー・グループ(pressure group)として、ワシントンDCでロビー活動(lobbying agency)をしているFCNL(Friend Committee on National Legislation)でのロビーイスト(lobbyist)たちと上院外交委員会で立法の共同作業をした体験(これを1999年明治大学政治経済学部前期特殊講義『平和学』で体験的な講義をした)である。特に印象深い経験は、ベトナム戦争終結時における頃、AFSCの首府ワシントンにある『ウィリアム・ペン・ハウス』での連邦議会に上程する為の立法作業として実施したセミナーの"How to humanize The American Government"への参加である。これは、合衆国のプレッシュアー・グループの立法活動《ロビーイング》の実態を知る機会であり、上院外交委員会にセミナー参加者と出
席し、賛成する上院議員とベトナム平和に関する法案を提出する経験を持った事である(これについては岡野加穂留『政治の舞台』1981年,ぎょうせい刊に詳述してある)。

(3)デュヴェルジェ教授の著書の具体的な検証

Maurice Duverger,Les Partis Politiques(岡野加穂留訳『政党社会学』1970年、潮出版社刊)の西欧社会での具体的な検証をした。パリー大学法学部長であったデュヴェルジェ教授の上記の著書は、政党と選挙制度の比較研究を対象としたもので、本書の中で対象国としたフィンランド、「マルチン・ルッター福音派教会」諸国のスウェーデン・ノルウェー・デンマーク、「新教」のオランダ、ベルギー、「プロテスタント」の西ドイツ、「ゲルマン・カトリック」のオーストリー、「カトリック」と「新教」が地域によって分かれているスイスと、「ラテン・カトリック」諸国のイタリー、フランス、とイベリア半島のスペインとポルトガル,更に,北米の7メリカとカナダに加えてオセアニアのニュージーランド及ぴオーストラリアに現地調査研究に行き、論文の中味と実態の関係を、専門家並びに政党関係者に当り具体的にそれぞれを検証した。

(4)スウェーデンでの議会調査活動

 1970年のスウェーデン議会での『憲法調査委員会』(正式には国家基本法調査委員会)の実態調査である。議会に代表を送っている5党(社会民主労働党・保守党・中央党・自由党・共産主義左党)の協力で、2院制議会を1院制議会にし、名簿式比例代表制」ドント方式を、ラグ方式に変更する検討調査の過程を、国会の委員会で具体的に見聞調査を実施した。これにはスウェーデン国立ストックホルム大学国際経済研究所長のグンナー・ミュルダール教授(ノーベル経済学賞受賞者)のお力添えと、オロフ・パルメ首相の協力が有って出来た。


■6.NGOを通じての連邦議会での立法活動体験など

(1)ワシントンでの「ウォーターゲート事件」の検証

 1974年から75年に、首府ワシントンに在るジョンズ・ホプキンス大学国際研究大学院《The School of Advanced International Studies of The Johns Hopkins University,
Washington D.C)及びワシントン外交調査センター特別研究員(Fellow,The Washington Foreign Reserch Ceter)として在籍していた経験で有る。この時期は、合衆国連邦議会やワシントン政界では、ニクソン大統領の「ウォーター・ゲート事件」で大揺れの時期であった。SAISの大学院博士候補者《Ph.D candidate》の論文指導以外は大部分を連邦議会や連邦議会図謹館立法考査局並びにNGOワシントン事務所にいて、議会の状況と、それに対応するNGOグループの対議会対策の流れを時系列で観察をしていた。連邦議会の本会議場に入る為に、職場のジョンズ・ホプキンス大学大学院院長からの依頼書を上院議長(合衆国副大統領が兼務)と下院議長宛に出してもらい通年本会識通行証を発行してもらった。両院の委員会は通常は入り□に「closed」と明示してない限り自由に入場し傍聴が出来た(この時の経験は岡野加穂留著『政治の舞台」ぎょうせい刊に詳述)。

(2)日本政界の「ロッキード事件」の臨床政治的分析

 1975年秋に帰国して、ワシントン在住時の経験を日本で実行する方法を考えた。これを日本政治に応用し適応させる為には、日本政界の臨床体験が必要である。そこで、新聞社を通じて、衆議院と参議院の両議長及び両院事務総長に、取材記者証(章)の交付申請書を提出し、新聞社を経由して入手した。これを契機に政治学者として、ジャーナリズムとアカデミズムの接点で日本政治の実態に触れる事に成った。国会に出入りしている時に、突如「ロッキード事件」が三木武夫内閣時代に起きた(1976年2月)。

 国会を取材する各社の政治記者の常套手段である「タテ割り」取材と「ヨコ割り」取材の研究対象の綜合方法の確立を考えた。衆議院及び参議院の本会議場並びに院内の常任委員会と特別委員会の傍聴取材、それに両院の議員会館・内閣総理大臣官邸への自由な出入と総理並びに内閣官房長官の記者会見の現場にいる類と、彼等に直接の取材とインタビューを公表をしないと言う約束で行い、各党本部並びに各党党首と党執行部への直接にアプローチを行った。NHKTV『総理と語る』及びNHK報道部の要請で、政治討論会や座談会の新しい形式《発言時間の制限や司会者並びに討論の回し方など》を検討し、NHKに初めて『野党党首と語る』を設置し、その開幕の第1回からそれを担当する事になった。

 これらの経験を基に、全国各新聞やブロック紙(北海道・中部日本・西日本3紙)及び地方(県)紙の論説や共同通信社及ぴ時事通信社の政治関係の論説を執筆した。又主として、政治討論・各種選挙(国並びに自治体首長・議会)のコメンテーターとして、TVの各キー局の政治・選挙報道番組で取材研究をし、具体的なデータを駆使して政治を判りやすく解説をした(岡野加穂留著『政治風土論』現代評論社刊」。岡野加穂留著『国会は無駄ずかい」に詳述〕。

■7.日本政治の位置付け

 世界最高の福祉社会を建設した北欧諸国は、地理的には緯度が高く、北極圏に隣接する太陽の光の少ない"やみの国"ではあるが、政治的には"光りの国"であるという視点で比較研究を進めた。他方、赤道周辺の東南アジア諸国、例えばインドネシアなどは、太陽が一杯の光り輝く国だが、政治的には未だに"やみの国"と言える。私の研究手法は、豊かな国と豊かでない国との比較を行いながら、日本の国家としての在り方や、キリスト教の文化の中で生まれたデモクラシーを基準としたグローバル・スタンダードから見た場合のわが国の位置付けを考えているのである。デモクラシー体制と非デモクラシー体制、よい政治とよくない政治、極点に近い国と赤道直下の国、極左と極右に位固する政治の在り方をめぐって、"極端なもの"の比較研究を媒介として、理想の現実化の観点で、新しい概念を構築するために未来に向かって"あるもの"(更に踏み込んで言えば"在るぺきもの")を生み出したいのである。


                                  
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