問我BAR箱主

問我のプロフィールです。

1975年 岡山県で生まれる。

高校の時、中型2輪免許を取得。

高校卒業後、茨城県の岩間道場へ2年の間、合気道の内弟子として住み込み入門を許される。
その間、海外からの修行者達とも同じ釜の飯を食い(問我の修行中、はじめて道場に訪れた外国人だけでも100人を超えていた。)
 
今は亡き「斎藤守弘」先生に、合気道(体術・剣・杖・手裏剣)は無論の事、他では決して教わる事が出来ないような事を教わりました。
朝は、日の出の頃の掃除から始まり、朝稽古、畑仕事の手伝い、自主稽古、道場の雑務全般、先生の身の回りのお世話をさせて頂き、夜稽古など
時には師匠の御供として、国内外の講習会などにも連れて行って頂きました。
岩間の夏は、岡山南部と大差ありませんが、冬は関東平野にも関わらず、最低気温が「ー10℃」になる事があります。
寝起きしている道場は、第2次大戦の終戦と同年に建てられたので、アルミサッシなどは存在するはずも無く、窓からも壁の節穴からも寒風が吹き込みます。
外国の弟子達と300円ずつのおかず代で自炊生活していくのです。(パンと米は、支給されます。)
良く先生がパーティー(外人が多いので)をして下さいました。
酒は、日本全国の弟子達が帰りに神棚に供えていくので、弟子達の食堂から無くなる事はありませんでした。

合気道時代の問我は、合気ニュース社 「武産合気道」斎藤守弘(先生)著 2〜3巻にあります。
(岡山だと、紀伊国屋書店などの専門書コーナー)


武産合気道 第3巻(表紙)↑

予定していた2年間の内弟子修行終了を控えた頃、日本の外を見てみたくなり、
本国に帰国した同門の弟子達(その時は、アメリカ大陸とした)と連絡を取る中、
師匠の講習会のお供としてお邪魔した、コロラド州デンバーの道場主より、
「こちらに来るのなら、ビザを申請してもよい。」
「もし、その気があれば、道場に住み込み、食費・酒代はこちらが持つ。」
当道場を手伝ってくれるのなら、給料も払おう。」
との有難い返信を受け、稽古着・木剣・杖を持って、単身渡米。


ビザ取得に関しても、自分で色々なものを見たかった為、大阪の領事館へ数度出向き、15ヶ月の査証(Q1ビザ)の発給を受ける。
JTBなどの旅行社に依頼すれば、1〜2万円で済んだのですが…
領事館の前には、機動隊の詰め所(囚人護送車)みたいなバスが停めてあり、入り口付近で不審人物を見張っているのです。
中に入ると、金属探知機?らしきゲートをくぐりますが、壁は鏡になっていたので恐らくマジックミラーでしょう。
手荷物チャックで、ウオークマンなども取り上げられてしまいます。
後は、ただひたすら待たされるのでした。
人によっては、語学力を試されたりしてましたが、問我は書類だけでした。

Q1ビザとは、ディズニーランドで異文化の大道芸などの特殊技能者を受け入れる為にできた、当時としては新しい文化交流ビザ。
20年前なら、日本の武道家や寿司職人が通常の労働ビザで入国できたが、
現在はアメリカ人にもその手の技術者が大勢いるので、現在その方法での入国は、非常に困難。
デンバーの道場主も色々と手を尽くしたのでしょう。。。

渡米の為、大韓航空の往復航空券を買う。
関西空港〜ロサンゼルス空港まで、片道53000円・往復55000円だった。
往復を買えば、帰りの航空券は、なんと2千円!
ビザがあるので片道でも良かったのだが、どうなるか分からなかったので、格安航空券の期限いっぱいの3ヶ月往復で乗りこむ。
LAX(ロサンゼルス空港)に到着して、入国審査でQ1ビザなどについて聞かれる。
やはり、「ディズニーランドで働くのか?」と聞かれた。。。

ロサンゼルス空港からデンバー空港へ乗り換えれば楽で良かったのだが、特に何の根拠もなくバスで行く事に決めていた。
空港からシャトルバスで「グレイハウンド」のターミナルへ向かった。
バス停は、ロスの日本人街の傍にあるのですが、その周辺は治安が悪いので…。
そしてグレイハウンドに乗り、ラスベガス経由(2泊ほどしながら・・・カジノも少々)でコロラド州デンバーへ。
ロッキー山脈を超えて行きました。

乗り心地は、お世辞にも良いとは言えません。
シートのリクライニングも無いし、狭いし、クーラー効き過ぎ!
これから行く予定の人は、気を付けましょう。
良い経験でしたが…。

ここでバスに乗って良かった事は、デンバーは別名「ワンマイル・シティー」標高約1600mの都市
ゆっくり登って、東側に降りたお陰で標高の違いに身体が順応した事です。
前回、海外講習会の御供で各地を飛行機で周った時に、標高による体調の変化
(呼吸を整えないと、すぐに息が上がってしまったり、酒に酔うのが早くなる。)
を事を知っていたので、これが役に立ちました。


・・・というのも、デンバーの道場に到着次第、稽古が始まり…、
腕試しで、変わる換わる交代で、インストラクタ-級の道場生がやってくるのです。
(当時、ちょっと体力に自信があっても、飛行機で富士山の5合目くらいに降りて、イキナリ暴れるとやはり持たないです。)
とりあえず、何事も無く稽古が終了しました。


最初に連れて行ってもらったのは、ゲイのパレード。
アメリカでは、ゲイの人達も市民権を獲得しているようです。
万国共通のゲイのトレードマークは、虹色(七色)です。
保健局の職員がコンドームを配ってました。


レッドロック(野外ステージ)
 
キタロウなんかも来るそうです。

そして、道場の手伝い、新道場建設の手伝いなどをしながら、いろんなモノを見て、楽しくやってました。
自分のクラスなども任されて、稽古をつけていました。

建設中の新道場です。   鋳物工場後?だったカナ?何も無い広いところです。

中はこんな感じで2x4で壁を作ってます。
  

こんな感じで変わって行きました。

道場の建物内の日本食レストラン。 「ど〜もレストラン」
 
日本館の本間先生が地元の秋田から毎回運んできてたモノ達です。


途中、今は亡き岩間の師匠が病で入院の為、一時帰国。

無事に退院され、合気道3段の免状を頂きました。

師匠の退院後、今度は秋田の道場へお世話になり、1ヶ月ほど道場住込生として滞在する。
冬(1〜2月)の秋田は、雪が凄かった。。。


秋田道場の河辺先生にも大変お世話になりました。


再び、渡米の為、関空からデンバーに向けて飛び立とうとした時、
ユナイテッド航空のデスクの人が、「一度帰国した場合、Q1ビザは無効になる。」とか言い出して…。
航空会社のデスクの人は、当然ビザについての詳しいは分らないのですが、当局(アメリカ)から
「きちんとしたビザを持っていない人は出国させない様に!」と指導を受けているらしく、融通が全く効かないのです。
そこで「アメリカに着いてから移民局に行って交渉するから、とりあえずビザのいらない観光目的で行かせてくれ!」との話もダメ!
ラチがあかないので、領事館に直接電話するも一般にはFAXか手紙でしか対応しない事は知っていたので、
航空会社のデスクから直接問い合わせる方法でかけさせたのですが、「そう言う事は電話では対応できませんので…。」
などと、いい加減な事を言うので、「こちらはキチンとした手続きを取っているのだから、話の通じる人に代わって下さい。」と言うも、ロクな対応しないので
「こちらは自分の姓名を名乗って話しをしているのだから、あなたも自分の言動に責任を持てるなら、米国大阪領事館のどこ所属の誰か名乗ってもらいたい!」
対応した職員は、名乗ることも出来ないでいるのです。
絶対的な人員不足という理由もありますが、何ともいい加減な対応でした。
そこで航空会社のデスクに「こういう話しだから、アメリカに着いてから直接、移民局に行って交渉するから、とりあえずビザのいらない観光目的で行かせてくれ!」との話もダメ!
仕切りなおしになりました。
後日、領事館に行き、どうせ待たされて色々聞かれると思い、その時に話しをしてやろうと思ってたのですが、ほとんど待つ事なくすぐに書類が出来て返されてしまいした。


そして、再びアメリカに到着して、同じくデンバーの道場を中心として、各州の友人や道場・国立公園などを訪ね歩く。

その時、テントや寝袋を購入し、バックパッカーよろしく本格的に旅を始める。

最初はレンタカーを借りての旅にしました。
走行距離無制限の格安レンタカーを借りて、北東方面へ向かいました。

途中、速度違反で3回ほど捕まりましたが、英語が分からないふりをしてすべて切り抜けました。
夜の走行中、いきなりバックミラーに、赤や青の光が反射するのです。
この時は、安全な所に車を止めて、両手を見えるようにハンドルの上に置いたままで、後ろから警官が近づいてくるのを待ちましょう!
近づいて行った時に犯人に撃たれる事が多いので、この時ばかりは警官もピストルに手をかけて警戒しているのです。
不自然に免許証などを取り出そうとすると、ピストルを抜かれて、まるで映画みたいに
「動くな!」「両手を見える所に出せ!」「そのまま、ゆっくり出て来い!」「手は頭の上で、ひざをつけ!」
…押し倒されて後ろ手錠です。
途中3回くらい速度違反で捕まりましたが、国際免許証で運転中に外国で交通違反を起しても、日本の免許証は全く減点されません。
軽微な違反は、罰金を支払うだけでOKなのです。


ポリス:「スピードの出しすぎだ!」「免許証をだしてくれ!」
問我:分からないふり…しどろもどろに「Please speake slowly.」ゆっくりと出す。
ポリス:「これはお前の車か?」

問我:分からないふり…しどろもどろに「Please speake slowly.」
ポリス:「レジストレーション(車検証?)を見せろ。」

問我:再び「Please speake slowly.」実は、ちょっとヤバイのです。
これを見られたら、レンタカーと言う事がばれて、レンタカー会社〜クレジット会社経由で日本まで請求書追いかけてくるのです。

有料道路の時は、チケットを出してみたりしながら、頑張るのです。

ポリス:「こいつは英語が話せないんだが、どうしたらいい?」と無線で本部に指示を仰ぐ。

問我:分からないふりのまま、ドキドキ
・・・。
ポリス:「スピードの出しすぎだ!」「分かるか?」
問我:再び「Please speake slowly.」「Yes...」と返事をした後、開放されました。


飲酒運転も、「片目をつむって立て!」「白線の上を歩け!」などのいい加減な検査方法なのですが、捕まったら留置場に入れられます。
翌朝、問我が迎えに行く事になります。
アメリカの警官は怖くて、強いのです。


ナイアガラの滝より、カナダ国境も渡る。


夜の風景 (カナダ側より)

ナイアガラのパッチを買うのを忘れてたんですよね。(未だGETできず。。。)
いつか、手に入れなければ。


円心空手「ライトウエイト・チャンピオン」のゲンジさんを尋ねてデトロイトへ。
デンバーの合気道場の近くに円心空手の本部道場があって、先生同士が仲イイので、問我も数回、お邪魔しました。
1度、先生と大酒を飲んで訪ねて行ったときに、置いて帰られて二日酔いのまま朝稽古に参加させていただいたのはイイ思い出です。
ゲンジさんが「先生は、まだ寝てますよ。」って言わなければ・・・。
でも、今から思えば、イイ思い出ですネ。
(円心会館館長の二宮先生にも稽古をつけて頂けたし。)
 

フィットネスジムの一室を借りて、稽古をつけてるゲンジさん。
この頃には、怪我で足を引きずってたのです。
 
「HOOTERS」に連れて行ってもらいました。
その次のBARは、写真には撮れないところでしたが、試験管に入った怪しいカクテルを結構飲んで帰りました。



ボストンへ。
ボストン大学にいる茨城の道場で同門だった、ダニエルのアパートに居候。
問我もハーバード大学に行きました。(勝手にキャンパスへ入っただけとも言う?)

 
ニューヨークへ。
弁護士の夫婦のウチへ御邪魔しました。
後ろに見えるのは、今は無き・・・。

このあとの移動手段は、主にグレイハウンド「大陸横断バス」をメインとした。
飛行機は、見聞を広める目的からして、使わなかった。

途中、アリゾナのMMI(ハーレーなどのメカニックの学校)に通っている友人宅に居候させていただいた。
エリミ900&CB750F&シェビーバンで、グランドキャニオンへ・・・。

ここでバイクの魅力に目覚めてしまったようです。
帰ったら、大型バイクに乗るぞ!という目標みたいなものが出来たのでした。
 

途中、調子の悪くなったサバーバンもメカニックがこれだけいれば、すぐに直してしまう。
確かオルタネーターがイカれてたんだったかな?
中古部品屋がグランドキャニオンにもあるのが、アメリカらしい。
 
突端に立つのが好きなMMIの皆さん。
グランドキャニオンは2回目でしたが、あまりのスケールのデカさに・・・。


そのまま、モニュメントバレーにもキャンプに行き、
 
こんな尖った自然の岩が崩れないのが不思議。

この夜は、誰かがおねーさん達を3人ナンパしてきました。


そして、メトロ・クレーターへ。
 
有名な「ルート66」を走って行きました。
途中のガソリンスタンドで給油がてら休憩。
長さ1m以上もある、サラミ・ソーセージをナイフで切りながら食べてる問我。。。


その昔の巨大な隕石の落下で、大きなクレーターができてます。
現在も貴重な宇宙物質?が発見される可能性が高い為、民間人は降りる事が出来ません。

ヨセミテ国立公園でシンヤさんと待ち合わせ。
問我はグレイハウンド、信也さんはエリミ900。
  
↑ハーフドーム。      熊などの被害などを防ぐ為、各キャンプサイトに鉄の食料箱が設置されています。
 
真也さんとヨセミテの滝へのトレイルを登ってます。
「ノドが乾いた」って、シンヤさんはその辺の水を飲んでました。
 
滝の頂上で泳いできました。              (サービス・ショット!)おまけ

こんな影響を受けて、再びバイクの魅力に目覚め、帰国後すぐに大型二輪免許を取得し、現在に至るまでV-MAX乗り。

帰国後、早島町 四万十ラーメンを経営していたが、親父が副業でやっている長船町のラーメン店が人手不足になり、
急遽、臨時店長として掛け持ちで、豊後ラーメンへ。。。

そんな中、1週間の約半分は、閉店後に誰かやってきて、バイク話をつまみに乾杯の日々。
「そういう事なら、定期的にバイク乗りの集まれる場を提供しよう。」という事になり、
1999年に「問我BAR」と名打って、主に近隣の物好きなバイク乗り達と楽しい時間を過ごしながら活動中。

2008年2月 土地&建物の借金を終わらせてから、豊後ラーメンを閉店。
いざ新天地へ。。。

バイクもON/OFF問わず、夜中の林道アタック&探索から、サーキット走行会など、積極的に活動中!



H19年度から、備前長船合気道同好会がスタート。
詳しくはコチラから。↓↓↓
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野外稽古↓


                                     

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