創作術について

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校正 

1推敲と校正の違い



 私は校正が下手です。
 そこまでの必要性を感じていない。それは、完成品がオンライン小説で終わることが多いから、ということと、校正に特化した能力を持っていないから、です。

 頭で理解できている校正の必要性を述べよう。重要性だけは理解できてるのです。

・校正は、一つ一つの文字の正しさを確認します。その文字の使われ方がふさわしいのかどうかは辞書を元に判断していきます。
・校正は、完成品のレイアウトを重視します。(行間とか、文字のフォントとか、段組みを通じて表現された読みやすさを追求する職業です)だから、禁則処理も確認します
・校正は、重複する文字を減らし、印刷業者の手間を減らします
・校正は、読者の視点で読みやすい文章を確認します。←だから正しい日本語が大好き
・校正は、読書が楽になるように分量や使用される文字やルビ、脚注の有無を確認します
・校正は、指示通りの形に完成品がなっているかどうか、誤字脱字がないかを確認します
・校正は、作品に統一感をもたせ、漢字の読みが統一されるように調整します
・校正は、筆者のくせを理解し、文章がちぐはぐな印象にならないように整えます

 校正で新たに創造される文章はありません。ただ、間違いがどっさりでてきて、訂正させられるだけです。前=まえ、時=とき、という表記の揺れを統一したり、指示代名詞の抜けている文章に「主語」を付記したり、改行後の字下げを統一させたり、文末の句読点の有無を確認したり……そういう細々とした処理をひたすら繰り返し、目に入れた時に美しい文章にしていきます。読者がパッと見て「あ、きれいだ、読みやすい」と思える文章にするのです。

 推敲では、文章の美しさとは別の思考が働いている。いや、本人的には「よい文章」を作っているつもりだ。それは、構想をうまく反映できた一文かどうか、という考え方で、作品の雰囲気をうまく出せたかどうかという視点で文を綴っている。
 校正時の視点は違います。構想上の間違いがなくても、直される。たとえば「『言う』という文字と『いう』という表記がばらばらに入っていて醜い」とか「一つの段落に白という文字が5つも使われて見苦しい」とか「章の切り替えに一行アケル場合と二行アケル場合が混在していてかっこ悪い」など、体裁に関して直される。作品全体の統一感と読者が理解できる表現かどうかという視点で文章をばさばさ切られるのです。彼らにはその作品の作られた目的は不要です。目の前にある文字の印象をさらに高めてくれる技術者です。
 アーティスティックな表現を使うと大抵は嫌がられます。印刷所で空間の計算やレイアウトを定規を使って計算しなくてはならなくなる場合とか、写植の必要なタイポグラフィーとか。印刷所泣かせの表現法を持っている人は、校正者とまずやり合うことになります。その表現法が必要なのはなぜなのか、それを理解させて、必要な技術にすり合わせていくことになります。
 あああああ、という悲鳴の文字数は5つも必要なのか。あー、だけでいいのではないか、とか。ああー、という時と、あーあ、という時と、あああーあを区別する必要があるのかどうか、とか。あぁと小文字を使った方がいいかとか。さらに、これを作品全体で統一するのか、個々に指定して使うのか、とか。
 校正はそういうところに気を使う仕事です。
 推敲も言葉を好きでないとできないだろうけれども、校正は文字を愛していないとできない。そして、無駄を省き、必要最低限の文字数にするという合理性が求められる。

 長文書きの私には、難しい技術だ。文字の量を少しでも減らし、読者が楽に読めるようにする。そして、必要な情報をすべて入れ、足りないものは足さなくてはならない。雰囲気では読ませない。きちんと、きっかり、かっちり文章化する。
 校正の能力を磨くには、読者の視点を大事にする心持ちと、辞書を愛することと、文字を一日中見つめられる根気が要求されると思います。
 では、具体的に私がやっている校正について、述べてみる。本職からすると「けっ」と唾棄されるレベルだとは思いますが。
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