あとがき

 

「ココロのひろば」を開設してから9年たった今だからかけることを追記します。

最近、「ココロのひろば」で検索したら同じ名前のページがいくつか出てきてびっくりしてます。

 

私がこのページを開設した当時、場面緘黙という言葉はほとんど知られていなくて大学の教職課程の教育心理学の教科書にもたった二行ぐらいの説明しかありませんでした。

それでもそのたった二行のことが今までの私の自分だけしか世の中に存在しないのではないか?と思っていたこのなぞの状態をひとつの適応障害だったと生まれて初めて知ったのでした。

障害だと知ったからには適切な処置をとっていればもっと早く克服できたのではと悔やみました。

大学卒業後、まだダイアルアップ式が主流のインターネット環境で「場面緘黙」と検索をかけてもほとんど一件も引っかかることはありませんでした。

たった一つだけ、ごくごく専門的な文献の一部分に埋め込まれたその4文字が現れただけで、緘黙を経験した本人が作ったサイトなんて一件も存在しませんでした。

それでは自分で作ってしまおう、同じことで苦しんでる人たちの手がかりにもなるかもしれない・・・半分は遺書のようなつもりで私は「ココロのひろば」を開設しました。

当時は、緘黙のみならず、社会的ひきこもりなど、心の悩み全般を抱える人たちのオアシスのような存在のページとしてスタートしました。

そこには、いまだ克服していなかった私の緘黙体験記(生い立ち)、日々の日記、そして交流のための掲示板だけで成り立ったとてもシンプルな構成のホームページでした。

検索エンジンにも登録し、掲示板には日増しに、いろいろな悩める人の交流、叱咤激励の場となりにぎやかで、今思えばとても充実していました。

数年後、ネット治安が悪くなって悪質な商業的な宣伝書き込みばかりに占領され、削除の管理が大変なのと皆に迷惑をかけるので掲示板を閉めざる終えなくなりました。

したくなかった引越しもせざるを得ませんでした。それにより、行方不明みたいなページとなって廃れていきました。

メールも、まだアドレスを載せていた頃、いろんな人とメールのやり取りをし、励ましてもらったり、実際、管理人として果ては大阪、新潟などから出てきてくださって

ホームページを訪れてくださる方と個人的にお会いしたりもしていました。いろいろ、緘黙関係のwebリングや、同盟を作ったりもしていました。

意外にもここで自分がそうだと知った、と、緘黙で悩んでいる方は沢山いらっしゃって、緘黙を抱えるお子さんを持ったお母様などからも相談があり、緘黙オフなどを開くこともありました。

その後、私はアルバイトに出られるようになり、数ヵ月後、精神的な無理がたたって調子を崩し、何度か入院しましたが、皆さん長い目で待っていてくださってとても励みになりました。

入院の前に映画学校に通ってらっしゃるご自身も軽い緘黙の学生さんが緘黙の映画を作りたいということで取材に応じ、入院後も病院までお花を届けてくださったり、とても嬉しく、

退院をする頃、緘黙を克服する前から取材に応じ、二年越しで、2003年には「SWITCH」という雑誌に、「インターネットの神々たち」という特集に写真とともに取材が載ったりしたこともありました。

それと同時期に、tripodさんの方にもこのサイトのミラーサイトを立ち上げ、後で検索をかけたらそちらのサイトを元に立ち上がった某スレッドの数が膨れ上がっているのを発見し、びっくりしたのと、今まで認知度の低かった場面緘黙で苦しんでる方のご自身の苦しみの原因を知る手がかりとなり、緘黙の認知度が高まるのに貢献できたとしたなら本望です。

 

私が退院後、薬の作用でいまだかつて味わったことの無い躁状態になって、ぶっ飛んだことを書いていた時期もあったり、緘黙のくびきから自由になって羽目をはずしたり、度胸がついたり、今思えば遅かりし青春というか、若気の至りで今までとはぜんぜん違う毛色の文章を書いたり、良いと思ったことをいろいろ皆さんにも紹介していきたい、とメンタル系とはだいぶかけ離れたようなことも織り交ぜたページへとも変化していきました。

そこには、そもそも、寝たきり状態のトラウマを払拭するためにはじめたインテリア改造のページなど、ごくごく個人的な、それでも生きる喜びに満ち溢れた写真や文章などのページが発表されるようになりました。

そのころにはネット治安も乱れ、掲示板荒らしと迷惑メールの対応に疲れ果て、掲示板を閉めたり、引越しを余儀なくされ、閉鎖したも同然になっていきました。

それでも懲りず、自分の身に次々と降りかかる不調や克服を皆に伝えたい、という使命感から、アトピーのことなどのコラムを設けるようにもなりました。

アトピーになって、無意識の領域は(自律神経系)あまりいじらないほうがよいこと、ひどいアトピーになったけれど、粘土浴(モンモリロナイトというクレイを入れた半身浴)と、マクロビオティック的食生活で克服したことなど、皆にいろいろ伝えたくて膨大なページになっていきました。

私は結構頑固なのに染まりやすい部分があり、一時は毒舌のような時期もありました。今思えばお恥ずかしい独りよがりです。

2008年の春には国立新美術館で第61回アンデパンダン展に、作業所の所長の紹介で存在を知り、在学中に描いたいまだ日の目を見たことの無い油絵2点を出品しました。

そして、現在に至りますが、統合失調症になってから7年目の今、障害者雇用枠での就労活動など、ようやく動き始めています。

皆さんに幸多きことを祈ります。

2009年3月末日ココロのひろば管理人

 

まとめ

世紀末、私は就職のできないまま大学を卒業し、引きこもりでした。ネットで悩みを分かち合える仲間を得、はじめに出会ったかけがえの無い一人を自殺で亡くしました。

自分の軌跡を綴る事と、彼の死を無駄にしないためにこのページを立ち上げたのが2000年のこと。今思えばのどかなネット環境でしたので癒しのページが生まれました。

それから、掲示板は存続できない状態などに数年後陥りましたが、日記は淡々と綴られました。どんなに些細な出来事も大切に書き留めて起きたかったのです。

2001年、亡くなった仲間の私のことを頼む、との友人への遺言のおかげで私はいろいろなところへ引っ張り出してもらい、自身の努力もあり、引きこもりから脱し、アルバイトもできるようになりましたが、とてもとてももろかったのに急に無理をしたためストレス脆弱性で統合失調症となり、三度入院をし、退院後は作業所にも通いました。一度はもう二度と暗記なんてできないと勉強は諦めていましたが、作業所に新しく入ってきた人が大検の資格の勉強をしていたことに影響を受け、私ももう一度やってみようと、英検や仏検の勉強をし2008年に仏検の4級、2009年に3級を合格しました。そして、この年には七年ぶりに就職活動を始め、9月には障害者雇用枠で某有名アパレル会社のサンプル作成のスタッフとして、デザイナーと一時間範囲及ぶ面接の末、採用が決まり、表参道勤務で憧れの世界に身をおきました。現実は厳しく、契約更新とは行きませんでしたが、よい経験ができ、現在も就職活動中です。

先ほど、10年前のネット仲間とのメールのやり取りを保存してある記録を読み返しましたが、今思えばとても生きることに真摯でガラスのように脆く、真剣で当時の仲間とのメールとのやり取りを読み返すと少し感動してしまうほどです。あの時はなんて繊細だったのでしょう。案ずるより生むが靖という言葉を教えてあげたいような30代の今です。

ネット上の関係なんて希薄・・そう思われがちでしたが、私たちにとってネットは、実際の人間関係を構築するための足がかりでとても密度の濃いものでした。

当時の仲間たち、そしてここに集ってくださった皆様方のおかげで私は今があります。改めてここらから感謝しております。

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