場面緘黙症についての新しい個人的見解

〜場面緘黙症がSAD(社会不安障害)の一種だとすれば原因は科学的に解明でき、投薬治療でなおるかも〜


私は、24年間、場面緘黙症に苦しみ治ったと思ったらスイッチするように統合失調症を発病してしまった患者の一人であり、専門家でも、医師でもなんでもない。ただ紛れもなくその苦しみを体験してきた人間の一人である。その人間によるひとつの見解として鵜呑みにはせず、参考になればと。

この前ニュースで、「SAD(社会不安障害)」についてやっていた。症例として、赤面症、対人不安、視線恐怖、書けい・・などが高じて日常生活を営めなくなってしまう、いままで「神経症=心の問題」と片付けられていた分野が、実は、脳の、潜在的な一般の人との違い(扁桃体)から生ずる問題で、改善には、SSRIや、服薬が有効で、実際、対人恐怖で就職活動ができずに卒業してしまった若者が数ヶ月ぐらい、服薬治療などを続けたら、改善し、今ではちゃんと会社務めしていられる状態に復帰した等、色んなパターンを上げた特集だった。普通の人なら少しずつなれていくはずの不安が、いつまでも慣れる事ができず、悪化し、閉じこもりがちになっていくという、日常生活に支障をきたすことが特徴という物がメインという事だった。今まで性格とか根性の問題で片付けられ、理解されてこなかった人の中にも、全ての、とはいかないがこれに該当するという事をやっていた。

私はぴんと着た。今まで、場面緘黙症は心因的にトラウマなどを受けて発症すると言う説が強かった。少なくとも、脳に何かしらの異変が在るとは認められてはまだ、ないと思う。しかし、過去をたどってみれば、私は物心ついたときから極度の臆病であったが、トラウマらしき物を思い出す事はできない。

そのニュースの運びで確信した。そんな、扁桃体の異状により人より何倍も不安や緊張を感じてしまい、増長されるほかの神経症が、もし、SADの場合、場面緘黙症も、日常生活に大きな支障をもたらし、強い緊張を伴うので、SADの、究極の極端な例の症状なのではないか?と。

そうすれば、場面緘黙症の患者は、生まれつき、扁桃体に異常があり、脳内伝達物質、「セロトニン、ドーパミン」などに起因している、科学的に証明できる症状なのではないか?また、そこに働きかける薬を飲む事によって緩和されたり、治ったりする可能性もあるのではないかと。

何故、そう強く思えたかというと、私自身、24年間場面緘黙症を引きずり、なんとかやっと、克服できたと思ったら、働き出して一年も経たないうちに統合失調症にかかってしまったからである。

この二つの病気の関連性として、始めは、もともと、緘黙があったりして、人より神経過敏だったからストレスが災いして引き起こされたのだろう・・・ぐらいにしか思っていなかったのだが、統合失調症の原因もドーパミンの過剰分泌が引き起こすと言われ、統合失調症のための抗精神薬でドーパミンと、セロトニンをコントロールする薬をつかってから、余り、最近では、緊張する事もなくなってきた、つまり、ドーパミン、セロトニンの異状という共通項=出所は結局一緒で、緘黙と統合失調症が全く別個の物ではなく、いずれこう(統合失調症)なる運命だったものを抱えていたと思うと同時に、その薬が扁桃体にも作用した結果、緊張しなくなったのではないかという、身をもった実感を伴った体験があるからである。

まだ、脳、精神医学に付いては未知数なところがいっぱいあって、「家庭環境が悪い」とか、「育て方が悪い」など、そんな情報が出まわってまかり通っているのだが、アスペルガー症候群についても脳の障害という事がわかってきた今、緘黙にも解明の兆しがくるのではないか?と思った。

ちなみに、精神病理に詳しい、作業所の所長に、この二つの病気の関連性と、私のたてた仮説を話して聞いてみたら、「恐らく、そう思います。」といっていました。

ちなみに、緘黙児の国語などの朗読の出きる、できないは人によるが、恐らく、緘黙児は目立つ事が大の苦手なので、授業を妨げる事で注目を集めないように、授業は授業と割りきって朗読はできたり、私もその口だったので、先生に気がつかれなかったというケースもあるのでは?と思った。

いずれにせよ、場面緘黙に付いては心の問題と、科学的なアプローチと両方でやっていく必要があると思う。何せ、緘黙児は自分に自身が持てないケースが多いので、親に十分愛情表現をされ、共に辛さを分かち合い、ゆっくりやっていく事が重要であろう。

追記:後に、アメリカの学会では場面緘黙症は扁桃体に異常が見られるケースが多く、SADの一種という定義がされてきているとのこと。


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