早熟だった一年間+蛇足 ティーンエイジコンプレックス)
今では思い返せば幻のようだった人より何もかも送れていた私がませていた時期が立った1年間あったことを。
小学校6年次、学校を登校拒否していたころだ。まんがなど禁止だった私が、母が不憫に思ったのか、数ヶ月だけまんがを買う事を許してくれ、今まで見せられなかった世界、芸能界を垣間見る事を許された数ヶ月。しかし、まんがは自分でもなんだか早く興ざめして雑誌の方に転向したのだが。
その時買っていた雑誌は、学研から発売されていた雑誌で、「レモン」と言う雑誌だった。当時は、部屋の模様替えのアイディアや、お嬢様風のコーディネートの乗っていた落ちついた雑誌だった。購読対象は高校生までだったので、お化粧のしかたなどについてもかいてあった。
私も、そのころは、流行を追ってみたり、モノトーンの服に凝っていたり、自分でいくつも、寝る前にみつあみを作ってソバージュにしたりして満足していた。爪にも、父方の祖母に買ってもらった資生堂の「ネイルグロスペン」なるマニキュアや、香りつきのリップクリーム、母が昔使っていたのを譲ってもらった色つきリップクリーム・・・欠かさず見ていた資生堂提供の番組「エクボ堂」。おまじないや占いなどにも凝っていた。原宿などにも憧れていた時期だった。
その一年が過ぎると私はまた、もとに戻り、地味な存在になるが、中学に入って起こした登校拒否の間も、ベッドの中でクニエダヤスエなどの本を母に図書館で借りてきてもらい、お洒落な生活を空想して楽しんでいた。雑誌の方は、段々、レモンが路線変更してちゃらちゃらして、読む気にならなくなったので、しばらく、読みたい雑誌が見つからなかったが、母が、「オリーブがいいんじゃない?オリーブにしなさい。」との提案で、中、高、と、毎月購読していて、インテリアや、リセエンヌに憧れたりしていた。高校に入ると、母の意向で眉もむだ毛もいじってはいけないとの事でわざわざ虐められるようなマジメでお構いなしみたいな制服の着方をしていたが、同じクラスに、美術でコラージュの授業の時、素材になる雑誌などを持ってくる事・・・というときに、マリ・クレールを持ってきていたこがいたので、なんだかおしゃれで格好良くて、読んでみたいと強く思い、母と、半分ずつシェアしてオリーブのほかにマリ・クレールも読んでいた。当時のマリクレールは、今よりコラムがいっぱいあって読み応えがあり、難しく、母がコラム、私がビジュアル中心で読んでいた。だから、頭の中は結構ませていたのだが、友達などいなく、どこにも出かける機会がなかったので、外出用の洋服などは殆ど持っていなくて、母に変な、スーパーのダサい服や、バザーで買ったみっともない地味な服をあてがわれ、やけくそになって、週末は着ていた。
当時はそんなで、わざわ目立たないようにダサい制服の着こなしをしていたが、今になってもっとはじけてたかったと思う。うちのクラスは美術系コースだったので当時はうるさくてあくが強い子ばかりでいやだと思ってたけれど、今思えば、あの年にしてはみんな自分を持ってて、美術のときもコンセプトのプレゼンもしっかりやっていたし、よそのクラスより制服の着こなしもこなれてた。当時はよさがわからなかったうちの学校の合着のバリエーションが、当時制服で人気になった理由がいまはよくわかる。ベスト三種類や、ポロシャツ、薄手のセーターやリボンタイなどなんとおりの着こなしもできて、アメリカのパブリックスクールっぽくて私も当時そのよさに気がついていたらぱっつんとポロシャツを着たり、ニットのベストのほうか薄手のセーターにリボンタイで着こなしたかった。みんななんだか妙な色気があって顔も大人っぽかったな。勉強はまじめにするのが格好悪いという感じでしないけどやればできる子ばっかりだったような気がする。なんだか、今、やり直したいな。高校生。
それから時はたち大学生のときは母が亡くなったりしたことによるメランコリーでモノトーンしか着なかったり、それから先もずいぶん地味で。その後、一時そう状態のときだけ生涯に珍しく派手だったけど元に戻って・。派手の名残のころは全身黒ずくめで黒い日傘を差して人待ちをしていたら、今思えばきっとゴスロリに間違われたのかもしれないけれど、カメラ小僧みたいな人に写真を取らしてくれといわれびっくりして断ったり、韓国のTBKに、古着のつめ放題にいって開店前から並んでいたら密着取材され買い物中もずっと取られていたという私の中では相当珍しい時期もあった。