Column

●治安の悪い都市(2002.1.24)

 日本にいるとわかりにくいが、日本から一歩離れると治安の悪い都市というのは至るところにあるらしい。前に働いていた会社で、オランダのアムステルダムを旅行してきたという人がいた。その人の話によると、表通りとかは確かに観光風靡があっていいらしいのだが、一歩裏通りに入るとよそ者には近づきがたい雰囲気があって、その人はそれでも興味本位で歩いてたら、途中で男4人に絡まれてカツアゲされたそうである。その人は身長は180センチはあってしかも日本人にしてはがっしりした体格をしてるのだが、絡んだ男たちはどいつも2メートルはあるんじゃなかろうかというバカでかい連中ばかりだったそうだ。はっきりいって、こんな連中に絡まれたらたまったものではない。外国人でももちろん厳しいだろうが、体格が概して劣る日本人ではけんかで勝つのはほとんど無理ではないだろうか。こういう場面に遭遇すると、金をいくらか払ってその場を逃れるしかないかもしれない。その人も、金を払って難を逃れたんだそうだ。
 しかし、それどころではない。世界にはとんでもなく治安の悪い都市がある。その中で三悪都市として名前がよく挙げられるのが、南アフリカのヨハネスブルグ、ナイジェリアのラゴス、ブラジルのリオデジャネイロだ。

 ヨハネスブルグと言えば、アパルトヘイトの撤廃運動の発端となったソウェトにも近く、南アフリカの経済の拠点というイメージもある。だが今は、街には各地からの失業者があふれ、犯罪が多発しているらしい。そう、単に多発していると言うのではなく、普通に昼間歩いているだけでも命が危ないのだ。例えば、ヨーロッパから仕事でたまたまヨハネスブルグを訪れた青年が、ヨハネスブルグ中央駅の近くで昼間歩いていて男4人に羽交い締めにされ、現金や荷物、着ていた衣服まで盗られてしまったんだそうだ。暴行や銃、レイプなどで殺される場合も珍しくない。街を走る車も、信号とかで交差点で止まっているとかなりの確率で襲われるらしい。そのため、車は止まらずに全力疾走で中心部を駆け抜けたりする。あまりに治安が悪いので、中心部にあった会社やオフィスはこぞって郊外のサントンに移転してしまったほどだ。
 ナイジェリアの場合は、元々国内に何百という部族がいて、対立が激しいために、治安状態が劣悪だ。そのため、海外旅行の保険すら利かない地域らしい。他の地区でもそうだが、特に経済的拠点であるラゴスでは、武装強盗が頻発しているらしく、ラゴス駐在のビジネスマンが車を走らせていたら、1台のジープが後ろからやってきて、いきなり銃で発砲して脅されそうになり、命からがら近くの民家に逃げ込んで助けを求めたという話を聞く。以前、サッカーのU−20日本代表がナイジェリアに遠征した際、荷物から日の丸やJFA(日本サッカー協会)のマークを消したりしていたが、これは日本人の荷物だとわからないようにして強盗や窃盗など防止するためだった。ほとんどの選手が腕時計すら付けていなかったんだそうだ。このことからも、当地の治安の悪さが窺える。
 ブラジルも、都市部の治安の悪さは有名だ。元サッカー日本代表でブラジルから帰化した呂比須選手は、ブラジルにいるとき何度か脅されたことがあって、頭を撃たれて負傷したこともあったそうだ。それでよく命が助かったものだと思ってしまう。特にリオデジャネイロはひどく、殺人や強盗の発生率などは、ニューヨ−クやロサンゼルスの数倍になるらしい。ひったくりも多いし、銃で脅して金を奪うことなど日常茶飯事だ。失業者があふれ、明日を生きるのに精一杯の人々が多いのが犯罪を増やしている理由かもしれないが、リオの開放的なイメージ(リオのカーニバルとか、マラカナンスタジアムでのサッカーの試合の熱狂ぶりとか)とは裏腹に、裏通りでは血生臭い事件が常に起こっているのだ。

 他にも、ケニアのナイロビ、メキシコのメキシコシティー、イタリアのナポリ、フィリピンのマニラなどもなかなかに治安が悪いらしい。俺ならガードマンを連れていてもそういった都市に行くのは躊躇してしまうが、現地の人たちは犯罪についてどう思っているんだろうか。もっと治安がよくなってほしいとは思っているのだろうが、国の情勢や経済状況からうまく治安を維持できないのかもしれない。俺の住む大阪は東京より人口が少ないのに、犯罪発生件数では互角かそれ以上だ。案外、住んでいる人の気質にも起因するのかもしれない。つまり、犯罪をやりやすくする雰囲気というか、そういったものを抱えているんだと思う。それでも、世界の都市に比べれば、ずっと健全なほうなのだろうけど。
 少なくとも、マンガを読んで無法地帯に憧れる人は、ぜひ上にあげた3都市を訪れてみてほしい。できたら、「北斗の拳」のケンシロウの格好をして、ダウンタウンとか歩いてほしい。日本にいたらわからない虚無と現実が、決して空想では作りえないものであることを知るだろうから。