●「好き」と「嫌い」は表裏一体(2002.1.28)
『動物のお医者さん』という、獣医学部の学生が獣医を目指して繰り広げるドタバタ奮闘ぶりを描いたマンガがあるのだが、そのマンガに準主役で二階堂という学生が出てくる。彼は獣医を目指してるくせにネズミが嫌いで、目に触れるのも「ネズミ」という文字を見るのも嫌いなのだが、あるとき学部で研究用に飼っていたスナネズミが学内に逃げ出し、それを聞いて二階堂は発狂しかねないほどショックを受ける。彼は一生懸命ネズミを探して捕獲を目指すのだが(といってもネズミを触れないから、彼の仲間たちが直接探すハメに…)、なかなか捕まらず、彼は寝てもさめてもネズミのことばかり考えている自分に嫌気をさしてしまうのだ。
よくあることだが、この二階堂のように、嫌いで嫌いでしょうがないヤツなのに、なぜかそいつのことが頭にこびりついて離れないことがある。こういう人は、その対象を嫌っているのは確かなのだが、嫌いであるがゆえに関心を寄せていることが多い。中には、あることをきっかけに、嫌いであるはずのものを好きになってしまったりすることがあるのだ。
だから、「嫌い」といっているものを本気で嫌っているかの判断というのは、その「嫌い」としているものを徹底的に避けていたり、関心を全く持たなかったりしているかで決まるように思う。
ネットとかでよく、有名人の悪口を書いている人のページを目にする。例えば、「大前研一がこんなアホなことを書いていた」とか、「西武の松坂も自己管理ができなきゃプロ失格だね」とか。こんな悪口を書く人は、当然相手を嫌っているのだろう。だが、その悪口の元ネタを知った上でわざわざそんなことを書くということは、実は良い気にせよ悪気にせよ、悪口の対象の相手に大いに関心を寄せている証拠でもあるのだ。本気でそいつを嫌っているのなら、そもそも相手についてまるで触れないだろうし、相手にもしない、つまり無関心のはずだからだ。
それに、相手の悪口を書くと、相手の宣伝にもなってしまうことに、書いた当人たちは気づかないのだろうか。悪口を書くと、その元ネタを知りたがる人はいくらでもいるし、元ネタを探しているうちに、悪口を書かれた相手に魅了されてしまうことも少なくないだろう。具体的な名前は忘れたが、ある有名な作家が、自分の書いているエッセイに別の作家の悪口を書いたら、エッセイが発表されてからその作家の出している本の売上が大幅に伸びたと聞く。悪口を書いた当人たちも、知らず知らずのうちに魅了されているに違いない。本気で嫌いで悪口を書きつつ相手を儲けさせないなら、せめて某作家とか某プロ野球選手という表現にすべきだと思う。これは別に陰湿な表現でもなんでもない。
このように、大抵の場合「好き」と「嫌い」は表裏一体なのだから、例えば相手に嫌われているからといって必ずしも悲観する必要はないんじゃないかと思う。決定的に避けられていないのであれば、相手のことに踏み込んでいくうちに、魅了されて「好き」に変わっていく可能性だってあるのだ。セールスマンが見込み客に食らいついたり、プレイボーイが必死で相手を口説いたりするのは、つまりはそういう理由だと言えるだろう。もっとも、先の二階堂の場合は最後までネズミを嫌いつづけてたけど(^^ゞ(というか、避けてたから本気で嫌いだったんやろうね)