●モノは、安ければいいのか?(2003.1.27)
不景気が続くせいで、人々は買いたいモノを手控え、貯蓄にいそしんでいる、という報道を飽きるくらい新聞や雑誌とかで見ているが、現実は果たしてそうなんだろうか。
確かに、これまで右肩上がりだった収入は、国内外の熾烈な競争のおかげで、来年の年収すら計算ができないケースも出始めている。リストラは加速し、成果主義が導入され、人々は自身の未来が予測できないためローンを組むのさえ慎重になってきている。数字的にも、確かに消費は減退傾向にある。
だが、その一方で、百貨店に行くと、高級バックやアクセサリーなどが飛ぶように売れ、海外旅行熱も収まる気配はなく、外車やプラズマテレビなどの高級品の人気も相変わらずだ。このような違いが出てくるのはなぜだろう。
俺が思うに、これまでの(表向き)平等社会が、階級社会になりつつあるんじゃないかという気がしている。つまり、これまではほとんど横並びで収入格差も大してなかったのが、今後は収入格差が増大し、もてるものともてざるものとに分かれていくんじゃないか、そんな気がしている。一方は豊かな生活を満喫し、もう一方は生涯お金に苦労したり翻弄されたりしてすごすことになるんじゃないか、と。
また、消費が減退しモノが売れない他の原因として、「買いたいと思うものがない!」というのもある。例えば、俺はよく外食をするのだが、「こんなのに何で1000円も払わんとあかんの?」と思うような丼モノとかオムライスとかがメニューにあったりする。そして、そういったものがウマイのかというと、決してそんなことがないから始末に終えない。仮にそういった店に入ってしまうと、「こんなもののためにこんなお金を払ってしまって…」といって、自分自身が凄く損をした気分になってしまう。
俺の考え方では、モノというのは「飛び切り安いがそれなりにしっかりしたもの」か、「比較的高級で品質に信頼が置けるもの」のどちらかしかない、と思っている。例えていうと、前者はユニクロとかディスカウントストア、後者はブランドモノとか百貨店、という風に割り切れると思う。
通常は、モノといえば価格競争がとかく取り上げられがちだが、競争自体のフィールドが「価格」ではなく「品質」や「デザイン」といったものになってくると、それらと「価格」とは土俵が違うので、競争の次元が変わってしまい、その組織自体が生き残れる可能性がある。例えば、中国もイタリアもバッグや靴を作っているが、中国は価格で勝負しているのに対し、イタリアは「品質」や「デザイン」で勝負しているので、両者はそもそも競合しないわけだ。
国内でも、例えば俺の地元の関西でも、スーパー同士の値引き競争は熾烈なのだが、一方で「いかりスーパーマーケット」という関西では知名度の高い、東京でいう「紀ノ国屋」のような高級スーパーもある。ここは、他のスーパーでは見られない高級食材や輸入品をたくさん置いていて、価格も当然他のスーパーに比べて飛びぬけて高いにもかかわらず、高所得層を中心に非常に来店が多く、繁盛している。徹底的に食材にこだわることで知られ、いわゆる「ikari」ブランドを確立し、関西の富裕層には全幅の信頼がある。いかりスーパーのある場所は高級住宅街の証しとさえ言われる。KINOKUNIYAのロゴのついたバッグが人気があるように、IKARIのロゴ付きの紙袋も一種のファッションと化しているくらいだ。そういったところは、他のスーパーのような価格競争にも巻き込まれずに生き残っていけるのだろう。
すなわち、モノは安ければいいというのではなくなっているのだ。今の日本の社会では、「いいモノを安く」ではなく、「モノに対する満足感」をいかに得られるようにするか、これに重点が移っていると言えるだろう。